11:Proof of ties

 エステル――フレンの知り合いのお姫様、おっとりしているが剣も扱え、怪我人とみれば誰構わず治癒術を施す、お節介な娘だ。
 しかし他方から言わせれば、魔導器を用いず大量のエアルを消費して高度な治癒術を使う、満月の子の末裔であり、かつてこの星を救った娘に匹敵するほどの力を持つ――世界の毒だという。

 かつて、星喰みの脅威からこの星を守るために、古の満月の子はその身を差し出した。
 ヘルメス式魔導器の乱用により、エアルクレーネに乱れが生じた今、星は――ふたたび満月の子の犠牲を求めている。

 ふざけるな、だ。
 どうして誰も彼も、たかが小娘一人に、世界の命運なんて重いものを背負わせる。
 世界のためにおまえの命を差し出せなどと、どうして言える。

 誰も彼も――どうして、あいつを苦しめるんだ。



「……まあ……死ぬ気で頑張るのは、生きてるやつの特権だわな。死人にゃ信念も覚悟も……」
 そう呟いたレイヴンの語調に違和感を覚えたことを、ユーリはいまさら思い出す。そのときは、たいして気に止めていなかったが、思い出してみれば、まるで死人の立場からものを言うような態度が引っかかったのだ。
 初対面のときから胡散臭く、ちゃらちゃらとふざけていて、それなりの年齢のくせに地に足がついておらず、妙に浮ついていた謎の男。こちらを窮地に追い込んでおいて、へらへらした笑顔を引っ付けて現れたあの無神経さ。
 ドンの右腕と噂されながら、偉そうな態度も威厳も見せない。が、自ら望んで道化を演じている節もあった。
 脳ある鷹は爪を隠す――とは、確かに一面は当てはまるだろうが――しかし、彼の軽薄な態度の裏にあるものは、恐らくそれだけではなかった。

 疑うというなら――初めから疑っていた。
 城の牢屋に入っていながら、アレクセイ騎士団長が直々に出迎えるなど、どう考えても尋常ではない。それに彼は、城の内部から脱出する隠された経路を知っていた。そんなことを知ることができるのは城の中でも、上層部に位置する人間くらいなものだろう。
 初めから――怪しまれることしか、彼はしていなかった。

 なら、彼を疑いながらも共に行動することを許したユーリのその判断が間違っていたのか。
 フレンが上司に付き従っていたことも結果的に、間違いとなってしまった。
 同じ過ちを犯し――そして二人は、守るべきものをみすみす奪われてしまった。

「嘆くのがあんたの仕事なの?」

 フレンに向けられた、リタの冷めた声音がユーリの耳にも冷たく響く。
 あのときこうしていればとか、過去を振り返り悔やんでもどうにもならない。それこそ後悔先に立たずだ。
 嘆いている時間があるなら、どうやってこの過ちを購うか――自らの失態に、けじめをつけるか。
 考えなければいけない――行動しなければ、ならない。

 レイヴンは騎士団長主席シュヴァーン隊隊長として、再びユーリたちの前に現れた。十年前、人魔戦争で失った心臓を魔導器に変えられ、今日まで、アレクセイの駒として、ただ命令を遂行するだけの死人として生きてきたのだと、暗い目が言っていた。
 ドンの右腕になったことも。
 エステル、ひいてはユーリたちに同行したことも。
 エステルを浚い――アレクセイに引き渡したことも。

 そんな生活にもここで終焉と、シュヴァーンは全力で戦いを挑み、そして、崩落するバクティオンから仲間を逃がすために――その命を使い果たした。

 シュヴァーンはそこで死に、ヘラクレスの甲板で、凛々の明星のレイヴンとして――生まれ変わった。

 お調子者で、にぎやかしで、弓と術の腕に優れ、なんだかんだと機転の利く、我らが最年長のトリックスターは、もうとっくに、凛々の明星の一員になっていた。
 今度こそ、本当に死んだというのなら――今度こそ、新しい生を、まっすぐに生きればいい。
 まだまだ、ギルドのためにやってもらわなければならないことが、あるのだから。
 うんと働いてもらわなければならない。

