05:Inevitable conflict

 ダングレストの北側に、ヘリオードからの避難民は暮らしていた。少々日当たりが悪く、家も小さく古いが、仕事はあるし、何より騎士に税を取り立てられることがない。
 人々は、それなりに生活を立てているようだった。
「大工仕事はヘリオードでイヤというほどやりましたからね。それなりのもんですよ」
「小さい畑だけど、キュウリができたんだ。持っていってください」
「ギルドの人って、もっと怖いと思ってたが、話してみるとそうでもないんですなぁ」
 人々は口々に、近況をセシリアたちに教えた。中には食べ物や、細工物を渡してくる人がいるので、リオとフェリクスは進むほどに結構な量の荷物を抱えることになった。
「見る限り、困ってることはないようで安心したわ」
 お裾分けしてもらったトマトをかじりながら、セシリアは言った。トマトはよく熟れていて甘い。フェリクスはリオにトマトを差し出されて、渋々受け取った。リオが豪快にかじりつくのを、微妙な表情で見ている。
「不便はないんすよね。皆、この場所自体に文句はない」
「どういう意味?」
 含みのあるリオの言い方に首を傾げたセシリアに、トマトを持て余したフェリクスが答えた。
「家族を他の街に残してるんだ。向こうのイリキア大陸から来たって奴もいるしな」
「そこまで護衛を雇おうとしたら、金が掛かるんです。途中、船にも乗らなくちゃならないし」
 トマトを飲み込み、だから、とリオは胸を張った。
「俺たち、護衛団に入ろうと思ったんです! 金を稼いで、帰りたい人の依頼を格安で受けるんだ」
 情熱に燃えるリオの隣で、フェリクスは少し照れくさそうにしながら、やはりその目には力が漲っていた。頼もしい人たちだ、とセシリアは笑顔になる。
 あの騎士団の中にいて、ちっとも性根が腐っていない。フレンの側にも、彼らのような人たちがいてくれたなら。
「そうね。やっぱり、故郷が一番なんだわ」
 セシリアは検討してもいいかもしれないと考えていた一つの案を心の中の奥へ追いやった。下町のことだ。騎士団が諸悪の根元なら、彼らのいないところーーつまりこのダングレストーーに引っ越してしまうのも一つの手かもしれないと、取り留めもなしに考えていたのだ。だが、やはりそれはなんの解決にもならない。彼らの生活は、貧しいけれど快活で、愛着のある、あの下町に根ざしている。
 だからやはりーーフレンの行動が最良なのだ。きっと。
 ユートピアを外に求めるのではなく、今いるその場所を、家族のいるその街を、少しでも住みやすくすることが。
「二人とも、立派だわ。その目標、必ず達成しましょう」
「はい!」
 二人は声を揃えて力強く答えた。背筋の伸びたその様子がおかしい。セシリアは「騎士の癖が抜けないのね」と笑った。
「あれ、なんかあったのかな」
 二人の家に向かう途中、リオが通りの向こうへ目を向けた。注意してみれば、なにやら騒がしい。いつもの雑踏とは違い、どこか緊迫している。セシリアたちはもらった物をリオらの家へ一旦置いてから、騒ぎの場所へ走った。
「あれは……戦士の殿堂<パレストラーレ>?」
「なんだか物騒な雰囲気だな」
 剣呑な空気が広場に満ちていた。セシリアは眉を寄せる。戦士の殿堂は、広場の外側に通じる道を塞ぐようにして立っていた。手に手に武器を持って、挑むように立ちはだかっている姿は物々しい。兵装魔導器まで置いてある。
「いったいなんなんだ?」
「知らねえよ。ドンもいねえし……」
 リオが近くに立って同じように広場を眺めている男に訊ねた。少し離れた場所に立っていた男が、ドンは背徳の館に行ったらしいぜと教えた。
「背徳の館?」
「俺も詳しくは知らねぇ。いずれドン本人が行ったんだ、この騒動はそう簡単にゃ収まらねえだろうな」
 騒ぎを聞きつけて広場に集まってきた男たちは、海の向こうから遙々やってきた戦士の殿堂を見るや、険しい顔つきになった。
 どうも尋常ではない。二大ギルドとして、天を射る矢と並び賞される戦士の殿堂が、その勢力を率いてダングレストに乗り込み、広場に陣取っているのだ。いい話で、あるわけがない。
「本部に行ってみましょう」
 セシリアは二人を連れて、本部へ走った。しかし本部付近も大勢の人だかりが出来ており、容易には近づけなかった。考えることは誰も一緒だ。
 なんとか潜り込もうと四苦八苦していると、前方から事を知らせる声が、途切れ途切れに聞こえてきた。
 だが声が小さすぎて、問い合わせに来た男たちのがなり声にかき消されてしまっている。
「だから……ベリウスが……」
「カロル!」
 セシリアは声の主を人並みの隙間に一瞬見つけると、気合いを入れて目の前の背中を押し退けた。文句を言われるのも構わずそのまま無理矢理進んでいき、ようやく本部の前に出た。
「あっ、セシリア!?」
「カロル、この騒ぎの理由を知ってるの?」
 カロルは驚いた顔を引き締めると、頷いた。
「今、中でナッツとクルジが話し合ってるんだ」
「ナッツ? って……ええと、戦士の殿堂の?」
「そうだよ。ドンは、今出払ってて……」
「背徳の館に行ったそうね。カロル、君一人?」
「知ってるの? ユーリたちは宿にいるけど、たぶんレイヴンと一緒にドンを追いかけてると思う」
「……そう。この騒ぎ、また君たちが台風の目なのかな?」
 セシリアは茶化して言ったが、カロルは辛そうに目を伏せてしまった。よほど事態は深刻らしい。あいつ、今度はいったい何をやらかしたというのか。二大ギルドが険悪になるほどのことでも、しでかしたというのか。
「ごめん。とにかく、ドンは背徳の館へ向かったのね?」
「ううん。……海凶の爪<リヴァイアサン>のアジトだから。首領のイエガーを捕まえに行ったんだ」
「海凶の爪……。あまり聞かない名前ね。そういえば、東の森にどこかのギルドのアジトがあるって聞いたことが……そこかしら」
「僕はわからないんだ」
「いいわ。ありがとう。とにかく、行ってみるか」
「セシリアー!」
 群衆の中から、リオが手を伸ばして左右に大きく振った。セシリアはカロルに礼を言うと、また人混みに飛び込んで押し退けて行った。カロルはセシリアの姿があっという間に見えなくなって、少し寂しげに眉を下げたが、再びぐっと力を込めた。
 今は気を緩めている場合ではない。一人でも、できるんだ。
「皆、僕の話を聞いて!」

