14:Going in the sky Ship

「よし。なにもかも準備万端ってわけだ。行こうぜ、決戦だ!」
 力強い鼓舞に応えて、一斉に声が挙がった。
 貴族街から外へと続く門の前の広場に集まった顔触れを改めて見ると、男も女も種族も年齢もごったまぜだ。所属も、その背景も、一人一人違っていて、端から見れば、共通項など一つもなさそうだ。そんなバラバラの六人一匹を結びつけているのは、一人の男と、彼の胸の内に秘められた真っ直ぐな思いに他ならない。
 セシリアは日を背にした彼らを眺め、目を細めた。
「あ、おはようセシリア!」
 元気に声を掛けてくれたのはカロルだ。
「おはよう、カロル。気合いはばっちり入ったみたいね」
「うん!」
「それで、海を渡る手段はあるのかな?」
 もちろん、内海の中心へ向かう定期便などどこの港からも出ていない。ゆえに自力で足を用意しなければならないはずだと考えて、セシリアは彼らに声をかけた。
「それなら――」
 ユーリが何か答えようとしたとき、頭上から甲高い鳴き声が降ってきた。同時に、雲が太陽を隠し、セシリアたちの上に黒い陰が落ちる。
 見上げたその雲は、青かった。
「彼が連れていってくれるわ」
 ジュディスは雲――バウルを示して微笑んだ。ジュディスの相棒であり、始祖の隷長である彼は、アレクセイからの打撃によって受けた傷を癒すため、今日まで身を隠していた。もうすっかり元気だと、もう一度空気を震わせて鳴いてみせた。
 セシリアはジュディスがバウルと呼んだその巨大な雲とも魚ともつかない姿を、ぽかんとして見上げた。
 顔の下には幾本ものロープを下げ、彼の体よりは小さな船を引いていた。
「よかったら乗ってくか? 海の上を行くより速いぜ」
 物もいえないセシリアの表情を眺めては自分が驚かせてやったような満足感を密かに得つつ、ユーリはセシリアたちを誘った。

 *

 バウルは晴れ渡った空をぐんぐんと昇っていった。セシリアはフィエルティア号の船尾に立ち、遠のいていく帝都を見下ろした。
「すごい、速い! もう結界魔導器があんなに小さい」
 セシリアは隣のリオに指さして見せながら、縁に手を掛けて身を乗り出した。
「上に行く途中揺れるから、あんまり乗り出しちゃだめだよ」
 船の案内をしていたカロルは、船尾に止まり歓声を上げながら風を背に受けては景色を楽しむセシリアがあまり地上にいるのと変わらない振る舞い――それよりもかなり激しいような――をするのをハラハラしながら見守っていた。
 とにかくじっとしていない。リオが「ハルルが見えませんかね?」と北東を見ると、その隣に走っていって縁に腕をつっぱり、上半身をほとんど外へ出してリオの視線を追った。
 床から浮き上がった両足が今にも投げ出されてしまうのではないかと、カロルは手を出しかねてうろたえる。
「あっちの水平線は雲が広がってるね」
 そう言いながらセシリアが甲板へ降り(セシリアの足が床に着いたのを見て、カロルはほっと息を吐いた)、東の方へ移動しようとしたとき、風に煽られて船が揺れた。
 バランスを崩して、何も掴んでいなかったセシリアの体が後ろへ倒れる。カロルはいつもロープを掴むようにしていたので、片手をセシリアの方に延ばした。セシリアはリオに二の腕を捕まれ、転倒を免れた。
「結構揺れますよ、空の上も」
「そうだよ! ちゃんと何かに捕まってないと落ちちゃうよ」
「もう収まった?」
 セシリアはリオの手を離し、風の吹く方へ顔を向けた。渦巻く雲は下から見上げるよりずっと近い。
「セシリアって、怖いものなしってかんじだね……」
「今はそんな気分かもね」
 呆れつつも、感服して言うカロルに、セシリアはおどけてみせた。
「首領は強い相手を前にするとこれですからねぇ。騎士との調停役なんか、よく務まりましたよ」
「あ、僕も噂は聞いたよ。天を射る矢に入ったんだよね!」
「うん。あ、凛々の明星はまだユニオンに入ってないでしょ? 加盟しないの?」
「もちろんするよ。まあ、いろいろ終わってからだよね」
「そうね」
 雑談をして気を紛らわせようにも、話はどうしてもそちらの方へ向かう。
「世界を混乱に落とす悪党には、さっさと引導渡さないとね」
 拳を握り、左手に打ちつける。カロルはその仕草を見てなんだか嬉しそうに笑った。
「そういうの、セシリアらしいなあ」
「ん?」
「あ、なんていうかさ、天を射る矢に入ったり、首領になったりしたけど、やっぱりセシリアはセシリアだなって!」
 少し照れて早口になりながら頭を掻くカロルに、セシリアの心になんとも言えない暖かさが沁みた。
「私は変わらないよ。ただ、首領にはなってないけどね」
「え、でもそう呼んでたよね?」
「つい癖で」
 リオは悪びれず言った。
「私が首領だったらドンの後を継ぐことになっちゃうでしょー」
「ああ、それは無理っすね」
「ダメだね」
「……でしょー」
 真面目に答えられると、冗談で言ったとはいえ落ち込むセシリアだった。
「あっ、ねえ、下をカモメが通った!」
 と、視界を横切っていた白い影に心を奪われ、縁に飛びついて船の下を見ようとまた身体を屈めた。彼女の耳に、先ほどのリオの遠回しな諫めや、カロルの切実な願いがどれほど残っているものか、怪しいものだった。
「あ、ジュディ!」
 カモメは見つからなかったのか、セシリアはさっと向きを返ると、船室の側にいたジュディスの元へ走っていってしまった。
 カロルは思わずリオを見上げたが、彼も心情はカロルと同じらしく、苦笑を浮かべて肩を竦めてみせた。

