08:Dear friend

 二度ノックをし、入室の許可を得てからドアを開け、そこでまた一礼し、騎士見習いさながらの規律正しい一連の動作を経て、リオは手にした封書を持ち上げて、あっけらかんと笑ってみせた。
「姐さん、騎士団から親書追加ですよ」
 まずなにから言おうか、セシリアは軽く頭を押さえて――リオが来たことで張りつめていた緊張が解け、今まで書類に向かって悩ませていた分がどっと痛みに変わったらしい――顔を上げた。
「……あー、ありがとう」
 手を伸ばして、こちらまで持ってくるよう促す。リオは封書を渡した後、必要な書類ももらって帰ろうと考えていたのだが、セシリアは封書や書類は一度端へ置いて、リオを見上げた。
「なんですか?」
「まず第一に、ここはギルドだから」
「はい」
「あんまり堅苦しくしないように」
「はい!」
 威勢のいい返事である。セシリアは笑顔を作ってよろしい、と頷き、第二に、と続けた。
「姐さんってなに」
「尊敬する女の先輩はそう呼ぶんですよね、ギルドでは」
 淀みなくリオは答えた。ギルドでは、と付け足すあたり小賢しい。
「言わないわよ。フェリクスにでも吹き込まれたの? とにかく、前にも言ったように私のことは名前で呼んで。わかった?」
「でも、じゃあ、先輩って呼ぶのは?」
 大抵のことにははきはきと頷いて従う彼にしては珍しく、譲歩案を出してきた。
「なんで? 名前呼ぶのいやなの?」
「なんというか……」
 リオは頭を指先で掻き、あらぬ方を見上げながら言いにくそうにしていた。
「年上の女性を名前で呼ぶのはどうも失礼なんじゃないかと思うんですよね」
「じゃあ、さんでもなんでもつければいいわよ。姐さんなんて呼ばなければね」
「駄目ですか? 格好いいと思うんだけどなぁ。荒くれ者を纏める姉御! って感じで」
「私まだ21なんだけど!」
 とにかくリオを丸め込んで、フェリクスにも姉御などと呼んだら絶対に返事をしないからそのつもりでと伝えてもらうことにして、ようやくこの話は終わった。
「それから……ああ、書類ね。はいこれ」
「……半分だけですね?」
 渡された書類の薄さに、片眉をあげリオはセシリアを見る。
「……残りも、ちゃんと今日中にやるから!」
 目を逸らしつつ問答無用に言い伏せて、セシリアはもう用は済んだんだからとリオを追い出した。
「あ、そうだった」
 リオはドアノブに手を掛けたところで思い出したように振り返り、上着の内ポケットからもう一枚封書を取り出した。
「フレン・シーフォさんからです。お知り合いなんですよね?」
「それを最初に出しなさい!」
 フレンの名を聞いた途端、セシリアは書類の積まれた机を飛び越えてリオの手から封書を奪った。リオは封書を奪われた格好のまま固まっていたが、ナイフを使うのも煩わしく封書を開き、熱心に読み始めたセシリアに笑うしかなく、静かに退出した。

「フレンの字だ……。手紙貰うのって初めてじゃない?」
 便箋を取り出したものの、すぐに読むのはもったいない気がして、セシリアは封筒をためつすがめつした。
 下町にいたころは毎日のように顔を合わせていたし、セシリアが下町を出てからは、セシリアから住所を知らせなければ手紙の届けようがない。
 仕事用のものとはもちろん違う、わざわざ買い求めたのだろう、挿し絵もないシンプルな便箋。そこに黒のインクで几帳面に書かれた文字。
 姿勢正しく机に向かい、ペンを走らせる幼なじみの姿が見えた気がして、セシリアは笑みを浮かべながら手紙を読み始めた


