01:Justice in the evil

 なんとか無事に砂漠を横断して、ユーリたちはふたたびマンタイクの泉に浴することができた。
 疲れきった仲間たちは満身創痍の身体を奮い起こして宿までの道程を往く。あと少しで、この不愉快な砂地獄から抜け出せる。
 街の入口には騎士が集まっていて、ユーリたちは急いで椰子の木の影に身を隠した。一大の馬車に、住民たちが騎士に急き立てられるようにして乗り込んでいる。
 それを指揮しているのはキュモールだった。
「急いては事を仕損じるよ」
 すぐに飛び出そうとしたリタとカロルに、レイヴンは静かに言った。
 ユーリは厳しい目でキュモールと住人のやりとりを聞く。キュモールは子供を残してはいけないと泣く親を怒鳴り散らして、翼ある巨大な魔物を殺させ、その死骸を持ってこさせようとしていた。
「それって、フェローのことだよね」
「そんなの捕まえてどうしようっていうのかね」
 問うたカロルに、レイヴンも顎を撫でる。
 とにかくわかることは、キュモールが人々を力で脅し付け、危険な砂漠に駆り出しているということだ。
「ノロノロノロノロと、下民共はまるで亀だね! 早く乗っちゃえ!」
 キュモールはヒステリックに叫んで、入り口でまごついていた数人を無理やり押し込めた。
「あの野郎……」
 ゆらゆらと揺らぐ陽炎の向こうに炎が見えた。ユーリは目を細めた。



 街の中に立つ騎士の姿が、心なしか増えているような気がした。宿屋アンタレスの主人は、飾りの鎧のように微動だにしない監視の目を気にしながらも、旅人たちの無事を喜んでくれた。
「怪我もないようで、なによりでした」
「ああ。宿、開いてるか?」
「はい! すぐにご用意します」
 主人はそう言いながら、一同を眺めて目を曇らせた。
「あの、あなた方を探していらっしゃった娘さんがいらっしゃったのですが」
「娘? セシリアか」
「はい! その方です。彼女とお連れ様も砂漠に向かったようなのですが……。お会いに、なりませんでしたか」
「ああ。いや、ちゃんと会えたよ」
「そ、そうでしたか!」
 悪い事態を予想していた主人に、ユーリは努めて軽く言ってやった。主人はほっとして笑顔を見せた。
「では、お部屋の準備を」
 セシリアの軌跡を、今度は逆に辿ることになるのか、とユーリはふと思った。主人の背中を見送りながら、これから戻る道――セシリアが進んだ道を思い浮かべる。
「もう一歩も動きたくないわ」
 部屋に向かいながら、リタが零すのを聞くともなしに聞いた。

