15: keeping an eye on you


 風呂で温まり夕食を摂って、ようやく人心地がついた。ロビーではカロルとラピードが寛いでいる。
「カロル、今日はお疲れ様」
「セシリア。ご飯美味しかったね」
「ワフ」
 ラピードも同意するように鳴く。頭を撫でてやると目を細めたが、頭を押し付けてくるような真似はしない。
「ラピード、セシリアはいいんだね。僕が撫でようとすると逃げるのに」
「誰にも媚びない孤高の人だもんね、ラピードは」
「犬の癖に、矜持だけは高いのね」
 湯気の立つカップを手に現れたリタが擦れ違いざま言い捨てた。ソファに座り、カップに口をつける。カロルはセシリアに小声で言った。
「さっきラピードに触ろうとして逃げられたから根に持ってるんだよ、あれ」
「ああ」
「なんか言った!?」
 内容は聞こえずとも良くない話をしているという雰囲気は敏感に感じ取ったらしい。目を吊り上げたリタに二人はなんでもないと答えて目笑した。
「あ、リタ! それなんです? 美味しそう」
「ココアよ」
 部屋から出てきたエステルが真っ先にリタの飲み物に目をつけて、私も貰ってきますと行ってしまった。彼女はフレンの申し出を断り、セシリアたちと同じ部屋に泊まっている。エステルが行ってしまってから、自分の分も頼めばよかったとセシリアは後悔した。掌を置いたラピードの腹が穏やかな呼吸に合わせてゆるゆると上下する。
「ココア貰ってきました。リタ、隣いいです?」
「空いてるでしょ」
 素っ気ないリタに構わずエステルはココアを零さないようにそっとソファに腰を下ろした。甘い香りがこちらまで漂ってきて、今からでも貰いに行こうかとセシリアは悩む。でもそれも億劫だ。
「リタ、一口くれない?」
「は?」
 リタはしかめっ面でセシリアを見ると、ぱっと頬を染めた。
「バッカじゃないの? 飲みたきゃあんたも貰ってくればいいでしょ!」
「一口だけでいいからー」
「欲しいなら、言ってくれれば一緒にもらってきたのに。良かったらこれ飲みます?」
「ありがと。一口だけ貰うね」
 セシリアはエステルからカップを受け取ると熱い湯気の立つココアを口に含んだ。沸かしたばかりの湯は熱く、舌を焦がす感覚に目尻が潤んだ。手持ち無沙汰になったエステルはセシリアの隣に寝そべっているラピードに目をつける。
「なんだか寛いでますね」
 にこっと笑って近寄ると、目を閉じていたラピードはさっと立ち上がって部屋の隅へ行ってしまった。エステルは呆気に取られて揺れる尻尾を見送る。リタはどこか安心したような、仲間を得たような調子で言った。
「嫌われてるわね」
「リタと一緒だね!」
 楽しげに言ったカロルは睨まれてはっとしたが、後悔先に立たず、脳天に軽い一発を頂戴した。
「エステル、ココアありがと」
 セシリアはカップをテーブルに置くと立ち上がり、部屋へ戻った。二部屋借りた内の一つに、ユーリがすでに収まっていた。ベッドに仰向けになっている彼の傍まで行って、もう眠ったのかと覗き込んでみる。
「ユーリ……」
 屈んだ途端首を押さえつけられ、ベッドに顔面から飛び込む形になる。手を突いて衝突は避けたが、唇の接触は避けられなかった。催促するように啄ばんでくるのに誘われて舌を絡める。吐息が熱かった。
「……ん、甘い。ココア味」
「何寝たふりしてるのよ」
 ユーリは笑うとセシリアを抱き込んでベッドに引き込み、自分の下へ寝かせる。その体勢に満足するとキスを再開した。何度も強く吸われるうちに、いつ止めようか考えていたセシリアの脳が麻痺していく。そのまま心地よい睡魔に身を委ねるように身体の力を抜いたとき、ドアのノックとカロルの声が聞こえた。
