16:  Gold horn


 宿屋の外に出ると、朝だと言うのに黒雲が一層重苦しく感じた。昨日魔導器の話を聞いたせいだろう。人工的に天候を操るだなんて、なかなか恐ろしい話だ。それも、そんな力を持っているのが市民の子供を人質に取って好き放題にしているような執政官ならなおさらだ。
「で、これからどうする?」
「私、ラゴウ執政官に会いに行ってきます」
「え?」
 カロルの問いに淀みなく答えたエステルに、セシリアは絶句する。カロルも目を丸くして否定的なことを言った。
「僕らなんか行っても、門前払いだよ。いくらエステルが貴族の人でも無駄だって」
「とは言っても、港が封鎖されちゃ、トリム港に渡れねえしな。デデッキってコソ泥も、隻眼の大男も海の向こうにいやがんだ」
「うだうだ考えてないで行けばいいじゃない」
 ユーリとリタも行く気満々らしい。
「海を渡るためだからって、あんな奴に頭下げないといけないわけ?」
「間違っても剣で相手の頭を下げさせちゃだめだぜ」
「どの口が言ってるの?」
 そんな野蛮なことしないわよ、とユーリに言い返しつつ、こうなると賛成を唱えるのと同じだ。だが、話を聞いただけでも腸が煮えくり返りそうな相手である。いざ対面してその生白い面を前にしたとき、大人しく黙っていられるかは自分でもわからなかった。ユーリはいとも簡単にセシリアの考えを肯定するようなことを言った。
「話のわかる相手じゃねえなら、別の方法を考えればいいんだしな」


 ***


 執政官の屋敷門前では傭兵が警備をしていた。あの夫妻を見下していた連中である。通れないものかと交渉してみたがまるで話にならず、雰囲気が怪しくなる前に退散した。
 正面から入るには、それなりの身分――たとえばフレンに任せればよさそうなものだが、ユーリたちより先に街に辿り着いている彼らが未だに行動を起こしていないらしい様子を見ると、頼りにならないと言うしかない。
 ならば献上品を持参するか、とユーリは提案する。
 ラゴウが放ったという魔物、リブガロ。黄金の角を持ち、それを手に入れられれば一生免税を受けられる。その約束自体怪しいものだが、やってみる価値はある。市民にリブガロの出現場所を尋ね、外へ向かった。広場を抜ける際、ウィチルを従えたフレンと擦れ違う。
「相変わらず、じっとしているのは苦手みたいだな」
 色々聞きまわっていたことをもう知られている。人をガキみたいに言うな、と擦れ違おうとしたユーリにフレンは続ける。
「ユーリ、無茶はもう……」
「俺は生まれてこの方、無茶なんてしたことないぜ」
 まるで取り付く島もない。
「まあ、この馬鹿がへましないように見張っとくからさ。フレンもお仕事、頑張ってね」
「セシリア……。君まで一緒になってはしゃがないでくれよ」
「う、もちろん、任せなさいよ!」
 若干笑みを引き攣らせたセシリアに、フレンは困ったものだと眉を下げる。守るべきもののために無茶をするのは、お互い様という部分もあった。その苦笑には、これ以上強く言えない自分に対する意味も多少あったかもしれない。
恐らくは幼馴染への愚痴でも零しているのだろう、残ったエステルに話しかけるフレンの声を背中にセシリアは小走りでユーリを追いかけた。

