01:the happiness was damped


37:The happiness was damped



 ダングレストは騒然としていた。
 まだ少ないとはいえ騎士の姿があちらこちらで見られるようになった。噂によれば、今本部ではギルドと騎士団の協定のためドン・ホワイトホースとヨーデル次期皇帝候補の間で話し合いが持たれているらしい。
 エステルはフレンの元へ戻っていった。バルボスのことはエステルからフレンに伝えてもらうことになった。ドンへの報告もフレン経由ということになるだろう。
 その日は宿屋で休むことにした。

 同室のリタが早々と眠ってしまったので、セシリアは隣室を覗いてみる。カロルはまだ帰って来ていない。ユーリが一人で眠っていた。
 セシリアは書置きだけ残しておくことにして、街へ下りた。
 色々あって疲れは感じていたが頭が冴えて眠れない。こういうときは、飲むに限る。
 セシリアが贔屓にしていた酒場はダングレストの西にあった。セシリアは看板を見上げて、気持ちを落ち着けると扉を開けた。酒場はいつもより盛況のようだった。全てのテーブルに人が溢れ返り、椅子からあぶれたものは床に座り込む始末だ。
 耳に飛び込んでくる怒号や演説を聴いていれば、やはり話題はギルドと騎士団の友好協定についてらしい。それもほとんどは、気に食わないといった内容ばかりだった。
「セシリア!」
「あっ、店長」
 セシリアはつい身構えかけたが、すぐになんでもない顔をしてカウンターへ歩いて行った。
「どうも、お久しぶりです」
「ああ、生きてたか。どっかのギガントを狩りに一人で旅立ったって聞いてたからなぁ」
「へ? どこ情報ですか、それ」
「おーい! ビール追加!」
「はいよ」
 後ろから飛んできた注文に、店長は忙しそうにカウンターの奥へ引っ込んでいった。そしてトレーにたっぷりジョッキを載せて戻ってくると、それをセシリアに渡した。
「そこのテーブルね」
「え、ちょっと」
「店長ぉー! 焼き鳥まだぁ?」
「はいはい!」
 従業員だけでは手が足りないらしい。セシリアはトレーを運んで空のジョッキをカウンターに持ち帰った。
「じゃ、次はこれをあっちの奥のテーブルにね」
「了解」
「助かるよ」
 店長は人のいい笑みを浮かべてすぐに厨房に引っ込んでしまった。ゆっくり座れる場所もなさそうだから、手伝うか、とセシリアは決めて料理を運んでいった。
「はい、お待たせしました」
「おう遅えよ!」
「ちょっと待って、セシリアじゃないの!?」
「あ、……誰だっけ?」
 大男達に埋もれるようにして座っていた小柄な女がセシリアを呼び止めた。セシリアはその顔を見たが、どうも覚えがない。
「赤帽子の走者<ポストマン>のアルバータよ! どうして覚えてないかなー」
「ああ、そっか。ごめんごめん」
「なによ、元気そうじゃない」
 アルバータはセシリアを自分の横に連れてくると、周りの喧騒に負けないように大声を出して話し出した。
「なんか、噂によれば魔狩りの剣に入ったくせにやめたんだって? 分配作業なんかよりも宅配馬車の護衛のときの方があんた活き活きしてたから、魔狩りなんてうってつけだと思ったんだけど!」
「ないない! それより、皆はどうしてるの?」
「駄目駄目。結局幸福の市場に飲み込まれちゃった。首領は今あの眼鏡の女の下。あたしあいつ嫌いだからやめたの!」
「あー、そうなんだ。じゃあ、今はどうしてるの?」
 アルバータはここぞとばかりにビールを片手にギルドをやめてからの話を語り始めた。こちらもなかなか大変だったようである。
「んで、あんたはどうなの? 魔狩りやめてから」
「一旦故郷に戻って、その後はまあ、また旅してる」
「ギルドは?」
「今度、新しく作ろうかと思って」
「へえ。それがいいかもね。今までの全部合わなかったんでしょ?」
「まあね」
「メンバーは決まってんの?」
「うん、まあ」
 セシリアはここまで旅をしてきた仲間たちを思い出した。
 カロルはまだ小さくて、魔物を前にして震えてばかりいた。けれど、これまで散々困難を乗り越えてきて、ずいぶんしっかりしてきたようだった。子供の成長は早い。
 リタの魔術は一級品だ。だが、アスピオに篭って魔導器を研究している方が性に合っているようだし、ギルドに対して良い感情を持っていなさそうだった。
 ジュディスのような人がいてくれれば、これほど頼もしいことはない。
 なんにせよ、ユーリがいるならどんなギルドでも作れるだろう。
「何人か候補はいるかな」
「そっか。あたしも今のギルド気に入ってるからさ。あんたもそういうギルド、作れるといいよね」
「うん。ありがとう」
 そのとき店長が奥からセシリアの名を呼びつけた。まだ給仕が必要らしい。セシリアははあいと返事をしてカウンターに戻った。

