14:The disappearance of the utopia

「その頬、どうしたのよ」
 ぽかん、とした顔でレイヴンは訊ね、口にしたすぐ後に自分の失態に気づいた。寝ぼけて、つい口が滑った。
 ユーリはちょっとな、とだけ言って口元を拭った。ずいぶん消耗している様子だった。目の下に疲れが残っている。体力的には、一晩寝てすっかり回復しているはずだった。しかし、気に病んでいることがあったと見えて、元気はなかった。今彼は、昨日以上にふさぎ込んでいた。
 リタはなぜかこの街に滞在していたデュークから聞き出せるだけの情報――つまりほとんどない――を聞き出すと、気が済んだと言って出発の支度をした。本当は粘ってでも聞き出したかっただろうが、仲間を引き留めるわけにはいかないから、これ以上訊ねても無駄だと自分を納得させたのだ。
「セシリア、朝食にもいませんでした」
 エステルはうっすらと霧の掛かった街を見渡しながら、頬に手を添えた。
 朝起きたら、すでにセシリアの姿がなかった。行方を知っているらしいユーリは、しかしほとんど語らず、気にするなと強引に仲間を納得させ、旅支度を始めた。次の新月までに、ノードポリカに戻らなければならなかった。
「ユーリ、セシリアはどうしたの?」
「他に行くところがあるんだとさ」
「じゃあ、私たちとは一緒に来ないんです?」
 そんなのひどい、と言わんばかりにエステルは声を上げた。だがユーリはほとんど聞かずに、すぐにも外に出ようとしていた。ユーリの態度もセシリアのものも釈然とせず、カロルは額に皺を寄せながらセシリアの姿が見えないか、目を凝らした。
「でも、見送りにも来ないなんて……」
「もう行っちまったのかもな」
「そんな人じゃないでしょ」
 リタは薄情にも聞こえるユーリに、不機嫌に答えた。
「なんなのよ、喧嘩でもしたの? あんたら」
「……そんなとこだ」
 リタは半ば八つ当たりで言ったのだが、肯定されてしまって一瞬言葉がなかった。
「……なにそれ」
「ユーリ、喧嘩だなんて」
「じゃあ、さっさとここを離れた方がお互いの衛生上よさそうね」
 ユーリをたしなめようとしたエステルを遮って、ジュディスはあっけらかんと言った。
「そういうわけで。悪いな」
 ユーリは背中越しに短く謝罪を口走ると、外につながる橋を渡った。ラピードは軽やかな足取りでそれに付き従う。止まる様子のない後ろ姿に、カロルたちは諦めるしかないことを悟って、追いかけた。

 ***

 二階から降りてきたセシリアはひどい顔をしていたが、デュークはそれには言及せずにおいた。
「彼らは発った。私もじきに発つ」
「……そう。わかった」
 二人はほどなく支度を整えると、幻の街を去った。
 マンタイクに戻ろうとするデュークを止めて、セシリアは北を指した。
「今の時期、あっちの湾に漁をしにくるギルドがいるの。それに乗せてもらうわ」
「……そうか」
 二人はほとんど会話を交わさず、荒野を進んだ。砂は減り、ごつごつとした岩が目立つ。時折強い風が吹き荒れた。
「デューク」
「……なんだ」
「一緒に来ない?」
 湾が見えてきて、ここまでだと足を止めたデュークに、セシリアは言った。
「私にはやるべきことがある」
「そうだね。私も……行くよ」
 答えはわかっていた。セシリアは頷いて、デュークから一歩離れた。
「ありがとう。あなたには感謝してもしたりない。何かあったら必ず呼んで。なにがあっても、応えるから」
「……早く行け」
 デュークはなんとも答えず、立ち去ろうと身体を横へ向けた。
「デューク、あなたがどんなふうに生きてきたのか知らない。でも……私はあなたに会えてよかったし、あなたもそう思ってくれると嬉しい」
 めげずにそう話すセシリアに、デュークは背を向けたが、小さく口の端を上げた。
「この出会いは些細なものだ。大きな流れを変えるようなものにはなりえない。だが」
 悪くはなかった。
 そう言い残して、デュークは歩きだした。振り返らない背中をしばらく見送って、セシリアも歩き出した。
 自分の前に広がる、自分だけの道を。
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