05: Treasure every encounter



「くっ……」
 魔物の皮膚は硬い。それに巨大すぎて、浅い攻撃しか当てられない。その打撃は重く受け止めたらこちらの骨が折れそうだ。攻撃の素振を見せられたら逃げるしかなく、ようやく縮めた距離もすぐに開かれるのでなかなか有効打は与えられなかった。
「スプラッシュ!」
 リタの魔術を受けても一瞬怯むだけで、隙を作ることすらままならない。皆の心に焦りが生まれていた。これほど厄介な相手がいるなんて。
 それと同時に、セシリアは仲間の姿が一つ見当たらないことも気になっていた。いつもなら小さな身体でフィールドを駆け回りスタンプを打つカロルが、どこにもいない。まさか、と思う気持ちを無理矢理押さえつけ、まずはこいつをどうにかしないことには、と魔物に意識を集中させた。
「フォトン!」
 エステルのフォトンが三発目にして魔物を捕らえる。魔物は声を上げて前足を振り上げると、エステルの方へ身体を向けた。エステルは身構えて敵の出方を待つ。しかし、一向に動こうとしない魔物に気づいてユーリは眉を寄せた。
 と、突然魔物は一声鳴くと重い身体をゆっくりと反転させ、そのまま戦闘の衝撃でまた崩れたのだろう、壁に空いた大きな穴の方へと行ってしまった。
 戦闘放棄してしまった魔物に皆は拍子抜けする、が、助かったことに代わりはない。ひとまず安堵の息を吐いた。


 *


「全ての魔物はな! 俺様に殴られるために、生まれてきたんじゃー!」
 崩れ始めた建物の中で、ティソンの咆哮が響く。魔物と対峙して磨り減った神経を逆撫でされて、セシリアは苛立たしくティソンを睨んだ。
「そこうるさい! さっさとあんたも逃げなさいよ!」
「極上の獲物を前に命が惜しくて逃げ出せるか!」
「馬鹿じゃないの!?」
「つーかお前! お前だよ!」
「なによ!」
「お前、また魔物を逃がしたな!」
「またってどういう意味!? 私、もう魔狩りの剣とはなんの関係もないし!」
 過剰エアルに苦しんでいたときの反動か、先ほどまでの弱々しさは微塵もなく喧嘩上等とばかりに挑発的な切り返しをしてくるセシリアに、「かァーッ」とティソンは悶えるように身を捻る。
「これじゃ気が収まらねえ。セシリア、ここであのときのけじめをつけてもらおうか!」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
「師匠、危険です!」
 ナンが切羽詰った声で叫び、クリストは崩れ始めた天井を見上げて渋々といった具合に刀を納めた。セシリアはナンとティソンを見比べて訊ねる。
「ねえ、あんた弟子を取ったの!?」
「関係ねえだろ!」
「似合わないー!」
 そう叫び返すやセシリアは腹を抱えて笑い転げた。うるせぇとティソンは怒鳴り返す。やけに仲良しだな、とユーリは内心苦笑した。ガラガラと瓦礫が崩れ落ち、砂埃が舞い上がる。
「セシリア、再会を惜しむ気持ちはわかるがそろそろ行かねえとやばいぞ」
「惜しんでないわよ! 別れられてせいせいするわ!」
 ユーリに促されて、セシリアは外へ駆け出しながらティソンを振り返った。
「じゃあね! もう二度と会わないことを祈る!」
「てめえ、今度会ったらきっちりけじめつけてもらうからなぁ!」
「ティソン、行くぞ」
 クリストに窘められて、ティソンはけっと唾を吐いた。ボスの言葉には逆らえない。踝を返したクリストに倣いながら、しつこくセシリアを振り返る。
「いいか腰抜け、次会ったら覚えてろよ!」
「何をよ。忘れとくわー!」
「けっ、腑抜けが!」
「魔物狂いじゃないだけまし!」
「このっ」
「ティソン!」
 駆け戻ろうとしたティソンをクリストが一喝する。セシリアはもう振り返らず、ユーリの背を追っていた。ティソンはその後姿をじっと睨み付け、断ち切るように背を向けた。
 つまらないことに時間を取られてしまった、とセシリアは足を速める。リタは怪我を負った竜がふらふらと天井から外へ出て行くのを何も出来ずに見送って、地団駄を踏んだ。