 *

「バルボスはずっとドンを妬んでたって話だぜ」
「そういう部分もあったろうが、心の底では尊敬してたさ。そうでなきゃ、5大ギルドの首領なんて勤まらねえよ」
「バルボスがいなくなったら紅の絆傭兵団はどうなるんだよ?」
「新しい5大ギルドの一つにはクリストさんがなるといいわ」
「それはないわね」
 セシリアは皿をテーブルに置きながら口を挟んだ。魔狩りの剣がこれ以上大きな顔をするなんてまっぴらだった。
「ちょっと、それどういう意味よ」
 他愛もない願望を即否定された女はセシリアを睨み上げた。セシリアは無視して立ち去ろうとしたが、セシリアをじっと見ていたほろ酔い加減の男が、ふいにあ、と声を上げた。
「あんたじゃねえか? 貴族を広場まで引っ立てたの」
「そういやレイヴンと一緒にいたよな」
「え?」
「いやいや、バルボスの粛清に行ったんだろ!」
 たちまち人々が群がってきて、セシリアを取り囲んだ。口々にバルボスの最期はとか実は逃がしたんじゃねえかとか執政官はどういう奴だとセシリアを質問攻めにする。
 一度に四方八方から質問が飛び出すので、どこから答えたものかも考えられない。とりあえずセシリアはどこからか差し出されたジョッキを受け取って、一息に飲み干した。
「おお」
「いい飲みっぷり」
 セシリアは空になったジョッキをガン、とテーブルに置いた。
「で? 何を聞きたいって?」
 また人々は一斉に口を開いた。セシリアはぱっと片手を挙げてそれを制すると、まずはラゴウがいかに非道で悪辣な執政官だったかをたっぷり含ませて語り始めた。
「そこでバルボスは船を撃ち、次期皇帝候補ごと沈めようと……」
「セシリア! セシリア!」
「さらに頭に来るのがこのザギとかいう暗殺者で」
「セシリアってば!」
 人込みの中へ身体をねじ込ませ、なんとかセシリアの前にやってきたカロルは焦れたように叫んだ。
「もう、僕何回も呼んだのに!」
「どうしたの、そんなに怒って」
「ラゴウが罪を軽くしたんだよ!」
「え?」
「だから!」
 カロルはもどかしそうに説明した。拘束されていたラゴウは、評議会の権力を行使して自らの罪を軽減――裁きをほとんど無効にしてしまったという。
「なんですって!」
 セシリアは椅子を蹴り倒さんばかりに立ち上がった。バルボス戦の余韻とアルコールが彼女を激昂しやすくしていた。心地よいほろ酔い気分が全て吹き飛び、怒りが全てを燃やしていく。
「そりゃあ聞き捨てならねえ!」
「そんな奴ぁ俺達で懲らしめてやろうぜ!」
 セシリアの話を聞いていた人たちも拳を振り上げ、騒ぎ始めた。カロルはどうしよう、とセシリアを引っ張る。
「エステルに相談した方がいいかな?」
「どうかしら。でも、ヨーデルもフレンも揃ってるんだし……」
 セシリアが酒場を出ようとすると、他のギルドたちも着いて来た。皆怒りが収まらないらしい。カロルは少し戸惑ってセシリアを見上げたが、セシリアは決め込むとぐっと拳を振り上げた。
「行くわよ、皆! 貴族に私達の存在を知らしめてやろうじゃない!」
「おおーっ!」
 その中にはただ暴れたいだけの者や、酔っ払って判断がついていない者、これに乗じて騎士団に一泡吹かせてやろうと考える人間、様々いたが、とにかく二十人程度の集まりは酒場から通路を練り歩いてギルド本部へ向かった。
「お前ら、何やってるんだ」
 本部へ続く通りに差し掛かったとき、金髪の少年が集団を呼び止めた。目の下に一文字の傷がある。
「執政官ラゴウの減刑について、抗議しにいくのよ」
「ラゴウ? そいつなら騎士団に言え。騎士団は今駐屯地に戻ってる」
「ヨーデル殿下は?」
「そいつらも一緒だよ。おい、こんな時に変な徒党組んでるとドンに目ぇ付けられるぞ」
「ああ。そうか……。駐屯地に連れてったらまた戦争になりそうだわ」
