04:The judgment is given

「これを被ってください」
 セシリアは渡された白いヘルメットを言われるがままに被って、着いてきてくださいと言われるがままに彼女の背を追いかけた。彼女のすらりと伸びた背を見ていると、自然自分の姿勢も正される。
 きびきびと早足に進む彼女に倣っていくつかのテントを通り過ぎ、最終的に黄色の旗が下げられたテントに案内された。
「隊長。お連れ致しました」
「ご苦労、ソディア。仕事に戻ってくれ」
「ですが!」
 退出を言いつけられて、ソディアは今まで抑えていたものを顕にした。
「この女は、あの賞金首と一緒にいたんですよ!」
「私の親しい友人だ。心配は無用だ」
「う……」
 ソディアは釣り上がった目でセシリアを睨むと、失礼しますと抑えた様子で敬礼し、テントを出て行った。今までフレンを治療していた医者も、頭を下げるとソディアに続いた。
セシリアはヘルメットを取ると大きく息を吸い込んで襟元を緩めた。
「騎士の格好って見た目以上に息苦しいのね」
「そうかい。君にはあまり……似合わないね」
「ありがとう、嬉しい」
 正直に言ったフレンにセシリアは不愉快そうな声でそう答え、ヘルメットを床に置いて、フレンを見た。胸に包帯を巻いて、シャツを羽織っているだけの姿。近頃は騎士服の彼しか見ていなかったから新鮮だった。フレンは遠回りさせてすまなかったと謝った。
「いいわよ。これくらいしないと、頑固な騎士さんは通してくれないものね。そういえばまだ言ってなかったよね? 隊長就任おめでとう」
「ありがとう」
「ユーリはもう知ってるんだっけ?」
「ああ、彼も祝ってくれたよ」
 フレンは少し声を落として昨晩、と続けた。
「ラゴウ執政官のことを聞いてここへ訪ねてきたときだ」
「……そう」
 セシリアは僅かに目を細めて、慎重に相槌を打った。すう、と顔から血の気が引いていく。熱を失い冷えた頭で、フレンに訊ねる。
「どんな様子だった?」
「短気を起こすなって、釘を刺されたよ」
「誰に言ってるんだかね」
 セシリアは乾いた笑い声を立てた。
 いつもいつも短気を起こすものだから、自ら望んで貧乏籤を引いているようにさえ見える。人にはこういう星に生まれちまって辛いぜと嘆いて見せるが、たんなる格好つけにしか見えない。どんなに格好をつけたところで、彼が自身の正義に基づいて、それを外れる行いも人物も許せないと首を突っ込まずにいられない性分なのだということは、少しでも彼と関わったことがある人間には簡単に見通せることだろう。
 ――自分を犠牲にすることを爪の先ほども厭わず、誰かが犠牲になることは髪の先ほどだって許せない。
 フレンも似たようなことを考えていたのだろう、苦笑を零してからセシリアを見上げた。
「セシリアも何度も会いに来てくれたみたいだね。どうにも手が空かなくて」
「ううん。……それより、当のラゴウは?」
 セシリアもまた声を潜めて訊ねたが、いい結果が出ていないことはフレンの思わしくない表情を見れば察せられた。
「……やっぱり、騎士団じゃ限界があるわね。私、もう一回探してみる」
「でも、君寝てないんだろう」
「それは君も一緒でしょ。一晩くらい平気よ」
「そうだね。……本当に、すまない」
「フレン?」
 自分を責めるように歯を噛み締めながら俯いたフレンに、セシリアは気遣わしげな声を掛ける。
「完全に失態だ。友好協定が結ばれるという、このときに、重罪人を逃がしてしまうなんて。……それに、あのヘラクレス……」
「……お姫様も、悪い奴に連れ攫われちゃうしね」
「セシリア」
「何考えてんのかしらね、あの悪党は」
 冗談は止めてくれと顔を上げたフレンに、セシリアは笑ってみせた。吹っ切ったように見えて、どこかそれは歪だった。
 フレンは自信喪失したようにセシリアから目を逸らし、目を泳がせて、項垂れた。
「それより今はラゴウよ。遠くには逃げられないはずよね?」
「馬車を買収したとか、そういう話は聞かないな。ダングレストの中が居心地悪いのは彼も同じだろうし、外に出ればすぐに騎士団が捕まえる」
「そうよね。じゃあ、もう一度中を虱潰しに探してみるか」
 騎士団が見つけるのを待つのは性に合わない。騎士団が手を出せず、ラゴウが隠れるのに丁度いい場所があるかもしれない。セシリアはいくつか心当たりを思い浮かべて、よし、と頷いた。
 あの髭面を思い出すと、つい、目付きがきつくなる。トリム港の宿屋で爆発したような怒りが、ふつふつと静かに、少しずつ湧き上がって心を満たしていくようだった。
 ぴりぴりとした雰囲気を纏い始めたセシリアに、フレンは穏やかな低い声で話しかけた。
「……久しぶりに、ゆっくり話せてよかったよ」
「私も。怪我、しっかり治しなさいよ」
 それに絆されて、セシリアも若干甘い声になる。
「ああ。セシリアも捜索はほどほどに」
「じゃあまたね、隊長さん」
「セシリア」
 フレンはセシリアの腕を捕まえて引き寄せると、その頬に口付けをした。セシリアもお返しに、彼の頬に唇を押し付けた。フレンはそのままセシリアを抱き締めて目を閉じる。セシリアも暖かい幼馴染の肩に頬を寄せた。
 すっかり頼もしくなったその顔をお互いに見合わせて、どちらともなく身体を離す。
 セシリアはヘルメットを手にとって、出口の木枠に手を掛けた。フレンはセシリアの肩越しに、青い空を見上げる。
「……君なら、法で裁けない悪を、どう裁くんだい」
 セシリアは一歩外へ踏み出した。
 振り返り、答えようと相手の顔を見ると、フレンはセシリアを通り越して外を見ていた。
「……隊長!」
「どうした」
 駆けつけた騎士に、身を引いて場所を開ける。
 騎士は腕を胸に付けて礼を取ると、低い声で告げた。
「ラゴウ執政官が発見されました」

