13:Forgiveness and resolution
フレンは駆けだした。セシリアもそれに続く。ソディアに場所を聞き、謁見の間へ向かった。御剣の階梯から戻ってきた六人と一匹は、騎士の一人に率いられてこちらへ歩いてくる途中だった。
「エステリーゼ様、よくご無事で……」
「……エステル!」
フレンは息を整えながら、隊長としてエステリーゼに礼を取ろうとしたが、脇をすり抜けて、まっすぐ彼女に向かっていったセシリアに、覚えず笑みを零した。
セシリアはエステルの細い肩を、しっかりと腕の中に抱き止める。きゃ、と小さな悲鳴が上がり、反射的に身を引こうとする気配があったが、ふう、と身体の力を抜いて抱き締められるままになったエステルを、セシリアは力強く包んだ。
「無事だね……!」
「セシリア……。……ごめん、なさい」
「よかった。よかった……」
力なく謝罪を口にしたエステルだったが、セシリアの胸に頬を埋めていると、ほのかな香りと暖かさがふんわりと疲労した四肢を包み込み、強ばった身体をほぐしていった。
「いったいアレクセイになにされたの? エステル」
もう大丈夫です、とセシリアを安心させようと口を開こうとするが、ゆるやかな、そして穏やかな倦怠感が全身に広がって、答えることができなかった。
エステル? と心配する声に、ちょっと、眠いです、と心の中で返事をしながら、エステルはセシリアに身を預け、目を閉じた。
「……寝ちゃったみたい」
リタも答えのないエステルの顔をのぞき込み、寝息を立てていることを知ると微笑した。
セシリアとエステルを見守っていたジュディスも、ほうと息を吐いた。
「疲れているもの。寝かせてあげましょう」
「皆もそうだろ。フレン、ひとまず休ませてやってくれねえか」
「ああ。……ああ、もちろんだ」
フレンは騎士に指示を出すと、すぐに部屋を用意させた。エステルはセシリアの手からフレンに渡され、彼女の部屋まで運ばれていった。
「はーあ、疲れた」
リタは首を回すと、緊張をほぐすようにできるだけ力を抜いた声で言った。
「でも僕、あんまり眠くないな」
「まだ興奮してる?」
くるくると丸い目をセシリアに向けて、カロルはそうかも、とはにかんだ笑みを浮かべた。
「とにかく、何か食べましょう。お腹空いたわ、私」
ジュディスもベッドに倒れ込みたい、というわけではなさそうで、そう言って仲間を急かした。
「ユーリ、後で僕の部屋に来てくれ。セシリアも」
そこに、フレンが戻ってきて二人の顔をしっかりと見据えながら、そう伝えた。
「ああ。飯食ったらすぐ行く」
ユーリは答えると、仲間たちの後ろを追いかけていった。
*
フレンの部屋に集まると、ユーリからこうなるまでの流れと、御剣の階梯で起きたことをすべて聞いた。
「お疲れ様。想像以上に……大変だったのね」
ようやく事態の全貌がわかって、ユーリはその当事者と言ってもいいくらいの位置にいることを知り、セシリアは改めて彼を労った。ユーリは疲れた様子など見せず、いや、と首を振る。
「まだ終わってねえよ」
「……アレクセイだね」
フレンは重々しくその名を口にした。ユーリは頷く。
「ザウデ不落宮か……」
「明日、乗り込む」
仲間たちはそのつもりで、今各で休息を取っている。
「わかった」
フレンは何も言わず、思い詰めたような顔のセシリアを振り返ったが、セシリアは背を向けて扉の方へ歩きだしてしまった。ノブに手を掛けながら、セシリアは投げるように言った。
「あんたも、しっかり休んでおきなさいよ」
「そのつもりさ」
セシリアと入れ替わりにソディアが入ってきたため、フレンは口を噤んだ。
*
廊下を歩いていると、レイヴンが向こうから来た。少し気まずそうに笑う顔は、いつもの軽薄さがなりを潜め、至らない自分を嘲笑するような――今まで、こんなものに囚われていたのかと、解放されて初めて愚かしさに気づいたとでもいうような、ふっきれた印象を与えた。
「……や、セシリアちゃん」
「どうも……」
へらっとした笑みを浮かべて、セシリアの側まで来ると、レイヴンは剽軽に誘った。
「ちょっと、俺様とお話しない?」
セシリアはレイヴンにつられて頬を引きつらせ、承諾した。
立ち話もなんだからね、とレイヴンは二歩前に立って廊下を進んでいった。その足に迷いは見られない。
「こっちの方は空き部屋ばっかだと思うから」
そう言って、奥まで延びた廊下の左右にずらりと並んだ扉の一つに手を掛けると、どうぞ、とセシリアに道を譲った。その物腰はいつものおどけたものではなく、身なりを整え、疎らに生えた髭を剃れば立派な貴族として誰の目にも映っただろう、上品なものだった。
「……話は、聞いたっしょ?」
「はい。……だいたいは」
上等な生地の張られた、ふかふかのソファに腰を下ろすと、レイヴンはおもむろに口を開いた。
「さっき、お姫様にも説明してきたのよ」