 少年と話しているうちにいくぶんか酔いが冷めて、セシリアは後ろを振り返ると離散するよう手を振った。
「なんだよ、騎士団に殴りこみに行くんだろ?」
「ドンの顔に泥塗るようなこと言わないの! さっさと家に帰んなさい」
「俺達はドンを尊敬してるが、今回のことは了承したわけじゃねえ!」
「そうだそうだ! 騎士団なんかと仲良く手ぇ繋げるかよ!」
「おめえら、ドンに逆らう気か!」
 突然、少年が腹に力を込めて血の気の多い男達を怒鳴りつけた。
「俺はドンの孫ハリーだ。文句があるなら堂々と言いやがれ!」
「君がドンの?」
 セシリアはすっかり正気に戻って改めてハリーを見つめた。カロルも驚いてハリーを見上げる。彼の一言でギルド達の興奮も落ち着いてきたようで、それぞれに不満そうな顔をしながらもしばらくすると散り散りになった。
 事なきを得て、セシリアはふうと肩から力を抜くと改めてハリーに向き直った。
「世話掛けたわね」
「いや。これも努めだ。それよりあんたはどうするんだ?」
「私は今のところギルドに入ってないから。駐屯地に顔出してもいいでしょ?」
「そうなのか? それなら好きにすればいいが」
 ハリーは眉を寄せてセシリアを見つめ返した。ドンと同じ青い目が、どうせ追い返されるんじゃないかといぶかしんでいた。セシリアは問題ない、と手を振る。
「お偉いさんに知り合いがいるから」
「お偉い?」
「ハリー! ここにいたか」
 セシリアの言葉にハリーはいやな顔をしたが、名前を呼ばれて振り返った。ハリーを呼んだのはレイヴンだった。レイヴンはセシリアとハリーを見比べると、首を掻いた。
「あー、この子を口説いてもだめよ。もう将来を誓った相手がいるんだから」
「レーイヴン、相変わらず口が軽いわね」
 セシリアに笑顔で凄まれてレイヴンは冗談だってば、と情けない顔をする。
「なんだ、知り合いか」
 二人の気安いやり取りを見て言ったハリーに、まあね、と二人は同時に肯定した。
「っと、それより今忙しいんだから。ふらふらしてないで早く戻ってよ」
「悪い。酔った連中がバカやろうとしてたから止めたんだ」
「ごめんね」
「バカってなによ。まさかセシリアちゃんが?」
「あー、ラゴウのこと聞いて、ちょっと頭に血が昇っちゃって」
 ああ、とレイヴンは表情を曇らせてセシリアから目を逸らした。
「こんなときに脱走なんてねえ。騎士団の能力が疑われちゃうわ」
「脱走!?」
「逃げたの!?」
 カロルとセシリアの驚きように、レイヴンまで引っくり返る。
「なによ、あれ? 知らなかった? 俺様マズいこと言っちゃった?」
「減刑どころか、それすらも怖くて逃げ出すなんてあの髭面……!」
「許せない! まだ今なら追いつけるんじゃないかな!?」
「……マズいことだったらしいな」
 途端に憤慨しだした二人を見て、ハリーは呆れた目線をレイヴンに向けた。
「行くわよ、カロル!」
「あ、うん! レイヴン、それじゃ!」
「ちょっとちょっと、あんまり思いつめるんじゃないわよー」
 レイヴンの忠告が届く前に、二人は通りの向こうへ消えてしまった。
「まったく、昼間あれだけ働いたってのに、元気よね」
「昼間……ってことは、あいつらか。ガスファロストに同行したの」
「そうよ」
「なんていう名前だ? 女の方」
「セシリアちゃん。苗字は……アークライトだったかな?」
「セシリアか。ギルドには入ってないって言ってたな……」
「天を射る矢に勧誘しちゃう?」
「それを決めるのは俺じゃねえよ。……でも、紅の絆傭兵団に挑んで勝ったってんなら、資格はあるんじゃないのか」
「気に入ったのねぇ、彼女が。でもさっきも言ったけど、だめよ〜」
「そうじゃねえって言ってんだろが」
 ハリーはばっさりと否定すると急いでんだろと言って本部へ走った。
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