10:Really glad you are safe

 地中深く伸びていた木の根が膨らみ、地表を覆っていた敷石を突き破って、瓦礫の山ができていた。大規模な地震の跡にも似て、中へ入っていくのも一苦労だ。
 先に立って瓦礫を飛び越え、全身を使ってセシリアは人の気配を探る。取り残された誰かが、人を呼ぶことすらできなず、力ない呼吸の音を繰り返し、それが弱っていく微かな音すらも、逃さず捉えようと、神経を研ぎ澄ませる。
「……首領っ!」
 リオが注意を飛ばす前に、セシリアは飛び上がっていた。頭上から迫ってきた虫型の魔物の攻撃をそうして避け、周囲に五体の魔物が集まっていることを確認した。
「前三、後二!」
「プラス、左に四!」
 左側を警戒していたフェリクスが武器を抜き払いながら叫ぶ。どの魔物も、眼光が怪しく光り、普段とは違う、一段と不気味な様相を呈していた。乾いた唇を湿して、セシリアは魔導師を狙う魔物に向かっていった。
「あれを落として!」
「わかってる!」
 背に庇い様、作戦を伝える。魔導師は極力地上の魔物を視界から外し、空を飛んでいるものへ意識を集中させながら呪文を唱えた。
「……一体目!」
 魔導師の側から、一つ地面を蹴って一息に間合いを詰め、見定めた弱点を力一杯突く。
 確かな手応えを感じ、断末魔さえあげず事切れた重い身体から剣を抜くと、一瞬も留まることなく次の敵を求めて足場の悪い地を駆けた。瓦礫が折り重なり合っていて、どこが沈むかは踏んでみないとわからない。全体重をかけて降りたときに、足ごと沈んでは動きが取れなくなる。だから、セシリアは足が沈む前に瓦礫を蹴って、次の瓦礫へと飛び移った。
 あまり素早くない魔物は、この瓦礫に手間取って動きが鈍っている。少しは対処しやすかった。
「あと五体!」
 熊のような魔物を石畳の亀裂に押し込むように斬り捨て、セシリアは顔を上げた。
 虫型の魔物が空中の一カ所に集められ、イラプションに焼き上げられるところだった。
 消し炭になった虫の亡骸は、地面に落ちる前に風に吹かれて形を崩した。
「……他に魔物は見あたらない!」
「引き続き警戒を怠らないで!」
 後方に控えていたメンバーに怒鳴り返す。仲間たちが陣を立て直すのを背に、セシリアはもう歩きだしていた。はっきりと赤くは見えないが、エアルが淀んでいるのを感じる。長時間はいられない。
「首領……」
「しっ、黙って」
 後ろに追いついてきたリオが言い掛けるのを人差し指を立てて止め、セシリアは盛り上がった瓦礫に片足を乗せて佇むと、ゆっくりと顔を巡らせた。
「……あそこ!」
 セシリアが示すや否や、リオは長い足を伸ばして、跳ねるように瓦礫の向こうへ駆けだした。
「皆も来て!」
 全員に声を掛けると、セシリアもリオに続いて瓦礫を駆け登った。
 一段高い所に建てられていた家が崩れ、下の家を埋めるように雪崩落ちたものらしい。埋もれた通り一つ分を越え、瓦礫の坂を下りたところの先に、彼らはいた。
「……おじさん!」
「……セシリア!? セシリアか!」
 子供を背負い、足を引きずるようにして歩いていた男は、呼ぶ声にはっとして顔を上げた。セシリアはリオを追い越し、男の元へ向かうと、彼と、彼の家族に大きな怪我がないことを確認した。
「あなたたちだけ?」
「いや、まだ後ろに……前にも、外へ向かってる奴らがいる……」
「わかったわ、とにかくまとまった方がいいわね……」
 セシリアはギルドを三つに分けると、リオらに後方の人々を呼びにやって、他のメンバーを前に送った。
「もう、命からがら逃げるのがやっとでな……」
 男はセシリアに背負っていた子供を預けながら、枯れた声で言った。
「あの木の根はまた大きくなったみたいだ……」
「魔物には遭わなかったのね?」
「なんとかうまくやり過ごしたよ。隠れる場所には事欠かないからね」
 薄汚れた顔に、皮肉な笑みを浮かべて見せた男に、セシリアも、緊張しっぱなしだった頬を少し緩めた。
