07:  A friend indeed

 一晩休んで、ユーリたちは宿を出ると騎士団本部に向かった。理由の一つはここヘリオードを守る結界魔導器が不穏な音を立てているのが気になるので、フレンに調査をしないのか訪ねること、もう一つはエステルに挨拶をすることだった。今日、ユーリたちはダングレストに発つ。その前にエステルに別れを告げなければならない。
 騎士団本部にはちょうどいい具合にエステルとフレンがいた。
「すぐに騎士団を動かせなくてね」
 とフレンは言った。出発にはまだ掛かるらしい。
 エステルは、それまで皆と一緒にいたいとフレンに頼んだ。フレンはユーリが頷くのを見てエステルに答えた。
「わかりました。ただし、戻るまで、ですよ?」
「はい。フレンに迷惑はかけません」
 エステルは弾んだように振り返ると、うれしそうな笑みを向けた。無邪気に喜ぶカロルに加えて、リタも口元を綻ばせていた。ユーリはフレンにもう一つの用件を切り出した。
「なんか、結界魔導器が変な音出してるけど、平気か?」
「それが気になって、わざわざ顔を出したのか。相変わらず、目の前の事件をユーリは放っておけないんだな」
「俺がっていうか、こっちの……」
「様子がおかしいのは明白よ。あたしに調べさせて!」
 腰に手を当てて強気な態度を取るリタに、フレンは静かに首を振った。
「今、こちらでも修繕の手配はしてあるんだ。悪いが魔導器を調べさせるわけにはいかない」
「なんでよ!」
 突然、地面が揺れた。広場の方から大きな音が聞こえて来た。気がついたときには、リタはもう飛び出していた。広場ということは魔導器だろう。リタの魔導器に関する嗅覚は敏感で鋭く、正確だ。
「行くぞ!」
「エステリーゼ様はここに!」
 ユーリに続いてセシリアも走る。エステルは動き掛けて、フレンの制止にその場に押し止まった。

 セシリアは広場の方を見て、手を翳して目を庇った。何かが眩しく輝いていた。目を細めてなんとか状況を確認すると、それは広場の中央に設置された結界魔導器だった。螺旋状に捻った本体が異常な光を発していた。セシリアは広場に向かったユーリたちの背を探す。ユーリは魔導器に向かって走るリタの腕を掴んだ。
「ちょっと離して! この子、ほっとけないのよ!エアルが馬鹿みたいに出てる。このままじゃ命に関わるわ!」
「お前だって危険じゃねえか!」
 そのとき、魔導器が一際強くエアルを放出した。衝撃をまともに浴びてユーリは倒れる。その拍子に自由になったリタは、痛む身体を押して魔導器に向かっていった。
「ぐ……! あの魔導器馬鹿!」
「リタ……!」
 セシリアはなんとかユーリの隣まで進んだが、それ以上はどうしても無理だった。魔導器の周囲にエアルが充満していて、重く身体にまとわりつく。リタはそのエアルの中、なんとか魔導器に到達し、パネルを開いて調節を始めた。
「市民を街の外へ誘導だ。あと姫様を含めた彼らも」
「はい」
 騎士団長アレクセイもこの騒ぎに気がついて、フレンにそう命令を下した。そして厳しい表情で発光する魔導器を見据えた。
「……エアルの暴走だ。どうなるか想像がつかん」
 リタの元へはどうしても近づけなかった。ユーリは広場から這うようにして逃げてきた男の腕を引っ張り、脱出を助けた。逃げまどう市民を、騎士たちが声を張り上げて誘導する。どこまで逃げればいいのか、どんな被害があるのか、誰にもわからなかった。
「な、ば、爆発だって! 冗談じゃないぞ!」
 広場に尻餅をついていた市民の一人がそう叫んで、慌てて逃げようと地面を掻いた。
「皆逃げろ! 急げ!」
「早くこっちに……!」
 こちらに必死で逃げてくる人に手を伸ばしたときだった。セシリアの隣を、桃色が駆け抜けていった。
「……エステル!?」
 セシリアの驚きを含んだ声に、ユーリはエステルが我慢できず飛び出してきたことを知った。なにしてやがると怒鳴りつけてやろうと振り返ったが、その顔はセシリアと同じように驚愕に変わった。
「あいつ……!?」
 エステルは濃厚なエアルをものともせず、リタの元へ辿り着いた。同じくエステルを叱ろうとしたリタもまた、そのエステルの姿を見て目を見開いた。
「エステリーゼ……」
 彼女は輝いて見えた。魔導器の光とは違う。その光は彼女の内側から溢れ、彼女の全身を照らしていた。はっとリタは魔導器の音が大きくなったことに気づき、止めていた手をまた素早くパネルの上に滑らせ始めた。
「これでよしっ……きゃあああ!」
 一瞬、光が収束していくかのように見えた。次の一瞬、魔導器が爆発したような轟音が轟き、強い波動を周囲に放射した。身構える余裕もないほどの早さで波動は広範囲にまで及んだ。セシリアは身を守ることもできず簡単に吹き飛ばされ、石造りの橋の壁に激突した。
「……セシリア!」
