第四話 祭



「洛竹! 早く来いよ!」
「まってよ、風息!」
 青い草がさわさわと揺れる中駆け出した風息の後ろ姿を見上げながら洛竹は答え、ナマエを振り返る。
「じゃあ、行ってくるねナマエ姉!」
「行ってらっしゃい、暗くなる前に帰ってくるのよ」
「はーい!」
 洛竹は軽やかに下草を飛び越えて、風息と並んで森の奥へと遊びに行った。その様子を見送って、ナマエは満ち足りた溜息を吐く。
 ナマエたちに新たな家族が増えたのは、風息と出会って数十年経ったころだ。
 その子供は洛竹といい、風息と同じ木属性だった。洛竹は懐っこく、朗らかで、よく喋りよく笑うので、一家はいっそうにぎやかになった。
「ナマエ姉! あっちに綺麗な花が咲いてたんだ。見に行こうよ!」
 森の中で素敵なものを見付けると、洛竹はすぐにナマエを呼びに来て、その手をぐいぐい引っ張って思いを共有したがった。
 洛竹に引かれて訪れた先でナマエを待っていたのは、一面の花畑だった。
「この薄い青がナマエ姉の瞳みたいできれいだろ?」
「うれしいわ、洛竹。こんな素敵な景色が見られるなんて」
 洛竹は素晴らしいものを見付けることに長けていた。どこかに出かけては帰ってくるたびにみんなにお土産を持ってくる。虚淮には透き通った小石、風息には珍しい植物の種、ナマエには地面に落ちる前に拾い集めた花びら。またけものたちともすぐに仲良くなった。野兎の子供や小鹿たちと出会ってはそこら中駆け回る。
「最近、鳥の巣や鼠を食い荒らしてる大きい蛇がいるらしい」
 あるとき、風息がけものたちの訴えを聞いてきたとみんなに話した。
「手あたり次第に食うからみんな怖がって巣穴から出てこれないんだ。俺たちで懲らしめてやろう」
「でも、その蛇も好きで暴れてるんじゃなくてさ。大きくなりすぎた身体を持て余してるのかもしれない」
 それを聞いて、洛竹は蛇側の事情を推量した。虚淮は表情を動かすことなく答えた。
「そうだとしても、やりすぎはだめだ」
 好戦的なところがある虚淮や風息に対して、洛竹は穏当にすませることを好んだ。
 ナマエは彼らがあれこれと論議するのを、口は挟まず少し離れたところで見守り、出かけていく彼らの無事を祈るのが毎度のことだった。

 森に新客が現れたのは、ちょうどそのころだった。
 彼らは妖精のように霊力を操ることはしなかったが、代わりに様々な用途に応じて仕事を容易にする道具を用い、森を彼らに住みやすいよう変えていった。
 木が切り倒され、広々と開いた土地に木と石と土を使い家を作った。
「あれが人間よ」
 ナマエたちは彼らから離れた場所に身を隠しつつ、彼らのすることを眺めていた。
「火属性でもないのに、火を熾せるんだな」
 火を御す人間たちの様子を見て、洛竹が感心して言った。
「ずいぶんたくさん木を切るもんだ」
「木を操れないから、ああするしかないんだろう」
 風息が洛竹に答えながら、鼻を鳴らした。立派に育った木たちが次々と切り倒されていくのを見るのは面白くない。そこを住処にしていたけものたちも驚いて飛び出していく。だが、彼らが生活に必要な分だけを切るなら仕方がないとも思った。
「騒がしいな……」
 たくさんの人間が寄り集まっている様を見て、虚淮は目を細めた。
 妖精たちが人間を遠巻きにするように、人間たちも自分たちにはない力を持つ妖精を畏れ、分を弁えて接してきた。

