01:Home

 均されて白い土がむき出しになった街道から、赤茶色の煉瓦が敷き詰められた通りに足を踏み出したところで立ち止まる。
「……帰ってきた」
 帝都の中心にそびえる結界魔導器《シルトブラスティア》を見上げて、セシリアは一人呟いた。
故郷に戻ってきたという喜びがじわじわと胸を満たしていく。
 帝都ザーフィアス。
 この世界テルカ・リュミレース最大にして唯一の帝国である。
 セシリアは都の影に隠れるようにして結界の恩恵に預かっている下町で生まれた。
 貴族街に住むことを許されず、市民街から落ち零れた貧しい人々が肩を寄せ合い、支え合って毎日の生活を営んでいるこの町が、セシリアは大好きだった。
 いくつかのギルドに所属したくさんの街を見て来たが、下町に帰ってきて改めて、懐かしい家に戻ってきたという安心感が湧いた。
「おお、セシリアじゃないか!?」
「ハンクス!」
 セシリアは老人を見付けると顔を輝かせてその細い身体を抱き締めた。
 両親のいないセシリアにとってはほとんど家族のような人だ。
 ハンクスの方も孫同然のセシリアの帰省に喜び、健康であると確認すると安心したように髭に隠れた口許を綻ばせた。
「元気そうじゃの。それに背も伸びたようじゃ」
「お陰さまで。ハンクスも相変わらずね」
「年寄りにゃあ二年も三年も同じじゃわい。それより、どうした。とうとうお前さんもギルドを追い出されたのか?」
「違うわよ。私の方から出て行ったの!」
 セシリアは憤慨して腕を組んだ。外に出て成長したかと思えば、すぐに感情的になるところは相変わらずらしい。
 軽口を叩いただけだったのに、本当にギルドを止めたと知ってハンクスは内心目を見張った。
「そうかい。なんというギルドだね」
「退魔ギルドの魔狩りの剣よ」
「ほう、お前さんにぴったりそうなギルドじゃの」
 茶化して言ったハンクスに、セシリアはやめて、と手を振った。
「あれは退魔っていうより、魔物殲滅部隊ね。ちょっと行き過ぎだわ。魔物への恨みが尋常じゃないもの」
「そうか? だが、お前さんだって……。それで、またどうして戻ってきた?」
 ハンクスは言い掛けて止め、話題を変えた。
 セシリアの両親は魔物に殺されたのだ。それを思えば魔物を憎む気持ちを彼女が抱いていてもおかしくはない。
 だが必ずしも憎しみに囚われることはないようだと考えを改めて、ハンクスは彼女の表情を見て目を細めた。
 セシリアはハンクスの動揺に気付かず、不味い質問をされたとありありと顔に出して苦笑いした。
「あー、なんていうか、近くに寄ったから、かな?」
「なんじゃそれは。手土産の一つもなしに」
「お土産? あっ、あるある。ほら!」
 セシリアは思い出したように肩に掛けていた鞄を漁るとバングルを取り出した。
「じゃーん! 幸運の御守り。身に着けると運が0.6%アップ!」
「……寄っただけっちゅうことは、またすぐに発つのか?」
 ハンクスは何も見なかったように話を続けた。セシリアはバングルを鞄にしまいながらどうかな、と曖昧な返事をする。
 これはどうも怪しい、とハンクスは下唇を突出した。
「まあ、せっかく戻ってきたんじゃ。箒星の連中やお女将さんにも顔を見せてやりなさい」
「うん。そのつもり」
「それから、あの不良に会ったら今度こそ一緒に連れて行ってやれ」
「不良?」
 セシリアは首を傾げる。
 ハンクスの言い方からして彼女と親しい相手だろうが、不良という表現の似合う人物が咄嗟に浮かばなかった。
「わしはまだ仕事があるから行くよ」
「あ、うん。私下宿にしばらくいるつもりだから、来てよね」
「暇がありゃあな」
 別れの言葉もそこそこに、ハンクスは坂道を降りて行った。