「外に出れば船があるわ。それで安全なところまで運ぶから」
「ふね?」
「ええ、お船に乗るのよ」
 子供の弾んだ声が。背中から降ってきた。
 フェリクスが子供の顔をのぞき込みながら、言ってやる。
「海賊船だぜ」
「かいぞくなのっ!?」
 物語りに聞いたことがある名前に、子供は喜色満面に足をばたつかせた。
「なんとかなりそうだな」
 はしゃいだ声を聞きながら、夫はやれやれと妻に顔を向けた。
「もう少し、頑張って」
 セシリアはよろけた妻の身体を支え、励ました。フェリクスは後方――城の聳える方へ首を巡らせ、ふと足を止めた。
「首領、リオが戻ってきたんだが……」
「え?」
 なにが、と強ばらせて振り向いた顔は、リオと、その左右につき従って、重い鎧をがちゃがちゃさせながら、賢明に走ってくる二人を見つけ、ぽかんと弛緩した。
「……デコとボコ?」
「デコではないであーる!」
「ボコと言うなっ!」
 息も絶え絶えに、しかし名前の訂正はしっかりする二人の騎士――シュヴァーン隊アデコールとボッコスに、知らずセシリアは吹き出していた。
「ちょっと、ルブランは――君たちの小隊長はどうしたのよ?」
「小隊長は救出の指揮に当たっているのであーる」
「われわれはここ一帯に難民がいないか、捜索に当たっていたのだ!」
「救出って……でも」
 彼らは騎士だ。その心根はいざ知らず――彼らに、帝都の上層部にとって関係ない者たちの救出など――そんな命令が、下るはずがない。
「あっ、まさかフレンが!?」
「いえ、そのぅ……」
「フレン殿は……殿下のご救出に当たられて……」
「隊長ってそんな地位高いの?」
 やるじゃん、としきりに関心して、じゃあどうして、と二人を見比べる。フレンのように、下町に愛情を持っている隊長が他にいるとは考えにくい。
 アデコールとボッコスは、しかし決まり悪そうにセシリアから目を逸らし、槍で地面を叩いたり、しきりにズレてくる兜を直したりして落ち着かない。
「ま、いいわ。救出するって、どこに連れていっているの?」
「城ですよ」
 これに答えたのはリオだった。親指を立て、肩越しに白亜の城を示してみせる。
「あそこにはエアルがないんです。よく見てください」
「……君、目がいいのね」
 セシリアは目を眇めてみたが、城の周りには赤い靄が漂っているようにしか見えなかった。
「非常用結界でもあるのかしら。とにかく、外に連れ出すよりは断然早いわ」
 セシリアはさらに三人を、城とは反対方向に向かった部隊に回して、アデコールとリオに難民を頼むと、自分は他に難民がいないか、さらに周辺を探し回った。

 *

「……本当だ、エアルがない」
 城に近づくと、すっと呼吸が楽になった。セシリアは、夕日に陰り始めた帝都を振り返る。
 赤い日と赤い靄が合わさり、毒々しい黒に淀んでいる。
 沈みゆく太陽の代わりに、星が瞬き始めていた。
「凛々の……明星」
 昔聞いたはずの、その星に由来するおとぎ話の内容は忘れたが、その役割は――そう、星を守ることだった。
 この世界、テルカ・リュミレースを――守護するもの。
「……っ!?」
 瞬間、星が目映く発光しとっさに目を瞑り手で庇った。
 光は一瞬を過ぎると元に戻ったが、心なしか明るく感じる。セシリアは眩んだ目をそっと開け、何が起こったのか空を見上げ、違和感の正体を知った。
「結界が……直ってる」
 夕暮れの空には、見慣れた白い紋章が浮かび上がっていた。セシリアはそれが安定していることを確認すると、うぐに地上に目を向けた。
「エアルは……!」
 赤い靄は、変わらずにそこにあった。いや、濃くなっているようにも見える。赤い日のせいだと思いたいが、こう薄暗くては判断がつかなかった。
「これで……魔物は来なくなるだろうが……」
 救出を切り上げ、城へと共に戻ってきたルブランは、復活した結界を見上げ、眉を寄せた。
「エアルがどうにかならないことにはね」