「姉様」
 朝、ナマエを起こしに来た虚淮の様子はいつもと違っていた。ナマエは身を起こして髪を整えながら、何ごとかと弟の表情を見つめる。彼を知らない人が見れば、なんの表情も浮かんでいない、氷のような面だと思うだろう。しかし、ずっと彼と過ごしてきているナマエには、何かに興奮して喜びを浮かべていることが見て取れた。
「気が集まっています。大きな気が」
「まあ……妖精が生まれるの?」
 それでナマエにも虚淮が何を期待しているのかすぐにわかった。虚淮は洛竹にも声を掛け、途中、気が集まっていることに気付いた他の妖精たちと合流し、その場所に向かった。
「わあ……」
 妖精が生まれるところに立ち会うのは久しぶりだった。ナマエは、眩く光る光球を見上げ、感嘆の声を上げる。たくさんの妖精たちがその光を囲み、誕生の瞬間を今か今かと待ちわびていた。
「風息は?」
 彼なら真っ先に駆けつけているだろうに、その姿がなく、ナマエは集まった妖精たちの顔を眺める。
「あっ、街に行ってるはずだよ。呼んでくる!」
 若い妖精がはっと気付いて、駆け出していった。
「間に合うかしら……」
 あの子は足が速いが、光がどんどん集まっていく速度も速い。もし間に合わなかったら、きっと悔しがるだろう。ナマエははらはらしながら、霊質の塊が少しずつ膨らんでいくのを見守る。どんな妖精が生まれるだろう。弟だろうか、妹だろうか。
「はやく一緒に遊びたいなあ!」
 洛竹はわくわくした笑顔を浮かべて、待ちきれないように目を輝かせて光球を見上げている。隣の虚淮も表情は変わらないが、楽しみにしていることが伝わってきた。
「はははは! お前ら、早いな!」
 大きな笑い声が聞こえてきて、風息が駆け付けた。その声の大きさに、虚淮はしーと指を口元に立てるが、風息は意に介さず愉快そうに笑う。
「あ……」
 ナマエが気付くと同時に、虚淮も気付いた。
「あちらから、誰か近づいてくる」
 人間の気配だ。複数いる。妖精の誕生に立ち会わせるのは無粋だ。
「俺が行く。ここは任せた」
 風息がすぐに動いた。飛び上がって樹を伝い、人間が侵入しないよう止めに向かった。その間にも、霊質は順調に集まっていく。
 すぐに風息が戻ってきて、みんなで固唾をのんでその時を待った。もう十分霊質は集まった。そうナマエが感じたとき、光球はぽんっと形を変えて、虎のような姿をした丸っこい妖精が誕生した。ナマエは腕を広げて、その小さな身体を受け止めた。ふわふわの毛を持つその妖精は、まだすやすやと眠っていた。
「まあ、かわいい」
「かわいいな!」
 洛竹は背伸びをしてナマエの腕の中で眠る妖精を覗き込む。手を伸ばして、その毛並みをふわふわと撫でた。
「普通だな。小さい」
 虚淮はつまらなそうに呟いた。
「はははは! 地虎と呼ぶか!」
 風息が名前をつける。それに虚淮は眉を寄せた。
「アホっぽい」
「じゃあ、天虎は?」
 洛竹が案を出す。ナマエにはどちらも変わりないように思えた。アホっぽくはないと思う。
「ははは! いいな!」
 風息はこだわらず、洛竹の案を採用した。
「天虎。可愛い子。私たちの新しい弟」
 ナマエは天虎の頬をそっと撫でる。
「俺にも抱かせて!」
 他の妖精たちも集まってきて、天虎の小さな身体は順番にいろいろな腕を経由していく。最後に風息の腕に収まった。その間、ずっと心地よさそうに眠っていた。どうやら大物になりそうだ。

 子虎は口数が虚淮よりも少なかった。兄たちにくっついて、小さな足を懸命に動かし走り回った。
 火を操ることを得意とする彼のお陰で、これまで果物中心だったナマエたちの食卓は彩を増した。
「ねえね、これ、身が詰まっていて甘い」
 天虎は美味しい果物を見分けるのが特にうまく、よくナマエにいいものを選り取っては両手いっぱいに抱えてきてくれた。ナマエは差し出されたうちからひとつ受け取り、口に含む。途端によく熟れた甘い汁が口内に満ち溢れ、頬を蕩けそうに緩めた。
「本当ね。ありがとう、天虎」
「うん」
 天虎はナマエに頭を撫でられると、ナマエの顔を嬉しそうに見上げてにこにこと笑った。

