03:A crossroads

「セシリア、遅いね。来ないのかな……」
 何度も通りの向こうを目で探しながら、申し訳なさそうに呟くと、エステルはいいんです、と答えた。
「時間はまだありますから……」
 その声にいつもの、花が咲いたような明るさは感じられない。それがもどかしかった。
二人から少し離れた場所で腕を組み、二人の話を聞くともなしに聞いていたリタは、何気なくカロルの視線を追ってあ、と口を開けた。噂をすれば。
「影」
「……セシリア!」
 待ちくたびれた、という非難と、来てくれた、という単純な喜びが込められた呼び声に、セシリアは駆け足をいっそう速め、エステルの手前で立ち止まった。
「ごめんね、待たせちゃった」
「いいえ。もっとゆっくりでもよかったんですよ」
 そばに控えた役人がわずかに眉をしかめた。そうすれば少しだけ、ここにいられる時間が延びる。その思いがカロルにもわかった。それでも、帝都に戻らなくてはならない。エステル自身がが決めたことだ。その旅立ちに暗い話題をするのはよくないと思えて、ラゴウのことは黙っていた。今騒いでも、エステルの迷惑にしかならない。当然、セシリアも同じ考えだろう、とカロルは思う。
 セシリアは、落ち込んだ様子のエステルに苦笑をこぼした。
「ね、エステル」
「はい」
「フレンのこと、よろしくね」
「……はい」
 お互いに、こういうとき何を言っていいかわからず、会話はすぐに滞ってしまう。
 言いたいこと、言うべきことはたくさんあるはずだった。これが、最後なのだから。
 セシリアは気まずさを払拭するように大きく息をいた。
「道中、気をつけて。本当は、連れ出した奴に責任もって送らせるところなんだけど」
「そうしてもらえたら嬉しいんですけど」
 どうでしょうか、と聞かれる前に、役人は大きく咳払いをした。これ以上は引き延ばせないという合図でもあった。
「姫様、そろそろ」
「……はい、わかってます」
 それじゃあ、とエステルは両手を前にそろえ、丁寧に頭を下げると、外で待機している騎士の元に静かに向かった。リタはもういない。去っていく後ろ姿を目を細めて見送りながら、この場にいなければならないはずの男に悪態を吐いた。
「あいつ、見送りもしないで」
「セシリアからも言ってやってよ。ユーリ、まだ起きないんだよ」
 カロルは憤慨したように言うと僕呼んでくる、と忙しく飛び出して行った。

 *

 カロルの後を追おうとしたとき、空が陰ってセシリアは足を止めた。甲高い、耳障りな鳴き声が轟き、続いて人々のざわめきが起こる。結界の向こうに広がる赤紫の空を、翼を広げた巨大な鳥が覆っていた。
「また、魔物……!」
 前回大量の魔物が押し寄せてきた原因は、ダングレストのさらに西にある大森林、ケーブ・モックにあるエアルクレーネの暴走が原因だった。それもどこからともなく現れたデュークによって収められ、魔物たちは鎮静化したはずだ。
 結界の外へ続く橋の上を掠める魔物に、立ち向かうのは騎士たちだ。
「……エステル!」
 今し方見送ったばかりの友人の名を叫びながら、セシリアは駆けだしていた。

 *

 魔物は、獲物が結界の中に逃げ込もうとするのを阻むように舞い降りては耳をつんざくような鳴き声をあげた。結界のこちら側に膝を着いているフレンの側にセシリアは駆け寄った。
「フレン」
「セシリア……っ、行くな」
 荒い息を吐くフレンから、橋の上へ首を巡らせる。結界の向こうにはフレンの部下の騎士たちと、彼らに囲まれた桃色の髪が見えた。
「あの魔物は、普通じゃない……っ」
 魔導師の攻撃が魔物に当たったが、ダメージはほとんどないようで、滑空する軌道はわずかもずれない。腰に下げた剣の柄に手を掛けようとしたとき、横を黒い陰がすり抜けた。
彼はカロルをつれて、一途エステルの元へ駆けていった。
「ユーリ!」
 その時、遠方からオレンジの光の弾が飛んできて、魔物の傍で炸裂した。魔方陣が浮かび上がり、魔物は苦しげな鳴き声を上げて空へ舞い上がる。さらにそれを追撃するように弾丸が発射された。
 セシリアは発射される方向を振り返り、不気味な兵装魔導器を見た。それは一つの山が蠢いているような、恐ろしい光景だった。
「ヘラクレスだ……」
「ヘラクレス……!? あんなもの隠してたなんて」
 それもこのダングレストのすぐ近くに。セシリアは驚愕する。
 魔物が橋の上を掠めたとき、ヘラクレスの攻撃が直撃した。爆風で何も見えなくなる。
煙が晴れると、橋が中心からぶつりと分断されたのが明らかになった。向こう側にユーリ達の姿を確認して、セシリアはひとまず息を吐く。よく見ればクリティア族――ジュディスらしき影も見えた。
 魔物はこの攻撃に懲りたのか、南の空へ帰っていってしまった。ユーリは懐から魔核を取り出すと、フレンに投げて寄越した。
「フレン、その魔核、下町に届けといてくれ!」
「ユーリ!」
 フレンは魔核を受け取るが、目を見開いてユーリを見つめ返す。ユーリは魔核がフレンの手に収まったのを確認すると、隣のセシリアに視線を移した。
 セシリアはその目を見つめ返した。
 橋は、数メートル分がごっそりと抉り取られていた。飛び越せる距離ではない。吹き抜ける川風の向こうに、ユーリは佇んでいた。その隣には、エステルがいる。ラピードがいる。カロルがいる。ジュディスがいる。彼はそのまま、行くつもりだ。外へと。
 そしてユーリも知っている。隔てられた向こうに立つセシリアが、その幅を越える気がないことを。穿たれた距離を目前にして揺らぎもしないその目が、そう伝えていた。ただ、そこには――驚きが含まれていた。橋に隔てられたこの場所で、向かい合っていることが信じがたいと、言うように。
「どこに行くの!」
「あの魔物の爪が届かないところまでだ! ――あいつはエステルを狙ってる」
「えっ……!?」
 セシリアはその意外な言葉に目を見張る。
「お前はどうする!」
 そう聞いてきたユーリに、セシリアは怒鳴り返す。
「私は残る!」
 ユーリはそうか、とほとんど声に出さずに言った。驚いたのはカロルだった。
「セシリア、どうして来ないの!?」
「ラゴウが正しい裁きを受けるまで、放っては置けないから!」
「それは……!」
 その通りだ。カロルは揺らいで、ユーリを見上げる。
 ユーリはその眼差しに答えることはなく、だろうな、と口の中で呟いて目を瞑り、さっと背を向けた。カロルは足元に火をつけられたような焦燥に押されて、切羽詰ったまま決意すると、改めてセシリアに叫んだ。
「じゃあ! ラゴウが見つかったら、絶対戻ってきてよ! ギルド、作ろうよ!」
「わかった!」
 カロルはセシリアの返事を聞くと、ユーリを追って踵を返した。
「セシリア」
「……その怪我、早く手当てしないと」
 フレンの台詞を制して、セシリアは心配顔で隊長を待っている部下達を示してやって、吹っ切るように歩き出す。フレンはセシリアの腕を捕まえた。
「君も治療が必要だ。この際だから一緒に手当てしてもらおう」
「え?」
「おいで」
 フレンは一瞬幼馴染の顔でセシリアを振り返ると、次には怪我の痛みを押し殺した凛々しい隊長の顔になって部下達の元へ向かった。
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