 *

「危なっかしい人だな……」
 空を飛ぶという、想像を絶する体験を初めてすることになったギルドたちのみならず、この船の持ち主とその仲間たちの中の誰よりも元気に、船の端から端まで歩き回っては広大な陸と海を俯瞰しようと身を乗り出すセシリアから、フェリクスは目が離せなかった。
 海の上と同じか、それ以上に揺れる船の上で元気でいられること自体、フェリクスにしてみれば驚愕に値するが、さらに、その揺れにもすぐに慣れて何にも掴まらず走ってみせるのだから恐れ入る。リオが常に側に控えているからいいものの、一人で放っておいたらどうなるものやらわからない。
「船を気に入ってくれたみたいで嬉しいわ」
 ゆったりと言ったのはクリティア族のジュディスだった。
「あなたはまだ慣れないみたいだけれど」
 大丈夫? と訊ねられ、その微笑みは親しげだったが、青ざめた表情を笑われたようで、フェリクスはむすっとして大丈夫だと答えた。
「その――あんたも、あの人と旅をしていたんだよな?」
「そうね。他の人たちに比べれば短い間だけれど」
「あんなにはしゃぐもんか? そりゃ、空を飛べるってのはすごいことだが……」
「確かに、ちょっと子供みたいね」
 そばにいるカロルや、やや離れたところでフェリクスのようにセシリアをときどき心配そうに見やり、やれやれと首を振っているリタなどよりよっぽど元気である。
「私と一緒に戦ったときよりも、テンション高いかしら?」
 腕を組み、右手を頬に添えて、ジュディスは小首を傾げた。とんがった耳の裏から延びる不思議な器官――ナギーグがふわりと揺れた。
「でも、また一緒に戦えるのだし――なにより、浮き足立ってるのは皆も同じじゃないかしら?」
 す、と目を細めて、煽るようにフェリクスを見やるジュディス。そこに含められた意味を感じ取って、フェリクスも自然表情が引き締まった。
 この船の目指す先には、倒すべき敵がいる。それもおそらくは、現時点における世界で一番強大な。
「武者震い――か。そういえば、あの人は一度、閣下と剣を交えているんだよな」
「それ、本当?」
 ジュディスは強く興味を引かれたように、前のめりになってフェリクスをのぞき込んだ。
「まったく歯が立たなかったって……。なら、あの人が一番強く、何か感じてても変じゃないのか」
「私たちは彼の”力”を目の当たりにしたけれど、純粋に、彼個人の戦闘力というのはまだ見せてもらっていないから、確かにそれを知っている彼女とは臨むときの気持ちが違うかもしれないわね」
 そうか、とフェリクスは納得したようなことを言いながらも、相変わらず首を捻っていた。
「よく何も捕まらずに歩けるな……。地面の上と同じなのか? あんたらにとっては」
 と、甲板に仁王立ちしているセシリアから、何にも頼らずに立っているジュディスに視線を移し、フェリクスは言った。
「あら、違うわよ。もちろん」
 ジュディスはにっこりと笑った。
「空の上は、もっと素敵」
 フェリクスがクリティア族とこれだけ間近で話すのはほとんど初めてのことだったが、ジュディスの持つ独特の雰囲気は、どうもクリティア族のそれとは違うように思えてならなかった。魅力的だが、掴みづらい。
「ジュディ!」
 そこに駆け込んできたのはその人、セシリアだ。何かいいことでも思いついたように満面の笑みを浮かべている。
「この船、もっと高度上げられない?」
「首領!」
 わざとそう呼んで、フェリクスはなんとかセシリアの企みを諦めさせることに成功した。ジュディスはどちらでもよかったのだが、リオやカロルもやめといてくれとどこか疲れた顔で言うので仕方ない。
「それより、どうするんだ? このままザウデに突っ込むのか?」
「そうだけど」
「無策で行くにしても、打ち合わせは必要でしょう。そろそろ、作戦会議をしませんか」
 あっさり頷いたセシリアに、リオはまあまあと割り込み、ジュディスに伺いを立てた。
「そうね。皆を船室に集めましょう」
 