 氷と親しいナマエにとって、火自体は苦手なものだったが、天虎が熾してくれる焚火を家族で囲む夜の時間は大切に思っていた。
 昼間は思い思いの場所で過ごしている弟たちが帰ってきて、夕飯を食べながら、その日あったことを話し合う。一番心和む時間だった。
「去年は寒かったから少なかった鳥が、今年はたくさん卵を産んでたんだ。きっともうすぐ賑やかになるよ」
 そのときを想像したのか、楽しそうな表情で洛竹は言った。
「今年は妖精もたくさん生まれたな。騒がしいくらいだ」
 肉を飲み込んで、風息が言うと、ナマエはくすくすと笑い声を零した。
「風息は忙しくなるわね」
「面倒ごとが起きなければいいが」
 風息はナマエにやれやれといった表情をしてみせたが、その実洛竹と同じくらい楽しみにしていることを感じてナマエは微笑む。賢く、力もある風息は、何かと妖精たちに頼られがちだ。新しく生まれた妖精たちは皆風息に挨拶し、何か困ったことがあれば相談に来る。妖精同士の諍いを諫めるのも風息の仕事だった。
「台風の目がよく言う」
「どういう意味だ」
 涼しい顔を崩さずおちょくる虚淮に、風息は口を尖らせる。血気に逸るところがある彼を諫めるのは虚淮の役割だ。
「果物も美味くなる。お肉も」
 天虎が楽しみにしているのは収穫の方のようだ。今年は昨年に比べて全体的にいい雰囲気が漂っている。昨年は少し寒すぎたし、雨も多かった。雨自体はナマエにとってはなんでもないが、森全体にはあまりいい影響を与えたとは言えない。洪水が起きないよう川の水位を調整するのは難しいことだったし、すべてを思い通りに操ることはできない。
 その分、皆今年に期待を膨らませていた。

「そろそろ祭の時期だろ。またお菓子が食べたいなあ」
 洛竹が思い出しているのは、ずいぶん前にこっそり参加した人間の祭の記憶だった。人間は何かの折々に集まっては美味しいものを食べ、お酒を飲む。賑やかな催し物が目を楽しませ、陽気な音楽が耳を楽しませてくれる。遠くから雰囲気を感じるだけでも心が弾むものだが、たまに人ごみに混じることもある。祭りは夜にも行われ提灯明かりで薄暗く、人々が着飾っているから、人でないものが紛れていても気付かれにくいのだ。
「天虎も行きたいだろ?」
「うん」
「天虎は変化できないからな」
 洛竹に聞かれて頷いた天虎の頭を、風息がぽんと撫でる。
「中には入れないが、少し遠くから眺めるならいいだろう。俺が連れてってやるからな」
「うん」
 天虎は語気を強めて嬉しそうに頷いた。
「虚淮とナマエ姉は何かほしいのある?」
 いつもナマエと虚淮は留守番だ。洛竹に訊ねられて、ナマエは少し考えてみた。
「きれいな髪飾りはあるかしら」
「ぴったりなの探してくるよ!」
 人間が作るもののうちでも、細工物をナマエは気に入っていた。実に細かい意匠を凝らし、硬い金属や木などを華美に装飾する技術は目を見張るものがある。
「……私も一緒に選ぼう」
 そんなナマエの表情をしばらく眺めていたと思ったら、虚淮が思わぬことを口にした。
「お、虚淮も行くか?」
「お前だけに任せておけない」
 つんとした物言いに、洛竹とナマエは顔を見合わせて笑った。
「ナマエも行こう。きっと楽しいよ」
 風息に改めて誘われて、ナマエは遠くに聞いた祭囃子を思い出してみた。あの中心はさぞかし熱気に溢れているだろう。
 それに、ナマエは過去の一件以来、人間の前に姿を現わさないようにしている。弟たちにも近づかないよう伝えてはいるが、祭りとなれば話は別だ。この一夜だけは、人間も人ならざるものを歓迎している。
 ナマエはしばらく考えて答えた。
「熱にあてられそうだわ。だから、遠くからなら」
「よし。じゃあナマエは俺たちと一緒だな」
 風息はにっと笑って、天虎と頷き合った。
 当日は天候に恵まれ、祭りは盛大に開催された。
 洛竹と虚淮は被り物を被って祭に出かけていき、後からナマエたちも出発した。風息は肩に天虎を乗せて塀を飛び越え、広場を見下ろせる屋根の影に腰を下ろした。ナマエも音を立てずその隣にふわりと降りる。これだけ近くで聞く笛の音は身体に響くようで、芯から湧きたつような心地になった。
「ナマエ、あそこを見て」
 広場には舞台が作られており、その上で豪華な衣装と派手な化粧に身を包んだ人間たちが舞を舞っていた。
「神仙に捧げられる舞だ。つまり、俺たちにってこと」
 風息は肩を揺らして見せる。
「ああやって豊穣とかいい天候とかに感謝を捧げ、厚い加護を願うんだ。健気なものじゃないか」
「美しい舞だわ」
 小鳥たちが木々の枝を飛び回る優雅さと、けものたちが地面を跳ね回る力強さの両方を感じるその動きに、ナマエはすっかり魅了されていた。軽快な音楽がナマエを幽玄の世界へ惹き込んでいく。
「人間の作るものは美しいわね」
 風息の肩に頭を寄りかからせ、天虎の頭をそっと撫でる。
 少しすると、洛竹と虚淮がお土産を持って集合してきた。
「姉様、こちらを向いてください」
 虚淮に言われたとおりに首を傾けると、虚淮は懐から取り出した髪飾りをナマエの顔の横に並べ、じっと眺めると、小さく頷いた。
「やはりこれが一番あなたに似合う」
「俺と虚淮で見付けたんだ! 思った以上に似合うなあ。ナマエ姉、きれいだ」
「どれ、俺にも見せてくれ」
 風息まで乗り出してくるので、ナマエはさっそくそれを髪に差し、三人に見せた。
「どう?」
「うん、いい」
 風息は満足そうに口角を上げる。ナマエの胸が暖かいもので満たされていった。
「ありがとう、ふたりとも。とても気に入ったわ」
 この日の祭り囃子を、ナマエはずっと忘れない。

