18: Dragon rider

「一人で大丈夫?」
「うん」
 少年はしっかりと頷くと、ありがとう、と深く頭を下げた。少年のいたいけな姿が屋敷の裏口を潜り、通りの向こうへ消えてしまうまで見送って、セシリアはポリーを見送った。
 ここからなら誰かに見咎められることなく、両親の元へ辿り着くことができるだろう。ユーリが声を掛ける前にセシリアは踵を返して屋敷へと足を踏み入れた。

 しばらくの探索の末、天井を三階分突き抜けたような、広い空間を持つ部屋に出た。
 その部屋の中央には、天井まで届く魔導器が設置されている。二階に相当する高さの位置に嵌められた魔核が青く明滅していた。
 リタはすぐに二階へ駆け上って、魔核を解析し始める。
「複数の魔導器をツグハギにして組み合わせている……。この術式なら大気に干渉して天候操れるけど……こんな無茶な使い方して……!」
 目にも留まらぬ速さで指を動かしながらリタは呻いた。
 これで証拠は掴めた。後は”有事”を起こして脱出すればいいとエステルはリタに声を掛けるが、リタは解析に夢中で動こうとしない。
「あとでフレンに回してもらえばいいだろ」
 ユーリはそう言って、何か壊せるものがないか部屋の中をうろつき始める。未だ脳裏にこびり付いて離れないポリーの怯えた姿とラゴウの傲慢な笑顔がセシリアから理知的な思考を奪う。
「どうせなら屋敷全部燃やしちゃおうよ」
 怒りを有り余らせて本気とも冗談ともつかない口調で吐かれた言葉にユーリは肩を竦める。
「物騒だなぁおい。有事っていうんだから、ボヤ騒ぎで充分だろ」
 その態度がいかにも不満だと顔を顰めたセシリアが口を開く前にもっとも、と付け足した。
「その火がどこまで燃え広がろうが知らないけどな」
 カロルは大きなハンマーを持って、柱の一つに目を止める。これなら折れるかもしれないと意気込んで、派手に叩き始めた。魔導器の周囲に作られた足場に直結する柱を何度も何度も叩かれて、リタはキーを叩く指を滑らせた。はっと手を止め、目をぎゅっと瞑ると、ぐっと拳を握り締める。そのまま小刻みに肩を震わせていたと思うとばっと顔を上げた。
「あーっ、もう!」
 彼女の中に溜まっていた鬱憤が体内に取り込んだエアルを解して燃え盛る炎へと変換される。瞬時に詠唱を唱えるとファイヤーボールを乱射した。内一発がカロル目掛けて飛んできて、カロルは驚いて飛びのいた。
「何するんだよっ」
 これくらいしないと騎士団が来にくいでしょ、と理由をつけながら、リタは室内を破壊し続ける。天井が焼け、窓が割れた。これだけ派手にやれば港中の人間が気づきそうだと、いくぶんすっとした気分でセシリアは腕を組んだ。
「人の屋敷でなんたる暴挙です!」
 そこに現れたのはラゴウだった。焦げた天井を見て肩を震わせ、従えた屈強な男達に逡巡する暇もなく指示を与えた。傭兵達は武器を構えて雪崩れ込んでくる。
 こいつらなら遠慮なくやれる、とセシリアは剣を抜き放った。カロルは傭兵団の武装に共通した紅の布が巻かれていることに気づく。
「まさか、こいつらって紅の絆傭兵団<ブラッドアライアンス>?」
「そうみたいね。こんな奴に雇われるなんて、ギルドの名折れだわ!」
「うるせぇっ」
 ぶん、と振り下ろされた斧を右に半歩移動することで避け、その勢いを乗せて左足を踏み出すと傭兵の鼻先へ飛び込んだ。一瞬、セシリアの動きに着いていけず手応えのない斧の先を見つめる驚きを含んだ表情が、かの執政官と重なって見えた。必要以上に剣を振る腕に力が籠り、セシリアは咄嗟に男の腹を蹴り飛ばして距離を開けた。
 遅れて汗が噴出す。全身が力んでしまって思うように動けなくなる。
 傭兵の一人を気絶させて、剣を構えなおしたユーリは、セシリアの様子がおかしいことに気づくと蹴られた腹を押さえながら斧を持って立ち上がろうとしていた男の首を叩き、失神させた。