 ユーリは急いでセシリアの元に駆け寄った。ぶつかった反動でうつ伏せに倒れた彼女は、ぴくりとも動かない。どうやら第二波は来ないようだ。すべてのエネルギーを放出しつくした魔導器は、不気味に静まっていた。
「しっかりしろ!」
 ユーリは慎重にセシリアの身体を上向きにした。額からは血が一筋流れていた。身体を調べてみたところ、それ以上の怪我はなさそうだった。衝突したショックで意識を失ったものとみえる。ユーリは何度かセシリアに呼びかけたが、瞼が開かれてそれに答えることはなかった。
「……くそっ」
 フレンが脇を通り過ぎ、床に倒れたリタと、彼女に治癒術を掛けるエステルに駆け寄った。
「エステリーゼ様!」
「リタを……休ませる部屋を……準備してください……」
「何言ってやがる。お前もぼろぼろじゃねえか!」
 ユーリはセシリアを抱き上げながら、なお他人を気遣うエステルに言った。駆けつけたフレンがリタを請け負い、宿の手配をさせた。広場の一角にうずくまっていたカロルにユーリは声を掛ける。
「カロル、立てるか?」
「う、うん。セシリアは!?」
「……気を失ってるだけだ。俺たちも行くぞ」
 カロルはユーリの腕の中でぐったりしているセシリアに気づくと、よろけながら立ち上がった。

 向かってくる魔物。セシリアは剣を構えなおしたが、こめかみに違和感を覚え思わず目を瞑ってしまう。背後に控えていたリタはセシリアが動かないことに気づき、急遽ファイヤーボールの方向を変え、セシリアの目前まで迫っていた魔物を吹き飛ばした。
 軽い眩暈が治まり、セシリアは魔物がいなくなったことを確認して剣を鞘に収める。礼を言おうとリタを振り返ると、いつの間にかすぐ後ろにいて度肝を抜かれた。
リタは腰に手を当て、セシリアを睨み上げた。
「どういうつもりよ、あんた!」
「あは、ごめん。リタが控えててくれるから大丈夫かなって」
「それで気を抜いたって言うの? 冗談じゃないわよ!」
 険悪になっている二人を、カロルは遠巻きに見ながら窺うようにユーリを見上げた。ユーリは首を傾げて見せて、休む体勢を取った。
「前衛がしっかりしてくれなきゃおちおち詠唱もできないでしょ! わかってんの!?」
「うん。わかってるよ。もうしないから大丈夫。ごめんね」
 セシリアは真摯に謝っているつもりなのだが、ついつい目元が緩んでしまうのを隠すことができなかった。あれくらいの眩暈なら、勘に頼って剣を振り抜くこともできただろう。けれど、こちらに気づき、一瞬の躊躇もなく援護射撃をしてくれる気配を背後から感じてしまい、つい――頼ってしまった。
 幼いながら魔術に長けた彼女の存在は、ユーリやフレンとは違った安心感を得ることができた。
「謝ればいいってもんじゃないでしょ!」
「あの、リタ」
 二人の顔を交互に見ながら弱りきっていたエステルは、今しかないと判断しておずおずと口を挟んだ。
「そんなにセシリアを責めないでください。セシリア、もしかして、まだ体調が悪いんです?」
 優しい色をした瞳を、セシリアは苦笑して見下ろした。複雑な思いが去来する。
「……ちょっと眩暈がしただけだよ」
「余計悪いわよ。体調管理くらいしっかりしてもらわないと困るし」
 リタは気短く、投げつけるように言う。休憩しながら様子を見ていたユーリはそろそろかと腰を上げた。
「じゃ、セシリアは二軍落ちな」
「そうしなさい。不確定要素はいらないんだから」
「ひどいなー」
 リタの辛辣な言葉に傷ついたような顔をしつつ、ここまで言われたら仕方ないとセシリアは引き下がることにした。自分ではもう回復したつもりだったのだが、ヘリオードでの一件がまだ響いているのかもしれない。
 エステルに別れを告げてヘリオードを発とうとした日のことだ。ヘリオードの広場の中央に設えられていた結界魔導器が誤作動を起こした。リタがなんとか対処したがエアルが爆発を起こし、それにセシリアも巻き込まれた。
 まともにそれを喰らったリタが今は元気に戦っているのだから、セシリアの受けたダメージなどたいしたことないものだと思ったのだが。
 カルボクラムでも一人だけ強くエアルの影響を受けたし、エアルに酔いやすい体質なのかもしれない。それが本当なら厄介だ。セシリアは頭を抱えた。その時、エステルの治癒術が発動され、セシリアを癒した。
「念のため、です」
 エステルは控え目にそう言うと、尖頭を行くユーリ達を追いかけて小走りに行ってしまった。ヘリオードを出てから、彼女は少し余所余所しい。セシリア自身も、普通に接すればいいとわかっているものの、どうも上手くいっていなかった。
 どうしてエステル――エステリーゼ姫が、まだセシリアたちと共にいるのか。そこが二人の態度のぎこちなさの理由だ。
