19:  Fight on the ship

24: Fight on the ship

 時化が嘘のように静まっている波間を、ボートは順調に泳いで行った。騎士団が見つけてくれればいいが、こちらの大きな船が彼らの探索を妨げるかもしれない。一定のリズムを刻んで上下する甲板の上、彼らは対峙していた。
「あなた、お城で……!」
 エステルは奇妙な彼の姿から、すぐに城を脱出するときの出来事を思い出した。こんな格好をしている人間が二人いる確率が限りなく低い。ならば彼はフレンを暗殺しようと企んでいたはずだ。
「どうも縁があるみたいだな」
 右目を見開き左目を細めた歪な笑みを浮かべる男を睨みながらユーリが低く言う。誰、とセシリアが問うた。
「フレンを狙ってた奴だよ」
「ああ、ハルルで邪魔した奴ね」
 それなら私にも因縁がある、とセシリアは男に対する闘志を五割強めた。
 ふいに船が激しく揺れた。底の方で爆発音がする。
 強く足を踏んばり、男は地を這うような声を漏らした。
「刀が疼く……」
 爆発音はますます激しくなる。船諸共邪魔者を葬ろうと、炎が吹き上げた。
「殺らせろ……殺らせろぉっ」
 船が燃えていることなど彼にとっては瑣末なことだった。目の前で自分の刃に掛かることを待っている獲物の存在だけが彼にとっての全てであり、彼を沸き立たせる。
 ザギは目を剥くや腰に下げた二刀を引き抜きユーリに飛び掛った。
 刃はユーリに躱され、船のメインエンジンを傷つける。爆発によって弱っていたエンジンは一気に火を噴いた。

 黒い粉塵が風に流れ、ユーリは目を細めたまま剣を構えた。途端、金属の弾ける音と共に腕に衝撃が走る。続けて二度、三度、四度目の斬撃を受ける際刃を滑らせるようにして、弾く。追撃される前に後方へ飛び、間合いを取った。
 ザギはその場に立ち尽くすと、だらんと腕を下げる。
「さあ……殺れるもんなら殺ってみろ!」
「言われなくてもそのつもりだってーの!」
 走り出しながら言い返し、切っ先を右上に振り上げる。ザギは軽く飛び退って左に携えた剣でユーリの攻撃を弾き、右腕で切り込む。ユーリの腕は弾かれて伸び左半身がぎらついた刀身に曝されるが、慌てて剣を引き戻そうとはせず、遠心力を生かして身体を右回りに反転させ、ザギの攻撃を避けると同時に下から切り上げた。
 鼻先を掠めていった白刃に、ザギの笑みが映り込む。両者の力は拮抗していた。ザギは愉快に目を歪める。
「どうした……もがけもがけ、そして死んでいけぇ!」
「一体お前は何をしたいんだよ!」
 乱暴に放たれた一撃をいなしながらユーリは叫ぶ。暗殺者のくせにターゲットを間違えたことにも気づかず、沈みゆく船上で己の保身すら露考えず、狂喜を浮かべて刀を振り回す様はただ殺戮だけを求めているように見える。
 今も依頼主を逃がすための時間稼ぎをしているという意思は彼の念頭に欠片もないようで、まるで待ち望んでいた、最高に楽しい遊戯が始まったとでも言わんばかりだ。
「そこをどいてください!」
「はははははは、お前らの攻撃など効かねぇ!」
「なら遠慮なくとことんまでやらせてもらおうぜ!」
 向こうは遊びたかろうが、こちらの目的はラゴウとバルボスを捕まえることだ。それに付き合ってやる暇はない。リタの放ったスプラッシュがザギの頭へと降り注ぐ。ザギは一瞬足を止めたが高笑いをしながら水飛沫から飛び出し、近くにいるエステルに見向きもせずユーリへ向かって駆けて行く。
 セシリアは剣を構えていたが、どうにも付け入る隙がない。
 ザギもユーリも、お世辞にも美しい剣筋とは言えない、我流の戦い方をする。ザギは何も考えず刀を振り回しているだけに見えるし、ユーリは時折危なっかしげな動きをしながらも口元には余裕が常にあり、剣を回して右から左へ持ち変えるなんてこともしてみせる。
 加えて剣士の礼儀など微塵も身につけていない二人は壁を足場にしたり、転がっていた樽で足払いしてみたり、甲板というフィールドを余すところなく使って縦横無尽に動き回っている。
 ザギは執拗にユーリばかりを狙っていた。リタやエステルの魔術が掠めても、蝿が飛んでいる程度にしか反応を示さない。
 リタの魔術は優秀だが、それでも捉えきれない速度を彼は有していた。どの攻撃も肌を焼きかすり傷を作るばかりで決定打には至らない。普通の人間なら詠唱を耳にすれば気を取られ、魔導師を叩きに行くか魔術を避けることに集中するかする。だが彼はそのどちらもしない。世界には自分とユーリただ二人とでも言うようにユーリしか目に入れず、自分が傷つくことを厭う素振も見せず特攻し、息継ぐ間もなく攻めていた。
 ゆえに隙が見えない。斬撃の休む暇がないのだ。
 セシリアが助太刀を挟むタイミングを見誤れば、有利に働くどころか絶妙に呼吸の合っている攻防のリズムを崩しかねない。
 二人の力は伯仲し、どちらか片方が息を吐けば、途端に勝負が決してしまう、緊張の糸の上を爪先立って歩くような戦いだった。
 カロルも手を出しあぐねて、ラピードと並んで歯がゆそうに縺れ合う二人を忙しく目で追っている。
 だが、こんな戦いが長く続くわけはない。もう少しだ、とセシリアは注意深く二人を見守った。