「長時間吸うと、吐き気や目眩を催すとか」
「ええ。部下皆の体調を気をつけてあげて。もし気分が悪い人がいたら、十分休息を取ること。たぶんそれでいいと思う」
「治癒術は」
「治癒術は……どうだろう」
 デュークがかけてくれた術はどうも治癒術ではなかった気がする。体内に蓄積されたエアルがどうとか言っていた。セシリアはしばらく考えて、わからないと言っておいた。
「……わかった、安静にすればよいのだな。そちらに治癒術師はいるかね? もしいないならこちらで診断をするが」
「あ、こっちにも一人いるから、大丈夫」
 セシリアはルブランに従って城へ足を踏み入れた。裏側にある、通用口からだ。そこから食堂に繋がっており、一番広いそこに、避難民たちが集められているという。
 磨き上げられた廊下を歩く度に、甲高い靴音が鳴る。これでは忍び歩くのは難しそうだ。ふと、灯の陰になっている隅に、埃が吹き溜まっているのを見つけた。
 避難民たちはすでに全員食堂に集まっている。夕飯の準備をしているのだろうか、元気なざわめきが外に漏れだしていた。
 厳めしい装飾の施された壁にふさわしくない、粗野で快活な人々の笑い声。
「いい匂いがするわね」
 扉を開けながら、セシリアは笑顔を堪えられなかった。
 食堂にいた人々は、それぞれに入り口へ顔を向けた。
「お前の好きなカレーを、女将さんたちが作ってくれてるところじゃ」
「――ハンクス!」
 入り口に一番近い列のテーブルに腰掛けていたハンクスは、立ち上がると、飛びついてきたセシリアを抱き止めた。
「なんじゃい、子供みたいに喚きよって」
「だって……、だって!」
 皆がいた。ここには、セシリアの知る笑顔が、すべて揃っていた。
「女将は奥にいるの?」
 ようやく気が済んで、ハンクスから離れながらセシリアが顔を上げると、セシリアが帰ってきたのかい、と女将が食堂からエプロンで手を拭きながら顔を出した。
「女将!」
 セシリアは笑顔をくしゃくしゃに歪めると、それこそ子供のように女将の胸に縋った。女将はセシリアの頭を撫で、あやすように優しく言葉を掛ける。
 実はフェリクスとリオもこの場にいたのだが、人の目を気にする余裕は、今のセシリアには微塵もなかった。
「ばかだねぇ。わざわざこんなところまで来たのかい? ばかだよ、ほんとに」
「なによ、心配するでしょ。帝都に、砲撃されたなんて聞いたら……!」
「こうしてぴんぴんしてるじゃないか。皆大丈夫だよ。あんたがいないときでよかったと、あたしはそれで安心してたってのにさ」
「わ、私一人助かったって意味ないでしょ……! そりゃ、私一人いたところでどうなるわけでもないし、皆勝手に助かってるし……っ!」
「……駆けつけてくれただけでうれしいよ。危険なことに関わらせたくないってあたしがいくら願っていたって、あんたは自分から危険に突っ込んでくからねぇ。むしろ目が届く場所でやってくれた方がいくらか安心だよ」
「うん……うん、無事でよかった……皆……よかった」
 セシリアちゃんはいい子だねえ、私たちはセシリアのお陰で助かったのよ、と他の女たちも目に涙を浮かべ微笑みながら話に加わり、そのうち元気にしてたとか、今までどうしてたとか、世間話に流れていった。
 そうしてすっかり元気になって、世間話に花を咲かせ始めたセシリアを、リオとフェリクスは遠巻きに眺め、隣で同じようにぼんやりしていたハンクスと(わしのときと反応がだいぶ違うじゃないか……)なんとなく目が合った。
 双方とも、とりあえず愛想笑いを交わした。
「セシリアさん、好かれてますねぇ」
「あの子は、街の皆で育てたようなもんだからのう」
 ここに来る途中聞きました、とリオはハンクスに言った。そして、セシリアとずっと手を繋いでいる中年の女性を指す。
「あの人が女将さんですか」
「そうじゃ。お前さんたちは、セシリアの……」
「部下です。彼女は俺たちのギルドの首領です」
「ほう。部下を持つようになるとはのう。出世したもんじゃ」