 そこで聞こえるはずの「私の相手なのに!」というような抗議の声は上がらない。それどころか柄を握り締めた拳を白くして、目を見張って動かない。
「どうした」
「…………」
 セシリアはユーリに返事もできず、荒く息を吐く。
「執政官、何事かは存じませんが、事態の対処に協力いたします」
 ラゴウは背後に現れた金髪の騎士に仰天した。しかしすぐにそれを覆い隠し苦々しく不遜な表情を浮かべる。
 ユーリは早すぎるだろ、と呟いた。まったく、間の悪い。
 そのとき窓硝子が割られ、部屋全体に硝子が降り注いだ。ユーリはセシリアを庇いながら、上を振り仰ぐ。
 硝子の光を纏い窓から飛び込んできたそれは、果たして天の助けか、地獄の使者か。
「竜……!?」
 全身を棘のような鱗で覆った青い魔物は天井の下をぐるりと一周すると、魔導器の前に下降した。竜の背に跨った白い鎧を着た人間が、手にした槍を一閃させる。槍は魔核に傷をつけ、魔導器は不安定に鳴き始めた。
「ちょっと! 何してくれてんのよ!」
 リタは悲鳴を上げて魔術を発動する。竜は悠々と火の玉を避け、地上に首を向けると騎士団の進行を阻止するように床に火を吐いた。火は燃え広がり、ユーリとフレンを二分する。竜は壊した窓から来たときと同じようにするりと出て行った。
 ユーリの側に居たラゴウはこの騒動に乗じて部屋を飛び出していた。
「逃がすか!」
 ユーリは機敏にラゴウを追いかける。カロル、エステル、リタが続いた。セシリアは走り出そうとして抜き身の剣を持ったままだったことに気づき、苦労しながら鞘に仕舞うと彼らに倣った。
「ったく、なんなのよ! あの魔物に乗ってんの!」
「あれが竜使いだよ」
「竜使いなんて勿体ないわ。バカドラで十分よ! あたしの魔導器を壊して!」
「バカドラって……。それにリタの魔導器じゃないし」
 ラゴウが逃げる先、屋敷の外に向かいながら、リタは怒り狂って吼える。一々答えていたカロルは最後には怒る理由が理不尽だよと呆れた。
「わざわざ魔導器を壊しに来たんだ、もしかしたらあいつも海を渡りたかったのかもしれないぜ」
「竜がいるのに?」
「あー、じゃあ、そろそろ太陽を拝みたかったとか」
 カロルにすぐに突っ込まれて、ユーリは適当なことを言う。それじゃエフミドの丘の魔導器はどうなのさ、とまた突っ込まれた。
「……セシリア、どうかしました?」
 いつもならユーリに突っ込むはずのセシリアが黙っているので、エステルはそっとセシリアに近づいて様子を窺った。
一瞬、その顔が酷く青褪めて見えてエステルは目を瞬く。顔をこちらに向けたセシリアは小さくはあるが微笑みを浮かべていたので、見間違いか光の加減か、とエステルは思い直した。
 空はここに来る前の荒れ様が嘘のように治まっている。分厚く垂れ込めていた雲がところどころ薄れ、日が差し始めていた。
 エステルはその青さを見て、辛そうに目を細める。
「まだ信じられないです。執政官があんなひどいことをしていたなんて……」
「よくあることだよ」
「帝国がってんなら、この旅の間にも何度か見てきたろ?」
 カロルもユーリも、何を今更と言う。エステルは哀しそうに目を伏せた。
「……よくあることだからって、それが当たり前みたいになってるのは、やっぱりおかしいわ」
 セシリアの言葉に、エステルとカロルははっとして顔を上げる。
「のんびりしてると、ラゴウが逃げちゃうよ!」
「行きましょう!」
 屋敷の裏手には海が直面していて、個人用の小さな港が開かれていた。揺れる波は穏やかである。その上を、まさに今一艘の船が滑り出そうとしていた。
 慌てて出港したのだろう、船に近接されたままのタラップへ駆け上がる。ユーリは隣で二の足を踏んでいたカロルを抱き上げると、船へ飛び移った。

