08: Don't cry stinking fish

 新興都市ヘリオードから西へと進み、海へと流れ込む川に掛かる橋を越え、平原に人の足と馬車の轍とで作られた街道を行くと、その街に着いた。
「ここがダングレスト、ボクのふるさとだよ」
「にぎやかなとこみたいだな」
 結界の下に広がる、赤煉瓦で築かれた町並みを見渡して、ユーリは活気がある街だという印象を受けた。下町の貧乏な中にもある快活さとは少し違う、粗野でどこか浮き足立った喧騒だ。
「バルボスのことを知りたいなら、ユニオンに顔を出してみるのがいいでしょうね」
 セシリアの発案に、カロルは頷いた。
「それが一番早くて確実だと思うよ」
 ユニオンとは、ギルドを束ねる集合組織のことであり、百以上あるギルドのほぼ九割がここに加入している。ギルドの中でも特に力を持つ、カウフマンが取り仕切る幸福の市場、魂の鉄槌などの5大ギルドによって運営されている。紅の絆傭兵団もその一つだった。
ユニオンは、帝国の庇護をいっさい受けていない、このダングレストを支える存在でもあった。
 天を射る矢の首領であり、5大ギルドの元首であるドン・ホワイトホースが実質ギルドの頂点だった。5大ギルドの一つである紅の絆傭兵団に手を出すということは、ユニオンを敵に回すということである。ユーリは、その辺りのことも含めて元首――ドンと一度話をしたいと考えた。
「んじゃ、そのドンに会うか。カロル、案内頼む」
「ちょっとそんなに簡単に会うって……。ボクはあんまり……」
「そうよ。相手は元首なんだから。ギルドにも所属していない私たちが会えるわけないじゃない!」
「でも、会わないわけにはいきません」
 困ったように言葉を濁したカロルと、なぜか憤慨しているセシリアに、エステルは決意の硬い顔をして言った。ここまで関わったのだ、バルボスのことを知らぬ顔して忘れるなんてできるはずがない。
「セシリア、とりあえず本部に行って交渉してみようよ」
「うーん」
 それはカロルも同じ事で、そう言ってセシリアを見上げたが、セシリアの方は腕を組んでむっつりと考え込んでしまう。
「なんか不都合でもあるのかよ」
「不都合っていうか。だってドンに会うのよ?」
 茶化すように訪ねたユーリに、セシリアは拳を作ってみせる。
「本当は、いいギルドに入って、めちゃくちゃ活躍して、ドンの耳に私の名前が届くくらいになってから会いたかった……!」
「だよね! もっとこう、ドンに認めてもらえるくらいになってから会いたいよね!」
 セシリアの熱い語りにカロルまで握りしめた腕をぐっと締める。うっとうしい、とリタはぽつりと呟いた。
「じゃあ、セシリアたちは今は会わない方がいいんです?」
「案内だけしてくれれば、話は俺たちで聞いてくるぜ」
 純粋にそう考えたエステル。セシリアとカロルは若干意地悪に提案したユーリを揃って見据えた。
「絶対行く!」
「ユーリたちだけなんてずるい!」
「なら、さっさと行きましょ」
 静観していたリタは埒が明かないとひらひら手を振って、街へと歩きだした。

 セシリアは改めてダングレストの街を見回した。露店を開いている人、道端で話している人、肩で風を切って歩く人を、さり気なく視界に入れるが、どれも知った顔ではない。ここを離れて、もう二年。
 あのとき、やめていなかったら。
 今の自分はまるで違っていたかもしれない。
 ふとそんな思いがセシリアの心に去来した。
「――あんた、何してんの?」
「え? な、なにって、べつに」
 リタに呼ばれてセシリアは意識を引き戻したが、慌てた素振でなんでもない風を装ったのはカロルだ。浮ついているのは彼も同じのようだった。考えてみれば、彼と境遇は似ているのかも知れない、と気づいてセシリアは苦笑する。
 ふと、カロルの目が一点に向けられて固定され、足が止まった。セシリアはその視線を追いかける。その先には、ならず者のような体の男が二人いた。向こうもまた、カロルに気づくと口元をいやらしく歪めた。
「ん? そこにいるのはカロルじゃねえか」
「どの面下げてこの町に戻ってきたんだ?」