  親愛なる友へ――

 近頃は、すっかり顔を合わせることもなくなってしまったね。ダングレストで別れて以来だろうか。君は今天を射る矢で騎士団とギルドの仲介役をやっているそうだね。ときどき、君の名を聞くよ。
 ギルドとの協定は、まだまだ始まったばかりで、両者の関係は相変わらず危うい。何か一つでもきっかけがあれば、たちまち崩してやろうという悪意をひしひしと感じているよ。でも、それ以上に、信頼関係を築いていこうという力が今は強い。君はもちろん、ヨーデル殿下がその筆頭だね。君がギルドで果たしている役割はとても大きいものだと思う。同時に、君にどれほどの重責がのし掛かっているのかと思うと、居たたまれなくなる。君は心配しすぎだと怒るだろうけれどね。
 君は、君の信じる道を進んでいるんだろう。
 困難も、苦渋も、重圧も、すべて背負って、歩き続けているんだろう。
 そんな君の姿を思うたび、僕は誇らしさでいっぱいになる。……

「……私を褒め殺す気かしら」
 目が滑るような流麗な文章がさらに続くので、セシリアは火照った顔を上げて扇いだ。
 まだ、ようやくスタートラインに立ったばかりだ。こんな賞賛は受け取れない。これから、なのだ。何事も。
 大きく息を吐いて気持ちを切り替え、読み始めた。フレンは自分の近況に話題を移していた。

 ……自分の無力さを思い知るばかりだ。彼の向かう先こそ僕の理想の到達点に他ならないと信じていた人が、実は僕が憎む悪そのものだったという事実を突きつけられてしまった。実のところ、未だに半信半疑だ。僕が今まで見てきた彼の行動は、全て正しいものだった。その裏で、あれほどに非道なことができたとは、どうしても思えない。
 もし、これが他人の口から聞かされたことならば、悪質な流言だと憤慨して終わっただろう。でも……。
 セシリア。君ならわかってくれるだろう。あの方の理想がいかに尊く、目指すべき光そのものであったか。腐りきった帝国の法を内から変え、貴族による富の独占をやめさせるため、まっすぐに行動している人が、僕よりもずっと先に――そして、ずっと上に――いたんだ。
 あの方の演説を聞いたとき、どれほど僕の心が震え、熱い力が魂の底から沸き上がってきたことか、君なら自分のことのように感じてくれるね。……

「わかるよ、フレン」
 私たちはいつだって理想を求めてきた。けれど、それは見えたと思った途端に消えてしまう、陽炎のごとく儚かった。
 届かないから、ありえないことだからこそその美しいものは理想と呼ばれるのだ。
 掴めないものに虚しくも手を伸ばし、何度も挫け、何度現実に打たれようとも、求め続けることこそに意味があるのだと。
 それ以外に、理想に近づく道はないのだと。
 得られないものを求め続け、虚しい思いばかりが重なれば、自然情熱も疲弊する。そんなときに、自分よりも高く、自分よりも遠くをまっすぐに目指す先駆者の背中はどれほど心強いだろう。
 彼らは闇雲に迷う無明のものに光を与え、歩き方を示してくれる。
 目には見えない桃源郷の輪郭を、描いて見せてくれるのだ。

 ……今、僕は迷っている。自分の目指すべき道だと思っていたものが、まったく逆の方向に向かっていたのだという恐ろしい事実を、受け入れられていない。
 ユーリは、迷わない。迷っていない。
 彼の心にある理想は、彼だけのものだから、だからこそ、強いのかもしれない。迷わずに、まっすぐに突き進んでいけるのかも……。
 揺るがないこと、その姿は、今の僕には眩しい。君もそうだ。自分が為すべきことに確信を持って望める君たちが、羨ましい。
 セシリア、今、すごく君に会いたいよ。あんまり情けなくて、君を驚かせてしまうかもしれないけれど……。こんな手紙を寄越してるんだから、もうとっくに驚いてるかな。……

「驚きはしたわね。でも、嬉しい」
 初めて手紙をもらったこともそうだし、フレンが自分を頼ってくれたことも、嬉しかった。できることなら、今すぐ飛んでいっていくらでも話を聞いてやりたい。そしてうんと叱って、うんと励ましてやりたい。
 なにがあったのかは詳しく書いていないけれど、彼がとても落ち込んでいることはよくわかる。
 思い詰めるととことんまで自分を責める彼のことだ。誰かが背中を叩いて無理矢理でも前を向かせてやらなければ。