 ***

 ぱちぱちと火が爆ぜる音を聞きながら、ユーリは夜空を見上げていた。薄雲が掛かって、星空がところどころ黒で塗りつぶされている。柄に巻いた縄を握る左手を無意識に開いたり閉じたりしながら、しばらくそのままの格好でいた。
「……味噌焼きッ!」
「うおっ!?」
 唐突にカロルが飛び起きて叫ぶものだから、ユーリは空の彼方へ飛ばしていた心を一気に引き戻された。当のカロルは寝ぼけているらしく、起き上がった姿勢のままぼんやりしていたが、あれ、ユーリ、と呟くと目を瞬いた。
「まだ起きてたの?」
「ああ。カロルは腹減ったのか?」
「え? 減ってないけど」
 覚えてないのね、とユーリは一人呟く。カロルは首を捻ったが、大きな目を翳らせると膝を抱えて焚き火を眺めた。
「……なんか、セシリアの夢、見てた気がする」
「ふうん。ママが恋しいのか」
「なんでだよっ! ていうか、ユーリは寂しくないの?」
 カロルは慌てて声のボリュームを下げながら、ユーリを睨む。
「セシリアが残るって言ったとき、全然引きとめようとしなかったし」
「あの状況じゃ仕方ねえだろ。あいつのことだ、すぐ追いつくさ」
「だって行き先も教えてないんだよ?」
「そんなにあいつが恋しいなら、今すぐダングレストに戻ればいいんだぜ」
「ユーリ……!」
 カロルはすっかり飽きれ返ったような顔をした。
「僕だけ戻っても意味ないよ。ギルドはもう、作っちゃったし」
「なら、進むだけだろ」
「そうだけど……」
 さっさと寝とけ、とユーリは手を振って、自分も片膝を立てた格好のまま目を瞑った。
カロルはしばらくユーリを見ていたが、確認するように訊いた。
「……ちゃんと、追いかけてくるよね?」
「ああ」
 そうだよね、と一人呟いて、カロルはまた横になった。
 安らかな寝息が聞こえてきた頃、ユーリは閉じていた目をゆっくりと開く。
「……来ないかもしれないけどな」
 左手は痛いくらいに縄を握り締めていた。
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