05: It was only emptiness to have stayed.

「執政官が発見されました」
 フレンと別れた後、セシリアは宿屋に戻ってシャワーを浴びると何も食べずにベッドへ入り、熟睡した。五時間後に目が覚めると、軽食を取って旅支度を始めた。
「川下に流れ着いていたのを住民から通報があり、身に着けていたものからラゴウ氏であると、断定しました」
 ユーリ達は恐らく、ヘリオードに向かっただろう。もしかしたらトリムで待つつもりかもしれない。
 一日の遅れくらい、急げば簡単に取り返せる。
「凶器は刃物。背中に受けた一太刀が致命傷に至ったと思われます」
 死人に対して怒りを持ち続けることほど虚しいことはない。死は全てを無に還元してしまう。喜びも悲しみも、罪も咎も。死んでしまえば法で裁かれることもない。
 およそそれが熱を持って活動していたとは到底思えない、ずぶ濡れの襤褸雑巾のような成れの果てを見たときの、自分でも首を傾げたくなるくらいの冷淡さを思い出す。有無を言わさず湧き出し、御しきれないほどであった怒りの炎は、うまく昇華されることなく心の片隅に黒く凝り固まってしまった。
「一刻も早く犯人を見つけ出し、捕えるよう、総員、尽力せよ!」
 夢にまで見た、正義の鉄槌を下す手は――しかし自分の物ではなかった。脱走したラゴウを手に掛けた人物は一体誰なのか。その人物もまた、義憤に駆られ行動するに至ったのか。
「……確かめなくちゃ」

 *

 セシリアは広場を通り過ぎようとして、橋の方に誰かが佇んでいるのを見つけた。背中まで届く、長い銀髪。ふいに、その髪が揺れ、赤い相貌がセシリアを捉えた。
「……セシリア」
 無表情で振り返ったその人はやはりデュークだった。セシリアは彼の方から自分を見つけたことに奇妙な感動を覚えながら、とりあえず忠告した。
「街を出たいなら、あっちへ迂回しないとだめよ」
「……いや」
 そういうわけじゃない、とデュークは曖昧に答えた。
 デュークは微かに眉を寄せたが、ふと考え直したらしく、口元を緩めた。
「まったく、なぜこうもお前は私の前に現れるのだ」
「……それはあなたの方だと思うけど」
「私は私のすべきことをしているだけだ」
 デュークは素っ気無く早口で言ってつと空に視線を投げると、僅かに眉を寄せ、厳しい顔をした。セシリアも追いかけて空を見上げる。無意識に立ち去りかけた足で石畳を踏みしめ直して、独り言半分に呟いた。
「……また、あの魔物が来ないといいんだけど」
「…………」
「知ってる? 見たこともない大きな魔物がここに来たのよ。それを騎士団の兵装魔導器が撃墜したんだけど、これがその成果ってわけ」
 セシリアは綺麗に分断されてしまった橋を指差した。デュークは橋の断面に視線を落としたまま、声音を変えて訊ねた。
「仲間はどうした」
「ちょっとね。今から追いかけるところ」
「追いかける? では今、あの娘はここにいないのか」
「誰が?」
「……なら、もう彼はここに来ないだろう」
「だから、誰が?」
 再三訊ねるセシリアの声が聞こえないようにデュークは数歩進むと、ふとセシリアを振り返った。
「どこまで追いかける」
「……ヘリオードか、カプワ・トリムまでの予定」
「一人でか」
「そう」
 デュークの赤い目が一瞬セシリアの左腕に向けられた気がしたが、デュークは表情を変えずにこう言った。
「ならば同行しよう」
「は?」
「脆弱な娘が一人で結界のない道を往けるのか?」
「脆弱って。それは、往けないことはないわよ」
 痛いところを突かれてセシリアはむっとする。簡易結界を買えるだけ買い込んだが、何が起こるかはわからない。
「私もあちらに用がある。――人数が多いに越したことはない、のだろう」
「……それは」
 セシリアは絶句した。それはデイドン砦でセシリアがデュークに言った台詞ではなかったか。まさか覚えているとは思わなかった。
「それとも他に同行者がいるのか」
「……いないよ」
 リタは二日前にヘリオードへ発った。ダングレストからヘリオードに向かうギルドを探せばいないことはないだろうが、彼らに足取りを合わせる気はなかった。
 その点、このマイペースで神出鬼没な彼なら。
 セシリアは改めてデュークを見上げると、本当にいいの? と確認した。デュークは小さく頷いた。
「それじゃあ……お願いするわ。ヘリオードまで一緒に行きましょう」
「その前に一つ頼みがある」
「え?」
 とことん人にペースを合わさない男だ。気が抜けているセシリアの左腕を、デュークは唐突に掴んで持ち上げる。
「これは私の前では使うな」
「無茶言わないで。魔導器使わなかったら脆弱どころじゃなくなっちゃう」
「構わん、私が守る」
 またセシリアは絶句するしかなかった。変な人だとは思っていたが、こういう方向に変な人だとは思わなかった。今ならユーリの言に素直に頷ける。
「どうしてもいやだというなら仕方ないが」
「そんな、待って、わかった。約束します」
 あっさり背を向けようとしたデュークに、セシリアは慌てて言い募った。デュークはうむ、と満足げな声を出し、では行こうと歩き出した。長い足で大股に進む彼に、セシリアも慌てて着いて行った。なんだかおかしな展開になったと、内心幾度も首を傾げる。
「……まるで、手傷を負った獣だ」
 デュークが何か呟いた。セシリアに聞かせるつもりはなかったようだったから、独り言なのだろう。問い返す気も起きなくて、セシリアは聞かなかったことにした。
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