 ……とにかく。僕は僕の誤った判断によって引き起こしてしまった取り返しのつかない失態を、せめて自分の手で収束させなければならない。
 砂漠の街マンタイクでこの手紙を書いているんだけれど、この土地はいいね。乾いた大地が、今の僕には好ましい。非情で、突き放していて。僕が必要としている冷酷さを持っている。
 でも、オアシスの周辺は涼しくて、心地よいね。いつか、君とここで語り合いたいな。いろいろなことを。

 そこで終わりのように、文章は途切れていたが、さらに数枚、便箋が残っていた。セシリアは椅子に座りなおして、残りを読み始めた。

 ……本当は、書かずにおこうかとも思ったんだけれど。手紙で言うことでもないし……。でも、親友として、書いておくことにするよ。
 ユーリのしたことを、君は知っているんだね。そうでもなければ、君が彼の側にいないことの説明がつかない。
 でも……君が彼から離れたのは、本当に君の本心なのかい?
 だとしたら、僕はその判断は間違いだと言うよ。君は彼の側にいなくてはならなかった。いや、いなくちゃいけないんだ。
 君でなくて、誰が彼を止められるんだ?
 彼の理想は彼のうちにある。ならその理想が間違った方向に向かっていないか見張るのは、一体誰なんだい。
 今までそうしてきたように、君の心が望むとおりに行動するんだ。それが正解なんだからね。

「……きっついの」
 セシリアの口元に小さく笑みが浮かんだ。
 なんだ、落ち込んでいるかと思ったら。
 説教する元気はあるんじゃないか。

 フレン、君はいつだって正しい。君の正しさは、こんなにも胸を抉る。
 でも、君は間違ってる。
 ユーリは強いだけでなく、賢い。誰に教えられたでもない、彼自身の正義を持っている。逐一指摘しなければならないほど、ふらふらしている男ではない。
 ――そもそも指摘する資格など、私は端から失っているというのに。



 最後はセシリアの身を案じ、あれをしろこれをしろとまるで母親のような甲斐甲斐しい注意で締めくくられていた。読み終わった便箋を丁寧に畳み、封筒に戻す。
「さて、すぐに返事を書きたいところだけど」
 独り言ちながら、机の上に積まれた書類を見る。
「これを片づけてから、ね」
 ふう、と溜息を一つこぼしてから、よし、と気合いを入れ直して、作業を再開した。手紙のお陰で、かなり元気になったらしい。残りの作業は捗り、リオが催促にくる前にはすっかり片づけることができた。
「返事、なんて書こうかな」
 手元にあった紙を引き寄せて、机に肘をつき、ペンを持つ。考えてみれば、セシリアからも初めての手紙になるわけだ。
「親愛なる……とかちょっと恥ずかしいな」
 いざ書こうとすると、書き出しから躓いた。これは想像以上に手こずりそうだ。
 しばらく頭を悩ませていたが、気取った出だしを考えるのは早々に諦めて、さっさと本文に入ることにした。

 手紙ありがとう、嬉しかったよ、私もすっごく会いたくなっちゃった、こっちは順調だよ、何もフレンが心配することはないから……

 一度書き始めるとペンはすらすらと走り、手を止めたのはすっかり暗くなったことに気づいて手元のランプを点けたときだった。
 ふいに眠気が襲って、セシリアは長い欠伸を一つした。
 薄暗い部屋で字を書いていたから、目も疲れている。ずっと座っているのはやっぱり慣れないなぁ、と固まった背骨を伸ばしていると、ドアの向こうをうるさく走る音がした。
「何?」
「姉御!」
 ノックもなく飛び込んで来たのはフェリクスだった。
「リオの奴、なんも伝えてないわね……」
 ここは一つしっかり言い聞かせておかなければ、と立ち上がったセシリアに、フェリクスは大股で近づいてきた。

「大変なんだ、帝都が……!」

 フェリクスが話すにつれて、ことの重大さがわかってくると、自分の呼び方など彼方に飛んで、書き掛けの手紙もそのままに、セシリアはいてもたってもいられず部屋を飛び出した。
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