 カロルが避けたがっていた――それも一番、忌避すべき類の連中だったようだ。セシリアは言われない焦燥感を覚えながら、足を止められたことに眉を顰めて腕を組む。
カロルは鞄を握り締め、ぐっと二人を睨み返した。
 男達はわざとらしくカロルの同行者を眺め回し、またにやりと愉快そうに笑った。
「おや、ナンの姿が見えないな? ついに見放されちゃったか!」
「ち、違う! いつもしつこいから、ボクがあいつから逃げてるの!」
 カロルがダングレスト行きを渋る様子を見せた理由がこれでわかったと、ユーリは一人合点した。そしてなんとはなしに、セシリアの様子を窺う。眉の辺りにありありと不機嫌が滲んでいた。ただ、口や手をだす気配はない。静観するつもりのようだった。
 男達はにやにやと笑いながら、ユーリに声を掛けた。
「あんたらがこいつ拾った新しいギルドの人? 相手は選んだ方がいいぜ」
「自慢できるのは、所属したギルドの数だけだし。あ、それ自慢にならねえか」
 あはははは、と癪に触る笑い声が上がる。ユーリはそれらを無視するようにカロルを覗き込んだ。
「こいつら、お前の友達か? 相手は選んだ方がいいぜ?」
「な、なんだと!」
「あなた方の品位を疑います」
 エステルもここぞとばかりにびしっと指を立てて二人を糾弾した。この反撃に、二人の血圧が一気に上がる。リタは半ば呆れながら感心してエステルを繁々と見つめた。
「あんた、言うわね。ま、でも同感」
「言わせておけば……」
 そのとき突然、頭に突き刺さるような音が広場に響きわたった。
 警鐘だ。
 セシリアはぱっと顔を上げて、険しい表情をする。
「魔物かしら」
 男たちは警鐘を聞くや顔色を変えて狼狽え出した。
「やべ……また、来やがった……」
「行くぞ!」
 彼らの様子をセシリアは不審に思う。この辺りは魔物の生息地だから魔物が襲撃してくることはままあることだったが、そこまで案じる必要はないはずだ。なにせここには結界がある。エステルは、地面の揺れが次第に大きくなるので、気のせいではないことを知る。
「魔物って……まさかこの振動、その魔物の足音……」
「だとすると、こりゃ大群だな」
「ま、でも心配いらないよ。最近やけに多いけど。ここの結界は丈夫で、破られたこともないしね。外の魔物だって、ギルドが撃退……」
 自分のことのように誇らしげに語るカロルにつられて空を見上げる。結界があることを示すエアルのリングがぱちぱちと数度点滅したと思うと、ふっと掻き消えた。エステルが呆然と呟く。
「結界が、消えた……?」
「一体どうなってんの! 魔物が来てるのに!」
 ユーリが止めるまもなく、セシリアが駆けだした。彼女の姿は、結界が消えたことを知って外に向かうギルドたちの中に紛れてしまった。カロルが慌てて叫んだが、彼女の耳には届きそうもなかった。
「セシリア!」
「ほっとけ。向こうでお仲間と魔物を食い止める気なんだろ」
 ラピードが付いていったから滅多なことはないだろう。ユーリはそう判断して、溜息を吐く。
「ったく、行く場所、行く場所、厄介事起こりやがって……」
「何か憑いてるのよ、あんた」
「……かもな」
「ユーリ、私たちも魔物を止めに行きましょう!」
 リタの言い分を半ば本心から認めて、今にも駆け出しそうなエステルと共にユーリは広場へ向かった。


「なんなのよ、この数は!」
 広場の途中で、セシリアは足止めを食らっていた。
 結界が途切れて、どっと魔物が押し寄せてきたのだが、その数は尋常ではない。
 それも、様々な種類が集まっている。こんな光景は、魔狩りの剣にいたときにも見た覚えがなかった。
「セシリア!」
「ユーリ」
 目の前の魔物を切り伏せるセシリアの隣に、ユーリが追いついた。リタもエステルも、カロルもそれぞれ魔物に向かう。なんとか通りへの進入は防いだが、後から後から切れ目なく魔物は現れた。それでも片っ端から切り捨てながら、徐々に広場の方へ押し返す。
「さあ、クソ野郎ども、いくらでも来い。この老いぼれが胸を貸してやる!」