 *

 再び港に戻ってきたユーリの手には、黄金の角が握られていた。およそ二十センチ以上で、中が空洞になっているため軽い。こんなものために、街人は何度も危険を犯したのだ。リブガロの方にしたって迷惑極まりないだろう。
 誰が見ても異常だとわかる事態が罷り通っている。角を見下ろすユーリの眼に静かな感情がふつふつと湧いていた。
「待って! せっかく怪我を治してもらったのに!」
 玄関から出て行った包帯だらけの夫を妻が張り裂けんばかりに呼び止める。思いつめた表情で剣を握り締めたティグルの前にふらりと立ち、ユーリは声を掛けた。
「そんな物騒なもん持って、どこに行こうってんだ?」
「あなた方には関係ない。好奇心で首を突っ込まれても迷惑だ」
 冷え切った態度のティグルの足元に、ユーリは持っていた角を放り投げた。咽喉から手が出るほどに欲していた物が目の前に立ち現れて、ティグルは信じられないと顔を上げた。
「あんたの活躍の場奪って悪かったな。それはお詫びだ」
 さらりと言ってのけたユーリに、ケラスも慌てて夫の隣に膝を着き、声を揃え礼を述べた。どこか狐につままれたような顔の夫妻を尻目に、ユーリは宿屋へ歩を進める。同じくこの暴挙とも取れる行動にカロルがユーリの前へ回りこんだ。
「ちょ、ちょっと! あげちゃってもいいの?」
「あれでガキが助かるなら安いもんだろ」
 な、とセシリアに振ってやると、彼女はどこか呆れたような、清清しい顔で笑って肩を竦めた。目の前に困っている人がいると放っておけない、それが彼の性格だ。
「でも献上品はなくなっちゃったわよ。どうすんの」
 冷静に指摘したリタに、ユーリは別の方法で乗り込めばいいなどと適当なことを言う。あの角で夫婦と子供は救えたとして、ラゴウがこの所業を止めない限り他に苦しんでいる人々がいる現状は変わらない。その辺りまで気が回らない、視野の狭いところが彼の欠点かとも思う。
「なら、フレンに確認に行ってみる? 彼なりの方法でラゴウに掛け合うつもりだったみたいだし」
「とっくにラゴウの屋敷に入って解決してるかもしれないしね」
 セシリアの提案にポジティブに頷いたカロルに、ユーリは視線を流してだといいが、と呟いた。
 フレンはソディア、ウィチルと共に宿屋に居た。
「相変わらず辛気臭い顔してるな」
「色々考えることが多いんだ。君と違って」
「ふーん……」
「また無茶をして賞金額を上げて来たんじゃないんだろうね」
 フレンの皮肉にユーリはさあなと笑う。苛立っているらしい。
「執政官のとこに行けなかったのか」
「行った。魔導器研究所から調査執行書を取り寄せてね」
「それで中に入って調べたんだな」
「いや。……執政官にはあっさり拒否された」
 苛立ちの原因はそれか、とセシリアは納得する。
「魔導器が本当にあると思うなら正面から乗り込んでみたまえ、と安い挑発までくれましたよ」
「私たちにその権限がないから、馬鹿にしてるんだ!」
 ソディアは悔しげに声を荒げた。フレンが諌める前に、ユーリがそいつの言う通りじゃないの? と逆なでするようなことを言う。
「調査執行書が役に立たないんならだめね。まったくたいした奴だわ」
「二人とも、どっちの味方なのさ」
 フレンに同調するでもなしにそんなことを言うユーリとセシリアを、カロルは理解し難い目で見る。敵味方の問題じゃねえ、とユーリは手を振った。
「自信があんなら乗り込めよ」
「いや、これは罠だ」
 フレンはきっぱりと言い切る。曰くラゴウの狙いは騎士団の失態を演出し、その力を弱めることにあるという。フレンはその立場ゆえに、手立てを見出すことができなかった。
「なんだよ、打つ手なしか?」
「……中で騒ぎでも起これば、騎士団の有事特権が優先され、突入できるんですけどね」
 ウィチルが仄めかすと、ユーリはなるほど、と頷く。
「屋敷に泥棒でも入ってボヤ騒ぎでも起こればいいんだな」
「この街、結構物騒みたいだものね。ありえる話だわ」
「ユーリ、セシリア、しつこいようだけど……」
「無茶するな、だろ?」
 ふ、とユーリは笑う。それだけで充分だった。ユーリが部屋を出て行こうとするのも見送らず、フレンはソディアに告げる。
「市中の見回りに出る。手配書で見た窃盗犯が、執政官邸を狙うとの情報を得た」
 ラピードは尾を真っ直ぐに立ててユーリの隣に並んだ。その反対側に、セシリアがつく。ユーリはセシリアを一瞥したが、その笑顔を見て言葉を飲み込んだ。
 打つ手は決まった。
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