07:It can only be achieved by understanding.

 赤い髪に赤縁の眼鏡を怒りに震わせ、逃げるように去っていく男たちに怒鳴りつけるその姿はデイドン砦で会ったときの悠然としたものとは正反対だった。無意識に彼女から連想されたものに、ユーリは僅かに眼を細めた。
 五大ギルドの一、幸福の市場<ギルド・ド・マルシェ>の社長であるカウフマンならば船を借りられるかもしれないとのカロルの提案から、あまり期待せず打診してみたところ、カウフマンはギルド同士の協定、ということで快くノード・ポリカへの航路を開いてくれた。ただし交換条件つきで、だが。
 カウフマンは手配書に描かれていた似顔絵から、その男がデイドン砦で声を掛けた見込みある男、かつて自分の部下であった娘の仲間であるユーリ・ローウェルであることにすぐに気づいた。
 ギルドは帝国の傘下から逃れた組織であるから、帝国の法を重んじる謂れはない。ゆえに法を犯したものに対しても寛大であった。
 ユーリと共にいる、恐らくは仲間であろう人々を眺めて――レイヴンの上で一瞬視線を止めた――カウフマンはあら、と首を傾げた。
「あの子はいないの?」
「ああ、ダングレストに残ったんだ」
 誰、と言わずとも伝わった。ユーリの短い返答に、カウフマンはそう、といってそれ以上は問わなかった。セシリアとは単なる知り合いというわけではなかったようだから、詳細を知りたいのが本音だろう。眼鏡の奥の双眸が強くこちらに向けられているような気がしたが、気のせいかもしれなかった。

 デズエール大陸に向かうため船を捜そうと決めたとき、セシリアの名を出したのはカロルだった。待ってなくていいの、と控えめな言い方をしたのは何かを察していたからかもしれない。
「でも、どれくらい待てばいいのかわからないわ」
 そう言ったのはジュディスだった。否定的な語調に驚いたが、それに乗ってユーリは茶化すように言った。
「来るなら来るし、来ないとなったら来ない。気まぐれな奴だから、わざわざ待ってやるこたぁねえさ」
 明日船を捜そうぜ、と半ば独断で予定を決定されたことに対する反論は上がらなかった。

 カウフマンとの取引が決まって、宿を引き払おうと勘定を終えたときふと思いついて、ユーリは主人に言った。
「そうだ。あのさ、もし、ここにセシリアって女が来たら……」
「はい。伝言ですか?」
 ――もう、追いかけてくるな。
 人の良さそうな主人の赤ら顔を見て、ユーリはいや、と言葉を濁した。
「やっぱいいや。これでちょうどだな」
「はい。ご利用ありがとうございました。またおいでください」
「どーも」
 財布を懐にしまいながら、宿を出る。外では各々支度を整えた仲間たちが待っていた。
 主人に伝言を頼もうなんて、馬鹿なことを考えたものだ。頼むにしても、せめて待ってろとか、他に言い方というものがあっただろうに。
 ――待ってろも、追いかけてくるなも、同じことか。
 ユーリは人知れず自嘲した。