「あー、もう! あたしもあのバカドラ殴りたかったのに!」
「待ってください、カロルはどこに!?」
「その辺にいないところをみると、先に外へ出たんだろ。探しながら行くぞ」
 了解、と答えようとしてセシリアはバランスを崩して瓦礫に躓きそうになった。なんとか堪えたが、視界の揺れは収まらなかった。まだ地鳴りがしているのかと思ったが、違う。
気持ち悪さは収まるどころかどんどん振幅を増し、建物を出たところでとうとうセシリアは足を止めた。ユーリたちはもう先まで走って行ってしまっている。こんなに遅れてるのに気づかないなんて、薄情者。
 呼び止めようと口を開くと吐き気が襲ってきて、口を押さえた。
 エアルに酔った後遺症だろうか。リタがいれば原因を突き止めてくれたかもしれないが、どうやら後ろを振り返る暇はなかったようだ。
 しばらく休まないと動けそうにない。そう判断して、セシリアはその場にしゃがみ込んだ。そのうち誰かが気づいて、引き返してくれるだろう。
 こめかみがずきずきと痛み、平衡感覚が狂う。他の皆は平気なのだろうか。自分だけ、だろうか。
 かさ、と草が踏み分けられる音がした。ユーリ、と呟いて顔を上げる。戻ってきてくれたんだ。
「……お前は」
「あ……」
 そこにいたのは銀髪の青年だった。
 彼はセシリアを見て僅かに目を見開いた。そのまますい、と目線を前方に戻すと、セシリアの前を素通りして大きな泉の前に立ち尽くした。
「……エアルが流れ出した痕跡が……。しかし、エアルはどこへ……」
 何事かをぶつぶつと呟いている。たった一人でここに来たらしい。何してるの、と訊ねようとしたが眩暈が酷くなりセシリアは頭を抑えて蹲った。これはやばいかもしれない、と頭の片隅で自身の限界を測る。ふいに意識が遠くなった。
 瓦礫の上に腰掛けていたセシリアの身体がぐらりと傾ぐ。地面と激突する頃には意識を失っているから痛くないかも、と朦朧とした頭で考えた。だが、衝撃は来なかった。
 すぐ耳元で低い声が呟いた。
「……余剰エアルを上手く処理できないのだな」
 デューク?
 彼がいつの間にか間近に来たことだけは辛うじて察した。同時に焼け付くような吐き気を感じて呻く。デュークが動く気配がした。続いて、不思議な光がどこからともなく生まれ、セシリアの周囲を照らす。そして何か、生温い風のようなものが身体を包み、内臓を駆け抜けていった。その風は締め切った部屋に淀んだ空気を吹き飛ばすように、セシリアの中に溜まっていた悪寒の原因を浚って行ってしまった。
 すっかり軽くなった身体に驚き、眼を瞬きながらセシリアは顔を上げた。思ったよりもずっと近くに、潤った果物のような赤い瞳があった。
「どうだ」
「……楽になった」
 気持ち悪かった気分がすっかり治っていた。セシリアは立ち上がってみて自分の体調を確認する。もう眩暈も頭痛も吐き気もない。セシリアはしげしげとデュークを見上げた。
「……デュークのお陰かな?」
「礼はいい」
「またそれ」
 相変わらず素っ気ない彼に、セシリアは揶揄するように笑う。しかしすぐに親しみを込めた笑みに変えて、少し畏まって言った。
「ありがとう。助かったわ」
「……フ」
 デュークは薄い唇を少しだけ引き伸ばした。さっきまでの無表情とそう変わりないけれど、本人は笑顔のつもりなのだろう。
 デュークはセシリアに背を向けると、また泉に向き直った。
「ここで起きたことに関わりあるか」
「私が? うん。ついさっき、逆結界に閉じ込められていた魔物が暴れて……」
「逆結界?」
 デュークは嫌悪感を顕にした。その言葉がひどく不快だったようだ。デュークの初めて見せた表情と呼べるものに、セシリアは驚きながら身を竦める。
「でも、魔導器が暴走して、魔物は逆結界から逃げ出してしまったのよ。それまでエアルが充満してたんだけど、それを魔物が吸って……」
