04:  Lost city


「そこで止まれ!」
 崩れた建物の上から少女の声が降って来た。
 ユーリは足を止め、頭上を見上げる。
 カロルと同年代くらいだろうか。背中に背負った巨大な武器が目に付く。
「当地区は我ら『魔狩りの剣』により現在、完全封鎖中にある」
 魔狩りの剣。セシリアは改めて少女を眺めた。
 彼女もまた、魔物への憎悪をその幼い身体に秘めているのだろうか。
「ナン!」
 少女の名を呼んだのはカロルだった。二人が知り合いであることに、皆驚いた。カロルもまた、魔狩りの剣に属していたことを、セシリアは思い出した。

 *

 石造りの頑強な建築物の壁にはところどころひびが走り、天井の一部が崩れている。割れた塀の隙間に深緑色の植物が繁茂していた。
廃墟と化したその都市に、しとしとと雨が降っていた。
 カルボクラム。この都市の歴史は古く、建築様式を見れば古代まで遡れる。永い年月を掛けて連綿と受け継がれてきたものは、しかし大地震によって脆くも砕かれてしまった。
 複雑な地形を進んでいけば、ところどころ地面が隆起し、陥没しているのが見受けられる。瓦礫の山と成り果てたこの都市から人影は消え、息をするものは魔物と、それを狩ることを生業としている彼らくらいなものだった。
「さっきの女の子、魔狩りの剣の一員なんだ」
 最後尾を歩いているカロルに足並みを合わせて、セシリアが口火を切った。
 ナンはカルボクラムに近づく者に立ち入るなと警告を与えるため、あの場にいたらしい。ユーリたちはしっかりその警告を聞いたが、今歩いているのはカルボクラムの入り口を少し進んだ大通りだ。人が住んでいたころはそれなりに立派だったろうに、今は荒れ放題で見る影も無い。
 リタやユーリに言わせれば、禁止されたわけではないとのことで、躊躇う素振すらみせず奥へと歩いている。
 紅の絆傭兵団がこの辺りに潜伏しているらしいという情報を確認するのが目的だった。
「カロルも、そうなんだよね」
「うん。でも……」
 ナンと会ってから、というより、彼女にクビを言い渡されてから、
カロルは目に見えて落ち込んでいた。セシリアは先ほどのやりとりを思い出しながら、冷めた調子で言った。
「やめて正解ね。あんな頭のおかしいギルドにずっといたら変な思想に染まって馬鹿になるところだったわよ」
「なっ! ひどいよ、セシリア!」
 あまりの言い草にカロルは憤慨する。だがそう言った当人の表情がどこか寂しげに見えて、戸惑った。
 エステルが控え目に会話に加わる。
「セシリアは、魔狩りの剣に詳しいんです……?」
「一時期入ってたからね」
「そうだったの!?」
 カロルが上げた驚嘆の声にはどうして今まで黙っていたの、という疑問も込められていた。セシリアはそれに対してただ肩を竦める。
「じゃあ、どうしてそんなひどい言い方するのさ」
「カロルは、魔物を倒すためにあの子を見捨てられるの?」
「えっ……。それは」
 不意の問い掛けに、カロルは口篭った。そんなこと、できるわけがない。セシリアは口元に小さく笑みを浮かべた。
「私もできない。だから抜けたの」
「そんなこと……。でも……」
 都市が在ったこの地はもともとそういう地形だったのか、高低差が激しく隣の家のある地面へ移動するのも一苦労だった。転送魔導器を駆使しながら進んでいく内に、自然と口数は少なくなっていた。
「……紅の絆傭兵団?」
 ふいに、エステルが眼を眇めて生い茂った草木の向こうを透かし見ながら呟いた。カルボクラムを探索し始めて数時間、ようやく人影らしきものを見つけた。
「……じゃ、なさそうだな」
 一頭の魔物を囲んでいる人の群れを遠目から見ていたユーリはそう判断した。あれが魔狩りの剣だよ、とカロルが囁いた。
「あ……、あの人、デイドン砦で見かけた人ですよ」
