02暮れる夕日に晴れ渡り



 連れてこられたのは、町中にある小さな山の中だった。
 急斜面が多く、手入れもあまりされていないようで、人の気配が少ない。そういうところを選んでいるのだと彼は言った。
 彼の手から伸びる蔦が、通常ではありえない速さで伸びて、またしゅるしゅると縮んでいく様子は、すっかり見慣れてしまった。それ以上に驚くことが多すぎて、いったい何から考えればいいのか。

 ここに来るまでのことを、覚えていない。
 制服を着ているから、学校に行っていたと思うのだけれど、はっきりしない。
 気付いたら一面の空だった。
 透明な飛行機から放り出されたとでも表現するしかない、突飛な状況。
 そのまま飛んだり、浮いたりなんて、夢の中のような出来事は起きず、無情にも私の身体は重力に従って落下していった。
 その落下地点にいたのが彼。風息というらしい。
 彼は耳が尖っていて、髪が長くて、衣装が古めかしくて、どこをとっても普通なところがない。極めつけに木を操る。
 でも、彼の周囲はそうおかしくない。車が走っているし、電線が通っている。でも、どことなく違和感がある。その違和感は、そこに住んでいる人たちが使っている言葉からわかった。彼らが話しているのは、日本語じゃない。
 日本に似ているけど、違う。別の国だ。
 風息の後について歩きながら、私は周囲を観察して、その事実を飲み込んだ。
 ここは日本じゃない。私の帰るべき家はない。じゃあ、どうしたらいいんだろう。
「帰りたい場所を念じて跳べばいい」
 風息はそう言った。彼が言うには、私には瞬間移動ができるらしい。確かに、街の中から塔のてっぺんに飛んで、また街の中に戻ってきた。でもそれは、本当に私がやったことなんだろうか。
 生まれてこの方、こんな奇妙な体験はしたことがない。自分に超能力があるなんて、思ってもみなかった。そうだったら楽しいな、なんて、想像してみたことはあるけれど……。
 でも、本当にそんな力があるなら、きっといつでも家に帰れるはずだ。たぶん。
 全然知らないところに突然飛ばされて、振り回されたり、攻撃されそうになったり、散々な目には合ってるんだけれど。
 どこかで、わくわくしてる。
 これからもっと、すごいことが起こりそうな。
 いつでも帰れるなら、いますぐじゃなくても。
 もう少しだけ、この人と話してからでも。
 そんなことを思いながら、彼の後について行って、私はいつの間にか山にわけいるはめになっていた。
 道なき道を、彼はすいすい進んでいく。そのあとを一生懸命ついていくけれど、すぐに彼から遅れてしまう。そのたびに彼は足を止めて待ってくれて、ときには手を差し伸べて、無理そうだと思ったら蔦で引っ張り上げてくれた。この蔦がなかなか頑丈で、自由自在に動かせて、とても便利そうだった。いいなあ、私もそんなふうに力が使えればなぁ。
「……君もできるはずだ」
 うらやましそうな私の顔を見て、彼は少し意外そうな顔をした。
「まだ、力に気付いたばかりでわかっていないんだろう」
「ほんとに? 私にもできる!?」
 思わず食いつくと、彼はうるさそうにしながらも、できる、と繰り返してくれた。
 瞬間移動と、木を操る力。
 そんな力が、私の中に眠っていたなんて。
「この辺りは街に比べれば霊質が濃い。練習するにはちょうどいいだろう」
 ここで力の使い方を覚えて、家に帰る。それが風息が提案してくれた内容だった。
「まずはここから、ここへ跳んでみてくれ」
 彼は小石を二つ拾うと、一メートルくらいの間隔をあけて置いた。
「そんな気軽に言われても……」
 まだ自分では、そんな能力に目覚めた自覚なんてちっともないのに。
「ほら、目を閉じて」
 想像するんだ、と言われるままに目を閉じてみる。
 瞬間移動のイメージなんて、そうそうわかない。さっきだって、何が起こったかわかる前に全部が終わっていた。
「うーん……!」
 自分の家を思い出して、身体に力を籠める。さっきはお腹の底から何かが湧き上がってくるような感覚があった。今は、微塵もそんな気配はない。
「……うう」
 というか、お腹が空いた。
 こんな状況で我ながら暢気だけれど、腹が減ってはなんとやらというし。
「……霊質を使い切ったか」
 唸っている私を観察して、風息はぼそりと呟いた。
「霊質?」
「力の源だ。転送術を使うのにも必要だ。さっきので使いつくしたんだろう」
「ええっ、じゃあもう戻れないってこと!?」
 燃料切れのジャンボジェットはお払い箱だ。
 ショックを受ける私に、彼はまた落ち着け、と肩を叩いた。
「時間を掛ければまた戻ってくる。……数日か、あるいは……」
「そ、そんなに!?」
 あまり慰めにはならなかったけれど、ともかく、絶対帰れないということはないみたいだ。そうだよね?
「帰れるよ。それまでは俺たちのところにいればいい」
 そう言ってくれた彼の表情ほど頼もしく感じるものはなかった。
「本当!? よかった、私、もう何がなにやら……」
「いきなり知らないところに跳んだらそんな反応にもなるだろう」
 その頼もしい笑顔にはどこか諦めも見える気がしたけれど見なかったことにして、私は彼を頼ることに決めた。
 他の人たちは言葉も通じそうにないし、お金も持っていないし。
「もうすぐ暗くなる。まずは寝床へ案内しよう」
「よろしくお願いします!」
 私は見知らぬ土地を、彼の長い髪が揺れる背中だけ見て、通り抜けていった。


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