 *

 以前マンタイクに立ち寄ったときのことだ。
 宿屋で休んでいる仲間たちから離れて、ユーリはオアシスまで足を運んだ。ぼんやりと水面を眺めていると、背後に気配がした。ジュディスは足音を隠さず、椰子の木陰から現れた。
「マンタイクに着いたばかりで、もう出発なんて。忙しないわね」
「疲れたか?」
「いいえ」
 横目でユーリの表情を見つめながら、ジュディスは続けた。
「次々と移動して。まるで彼女から逃げているみたい」
 歯に衣着せぬ物言いに、ユーリは皮肉な笑みを浮かべた。彼女は繕うということが苦手なようだ。だから特に言及せず、それを受け流した。
「ジュディも、特に反対してねえじゃねえか」
「ぐずぐずと迷ってるのもどうかと思ったから」
「確かにな」
 なんでもなさそうに言ったジュディスにユーリは笑った。
「でも、わからないわね」
 ジュディスはユーリの隣に腰を下ろしながら、不思議がるでもなく言った。
「あなたたち、とてもうまく行っているように見えたけれど」
「そうか」
 照れているのか素っ気無いユーリを、ジュディスは目を細めて見つめる。
「喧嘩でもしたのかしら?」
「別に。ただ、流れでこうなっちまっただけだよ」
「流れ?」
「行く先行く先、まるで待ち構えてたかのように厄介ごとが立ちふさがる。それを解決しようとしたら、追いかけていかなくちゃならない」
「そうね。私たち、そうしてこんなところまで来てしまったわ」
 月の光に白く輝く砂をジュディスは示した。昼間の焼け付くような暑さはすっかりどこかへ行ってしまって、肌寒いくらいだった。
「さらに、砂漠を越えようとしている……」
 魔物が蔓延るだけでなく、その過酷な環境が生き物に厳しく襲い掛かる。そこに向かうとなれば、ジュディスやユーリとて死を考えずにはいられない。
「そんなところへ、あなただけで行ってしまってもいいのかしら」
「俺だけじゃねえだろ」
 お前らがいる、と当たり前のように言ったユーリに、ジュディスはわかってるくせに、と口の端を吊り上げた。は、とユーリは乾いた笑いを漏らして正面に顔を戻した。
「ずいぶん、あいつのこと気にしてたんだな。あんたらしくない気がするけど?」
「そうかしら? あの人とは、少ししか話したことがなかったけれど……。そうね。不自然なのよ」
「不自然?」
 ジュディスは笑みを消して、ユーリを覗き込んだ。薄い唇が、間近に迫る。
「あなたの隣にあの人がいないことが、すごく不自然」
「……なんだそれ」
「そういうの、気になっちゃうのよね」
 ジュディスはそんな自分がおかしいとでも言うように軽やかな笑い声を立てると、すっと立ち上がった。
「でも確かに、これ以上口を挟むのは私らしくないわね。もう寝るわ」
「……ああ」
「おやすみなさい」
「お休み」
 ジュディスはさっぱりした様子で立ち去っていった。今の会話でどれだけ納得できたのかはわからないが、深く追求しないあっさりとした態度が好ましい。
 ユーリは冴えた頭を抱えながら、泉の畔に残っていた。星の光が泉を満たして、眩しいとすら感じる。光っているのは水面だけでなく、その中央に落ちた結界魔導器だった。それに気づいて、ユーリは目を伏せると冷えた砂を見下ろした。
「……不自然……」
 掴んだ砂は冷気を含んでいるかと思われるほど冷たかった。手のひらから温度を奪った砂は、指の間からさらさらと零れ落ちていった。
「……不自然か」
 カドスの喉笛を通過する前に滞在していたノードポリカは、ドン率いる天を射る矢と並び立つ、戦士の殿堂<パレストラーレ>というギルドの長、ベリウスが統治する街だった。
 戦士の殿堂が経営する闘技場で開かれている大会に参加するはめになったのは、ラーギィという男に頼まれたからだった。ラーギィは近頃負けなしでチャンピオンの座を守っているという男が統領ベリウスを狙っていると考え、ユーリたちにそれを阻止するよう訴えた。
 そのベリウスを狙っているというのがフレンだったとは思ってもみなかった。どうしてと問うたユーリに、フレンは騎士団の任務だとしか答えなかった。ヘリオードの労働キャンプの問題に掛かりっきりだと信じていたから、裏切られた気分だった。身分を偽り、大会で勝ち上がってベリウスに近づき、何をするつもりだったのか。
 もしユーリが想像するようなものだとしたら、そんな任務をどうして受けたのか。確かめようにも、あの暗殺者、ザギに乱入されてそれどころではなくなってしまった。ラーギィも化けの皮を剥いだかのような豹変を見せ、エステルから小箱を奪って逃走した。
 あの騒ぎでフレンの身元はばれただろうから、任務は失敗しただろう。ユーリたちはラーギィの追跡を優先することにした。彼が逃げた先には、砂漠とその手前のオアシス、マンタイクという街があった。砂漠にはフェローがいる。マンタイクまでやって来たエステルは、フェローに会い、自分自身について知ることを決断した。
 砂漠がいかに過酷な地であるかを、ユーリは知らない。だが、マンタイクからそちらを見れば、広大な砂地が広がっていることがすぐにわかった。乾き、熱せられた砂以外は何も見えない、灼熱の原だった。そこに経験のないものだけで向かおうというのだから無謀だということは誰しもが理解するところだった。
 だが、進まなければ始まらない。そう信じて、ユーリは決断した。
「……逃げてる、ね」
 ジュディスの言葉は飾り気がないゆえに、真っ直ぐにユーリの心に刺さった。
「んなつもり、ねえんだけどな」
# name1#が追いかけてくるだろうことは疑うまでもなく確信していた。ダングレストでの用件が終われば、必ず追いかけてくるに決まっている。しかし、ユーリは途中でいつ来るとも知れないセシリアを待つことはしなかった。向かう先々で起こる厄介事を放っておくわけにはいかなかったからだ。これだけ派手に痕跡を残しているのだから、追いかけてくるのは容易いだろう。あのザギさえ、執拗にユーリを狙い、目の前に現れて見せたのだから。
 炎上する船諸共死んでいてくれたならと願っていたが、予想外にといおうか、予想通りといおうか、目を見張るしぶとさを発揮してみせたザギ。ユーリに傷付けられた身体を改造してまで追いかけてきたのだから、あれで終わるはずがない。
 もしまた追いつかれるようなことがあれば、今度こそ引導を渡してやる。これ以上わけのわからない理由で襲われるのは真っ平だ。
ユーリはザギへの憤りを吐息に乗せて吐き出してしまうと、引かれるように空を見上げた。
「お前との追いかけっこは、いつまで続くだろうな」
 暗黒の空に輝く星は瞬きを繰り返し、静寂の内に何かを語りかけるかのようだった。その中で一際輝くのは、凛々の明星、兄星。
 夜には眩く光を放つ星々も、太陽が昇っている間はその姿をすっかり隠してしまう。星が輝けるのは、夜の闇の中でだけだ。
 黒い闇を溶かし込んだような瞳は、星の光を吸い込んでしまうように暗い。幾重にも分厚く重ねられた闇の奥には、赤い鋼鉄が秘められていた。
 まだ生まれたばかりのそれは不安定な明滅を繰り返していたが、その輝きを増すごとに周囲の闇を一層深めるかのようだった。