 エステルが言う。セシリアは目を細めてエステルの差した二人――クリストとティソンを見つめた。クリストは一人、魔物と向かい合っていた。エフミドの丘で対峙したガットゥーゾと似た姿をしている。他に十数人いる仲間たちは遠巻きに円を描き、二人から距離を開けていた。
 彼は、あの魔物に一人で挑むつもりなのだ。
 隆々と筋肉の盛り上がった太い両腕で、巨大な刀を振り上げる。魔物の断末魔が複雑な地形に木霊した。
「一撃で……!?」
「んなっ! なによ、あいつ!」
 簡単に魔物を葬った魔狩りの剣のボスの実力を見せ付けられて、一同唖然として声を上げた。一人セシリアだけは淡々とした様子で、変わらない、と口の中で呟いた。
 同じくじっとかつてのボスを見つめていたカロルを、リタが見下ろす。
「あんた、本当は戻りたいんでしょ」
「そ、そんなの」
 慌てて否定しようとしたカロルに、エステルが戻ってしまうんです? と哀しげに言う。戻んないよ! とカロルは虚勢を張って答えた。そこを戻らないんじゃなくて戻れないんでしょ、とリタが意地悪に突く。
「いいじゃない。戻らないって言ってるんだから」
 ね、とセシリアはカロルに笑ってみせる。助け舟はありがたかったが、その笑顔を見るとなぜか素直に頷けなかった。けれども実際その通りなので、カロルはうん、と彼女の顔を伺いながら答えた。
「とにかく、僕はみんなと行くよ」
 気を取り直して、きっぱりと言う。
 エステルは姿勢を正して、「じゃあ、あらためてよろしくお願いします」と微笑んだ。
「それにしてもあいつら、あんな大所帯で何する気なんだ?」
 話が落ち着いたところで、ユーリが話題を変える。魔狩りの剣のメンバーがこれだけ揃うのは始めてみた、とカロルも首を捻った。
「首領たちがいるなんて、相当のことなんじゃ……」
「それだけでかい相手がここにいるってことかしらね」
 セシリアの言葉に、カロルは後をつけて確かめるかと提案したが、その先に紅の絆傭兵団がいる確率は低いと思えた。ユーリは違う道を行くことを決めた。


 *


 崩れかけた廃墟をいくつも潜り、さらに奥へと進むと、他とは違う、少々大きな建物が見つかった。他と比べて崩壊も極めて少ない。潜伏場所としては、なかなかいい場所に見えた。さっそくユーリは尖頭を切って建物に入って行った。
 中は薄暗く、地下へ伸びる螺旋階段があるのみだった。言葉少なに顔を見合わせて、一向は階段を降りて行く。
 同じ方向に同じ角度、同じ速度で回りこみながら階段を下降していくと、目が回りそうな気がした。実際に、気持ち悪い感覚が頭に靄のように広がっていくようだ。
 セシリアは頭を抑えながら最後の数段を降りた。
「なんだろう、さっきから気持ち悪い」
 眩暈はよくなるどころかひどくなる一方だった。セシリアだけでなく、全員が苦しそうにしている。ユーリも僅かに息が上がっていた。
 ふらり、とエステルが揺れる。傍にいたユーリがすかさず支えた。
「行き倒れになんなら、人の多い街ん中にしといてくれ。俺、面倒見切れないからな」
「は、はい、ありがとう。まだ、だいじょうぶです」
 苦しそうに息を吐きながらも、エステルは気丈に言うとユーリの手を離れ、一人で立って見せた。
 地下に降りるほど苦しくなった、と分析しながらリタは部屋を見渡し、ゆらゆらと緑色を帯びた光があちらこちらに揺れているのを見つけた。
「……これ、エアルだ」
「え? エアルって目に見えるの?」
 濃度が上がるとね、とカロルの問いに短く答え、リタはさらに思考を進める。
「そういや、前にエステルが言ってたな。濃いエアルは身体に悪いって」
「はい……濃度の高いエアルは時として人体に悪影響を及ぼす、です」
「つまりここも、前にエステルが倒れたときと同じ状況ってことね」
