16:Undermines the star

 頂上に置かれたザウデの心臓、巨大な魔導器が眩い光を放ち始めた。
 それは空に反射し、青空に結界の紋章が浮かび上がった。空全体を覆うかのように広がる結界に、一筋の亀裂が走る。亀裂は見る間に伸び、枝分かれし、結界は粉々に砕け散った。
 一瞬前までは勝ち誇った笑みを浮かべていたアレクセイは、結界の割れた空から現れた奇妙なものを見上げて、顔の筋肉を引きつらせた。
「馬鹿な……」
 長い年月だった。全世界に散らばり、切れ切れで不完全なザウデ不落宮の資料を掻き集め、始祖の隷長へ対抗し、帝国を掌握するだけの絶対的な力を手に入れるため、全ての情熱を傾けてきた。
 それはまた、多くのものを失った月日でもあった。
 この日のために奪われた命。それらはアレクセイの背中に、肩に、重く張り付き、積み重なり、ますますアレクセイをザウデ不落宮の復活へと駆り立てた。
 彼らのために。世界の安寧のために。
 絶対的な力が必要だった。
 そしてついに、超古代文明の残したプログラムを解析し、ザウデを発動するに至った。あとは邪魔者を排除し、腐りきった帝国をこの手で作り直す。それがようやく叶うと、思ったのは一瞬だった。

 期待していたものはこんな結果ではなかった。資料に記されていたザウデの能力は、始祖の隷長のみならず、星喰みすら破壊することを想定されているはずだった。
 だが違った。
 空の結界が割れ、現れたものを見て、アレクセイはようやく、自分が間違っていたことを知った。
 限られた資料をつき合わせて得られた推論は、所詮推論でしかなかったということだ。
 このために費やしてきた月日、労力、そして命。
 全てをかけて、成し遂げたことは――星喰みの、復活だった。

 ザウデは武器ではなく、封印装置だったのだ。星喰みは倒されてはいなかった。それはずっと、人々の頭上にあったのだ。ザウデ不落宮の結界が、僅かにそれを大気の向こうに遠ざけていただけで。いつでも、脅威は頭上にあったのだった。
 これ以上の皮肉があろうか。世界を救おうとした結果が破滅への手引きになろうなどと。
 これ以上の道化があろうか。
 これ以上の結末があろうか。
 もはや災厄は解き放たれた。世界は遅からず滅亡するだろう。対抗する術もなく。そうだ。
 ――所詮、我らは虫けらに過ぎなかった。


「どうなってるのよ!」
 空に現れた、不気味な塊を見上げ、セシリアは叫ぶ。
 頂上の一歩手前で、駆けつけたフレンたちと合流した。その後、イエガーを倒したというユーリたちも追いつき、アレクセイの元へ辿り着いた。アレクセイの攻撃からユーリを庇ったフレンを残し、頂上へ向かうアレクセイを追いかけ、巨大な魔核の下でアレクセイに総力戦を挑んだまではいい。
 だが、戦っている間もアレクセイは解析を続けていたのだ。これだけの人数を相手に、そんな余裕さえ見せる男をどうして滅ぼせるだろう。だが、彼の頭上にこそその絶望が浮かび、彼は彼自身の手で解析したプログラムによって、絶望を自ら引き寄せてしまったのだった。
 あと一歩までアレクセイを追い詰めたと思ったのに。
 本当の脅威は、絶対的な力を持って全ての人類の上に降り注いだ。
「そんな……」
 呆然と空を見上げる。
 不気味な色をした、不気味な怪物。青空は紫色に陰り、その毒々しさは帝都の空を覆ったエアルとは比較にならないほどだった。
 封印を解かれたザウデは、まるで一度に千年の時が流れ始めたかのように、急速に崩壊を始めた。魔核が小刻みに振動を始め、不安定に光を明滅させる。ぐらり、と傾いだ魔核を見て、セシリアは咄嗟にその真下にいた人物に手を伸ばした。
 手負いのアレクセイを引き寄せた瞬間魔核が落下し、その衝撃に二人は吹き飛ばされた。
「……っ、ユーリ!」
 引き寄せる前、魔核の向こうにユーリが立っていたのを見た。位置的に、彼の上には落下していないはずだが。
「……離せ。これ以上笑いものにするな……」
「うるさいっ!」
 起き上がる気力もなく、弱弱しく身を捩ったアレクセイをセシリアは一蹴する。
「こんだけのことを引き起こしておいて、一人だけはいさよならなんてさせないわ! 責任とりな!」
 セシリア自身、何かを考えて彼を助けたわけではなかった。戦闘中は、それこそ殺す気でいたのだ。だが、魔核に押しつぶされるところをむざむざ見殺しにするのはまた話が違う。
 そう、彼ならあの空に浮かぶものについての知識もあろうし、ザウデの力もまたよく知っているだろう。後から、セシリアはそう考えた。
「皆、平気?」
 アレクセイに抵抗する力は残っていないだろうが、用心して床に押さえつけて置きながら、セシリアは仲間たちを振り返った。頂上へ向かうエレベーターに乗れたのはエステル、ラピード、ジュディス、カロル、リタ、レイヴンだ。階下のフレンの怪我の様子も気になる。
 彼らは戦闘により疲弊しているものの、しっかりと立っていた。
「早く戻ろう。ここ、長くは保たないかもしれない」
「あの、ユーリは?」
 エステルはずっと辺りを見渡していたが、黒髪をどこにも発見できず不安げに訊ねた。
 その時階下からエレベーターに乗って、フレンたちが駆けつけた。
「何が起きたんだ!?」
「フレン、怪我はいいの?」
「ああ。それより、これは……」
 フレンは落ちた魔核と、倒れたアレクセイを見、そして空を見上げて戦慄した。
「説明はあとよ。とにかくここを出た方がいいわ」
「ああ。……ソディア、アレクセイを……ソディア?」
 フレンはいつも控えているはずの部下の姿がないことに気づき、首を巡らせた。ウィチルもいつの間にいなくなったものか覚えがないという。
「エレベーターに乗るときは一緒にいたはずなんですが」
 セシリアはフレンが撃たれたときの彼女の狼狽ぶりを思い出す。彼女の忠心を思えば、怪我を負ったフレンから離れるというのは不自然のような気がした。フレンは他の部下を呼び、セシリアからアレクセイを引き取った。
 レイヴンは肩を落とし、魂の抜けたようになっているアレクセイを見、ぽつりと呟いた。
「……大将、腑抜けちまったねぇ」
 血の気のない顔を俯けたまま、アレクセイは何も言わなかった。
「ユーリ、さっさと船に戻るわよ!」
 いつまでそこにいるつもりかと、魔核の向こう側にセシリアは叫ぶ。しかし返事はなかった。まさか瓦礫に足でも挟まれたのではないかと考えながらセシリアは魔核の向こうへ回り込む。不安定な体勢の魔核に気をつけつつ、見渡したが、そこには誰もいなかった。
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