 *

 早速船室に主だった者が集められた。最後に入ってきたユーリは一同を見渡し、さて、と口を開く。
「これから俺たちはザウデとやらに突入して、アレクセイの野郎をぶっ飛ばしてやらなくちゃならねぇ。まずあのでっかい魔導器に近づかなけりゃお話にならないが、おそらく向こうもそう簡単には迎え入れてくれないだろう」
「たぶん、迎撃装置があると思うわ」
 腕を組んだままリタが言った。
「それから親衛隊が結構たくさん、取り巻いてるわね」
 レイヴンがざっくりと付け足す。
「もう一つ船あれば二手に分かれることもできたけど。騎士団はまだ追いつかないよね」
「海賊船のが速いかもしれませんね」
 セシリアにリオは同意した。だが、ギルドの船もそう速くは着かないだろう。
「とにかく、侵入方法は実物を見てから考えた方がよさそうだ。それで、侵入した後はどうする?」
「アレクセイを見つけてぶっ叩く」
「それだな」
 セシリアの明々白々な答えに、ユーリは指を鳴らした。作戦も何もあったものではない。
「……簡潔すぎ……」
 リタの呟きは、その場にいた大半の心情を代弁していた。
「でもやっぱり、それ以上は作戦の立てようがないわ」
 同じく簡潔思考のジュディスはあっさりと言いのける。
「その、アレクセイって強いんだよね。どうやって倒せばいいのかな……?」
「そうね。なんとか孤立させることが大事よね」
「先に親衛隊を叩くんだな」
 慎重に意見を述べたカロルに、レイヴンは落ち着いた調子で答えた。フェリクスがそこに具体的な案を出す。
「今まで、俺たちもそれなりに強い敵を相手にしてきたんだ。全員でかかればいけるさ。な、首領」
「うん! そうだね。皆でやろう!」
 以前の彼ならもっと不安要素をあげそうだったが、先ほどの見解だって臆病風に吹かれたという風ではなかった。成長したな、とセシリアは眩しい気持ちでカロルを見つめた。
「話はこんなとこだな。じゃ、あとは各しっかり休んでくれ」
 解散、とのユーリの号令で、一人二人と船室を出ていった。あとは決戦のときを待つのみだ。
「はしゃぎすぎて、船から落ちるようなことはなしな」
 セシリアが出ていこうとしたとき、ユーリが誰にともなく注意した。思わず振り返れば、向こうもこちらを見て皮肉めいた笑みを浮かべている。
「海ならまだしも、空からじゃあ助けようがないからな」
「お構いなく。そんなヘマしないから!」
 きっと一睨みしておいて、セシリアは船尾に戻った。仲間に会議の内容を伝え、しっかり体を休めるよう念を押しておく。皆そのときが来るのを、ひたすらに待ちわびていた。

 誰よりも気持ちを逸らせていたのは当のセシリアだということにも、本人は自覚的だった。とにかく落ち着かない。
 一度剣を交えたから、戦うときのことを想像しやすいということもあったが、そうではなく、今自分が、このバウルの操る船にいること、そしてすべてが終わったあとのことを思うと、今すぐにでも駆け出したいような思いに駆られた。
 ラゴウ、キュモール、ベリウス、ドン。そのすべてに関わり、裏で糸を引いていたという黒幕。彼を廃せば、確実に世界は大きく変わる。セシリアの内にも、外にも、絶大な影響があるだろう。

 あの空の向こうに待つのは、新しい夜明けだ。
 それを迎えたとき、世界は一変する。そんな、上手く言葉にできない、だが確実に何かが起こると言うことだけは断言できる――予感に、セシリアは思いを馳せて、水平線のその先を、見つめ続けた。
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