 それは深く、苔蒸した山が声を発するならこんな風だろうと思われる――聞く者の腹の底を揺さぶるような、声だった。セシリアは一瞬敵の存在を忘れて、振り返る。
「――ドン!」
 白髪を後ろに撫でつけ、顔に赤い入れ墨を施した老人、それが天を射る矢首領にしてユニオン元首、ドン・ホワイトホースだった。
 しかしその動きは年老いていることをまったく感じさせない、力強く鋭敏なものだった。
次々と魔物をなぎ倒していくさまはすべてを押し潰すようで頑強な岩のようである。
「あれが……」
 ユーリも、彼の人間離れした強さに目を奪われた。
「魔物の討伐に協力させていただく!」
 通りの向こうから、さらに現れたのはフレンだった。思ったよりも早い再会を喜ぶよりも先に、来てはいけないとセシリアは思った。
「騎士の坊主はそこで止まれぇ!」
 セシリアが制止を掛ける前に、ドンが魔物に切りつけながら叫んだ。
「騎士に助けられたとあっては、俺らの面子がたたねえんだ。すっこんでろ!」
「今は、それどころでは!」
 ドンは魔物を食らった大振りの刀を一振りすると、肩に乗せ仁王立ちして天下に轟く大声で言った。
「どいつもこいつも、てめえの意思で帝国抜け出してギルドやってんだ! いまさら、やべえからって帝国の力借りようなんて恥知らずこの街にはいやしねえよぉ!」
「しかし!」
「そいつがてめえで決めたルールだ。てめえで守らねえで誰が守る!」
 その言葉は、セシリアや騎士団だけでなく、ユーリの心にも強く訴えるものがあったようだ。驚いたように、だがようやく求めていたものに会えたと喜ぶように、その薄い唇が珍しく皮肉の色なしに弧を描く。
「何があっても筋は曲げねえってか……なるほど、こいつが本物のギルドか」
 セシリアはフレンに駆け寄ると、通りの方へ促した。
「ここはいいから、あっちに! 向こうの通りはたぶん手薄だと思うから」
「セシリア」
 フレンは一瞬、既に魔物に向き直って背を向けているドンらの方を一瞥すると、セシリアの示した方へ部下を引き連れて移動した。セシリアは全力で走りながら、フレンに頼む。
「街の中では戦わないで。ギルドを尊重してくれるなら」
「――わかった。では街の外で食い止めよう」
 真面目な顔で頷いたフレンにセシリアは微かに笑みを零して肩を竦め、向こうから現れた魔物に対して構えを取る。
「ただ、自分の身の安全を、自分で守るのは当前のことよね」
 そうだね、とフレンは口元に小さな笑みを浮かべ、剣を抜くと石畳に足を踏ん張り、魔物を迎え撃った。あらかた魔物を倒した後、セシリアはフレンに求められて渋々結界魔導器の元へ案内した。いくらフレンとはいえダングレストで起きた事件に騎士を関わらせるのは気が進まなかったが、リタがこちらへ向かっているかもしれないと考え直した。そしてその目算はやはりと言うべきか、的中だった。
 階段で登った先にある高台に据え付けられた結界魔導器の側にいるリタと、階段の下で佇むユーリ、カロル、エステル。そしてその足下に伸びる赤い眼鏡の男たち。
 フレンはエステルに黙礼してから、ユーリに声を掛けた。
「こっちも大変な騒ぎだね」
「なんだ、ドンの説得はもう諦めたのか?」
「今はやれることをやるだけだ。それで、結界魔導器の修復は?」
「天才魔導士様次第ってやつだ」
 ユーリは高台のリタを見上げた。復旧するのにどれだけ時間が掛かるのか。セシリアはもう一度広場に戻ろうかと考えたが、その前に知りたいことがあった。それはユーリも同じであったようで、静かに話し出した。
「魔物の襲撃と結界の消失。同時だったのはただの偶然じゃないよな?」
「……おそらくは」
 フレンは表情を変えずに答えた。
「お前が来たってことは、これも帝国のごたごたと関連ありってわけか」
「わからない、だから確かめに来た」
「……確かめに?」
 そのとき、リタができた、と声を上げた。空を見上げると、見慣れた白い輪がダングレストの上空を覆っていた。後は結界の中に残った魔物を纖滅するだけだ。大きな被害が出ずに終わって、セシリアはほっと息を吐いた。
prev * 34/72 * next