 これまでの旅のうちに、いつの間にか強固に、また得難い絆を結んでいたことを、互いに再確認しあい、そして仲間たちとユーリは、ただ一つの目的のために、団結する。

 上空から地面に叩きつけられても、極寒の氷海を越えてでも。
 たとえあいつが――生きることを諦めても。
 必ず救い出す。
 そして、もしそれが叶わないことがあるなら――

 必ず、この手で。
 けりをつける。

 *

 デイドン砦の前方に広がる草原で、アレクセイ配下の戦闘機械軍団をフレンに任せ、ユーリたちは帝都を目指した。
 ヘラクレスによる砲撃を受け、そして、エステリーゼを連れ去ったアレクセイがいる、帝都へと。

 帝都の中に入ってみて、その惨状に改めて目を見張った。空気が淀み、巨大化した植物や、凶暴化した魔物にすっかり荒らされてしまっている。ユーリたちも、デュークから預かった剣デインノモスがなければ、入ることも叶わなかっただろう。
「…………」
 魔物を倒し、さらに奥へと急ぐ中、ユーリはむすっとして不機嫌な空気を隠すことなく漂わせていた。リタはおろおろしつつも声を掛けられないカロルへの苛立ちがとうとう頂点になり、愚痴のように漏らした。
「このぴりぴりした空気、ちょっとどうにかして欲しいんだけど」
 ここは彼の故郷だ。下町が心配なのもあるだろうし、憎き敵が目と鼻の先にいるこの場所まで来て、敵愾心が高まるのも無理はない。だが。
 しかし、この空気をものともしていなかったジュディスは涼しげだ。
「あら、たまにはいいじゃない」
 そして本人がいるのも構わず、その理由をさらさらとあげつらい、並べ立ててみせる。
「周囲が不愉快になるとわかってるのに、苛立ちをまき散らすのは、甘えてる証拠でしょ?」
 以前のユーリ――たとえば、バルボスを倒すために共闘したガスファロストでは――仲間の前で、こうもわかりやすい態度を取ることはありえなかった。本心はなんであれ、常に余裕を保ち、腰を据えて、仲間に不安要素を与えないようにするのが、無意識の彼の癖とも、性格とも言える部分だった。
「目の前でそう冷静に分析されると、さすがに気持ちも冷めるな」
 なるほど、とジュディスの言に納得して、妙ににやけてこちらを見るレイヴンや、うれしそうに満面の笑みを向けてくるカロルに、ユーリは詰めていた息を吐き出した。

 こうして帝都に入る前の話だ。ゾフェル氷刃海を越え、たどり着いたハルルの街で、ユーリは仲間を置いて一人で帝都を目指そうとした。そこには、彼なりの理屈や理由、思惑があったのだが――ラピードを含め、仲間たちはそれを許さなかった。
 勝手なことをするなと、むちゃくちゃに怒られたものである。
 自分一人で抱え込むなと――あそこまで、まっすぐにぶつけられては、さすがにもう、格好が付かない。

 下町の方向は、特に荒れようがひどい。下宿の人々は、噴水広場の住人たちは、皆は、どうしているのか。どうなってしまったのか――。案じるなという方が無理だ。そして、仲間たちはその気持ちを十分に知っているらしい。
 だからユーリは、改めて帝都の中心部――頂上高く聳える城に視点を定めた。
 ここまで必死に歩いてきた目的は、あのてっぺんにある。

 *

 城の正面にある門は硬く閉ざされていた。だが見張りはいない。カロルをレイヴンが持ち上げ、門を乗り越えさせると、内側から鍵を開けた。
「やった! 皆早く!」
「――侵入者さん、見つかりたくないなら、もうちょっと忍んだらどう?」
 忠告の声はすぐ後ろから降ってきた。カロルは笑顔をひきつらせ、凍り付く。
 だが待てよ、と考え直した。この、聞き覚えのある声は。