 一際大きな揺れが船を襲う。甲板が揺れ、誰もが体勢を崩し倒れまいと踏ん張ろうとした。
 ユーリの足場が持ち上がり、ザギの方へ傾いていく。バランスを取ろうと足を伸ばし、滑るようにザギを避ける。ザギは振りかぶった勢いのままユーリへ覆い被さる。神経が研ぎ澄まされる高揚が獲物を追い詰める瞬間頂点に達し、その顔をあらんかぎりに歪ませた。
 影が完全にユーリを覆った。

 体勢を崩した一瞬セシリアはユーリを見失い、立ち直ろうと顔を上げ真っ先に黒髪を捜す。沈む船に押出された海流が逆流し、船を押し戻す。船首を下に沈めようとしていた傾斜が反転し始めた。
黒くしなやかな細身が甲板を跳ね、一メートル先に着地する。一拍遅れてザギと向かい合うようにユーリが立ち上がった。
 彼の姿を捉えたコンマ数秒の後、セシリアは視界を右へと滑り出した影に向かって駆け出していた。

 相手が大きく振り被ったのを気配で感じ、右足を踏ん張りブレーキを掛け身体を捻りながら思い切り剣を振り上げる。頭上すぐそこで金属がぶつかりあう音が鼓膜を貫き、剣を握った両腕に衝撃が走った。
息を止めたまま顔を上げれば目の前に不愉快に軋んだ顔があった。先ほどまでの上機嫌は吹き飛ばされ、ただ苦々しく恨めしい表情がセシリアを睨んでいた。
「邪魔するんじゃねぇえ!」
「いいじゃない、私とも手合わせしてよ!」
 不敵な笑顔と気迫をぶつけ、前へ飛び出す。進路を変えようとするザギの正面を離さず、気を散らすなんて出来ないよう追撃を加えた。振り被った一閃を避ける際、チッと大きな舌打ちが空気を打つ。
 相手の苛立ちが伝わってきて、さらにセシリアは笑みを深めた。
「逃げてばかりでどうしたの? 女相手じゃ剣は振れないのかな!」
「うるせぇえええ!」
 軽い煽りに怒りを爆発させ、ザギは全体重を乗せた一撃を放った。観察していたときよりも速い反応にセシリアの動きが遅れる。はっとする間もなく中途半端な防衛は砕かれ、セシリアは船の縁まで吹き飛ばされた。
「ファーストエイド!」
 眩い光がユーリの身体を包む。その光が傷口を癒すのももどかしくセシリアを振り払い盲目にこちらへ向かってきたザギに突進する。
 血に飢えた獣の笑みを浮かべる敵に、冷たい怒りが腹の底から這い上がってくる。冷気は頭の頂まで昇り神経を支配した。高ぶっていた心が休息に冷える。ただ深い黒だけに彩られた瞳に、目前へ迫る男の筋肉の躍動までがつぶさに映された。
 腕が伸び、身体が開き、急所が顕になる。確かにその時、振るうべき刀の軌跡が見えた。その白い線をなぞるように切っ先を横へ薙ぎ払った。