 *

「ユーリ! どこに行くの!」
「ドンを追う!」
「どういうことよっ……待ちなさい!」
 ユーリを追いかけて背徳の館に飛び込む。入り口はフードを目深に被った赤い眼鏡の男たちが固めていた。
「私……ジュディスのことを放っておけません」
「敵を前にして何言ってるの?」
 いらいらしてエステルに当たるセシリアを窘めた上で、ユーリはエステルに突き放したように言った。
「どうするべきか、自分で考えろ」
 エステルは地面に視線を落とすと、きゅ、と唇を引き結んだ。
「今は……ドンを追います」
 ドンがイエガーを追いつめていた。イエガーを逃がしてしまったが、ドンは他に方法があると言った。

 *

「どこに行くんすか?」
「背徳の館よ。知り合いがそっちに行ったらしいから」
「知り合いって、ドンか?」
 いいえ、とセシリアは短く否定した。
 リオとフェリクスは黙ってセシリアに従う。セシリアはしばらく進んでから、振り返らずに言った。
「二人は広場に戻ってくれる?」
「なんで?」
「何か動きがあったら知らせて」
 有無を言わさずに、セシリアはスピードを上げると、納得しかねている二人を置いて東の出口へと急いだ。二人は顔を見合わせて、言いつけに従った。
 胸が騒ぐのは、この騒動のせいだけだろうか。少し触れたら、すぐにも弾けてしまいそうな、嫌な予感を含んだこの空気の。
 それだけじゃない。
 だから、二人から離れたのだ。今は――余裕がない。
 だけど。