 ***


 セシリアとフレン、ユーリは、何をするにも一緒だった。
 年が同じだったということもあるだろう。共に遊び、悪戯を考え、剣を振るう練習をした。
 三人それぞれ価値観が違い、ときにその違いが浮き彫りになり衝突することがあっても、大抵一人が間に入って仲裁をした。
 そんな三人の道が初めて別れたのは、騎士団入団の時だ。
「この世界は間違ってる。僕は騎士団に入って、それを正したい」
「ああ、貴族ってだけで威張ってる奴等の鼻っ柱を潰してやろうぜ」
 ユーリはセシリアも当然そうするだろうと思って、な、とセシリアに話を振った。だが、笑っているだろうと思っていたセシリアは真剣な顔でユーリを見ていた。
 ユーリは面食らって、物言いたげなセシリアを見つめ返す。
「なんだよ?」
「私、入らないよ」
「セシリア、どうして?」
 フレンも予想外だったらしい。やっぱり驚くよな、と変な安心を覚えながらユーリはフレンの顔を眺めた。
 フレンはまっすぐにセシリアを見ている。セシリアも一歩も引かない強さを秘めてフレンの視線を受け止めた。
「騎士団に入って、間違いを正そうっていう考えはすごくいいと思うよ」
「だったら」
「でもね、たぶん、私には騎士団は合わないと思うんだ」
 この答えに、フレンはなんだそんなことかと眉を下げた。
「そんなこと言ったら、ユーリだってそうだろ? ユーリが騎士の格好をして、上官に敬礼するところなんか、想像できる?」
 フレンに指差されて、ユーリはムスッとした。自分でも柄じゃないと思うが、大義のためならそんなことは些細なことだ。
 だがセシリアは違ったらしい。
「二人は騎士団で頑張ってよ。私は他の方法を探すから」
「他って?」
 フレンの問いに、セシリアはにっと笑った。
「今、宿屋にダングレストから来た人達が泊まってるでしょ」
「ああ」
「あの人達、商人ギルドなんだって。デイドン砦から、またダングレストに戻る途中だそうなの」
 セシリアの輝いた表情を見て、ユーリは嫌な予感を覚えた。フレンもその予感を否定したいという調子で、セシリアの言葉を遮った。
「まさか……君、それに着いて行くなんて言わないよね」
「あれ、わかった?」
「本気かよ! 結界の外に行くのか!?」
 ユーリは思わず大声を上げた。結界の外には恐ろしい魔物が犇いている。セシリアはつんとして素っ気無く言った。
「そうよ。結界の外には想像できないくらい広大な世界が広がっているわ」
「そういえば、よく旅をしたいって言っていたね。……じゃあ、本気なんだ」
 セシリアは山々の彼方に沈んでいく夕焼けを見つめて、よく外界への憧れを口にしていた。
 ユーリやフレンも、身体を鍛え、いつか外に行くんだと思っていた。
 だが、その時を迎えるのは三人一緒にだ。こんな形で迎えるのは、違う。
 ユーリは怒りを覚えた。ずっと、同じ道を歩いてゆけると思っていたのに。
「……そうかよ。じゃあ勝手にしろ」
 ユーリは短く言い放って、立ち上がった。セシリアが何か言い掛けたが、聞きたくなかった。
 これ以上一緒にいたら、暴言を吐いてしまいそうだった。

 ずっと一緒に、なんて現実的に難しいことはわかっている。セシリアはよく考えて、この結論を出したに違いない。その気持ちは尊重してやりたかった。
 宿屋を出て、空を見上げる。
 藍色の夜空に結界の光が浮かび上がる。
 尊重してやりたい、が、やっぱりいやだ、と幼い自分が駄々をこねる。
 ユーリは結界越しの星の光を網膜に映しながら、セシリアの顔を思い浮かべた。
「わかってるよ。見送るときは、笑ってやるさ。最低五年は頑張れよってな」
 清々しい夜空を見たら、気が晴れたようだ。これならセシリアの旅立ちを祝ってやれる。道は別れてしまっても、志は同じだ。
 ユーリは騎士団へ入る決意を新たにした。

 数日後、ユーリとフレンは入団し、それを見届けた後セシリアはダングレストに向かって旅立った。
 始めは順調に行っているかに見えたが、しかしすぐに無理は出てきた。実力主義だと思っていた騎士団内で実際に権力を振るっていたのは貴族出身の弱い者ばかり。
 ユーリは騒ぎを起こし、結局騎士団を飛び出してしまった。

 一方、セシリアはダングレストで簡単な任務をこなすギルドに入れてもらった。しかしすぐにそれでは物足りなくなり、護衛ギルドに移った。帝都を出て二年、色々なギルドに入ったがどうも自分のやりたいことと反りが合わず、煮詰まったセシリアはふらりと故郷に帰ったのだった。
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