「……そうか。彼がここにいたのだな」
 彼? とセシリアが聞き返そうとしたとき、遠くからセシリアの名を呼ぶ声が届いた。
「セシリア!」
「ユーリ!」
「突然いなくなるから驚くじゃねえか」
 怒ったような顔をしたユーリと、エステルたちだった。ようやくセシリアがいないことに気づいて戻ってきたらしい。ユーリはセシリアがぴんぴんしていることを確かめると脱力して、隣にいるデュークに目を留めた。
「また魔狩りの剣の知り合いか?」
「魔狩り……。そのような輩と同列に語られるのは不愉快だ」
「気が合うわね。同感よ」
「…………」
 すかさず同意を示したセシリアにデュークはなんとも言えない表情をした。どうやら魔狩りの剣ではないようだが、セシリアとはそれなりに親しいらしいとユーリは観察する。何人知り合いがいるんだこいつは。
「あ、カロル。無事?」
「う、うん。セシリアも無事でよかったよ」
 エステルの隣にカロルの姿を発見して、セシリアは微笑んだ。カロルも少し恥ずかしそうに笑い返す。セシリアはデュークのことを簡単に説明した。エステルはセシリアの体調が思ったより重かったことを知ると、柳眉を寄せてセシリアの手を握った。
「セシリア、私、全然気づかなくてごめんなさい」
「大丈夫よ。もう全然元気だから。治癒術もデュークが掛けてくれたし」
「…………」
「うちの連れが世話になったみたいだな。礼は言っとくよ」
 ユーリが改めてデュークに向き直ると、デュークは沈黙して顔を背けた。また礼はいらない、ということらしい。無口な人、とセシリアは苦笑した。
「これで三回目だし、何か縁があるのかしらね?」
「縁……か」
 毎回、デュークの現れるタイミングが絶妙なことをセシリアは縁と表現したのだが、デュークはその言葉に何か含みを持たせた様子で繰り返した。そして眼を伏せると、長い銀の髪を揺らし、背を向ける。
「それもこれで終わりだろう。もう会うこともあるまい……」
 そう言うと短い別れの言葉を残して、デュークは去って行った。これ以上引き止める理由もなかった。もう三回も助けてもらったというのに、彼の素性はほとんどわからない。その彼と、三回も偶然出会えたのだから今後も会える可能性は高いかもしれない。だが、気まぐれな縁だからこそこの三回で終わり、とも思えた。彼の背中が何にも所属しない孤高な存在に見えたせいだろうか。
「お前ってほんと、変な知り合い多いな」
「失礼ね。彼は恩人なんだからそういう言い方しないの」
 変な人だけど、とセシリアは舌の根が乾かないうちから認めた。
 ユーリは軽く拳を握ると、セシリアの頭をこつんと叩いた。不意打ち、しかも結構痛かったセシリアはユーリを睨んだが、その口が騒ぎ立てる前にユーリは掌を開いて、セシリアの頭上に置いた。
「気分が悪けりゃもっと早く言え。一々心配掛けてんじゃねえぞ」
「……ごめん」
 皆も手間掛けさせてごめんね、とセシリアは三人を振り返った。
 カロルははにかんだような、控え目な笑みを作った。
「ううん。合流できたんだからいいよ」
「謝ることじゃないです。私、これからはもっとセシリアのこと気をつけますね!」
 エステルは両手を握り、ぐっと気合を入れてセシリアの顔に顔を近づけた。その様子を横目で見ていたリタは済んだと見るやくるりと身体を反転させて出口の方へと歩き始める。
「さっさと帰りましょうよ。バカドラは殴り損ねるし、無駄足踏まされたわ……」
 その小さな背中にもう一度ごめんね、と声を掛け、それに続いたセシリアにエステルが歩けます? 大丈夫です? と訊ねる。先ほどの意気込みはそう浅いものではなかったようで、段差を降りる度、転送魔導器から降りる度、その都度セシリアの顔を覗き込んでは案じるので、セシリアは元気だということを証明するために魔物三体を一人で倒して見せる必要があった。
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