13もっと一緒にいたかった



 そこは真っ白な空間だった。
 足元には地面があって、前には緑があるけれど、振り返ると、ある地点から何もなくなる。たぶん、何もないというのは思い違いで、霊質が満たしている。空気とは違う、不思議な感覚を肌で感じた。
 島では雨が降るように騒いでいた小鳥の鳴き声も、ここでは一切聞こえない。静かだ。
 中心に生えた大きな樹を囲んで、たくさんの木が地面に根を下ろしていた。
 生き生きと枝葉を伸ばす木々の間をゆっくりと歩いていく。地面の上にはたっぷりと落ち葉が重なっていて、踏みしめるたびにふわふわとした感触が返ってきた。
 彼は中央の大樹の根本に横たわっていた。
「風息!」
 怪我をして、疲れ果て、息を切らしている。
 急いで駆け寄って、そばにしゃがみこんだ。
 風息はぽつりと呟いた。
「……叶わなかった」
 私の祈りは、届かなかった。それを悟って、声を出そうとして唇が震える。
 恐る恐る風息の手に触れる。かさかさで、汚れてしまった手。
 風息はそっと目を開けた。
「どうして、お前が現れたんだろうな」
 何も言えなくて、やっとのことで首を振る。
 わからない。私は風息の役に立てなかった。
 どうして、風息。
 どうしてこんなに傷ついているの。打ちのめされて、ぼろぼろになって。
 誰があなたをここまで追い詰めたの。
「俺を迷わせ、引き留めるためか?」
 風息は自嘲気味に笑う。息をするのも苦しそうだった。
「風息は……まっすぐな人だよ」
 私はなんとか口を動かして、心からそう答えた。
 風息がやるべきことをやり遂げられるように、心から応援していた。でも、それは間違いだったんだろうか。私は、あなたを止めるべきだったのかな。こんな姿を見たかったんじゃない。
 ただ、私は風息に願いを叶えてほしかった。
 それだけだったのに。
「お前は、いつも突然現れて……」
 言いかけて、風息は咳き込んだ。慌ててその背中をさする。
「俺を驚かせるし、困らせる……」
 目を閉じて、辛そうに息をしているけれど、不思議と声は穏やかで、余計に胸が締め付けられた。
「……帰るまで、面倒見てやれなかったな」
「ううん。……ちゃんと、ちゃんと帰る、帰れるか……ら」
 だから心配しないで。
 私が跳ぶ先はいつも風息のそばだった。
 この世界と私を繋いでいたのは、風息だ。
 でも、それがもうすぐ、切れる。
 それをはっきりと感じる。わかってしまう。
「……なら、行け。もうここに用はないだろ」
「……やだよ!」
 追い返されそうになって、思わず風息の足元に縋りついた。
「やだ……っ! もっと風息と一緒にいる! まだ修行終わってないし、洛竹たちは捕まっちゃったし、みんなバラバラになっちゃって、そんなのいやだよ……! こんなお別れはいや、いや、風息……っ!」
 やだよ、と私は駄々っ子に見られるのも構わずにわがままをぶつけた。
「ずっと風息と一緒にいたいよ……!」
 もう涙を抑えることは無理だった。風息の首に抱き着いて、髪に顔を埋める。細い吐息が耳元に触れた。それがどんどん弱まっていくのが怖い。
「ナマエ」
 その声音は私に落ち着けと諭していた。
 どんなに縋りつきたくても、風息には逆らえない。風息が離れろと言うなら、私はそれに従うしかない。
「お前の居場所はここじゃない。帰るんだ」
 あくまで優しく、風息は私に立つように促す。
 風息に突き放されたと思って、悲しくなったあのときのことを思い出した。
 でも、今は違う。風息は私のために言ってくれてるんだってことがわかる。それがわかるから、涙がもっと溢れてきてしまう。
「もう、迷子になるなよ」
 泣きながら立ち上がる私を、風息が見ていてくれる。
 風息が見送ってくれているのを感じながら、私は霊質の操作に集中した。
「ナマエ。……ありがとう」
 その白い空間が視界から消える最後の瞬間、風息がゆっくりと目を閉じるのが見えた。



 私は青空の下に戻ってきた。朝日の白い光が地平線から上へと差し、空の色が刻々と濃くなっていく。
 ビルを飲み込むほど高く伸びた樹の枝を揺らして、風が吹いた。
 ――大樹となった彼の吐息が、龍遊の夜明けに溶けていく。
「……うああああっ」
 大きな樹の幹に手をついて、倒れ込みそうになりながら私は声を上げて泣いた。
 どうして離れてしまったんだろう。最期まで一緒にいたかったのに。離れたくなかった。いやがられても、傍にいればよかった。ちゃんとお礼も、お別れも言えなかった。私をそばに置いてくれてうれしかった、みんなと過ごせて楽しかった、他にもたくさん、伝えたい言葉があったのに。
 何も言えなかった。
 弱っている姿が信じられなくて、もうその息が止まってしまうなんて考えられなくて、だって少し前まで元気だったのに、話をしたのに。あとで話すって言ったのに、結局説明してくれなかった。どうしてこんなことになったのか、何も教えてくれなかった。どうしてこうなってしまったのか、何もわからなくて、なのにあなたを永遠に失ってしまったことだけは本当のことで、残酷な状況にただ嘆くことしかできなくて、やるせなさに心臓が潰れそうだ。
 もっと何かできたのかもしれないのに。せっかく力があったのに。私の選択は間違っていたの? 止めるべきだったんだ。洛竹みたいに、やめてっていうべきだったんだ。私は無知で、何も知らなくて、ただ風息の言葉を信じるしかできなくて。でも私が何を言ったって、風息はきっと考えを変えることはなかった。洛竹でさえできなかったのだから。虚淮は風息を止めはしなくて、みんなきっと風息を信じて、願いを叶えようとしていた。
 風息が願ったことは、そんなにいけないことだったのでしょうか。
 こんな最期を選ばなければならないほどのことだったのでしょうか。
 いくら嘆いても答えは出てこない。
 ただただ、どうしようもない悲しみだけが全身を強張らせていて、この場所から動けない。
 もう、どこにも行けない。
 風息。
 あなたなしでは。

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