 ふう、と息を吐き少しでも新鮮な空気を得ようとしながら、セシリアが言った。あまり長居しない方がいいだろうことは研究者でなくともわかる。
「こりゃ、引き返すかな」
「でも、傭兵団がいるかまだ確かめていませんよ」
「いや、まあそうなんだけど……」
 こんな場所に他の人間がいるだろうか。
 だが、その発想は逆の可能性も示唆する。危険な場所には、普通の人間は近寄らない。
 目の前には扉があった。
「行きましょう」
 エステルの言葉に、ユーリは扉に手を掛けた。
 扉はパスワード式だったが、ユーリが引くと重い引き摺るような音を立てて数センチずれた。壊れているらしい。セシリアも手伝ってさらに三十センチほど開き、そこへ滑り込んだ。
 扉の向こうには、さらに高濃度のエアルが充満していた。思わずセシリアは口元を覆う。なんとか意識を保って、部屋の中を観察した。
 そこは、円筒形の吹き抜けになっていた。
「水が浮いてる……」
 天井を見上げ、カロルが呆然と呟いた。光を受け、きらきらと光る液体が天井に浮遊していた。その下には球体の魔導器がある。あれの仕業みたいだな、とユーリもどこか関心したような口調で言った。
「……あれ、エフミドやカプワ・ノールの子に似てる」
 魔導器をつぶさに調べていたリタがそう呟いた。どちらも、無茶な使い方をしている、とリタが怒っていたことは記憶に新しい。
「壊れてるのかな……?」
「魔導器が壊れたらエアル供給の機能は止まるの。こんな風には絶対ならない」
 あの子……何をしてるの、痛切に呟いたリタの声に続いて、不気味な咆哮が足元から響いてきた。カロルが小さく悲鳴を上げる。
「な、なに……? これ、魔物の声、ですか?」
 エステルも緊張しながら辺りをゆっくりと見渡した。セシリアはユーリと並んで、広間の中央にある窪みを覗き込む。広間の床の半分以上に広がるその空間には、青白い光が満ち溢れ、巨大な魔物を擁していた。
 セシリアは全身に緊張を走らせる。これほど大きな魔物は見たことがなかった。これが狙いなら、首領があれだけの人数を掻き集めたのも頷ける。
「これは規格外ね……」
「ああ。病人は休んどけ。ここに医者はいねーぞ」
 ユーリの声にも、いつもの余裕はなかった。暗に下がれといわれ、カロルはでも、と追い縋る。その時魔物が暴れ、地面を揺らした。もし今カルボクラムを滅ぼした元凶がこれだと言われたら、納得したくなる。魔物を包んでいた結界が嫌な音を立てた。
「う、うわぁ!」
「結界が破れるぞ……!」
「大丈夫、あれは逆結界だから」
 身構えるユーリに反して、リタは冷静に言った。逆結界とは街を保護するために張る、魔物を遮断するための結界とは反対に、魔物を閉じ込めることを目的に作られたものだ。範囲が絞られている分出力は高い。
「でも、なに、このエアルの量。異常だわ」
 魔物はさらに暴れている。リタはああ言ったが、魔物の突進に結界が揺れ、今にも消えてしまいそうだった。見ていられなくなり、リタはエアルに侵された身体に鞭打って走り出した。魔導器がエアルの異常発生に関与しているなら(他の可能性は限りなく低い)、それを止められればいいのだ。魔導器の調子は明らかに悪い。それを正してやれば、逆結界の強度も安定するはず。そう考え、リタは魔導器の操作版を探し走った。
「俺様たちの優しい忠告を無視したのはどこのどいつだ?」
 正面から第三者の声が聞こえ、リタはすぐに足を止めると構えを取った。聞き覚えのある声。セシリアは体調の悪さを押し殺して、広間の向こうに揃った魔狩りの剣を見据えた。
「悪いが、こっちにゃ大人しく忠告聞くような優しい人間はいねぇんだ」
「はっ、そうらしいなぁ」
 気を張って皮肉に答えたユーリに、ティソンは笑う。
 影から覗く細い瞳は、舐めるようにセシリアを見ていた。