「――セシリア」

 開かれた門の前に立ったまま、ユーリとセシリアは対峙していた。カロルは縮めた背を伸ばして、セシリアを見上げる。セシリアは抜いていた剣を鞘に納めながら、ユーリを睨めつけた。
「騒がしいと思ったら――君たち、このエアルの中を通ってきたっていうの? その剣……」
 セシリアはユーリの左手に握られた紫の剣を凝視した。確かに、デュークの所有していたものだ。ちょっと預かってんだ、とユーリは剣を揺らして見せた。
「この城にいる悪党を、ぶっ飛ばしに来た」
 簡潔に言うユーリの言葉を聞いて、セシリアは、彼の仲間たちを眺める。カロル、ラピード、リタ、ジュディス、レイヴン。
「……エステルは?」
 再会に真っ先に喜んで、笑みをこぼし、しかしすぐにはっとしてユーリと見比べて、辛そうに――切なげに眉を下げるであろう、薄紅色の髪の少女の姿は、どこにも見あたらない。
「この城の中にいるわ」
 答えたのはジュディスだった。
「私たち、今からあの子を助けに行くところなの」
「助ける?」
「悪ーい奴に浚われちゃったのよ。お姫様の宿命ってやつね」
 軽口でレイヴンが補足したが、表情はまったく彼に似合わず、暗く沈んでいた。
「その悪党って、アレクセイ?」
「そうだ」
 唇を引き結び、ユーリが肯定した。セシリアははあん、と吐息を漏らしながら、断片的であった情報を組み立て、繋ぎ合わせる。
 フレンを失望させ、裏切り、帝都に反旗を翻した騎士団団長――アレクセイ。
「で、エステルが、そいつに浚われたって?」
「――そうだ」
 ユーリは噛みしめるような間を置いて、ほとんど口を動かさずに答えた。
 セシリアはすう、と大きく息を吸い込む。
 そして思い切り吐き出した。

「なっさけない!」

 きっと切れ上がるほど眦をつり上げて、眉根をこれでもかと寄せ、鬼もかくやという形相を真っ赤に染め、怒髪天をつく勢いだ。
「そうだじゃないわよ、何言ってんの!? エステルが? 浚われた? ハァ!?」
 心の底から呆れ果てたとばかりに天を仰ぐ。返す言葉もなく、仲間たちは身を竦めた。
 ぐっと口を引結び、甘んじて批難を受けるつもりの彼ら――目には強い意志を宿し、硬い決意を固めている彼ら――を一人一人見て、セシリアはふいと視線を逸らした。十二分に理解している人間に説教しても、面白くない。
 そして深い覚悟を宿すユーリの表情を、ひたと見据えた。
「これ以上、失望させないでよ」
 声を落として、他の誰でもない彼にのみ、セシリアは続ける。
「必ず、取り返してきなさい」
「……ああ」
「アレクセイは強いわよ」
 ユーリはちょっと肩を揺らして、後ろを指し示す仕草をした。
「こっちにだって、強いのが揃ってるさ」
 は、とセシリアは思わず笑みを零す。
「言うようになったじゃない」
 それだけの絆が結ばれているのだろう。ここに、彼と共にいることが、何よりの証拠だ。彼が何か不始末を起こしたとき、そしてそれが誰かの迷惑になりうるとき、連帯責任であれなんであれ、彼は一人抱え、そして解決しようとする。今まではいつもそうだった。だがこれからは――違うのだろう。

 彼らが共に、いてくれるから。

「けじめ、つけてきな」
「――そのつもりだ」
 そしてユーリは、歩き出す。互いに前を見据えたまま、もう視線を合わせることはせず、足音で、息遣いで、遠ざかっていくのを感じる。
 最後に城に入ることになったジュディスは、セシリアを追い越したところでふと足を止めた。

「損な役回りを選ぶのね、あなたも」
「さあ、どうなのかな」
 ふふ、と楽しげにも見える笑みを残し、ジュディスは仲間たちを追って行った。
 セシリアは城に背を向け、エアルに沈んだままの帝都を見下ろした。
prev * 63/72 * next