 結界魔導器が落ち着いた後の広場でのことだ。エステルを迎えにくるはずのフレンは現れず、代わりに騎士団長アレクセイが顔を出したのだが、話の流れはどうもおかしな方向に向かい、騎士団にケーブ・モック大森林の調査を依頼されたリタに同行することになったエステルを、ユーリとセシリアが護衛する、ということになった。
 ユーリ、ラピードとセシリア、そしてカロルの当初の目的はダングレストだ。だから、ケーブ・モックに向かうのはその後という取り決めになっている。今、セシリア達はヘリオードを出て西へ進み、ダングレストへ進路を向けていた。
「眉間に皺、寄ってんぞ」
「え」
 歩調を緩め、最後尾にいたセシリアに並んだユーリは面白そうに言って、セシリアの眉間を突いた。
「最後にフレンに挨拶できなくて寂しいなって思ってただけよ」
「あいつなぁ」
 ユーリは呟いて、リタの隣で何かを話している少女に目を向ける。セシリアもその視線を追った。フレンはエステルを迎えに現れなかった。事情が変わったのかなんなのか、まだ姫が帝都に戻る次期ではないと判断した、ということだろうか。
「アレクセイ騎士団長も、よくこんなチンピラに大切な姫様を預けようと思うわよね」
「まったく、期待が重いね」
 セシリアの嫌味をユーリは軽く受け流す。
「お前は、皇族様に頭を下げたのがさっそく無駄になった形か」
「別に無駄だとは思わないけど」
 少なくとも、予想外の形であったことはセシリアも否定しなかった。ふと、エステルがこちらを振り返った。エステルはリタの手を掴んで走り寄ってくる。カロルとラピードもなんだなんだと追いかけてきた。リタは引っ張られた手と反対側に顔を逸らし、気まずそうに、いかにも自分は関係ないと言いたげな表情をしていた。
「今、配置をリタと考えていたんです」
 そういうと、エステルは地面に丸を書き始めた。
「前にカロルとラピード、左右にリタと私、一番後ろにユーリで」
「この中央の丸がこいつなのか?」
「はい。完璧ですよね?」
「いやいや」
 やけに意気込んで確認するので、セシリアは思わず頬を緩めた。
 何を話し込んでいたのかと思ったら。本当に、この子は。
 セシリアはエステルから棒を取り上げると、中央の丸と、その右に書かれた丸を交互に指した。
「ここはエステル。こっちが私」
「え、でも」
「私はあなたの護衛を依頼されたんだからね」
 ちゃんと守らせてよ、とセシリアはエステルの頬を右手で包んだ。エステルは戸惑ったように瞬きをして、はい、とかでも、とか口篭りながら結局微笑んだ。リタは腕を組んで、唇の端を意地悪に歪めて流し目でセシリアを見た。
「守る立場の奴がさっきは守られてたけどねー」
「リタが守ってくれたじゃない」
 問題ない問題ない、と能天気にセシリアが言うと、あれは別に守ったわけじゃないしこっちに飛び火してきたら面倒だっただけでつーかあんたが危なっかしすぎんのよ、とリタは必要以上に力んで弁明した。最初は否定のつもりだったらしいが、言葉を重ねるほどに内容が変わっていた。
「充分戦える人を守るなんて労力が無駄じゃないの」
「でもリタ、セシリアは今体調が悪いんだよ」
「だから今は戦うなって言ってんでしょ」
「じゃあ、えっと、ここはこうするってことで!」
 カロルの突っ込みにイライラとリタは言い返す。エステルは自分の頬を摘んだりくぼませたりして遊び始めたセシリアの手を引き剥がして、地面に書いた配置図を訂正した。
右にあった丸が消され、中央に丸が二つ並ぶ。
「……だ、だめです?」
 配置図を見下ろしたまま何も言わない皆に、エステルは誤魔化し笑いを浮かべる。
「右側がら空きじゃない」
「じゃあラピードがこっちだな」
 リタがそう言うと、ユーリは落ちていた石を拾って前方の丸の片方を消し、右側に移動した。
「ワフ」
「ええっ、ボク、尖頭一人!?」
 ラピードは了解と言うように鳴いたが、前方に一つぽつりと残された丸を見、一拍置いてカロルは慌てたように皆の顔を見回した。
「任せたぜ、切り込み隊長」
「き、切り込み!?」
「魔物が現れたら先陣を切って飛び込むのよ」
「ええっ!? でもっ」
「カロル、私もセシリアも後ろに控えてますからっ」
「だからあんたたちは戦力外なんだって」
「そうそう。ここはカロル先生の胸を借りて、お前らは安心して守られてろって」
「ユ、ユーリ」
「そうです? でも……」
「じゃ、一回くらいは任せようかな」
 ね、エステル、とセシリアがエステルの肩を叩くと、エステルもそうですね、と消極的に頷いた。こんなにも大切な――世界にとって重要な人を、フレンが信頼して預けてくれたのだ。何があっても守らなければいけない。セシリアはエステルの柔らかな面差しを見ながら、一人心の中で誓った。

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