 *

 出口は一つだった。
 明り取りの窓と呼べるものはなく、壁面の煉瓦をいくつか申し訳程度に抜き取っただけのありさまである。その辺りから壁を壊せないかとも思ったがセシリアの身長では跳ねても手が届かない。
 三方は頑丈な壁で囲まれ、正面には鉄の扉がぴったりと閉じられている。
 どれくらい蹴ったら鍵が壊れるだろうか、と赤っぽく錆びついた鉄を睨みつけながらかれこれ数時間、セシリアは扉の前、壁際のベッド――単に布が敷かれているだけ――に片膝を立てて座っていた。
 元気なら、本当に鍵が壊れるまで蹴り続けているところだったが、背中が痛むので今のところ体力温存を優先していた。
 これで手加減されたというのだから腹立たしい。もし手加減されていなければ今頃は牢獄どころか煉獄の業火を目の当たりにしていただろうが、いっそその方が潔い。こちらとしては相打ち覚悟で飛び込んでいったのに、騎士団長アレクセイは片手でいなすようにあしらった。剣を抜かせただけ僥倖だとは、今のセシリアには思えなかった。
 武器を取り上げられ、魔導器も奪われ、薄暗く黴臭い牢屋に放り込まれてしまった。脱出するいい方法は、今のところ見つからない。
 俄かに、扉の前が騒がしくなった。鎧のぶつかり合う音が複数聞こえる。そのうちにいくつかが地上へ去っていった。どうやら交代の時間だったようだ。セシリアはのそりと立ち上がって、扉に付けられた格子から外を見た。
「ねえ」
 斜め左にある地上へ続く唯一の階段の前に、二人の騎士の姿が見えた。それ以外に見張りの姿は見えない。セシリアは何度か呼びかけたが、二人は人形のように微動だにしなかった。
「聞こえてんの? あーあ、騎士って人の話聞かないからいやよね……。そういえば、フレンもそういうとこあったなぁ。今は隊長に就任したのよねぇ。こっち来ないかなぁ」
「……フレン隊長のお知り合いなのですか」
 一人の騎士がフレンの名を聞いて顔を上げた。もう一人の騎士がそれ以上話すのを止めるような素振りをしたが、二人はしばらく何事かを言い合った後、初めに声を掛けた方が足早にセシリアの牢の前までやってきた。
「出してくれるの?」
「あなたは、先日キュモール隊長を襲った者たちの仲間だそうですが」
「そうだけど、キュモールとか知らないから」
「では、この労働キャンプの現状もご存知ありませんか」
「どうせ悪いことしてるんでしょ」
ユーリたちが首を突っ込んだのだから、よからぬことが起きていることは明白だった。
「キュモール隊長は別の任務のためここを離れました。入れ替わりに到着されたフレン隊長は、労働キャンプの実態を知り直ちに住民を解放しようとなされたのです」
「フレンが来たの?」
本当に来ているとは思わなかった。目を丸くしたセシリアに、騎士は深く頷く。
「『ここで働けば貴族になれる』。そんな噂を信じた住民たちを、騎士団はこの労働キャンプで非人道的に扱き使っていたのです。フレン隊長はそのことに憤慨なされていました。しかし……」
「……めでたしめでたしとはいかなかったのね」
「はい」
騎士は僅かに顎を引いて、歯を食いしばった。
「……フレン隊長はアレクセイ騎士団長に別の命を下され、その日のうちにノード・ポリカへ向かわれました」
「騎士団長……」
「そこでドートル副隊長が現場の指揮権を委譲されたのですが、彼はキュモール隊長の忠実な部下で、労働キャンプを再会してしまったのです」
「……嫌な話ね」
「ええ。一度開放されると喜んだ市民たちの落胆といったら……悲痛で……。フレン隊長のお力で、やっと住民を解放できると思った。でも、それ以上に、もう彼らを痛めつけずに済むんだと、俺は……っ」
 鎧の下で怒りを噛み締めている騎士を眺めながら、セシリアは心の一部が冷えていくのを感じた。ユーリが諸悪の根源キュモールを廃し、フレンが蔓延っていた悪を一点の曇りない正義で打ち負かしてしまえば……。物事は、そううまくいくものではない。
 正義がなくなれば、悪はたちまち勢いを取り戻す。頭を挿げ替えても、他の誰かに取って代わられる。ここにいる騎士たちのように善良なものですら、その片棒を担がされる。 ――悪はそうそう、なくならない。
 いつの間にか顔を上げ、セシリアをまっすぐに見詰める騎士は、真剣な様子をしていた。
「あなた方はギルドなのですか」
「どちらかというと、そうね」
 セシリアは相手の気迫に押されながら曖昧に答える。今のところ、セシリアはどこにも所属していない。騎士の気迫は思いつめてると言ってもよいほどだった。階段の前で待機しているもう一人の騎士も、張り詰めてこちらを見ていた。
 そして騎士は、おそろしく落ち着いた声音で言った。
「あなたに頼みたいことがあります。もし引き受けてくれるなら、脱獄の手助けをしましょう」
 セシリアは据えた眼でそれを受け止めた。
「いいわよ。一刻でも早くこんなところ出たくって、イライラしてるの」
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