 セシリアは角を曲がったところで、立ち止まった。
 結界の中へ、追っていた相手が入ってくるところだった。
「これは一体、なんの騒ぎなの?」
 セシリアは仁王立ちして、開口一番に詰問した。
 ラピードが飼い主を振り返る。ユーリは、目を細めてセシリアと向かい合った。
「また、関わってるんでしょう。ドンはどこ?」
 仲間たちは自然と、ユーリに視線を集める。ユーリは目を伏せると、セシリアに答えた。
「ベリウスが死んだ」
「ベリウスが……なんですって?」
 あまりに断片的で信じがたい答えに、セシリアは眉をしかめて聞き返す。ユーリはもう一度同じ調子で繰り返した。
「意味がわからないわ。なんの冗談なの?」
 ドンが自ら動いているのだ。その事情を早く知らなくてはいけない。セシリアは気が急いて短気になっていた。
「戦士の殿堂が殺気だってダングレストに雪崩込んで来てるのよ。いったい、ノード・ポリカで何があったの!?」
「ドンの孫のハリーが、魔物だと思い違いをしてベリウスを殺したんだ」
「……はあ?」
 バカなことを言わないで、と怒鳴ろうとしたセシリアをユーリは厳しい表情で黙らせた。
「海凶の爪に偽情報を掴まされたんだ。ベリウスが魔物に捕らわれてるってな。ハリーはそれを信じて、魔物討伐を魔狩りの剣に依頼した」
「……まさか」
 セシリアはハリーが魔狩りと共に街を出ていったことを思い出した。
 仲間の姿はなく、一人で、クリントと並び、どこかへ消えた。その向かった先が――今回の騒動だというのか。
「ありえないわ。魔狩りごときにあの人が――ベリウスが、やられるわけない!」
 彼女はただの魔物ではなく、エンテレケイアなのだ。一度会っただけだが、その強さは疑いようがない。千年も昔にコロシアムを築き、ドンと共に人魔戦争を生き抜いた強者。
ドンと同じく、彼女を害せる人間など、いるわけがなかった。それもただの――魔物狂いなどに。
「ありえなかろうがなんだろうが、俺はこの目でベリウスの最期を見た。だから――戦士の殿堂の奴らはあんなに騒いでるんだろうが」
 ユーリは激しさを押さえた口調で吐き捨てた。深い色に沈んだ瞳は、セシリアの心を映し込み、黒い染みをぽたり、ぽたりと落とした。
 頭の奥がつう、と凍り付く。虹彩が引き絞られ、光が乏しくなり、視界が黒く閉じていった。
 代わりにくっきりと浮かび上がったのは、ベリウスの凛々しい姿だった。
「――うそ」
 リタとエステルは思わず身を乗り出した。だがユーリ自身が抵抗しなかったため、手を出しあぐねた。セシリアはユーリの襟に掴みかかり、締め上げた。
「どうして! どうして目の前で見ていたなら――助けなかった! あの人を見殺しにしたの!?」
「セシリア、違うんです、ユーリは!」
「できることならやっていた!」
 エステルが溜まらずに声を上げたが、ユーリのねじ伏せるような怒声に掻き消えた。
誰もが声を失う。ユーリは目を伏せて、掠れた声で言った。
「あの人はな、誰のことも憎んでいなかった。わかるだろ」
「……そんな、そんなの……」
 セシリアを見つめた、どこまでも澄み渡った瞳。それはもちろん、人間のものとは違ったけれど、まったく同じ、いや、それ以上の深さを持った優しさを湛えていた。
 彼女が死の間際に恨み言を言うなど、言われずとも考えたりしない。彼女は許しただろう。愚かな――人間を。
 けれど、セシリアは違う。すべてを見渡す広い視野も、すべてを受け入れる底のない懐も、持ってはいない。
 敬愛すべき方をこの世から奪い去ったものが――憎くて憎くて、仕方がない。
「だったら――だったら、この事態をなんとかしなさいよ。戦士の殿堂と天を射る矢が衝突しようとしてるのよ、ギルドの二柱が、互いに殺し合おうとしてるの! なんとかしてよ……!」
 拳を握りしめ、ユーリの胸を何度も、何度も叩く。
 ギルドの頭領、ベリウスの死だ。メンバーたちが血を流し合ってもなお足りない。彼女の購いなど、何者にも埋められない。服に爪を立て、唇を噛みしめる。錆びた味が咥内に広がった。
 いったい誰に止められるというのだろう。
 ボスの威信を懸けた、二大ギルドの抗争を。
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