 ***

 なんとか乗り込みに成功し、さてどうするかと言う前にリタが無造作に置かれていた箱に飛びついた。
「これ、魔導器の魔核じゃない!」
 セシリアやユーリはもちろん、研究機関に所属しているリタでさえも見たことのない量の魔核が、その箱に宝物のように詰まっていた。
「まさか、これって魔核ドロボウと関係が?」
「かもな」
「でも、黒幕は隻眼の大男でしょ? ラゴウとは一致しないよ」
 ユーリは顎に手を添える。
「だとすると、もう一人黒幕がいるってことだな」
「何人でも出て来いってのよ。ぶっ飛ばしてやるわ」
「こりゃおっかねぇ」
 拳を突き上げてみせたセシリアに笑いながら、ユーリはどうやら調子を取り戻したらしい、と安堵した。そして騒ぎながら箱を引っくり返しているリタに下町の魔核が混じっていないかと訊ねる。
 箱の中に入っているのは小型の物ばかりで、目当ての物は見当たらなかった。
 ふいにラピードが唸り声を上げる。不審者に気づいた傭兵達がすでに周りを囲んでいた。すでに船は港からずいぶん離れてしまっている。ユーリたちは背中合わせに傭兵と向かい合い、剣を抜いた。
 急ごしらえの脱出のため、数を用意できていなかったらしい。すぐに傭兵を一掃し終えて、見張りの居なくなった船内に目を付けた。
 ラゴウはあの中にいるに違いない。ユーリが扉の横につき、カロルが鍵を開ける。カロルは道具を鍵穴に入れる前にノブに手を掛けてみる。すると掌の中で勝手にノブが廻った。あれ、と首を傾げる前に、扉が勢いよく開いてカロルは段差を下まで転げ落ち、甲板の中央に設置されている魔導器の筐体<コンテナ>に頭をぶつけた。
 扉から出てきたのは、恰幅のいい赤いコートを着た隻眼の男だった。額から頬にかけて縦に伸びた古い傷が右目を潰している。
 男は床に転がったカロル、エステル、リタを見て、はん、と鼻を鳴らした。
「ラゴウの腰抜けはこんなガキから逃げてんのか」
 背後に殺気を感じて、男はカロルを見下ろしたまま口を噤む。
「……あんたか、人を使って魔核を盗ませてるってのは」
 男に剣を突きつけながら、ユーリが訊ねた。
 男は少し首を回してユーリを振り返り、薄い唇を歪めた。
「そうかも知れねぇなあ」
 言い終わると同時に右手に下げていた大刀を一息に振り被る。僅かな動作を察して、ユーリは飛び退き、大刀はユーリの居た場所の空気を切り裂いた。
 セシリアの傍まで下がったユーリを追うことはせず、バルボスはにやりと笑う。
「いい動きだ。その肝っ玉もいい。ワシの腕も疼くねえ……。うちのギルドにも欲しいところだ」
「そりゃ光栄だね」
「だが、野心の強い目はいけねえ。ギルドの調和を崩しやがる。惜しいな……」
 目を細めて呟いた男の背後から、耳障りな甲高い声が飛んでくる。
「バルボス、さっさとこいつらを始末しなさい!」
「金の分は働いた。それに、すぐ騎士が来る。追いつかれては面倒だ」
 ラゴウの命令にバルボスは事務的に答えた。
 セシリアはその名前に眉を寄せる。
「バルボス……剛嵐のバルボス?」
「ほう、ワシの二つ名を知ってるか」
「聞いたことあるわ。ことあるごとにドンと張り合ってるらしいわね」
 ドン、という言葉を聞いたところでバルボスは明らかに渋い顔をした。
「お前みたいな人間なら、ラゴウにつくのも納得ね」
「…………」
 小さな左目に炎が燃え上がった。その炎はセシリアを焦がす前に自ら沈静化し、奥へと引っ込む。
「……小僧ども、次に会えば容赦はせん」
 余裕を見せながらそう言い捨てると、バルボスは船に積まれた小型のボートに飛び乗った。ラゴウはまだ中に、と何かを言いかけたが舌打ちすると共にボートに乗り、それを確認するとバルボスはロープを断ち切った。
 ボートは支えを失って海へ落ちる。止める暇もなかった。

 船縁に駆け寄ろうとしたユーリは足を止める。ラゴウらが先ほどまで立っていたところから、ふらりと一人奇抜な格好をした男が現れた。赤い髪をヘアバンドで上げ、前髪の一部は金に染められている。気味が悪いほど白い額の下で刀で切りつけたような二つの目が狂気を孕んで愉悦に輝く。紅の引かれた唇は弧の形に伸長した。
 赤銅色の鎧を巻きつけた細い身体をゆらりと揺らして、暗殺者は獲物を見た。

「誰を殺らせてくれるんだ……?」
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