 確かな手応えがあったが、それは想像していたものよりも浅かった。
 高らかに爆発音が響く。
 ぱたぱた、と水滴が落ちる音、苦しげに呻く声。今にも刀を突きつけようとしていたはずの男は左腕を押さえ、よろよろと後ろへ下がった。
「……オレが……」
 低く呟く声が、爆発音に混じってようやく聞こえる。
「オレが……退いた……」
 無感動な吐息は次第に嘲笑となり、高らかな哄笑が天に響いた。
 空を仰いで、首を勢い良く下ろして見開いた瞳をユーリに向ける。
「貴様強いな! 強い、強い!」
 肩から流れる血の臭いが硝煙と入り混じって男の脳を侵蝕しているようだ。血を吐くような狂笑が煩く続く。
「覚えたぞ、覚えたぞ、ユーリ、ユーリ! お前を殺すぞユーリ! 切り刻んでやる、幾重にも! 動くな、じっとしていろよ……!」
 酔ったように宣言しながら、一歩一歩後退していく。もう後には海しかない。ザギはユーリを指差し、喰らいつくように笑い上げるとさっと海へ飛び込んだ。
「逃げやがった!」
 ドスの効いた怒鳴り声にユーリは思わず振り返った。セシリアが拳を握り締めて悔しそうに歯噛みしている。治療に当たっていたカロルとラピードはそんな彼女を呆れたように見上げていた。
 どうやら叫ぶ元気はあるようだ、とユーリは唇の端を上げる。
 また船が揺れたが、今度はどうも嫌な感じだ。
「あったまくる! 何あいつ! むかつく! なんでユーリなのよ! ふざけんじゃないわ!」
 ユーリを倒すのは私だ、などと喚いているセシリアは叫ばせておいて、とにかく脱出した方がよさそうだ、とユーリは判断する。しかし救命ボートはラゴウの乗っていった一隻しか積まれていなかった。船と心中したくなければあの狂った暗殺者のように海に飛び込むしか道はない。
「カロル、ラピード、飛び込むわよ!」
「えっ!」
「ワンッ」
 鼻息も荒いままにセシリアはそう言うと、真っ先に綺麗な半円を描いて波に身を躍らせたラピードに続いて、おっかなびっくりのカロルを引っ立てながら船縁を飛んだ。潮風に嬲られながら落下し、身体中に衝撃を受ける。沈むだけ沈んで、浮上し始めるとカロルの鞄を握ったままのことを確認して目を開け、急いで海上へ昇ろうと水を掻いた。
 波に翻弄されながら水面に顔を出し、思い切り息を吸い込んだ。耳から水が抜けると、隣でカロルが咳き込むのが聞こえた。少し探すと波間にラピードやエステル、リタが見えた。なんとか泳いでお互い接近し、無事を確かめると見当たらない人間に気を移した。
「ユーリは?」
「誰か、船内にまだ取り残されていて、その人を助けて……」
 不安で一杯の顔でエステルが説明する。セシリアはさほど動揺せずそう、と言うと眩しい波間に目を凝らした。
 黒煙を上げ、刻々とその船体を海中へ消していく船から距離を取ろうと水を蹴る。
「あ!」
 カロルが声を上げると同時にセシリアも波間にぽっかりと浮かび上がった黒い頭を認めて知らず笑みを浮かべた。
 エステルが大声で呼ぶと、向こうもこちらに気づいてしばらくの後合流した。
「ユーリ、よかった……!」
 エステルはまずユーリの無事を喜んだ。
 セシリアはユーリの黒い髪の隣に金色の髪があることに気づいて視線を奪われた。
「しょっぺーな、だいぶ飲んじまった」
 辛そうな顔をして舌を出したユーリを気遣う素振も見せず、リタが問う。
「その子、いったい誰なの?」
 これに釣られてエステルもユーリが抱えている人物に気づき、ぐったりとしている顔を見るとはっと息を飲んだ。
「ヨーデル……!」
「何、知り合い?」
「ってことは……」
 城の関係か、とセシリアが想像を巡らせたところ、カロルがこちらへ向かってくる船に気づいて声を上げた。
 そのお陰か向こうでも海上に浮かぶココナッツのような彼らに気づいてくれ、船首からフレンが大声で無事か、と怒鳴り返し小型ボートを下ろすと全員を救出した。
prev * 26/72 * next