淡々と話す口調には、長い間背負い続けてきた重荷をようやく下ろせたための穏やかさが滲んでいる。
「そしたら、なんて言われたと思う?」
セシリアがなんて? と促すと、レイヴンは右手を挙げて、こつん、と自分の後頭部を殴る真似をしてみせた。
「……他の奴らもそう。遠慮なく、一発、ごつん。それで終わり。お叱りの言葉は、一切なし」
はは、と笑いを漏らして、レイヴンは首を振った。
「甘いわよね。若さって怖いわぁ」
「……それで、十分だったんでしょ?」
セシリアは自然と笑顔になりながら、肩を竦めてみせるレイヴンの頬もどうしようもなく緩んで、そんな自分に戸惑って眉毛が複雑そうに寄せられているのを眺めた。
「いいじゃないですか」
そうね、とレイヴンは頷き、身体を揺すりながら窓の外を眺め、俯き、身体を正面に向けて座りなおした。
「セシリアちゃんも、一発やっとく?」
そして両手を広げて、頭を差し出したレイヴンに、セシリアは笑って首を振った。
「アレクセイに従ってた、シュヴァーンって奴は相当悪い奴だったみたいだけど」
足を組み替えて、セシリアは続ける。
「死んじゃった人に腹を立てても意味がないし。腹いせに戦いの後でへとへとなレイヴンを殴ったところで、明日寝込まれちゃったら困るもの」
「そりゃあ……はは、困るね」
レイヴンは何か言おうとしたが考え直して、ソファに凭れると肩を揺らした。
長い、長い間――。
”彼”が自身の心臓を失ってから、今日の日まで――。
屍だった彼は、騎士とギルドの間で、二重スパイとして暗躍し、世界の滅びへと針を進める片棒を担ぎ、ついには仲間を裏切った。
確かにそのとき、彼にとってはもう仲間と呼んで差し支えない仲だったのだ。
だからこそ、彼は赦され、今ここにいられる。
仲間たちの大切なものを奪い、仲間たちが戦ってきた敵の足下へと差し出したのは、死ぬためだった。
生かされていたこの身体を、今度こそ葬り去ろうとしたからだった。
なのに、この作りものの心臓はよほど頑丈にできているらしく、最後の力を出し切ったはずが、今なお一定のリズムで明滅し、二度までも死んだ、取るに足らないこの生命を維持している。
一度目の死で全てを失い、心を失い――そして、二度目の死で、彼は新たな生を得た。
そういうことなのだろう。
生まれ変わった”レイヴン”という男を、仲間たちは殴り、赦した。
そうなんだ、とセシリアは、憑き物が落ちたようなレイヴンの表情を嬉しく思いながら、自分の心を鑑み、納得する。
もう――いいんだ。
あのとき、互いに間違えたこと。
彼の犯した”罪”。
それを背負い、明日その命を賭して自らの道を全うしようとする彼の姿。
ちゃんと――エステルを、取り戻したじゃないか。
そして必ず、アレクセイのこともけりを付ける。
だからもう、いいじゃないか。
もうとっくに――赦してるんだ。
「行くんでしょ? セシリアちゃんも」
セシリアの表情が変わっていくのを見ていたレイヴンは、満足げな笑みを浮かべてそう言った。
「ベリウスも、ドンも――。ラゴウも、キュモールも。全てを仕組んだ黒幕を、その手でぶっ飛ばしにさ」
尊い首領たちの名を口にしたとき、すとレイヴンの表情が引き締まる。
セシリアも行き先を求めて浮ついていた心が、しっかりと定まったことを強く感じた。
「借りたものは、しっかり返さないと気が済みませんからね」
でしょうね、とレイヴンは不敵に口角を上げてみせた。
「じゃあ、また明日ね」
「はい。おやすみなさい」
レイヴンと挨拶を交わして分かれると、セシリアはまっすぐに駆けだした。
*
「首領、遅かったですね」
リオとフェリクスは、ノックもせず飛び込んできたセシリアを驚いたふうもなく迎え入れた。ギルドのために空けられた部屋には、船に残っていた仲間も加わり、全員が揃っていた。
「さっき、ジュディスとカロルに事情を聞きましたよ」
「あの二人に?」
セシリアは全員の顔を見渡して、彼らが一様に、決意を固めていることを見てとった。
「じゃあもしかして……おんなじこと、考えてるかしら」
「たぶんね」
フェリクスは不敵に言う。首領の考えを聞かせてくださいよ、とリオが促した。
「……私は、ザウデに行くわ。アレクセイを討つために」
セシリアは自らの覚悟を宣言するように伝えた。
「ダングレストに戻ってる暇はない。騎士とギルドを争わせようという陰謀を打ち砕いてやらなくちゃいけないわ」
「そうだ!」
「ドンとベリウスの仇を取るんだ!」
怒号のように一斉に賛同の声が上がった。声は壁を伝って城に響く。彼らの声が、セシリアに力を与えるようだった。
「行こう! 諸悪の根元を絶つために!」
「おお!」
「たっぷりお礼、しにいくよ!」
「おおーっ!」
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