 ***


 時が止まったかのような奇妙な街、ヨームゲンでセシリアと再会することとなった。そして、それは追いかけっこの終わりであり、今までの関係の破局でもあった。
 彼女に会うまで、ユーリは言うべきことを考えていなかった。あの夜、彼女に問い詰められるまであれらの言葉はユーリの中になかった。
 いや、それも違う。
 言うべきことはもうとっくに決まっていた。ダングレストの橋の上で、手を血に染めたあのときに。

 宿で休んでいる仲間たちを置いて、ユーリは街の様子を探るためにぶらりとマンタイクを歩いた。騎士のいない場所はなさそうだった。外を歩いているのは旅人だけのようだった。住人は騎士の目を気にするように身体を縮め、足早に家の中へ消えていった。
 途中、ユーリは自分と同じ目的を持っているらしい男と話した。なんのことはない、騎士団の様子を調査していた男と、何度も鉢合わせる結果になってしまったのだ。互いに何とも言えない笑みを浮かべて顔を見合わせると、男から声を掛けてきた。
「やあ。どっから来たんだい」
「砂漠を越えてな」
「そりゃご苦労なこった。俺はノードポリカからさ。貴族様の護衛に雇われたんだよ」
 男はギルドの一員だった。騎士団の動きが気になって、ここ数日嗅ぎ回っていたのだと言う。
「あいつらは数週間前にここに来たんだが、なんでも、砂漠にいるっていう魔物を捕まえるためにここの住人を使っているんだ。外出禁止令が出たのは、逃亡しようとした住人が出たからさ。そのうち俺たち旅人も出入禁止されそうだから、雇い主に忠告したんだがどうも腰の重い人でなぁ」
 男は困ったように首を掻いた。
「だが、ここの執政官はキュモールじゃねえだろう?」
「前の執政官は病気で死んじまったらしい。だが次の執政官がなかなか決まらないらしくてな。あいつは代理だそうだ」
「代理がやけに威張り散らしてるじゃねえか」
「止められる奴がいないからな」
 このあたりには他に街もないし、と男は周囲を見渡す。ノードポリカからは大きな山を越えなければならない。押さえが何もないのだ。
 そして人々の逃げ道も。
「ここしばらくで、ずいぶん住人が減ったよ。砂漠に放り出されて」
「戻ってきた奴はほとんどいない、か」
「ああ。そのうち住人じゃ効率悪いからって、ギルドにまで手を伸ばしてきたりしてな」
「騎士がギルドの手を借りるか?」
「邪魔者を厄介払いできると考えてるかもしれないぜ」
 男は嘲笑を零して、さて、と姿勢を変えた。それで男の持つ情報はすべてだった。
「俺は今日明日にでも雇い主を説得して街を出ることにするよ。あんたも早めに出ることだな」
「ご忠告どうも」
 彼と別れた後、ユーリはまっすぐに宿屋に戻った。
 人々が詰め込まれていた馬車を壊すことで人夫を砂漠に放り出されることは防いだ。だが、それは時間稼ぎにしかすぎない。
 今日明日にでも馬車は直され、また人々は砂漠に連れ出されるのだろう。大人がいなくなれば、次は子供を引っ張り出しかねない。
 下町やカルボクラムで、そして今日見たキュモールの態度からは、そうした暗澹たる予想が裏付けられ、しかも払拭できるような根拠は無いに等しかった。
 大切なガラス玉を報酬にと差出し、両親を助けて欲しいと依頼した子供たちのいたいけな表情が忘れられなかった。馬車に押し込められそうになり、「子供がいるんです、お願いです」と必死に懇願していた親の悲痛な声音が今も耳に鳴り響いている。
 エステルは自分の力で、と言ったが、評議会が傀儡の姫としている彼女の命令を、騎士であるキュモールが大人しく聞くはずがない。ましてや監視の目が届かぬここでは、何が起こってもおかしくなかった。
 ――裏切り者。
 じっと自分を見つめる目。砂漠を渡る間も、ずっと背中の後ろに張り付いていた。
 ――見ているわ。ずっと、見ている。
「ああ。見ていてくれ。俺は――」
 左手に下げた剣の紐を、ぎりと音がするほど握り締めた。
「この道を行くと、決めたんだ」
 たとえお前と隣り合わない道だとしても。
 自分の正義を成していく。
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