「クビになったカロル君に、そっちは……飛び出してった腑抜けじゃねぇかよ!」
「そっちこそ、相変わらず……!」
 意気込んで言い返そうとしたセシリアだったが、口を開こうとして立っているだけで精一杯であることに気づく。
「エアルに酔ってるのか。そっちはかなり濃いようだね」
 苦しんでいる様子を見て、ティソンがわざとらしく言った。腕を組んだまま、クリストが腹から響く声を出す。
「ちょうどいい。そのまま大人しくしていろ。こちらの用事は、このケダモノだけだ」
「大口叩いたからにはペットは最後まで面倒見ろよ。途中で捨てられると迷惑だ」
 ユーリが言い終わった瞬間、空から甲高い鳴き声が降って来た。竜の声だ。皆が地上から空を振り仰ぐ中、背に人を乗せた竜が優雅に滑り降りてくる。
 竜が魔導器の傍に近づくと、背に乗った人は槍を振り上げ、魔導器を貫いた。
「またあいつ!」
「魔導器を壊しに……」
 エフミドの丘でも、カプワ・ノールでも、竜は魔導器を壊すために現れた。壊された魔導器の共通項は、異常な使い方をされていたこと。リタはそれを止めようとし、彼はそれを破壊する。やけにタイミングがいいことだ、と竜が泳ぐさまを見上げながら、くらくらする頭でセシリアは考えた。
 しかし余計なことを考えている暇はなかった。魔導器が壊され、天井の水を覆っていた結界に罅が入り水が零れ、さらに地上の逆結界が乾いた音を立てて砕け散った。閉じ込められていた魔物が、解放された喜びを轟かせる。
「ふへ……。あれ……? 平気です……」
 ふとエステルは自分の身体に纏わりついていた倦怠感がさっぱりなくなったことに気づいた。他の面々も同様である。高密度に淀んでいたエアルが、発生源を失い空に解けたのだ。
「あのバカドラッ!」
 すっかり元気になったリタは、またも魔導器を目の前で破壊されたことに腸が煮えくりかえる思いで怒鳴った。それをあざ笑うかのように遙か頭上で竜が鳴く。魔物が興奮して足踏みをするたびに地面が揺れる。常人なら恐れをなして逃げるところを、ククリストは意気揚々と刀を振り、闘志に溢れた目で魔物を見下ろした。今しも同じフィールドに下りたとうとした彼を、赤い炎が阻止した。
 竜が魔物の前に停滞していた。その姿はまるで魔物を庇うように見える。人を背に乗せているとはいえ、竜もまた魔物だ。
「二人とも、今回は諦めて帰りなさいよ!」
 竜と睨み合っているティソンたちにセシリアは叫ぶ。何馬鹿言ってんだ、とティソンは叫び返した。
「こんな上物、逃してたまるか! 腰抜けはさっさと尻尾巻いて逃げな!」
 ナンが最初に動いた。背負った円形の武器を竜に向かって放り投げる。彼女の武器が竜を霍乱している隙に、ティソンは壁を駆け上り、竜に飛び掛った。
「馬鹿!」
 空の動きに気を取られていると、足元がまた大きく揺れ、のみならず古びた足場は衝撃に耐えられず脆く崩れ、セシリアたち諸共滑り落ちた。瓦礫はそのまま落ちたので下敷きにならずにすんだ。落下の衝撃をやりすごし、セシリアはそろそろと目を開ける。立ち上る噴煙の向こうに、巨大なシルエットが見えた。
「……足震えてら」
 すぐ隣から聞こえてきた声。震えているのは足だけではなかった。セシリアもどこも痛まないことを確認して、弾みをつけて立ち上がる。目の前には興奮して我を忘れている魔物。狭いここから抜け出す道は、見当たらなかった。
「結局ペットの面倒見んのは、保護者に回ってくるのな」
「今回ばかりは、君の厄介ごと牽引体質とは無縁、と言いたいわね」
「まったくな。いけるか?」
「いつでも」
 ユーリとセシリアは並んで魔物に立ち向かうと、同時に剣を抜き払った。
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