 ハンクスは目を細めて、セシリアを改めて見つめた。
「ギルドの首領になられたんですな……」
 感慨深そうに呟いたルブランに、ハンクスは思わず顔を上げた。彼としても、下町を騒がせる悪ガキたちを追いかけた日々と、今の大人になった姿の差を見るにつけ、ある種感動を禁じ得ないのだろう。
 しかしそれはいいとして、当たり前のように場の空気に混じっているが、鎧を付け、槍を手に直立不動なものだからどうも目障りだった。
「なんじゃ、お前さんたちまだいたのか」
「はっ、明日の救出についてギルドと相談をしようかと思ったのですが……」
「それなら、俺が代わりに」
 リオが進み出たのと、セシリアがルブランに気づいたのはほぼ同時だった。ルブランもリオも、彼女たちの邪魔をするのは気が引けたから身振りでいい、と伝えたのだが、セシリアは構わずに女性たちの中を抜けてこちらまでやってきた。
「ごめんなさい、待たせちゃって」
「いえ、こちらこそ、積もる話もあるでしょうから」
「いいの。それより、私まだ言ってなかったよね? 大事なことなのに」
 長年の付き合い上、今更敬語を使うというのも不自然だ。態度だけでもと敬意を払って、ルブランに向き合った。
「下町の皆を助けてくれて、ありがとう」
 その台詞は、難民たちからもう何度も聞かされ、そしてその度に、自分は間違っていなかったのだと、ルブランを暖かく肯定する。
 ルブランは目を閉じて、口元を綻ばせた。
「――いえ。騎士として、当然の勤めを果たしたまでのことです」
「うん。ありがとう」
 セシリアは機嫌よく繰り返した。
 貴族や市民は、他の騎士の誘導ですでに帝都を脱出し、北のデイドン砦の向こうまで逃げ延びたという。ルブランたちも彼らの救出を命じられていたからそれに従っていたのだが、ふと、避難民の中に下町の住人の姿が見えないことに気づき、助けに言ったのだという。
 言ってしまえば上司からの命令を放棄したのだ。騎士からすれば、誉められたことではない。だが、騎士の助けがなければ――ルブランが、城の周囲だけは植物が暴走していないことに気づかなければ――下町の住人はどうなっていたかわからない。

 ルブランは改めて明日の救助活動について問い、セシリアは結界が復活したのが気になると答えた。
「そこは私も気になっていたのです。自然に復活したのならよいのですが……」
「でも、自然に治るものじゃないよね?」
 この中に魔導器に詳しい人がいれば聞きたかったが、あいにく全員無知だった。
 だが、壊れた魔導器が勝手に直ったという話を聞いたことがある者もいなかった。
「誰かが直したってことになるのかもしれないけれど……この城に、あなたたち以外の人がいるの?」
「混乱していましたから、よくわかりませんが……恐らくは、最低限の人数は残っていると考えられます。そもそも、城の周辺にはエアルが寄らないようにしてあったわけですから」
「そうね。そうすると……私たち、怒られちゃうかな?」
 は、とルブランは目を白黒させたが、咳払いをすると胸を反らして請け負った。
「避難民の責任は私が負います。ご心配なく」
「頼もしい騎士様だわ。ありがとう。まあ……結界はその誰かが直したとして、問題はエアルね」
「今日一日を見る限り、大気に溶けて薄まっていったと私には見えたのですが」
「結界ができたことで、もっと早くなくなる……?」
「あるいはその逆、とか」
 リオがセシリアの語尾を引き取った。
「いずれにしろ、明るくなってみないとわからないわね」
 セシリアは話を打ち切った。エアルの中に取り残された人々を案じるのは誰も同じ気持ちだったが、セシリアたちまでが倒れてしまっては元も子もない。結界ができ、魔物の心配をしなくてすむのだということで希望を繋ぎ、明日を待つことになった。
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