 あるとき、ナマエたちが山道のそばを歩いていると、山道から外れた場所に蹲る人影が見えた。斜面が崩れているところを見ると、山道から足を外して滑り落ちてしまい、怪我を負ったようだ。
「ナマエ姉、人が怪我してるみたいだ」
 そう言うと、まっさきに洛竹が飛び出していった。続いて風息が後を追う。周囲に、彼以外には人はいないようだった。基本的に、山に入るときには二人以上が一緒にいるのが人間の常だったが、逸れたのか、彼を助けるべき人間の姿は見当たらなかった。なので、ナマエも姿を見せることにした。虚淮は少し離れたところで辺りを警戒していた。
 俯いている男の顔を覗き込んで、洛竹が問う。
「あんた、一人なのか?」
「はい」
 何か事情があるのだろう、男は歯を食いしばって答えた。籠も背負っていないから、山菜取りというわけでもなさそうだった。
「怪我の具合を診せなさい」
 ナマエが降りていくと、洛竹は場所をあけて、男の背を支え、ナマエが治療をしやすいように整えた。
 男の足は傷だらけで、足首が腫れ上がっている。これでは歩くのは難しいだろう。
「じっとしていなさい」
 ナマエはそう言うと、患部に手を翳した。すると、青白い光が何もない空間に生まれ、患部を包み込んだ。
「ああ……、このお力は……っ」
 男は痛みも忘れ、その業に見惚れた。
「……さあ、これでいいでしょう。お立ちなさい」
「はい……。ああ、立てる、痛くありません!」
 男は驚愕して地面を踏みしめて足の具合を確かめると、すぐに跪いてナマエたちに頭を下げた。
「ありがとうございます、仙人様方。この御恩は決して忘れません」
「かまいません。それよりも、このことは誰にも話してはいけません」
 ナマエは語気を強めて男に釘を刺した。
「しかし、それでは……」
「いいですね」
「……仙人様がそうおっしゃるなら。従います。ありがとうございました」
 男は気が済むまで拝礼すると、後ろ髪を引かれながらも立ち上がり、森の外へ向かう方角へと歩き出した。
「また怪我したり、けものに襲われないか心配だなあ」
 洛竹の目には男の背中がいかにも頼りなく見える。霊質を操れない人間はこの噎せ返るような自然に対して無防備に思えた。
「ここで私たちと出会ったのが天命ならば、無事森を越えるでしょう」
 ナマエはそう答えて、男を振り返らずに歩き出した。

 そんな風に、ごくたまに、人間が妖精たちと遭遇する機会はあった。妖精たちは困っている人間に親切にしてやり、反対に悪さをする人間を懲らしめることもあった。人間たちは妖精を畏れ、敬い、奉った。
 人間と妖精の関係は、良好に築かれてるように見えた。
 しかし人間がより発展していくにつれ、少しずつ崩れ始めたのだ。

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