「わ、何? ラピード」
「……あっ、カロル、邪魔しちゃ駄目ですっ」
 ドアを開けようとしたカロルを、ラピードとエステルが止めたようだ。何か誤魔化しながらエステルがカロルを引っ張っていく声がする。ユーリの口に手を当てていたセシリアは、ベッドから起き上がろうとした。
「じゃ、そろそろ部屋に戻って寝ようかな」
「ベッドはここにあるぜ?」
「ちょっと!」
 浮き上がりかけた腰を押し倒してベッドに引き戻したユーリに、セシリアは笑いながら怒る。
「いやよ、もう眠いんだから」
「そうつれなくするなって。そんなすぐには寝ないだろ」
「んっ……」
 強く拒否できないまま口を塞がれて、長く深い口付けを交わす。こんなときに、と思うのだが、与えられる情熱を振り切れるほど潔癖にはなれない。呼吸を忘れるほど絡め合って、苦しくなったセシリアが顔を背けると口の端や頬、瞼とキスを降らせた。
 服の下で隆起する筋肉を感じようと、抱き締める手に力を込める。絡めた太腿が擦れ、熱を生んだ。
「ねえ、眠い……」
「寝てもいいぜ」
「……寝れない……」
 潤んだ瞳を見合わせて、引き付けられるように唇を重ねる。離れるたび逃げる温もりを取り戻そうと、何度も繰り返し肉を食む。行為に夢中になって、水音と上擦った吐息がさらに拍車を掛ける。それでもどこかぎりぎりのところで、止めなくては、と囁いている。
「……ユーリ」
 今度は大きく、鋭いノック音だった。さすがにこれにはユーリも身体を起こす。
「ユーリ、セシリア」
 声を聞かずともノックだけで予想が着こうというものだ。
「やっぱり説教、忘れてなかったか」
 ユーリは頭を掻いて、ドアを開けに立ち上がる。セシリアは口元を拭い、くらくらする頭を抱えて呼吸を整えた。
「夜遅くにすまない」
「まったくな。暇なことで」
「幼馴染と久しぶりにゆっくり話せる折角の機会だからね。調子はどう? セシリア」
「疲れて眠いわ」
 だから話は短めにと言外に込めた希望に、フレンも頷いた。
「誰かが馬鹿をしなければ、もう少し寛いで話せるんだけれどね」
「そうよ。どうして脱獄なんてしたの?」
 セシリアはフレンと一緒になってユーリを睨む。さっきまでのしおらしい態度はどこいったよ、と内心思いながら、ユーリは肩を竦めた。
「仕方ないだろ。成り行きさ」
「成り行きで牢屋を出れたのかい」
「なんか騒ぎになってたじゃないか。もうちょっと警備に気合いれないと駄目なんじゃねーの?」
「……暗殺者にあそこまで侵入を許してしまったのは騎士団側にも責任がある。だけど、それと脱獄とは関係ない」
「わかってるわかってる」
 ユーリは五月蝿そうに手を振った。
「罰は受けるって言ってるじゃねえか。それで充分だろ」
「罰を受ける覚悟があるなら、どんな罪を犯してもいいのか?」
 フレンはまっすぐな目でユーリを見つめた。その言葉に、セシリアは息を飲んでユーリを見る。彼は守るべきもののためなら、どんなことでもするだろう。己の身体などぞんざいに扱われるべきと信じてでもいるかのように、爪の先ほども気に掛けず。
「その罰を下すのは帝国だろ」
 ユーリは常に浮かべている斜に構えたような表情で、そう答えた。フレンは噛み締めるような間の後、
「……そうだね。その罰が罪に対して公平であるかどうか……」
 自らに言い聞かせるように言った。
「見定めるのが、僕の役目なんだろう」
 二人は親友であり、同じ未来を目指して共に歩んできた同志だ。今、彼らは自らの居るべき場所を自ら定め、そこで自らにしかできないことをしようとしている。
「私は……」
 そんな二人を一番近くで見てきた。それはこれからも変わらないし、変えるつもりはない。
「傍にいるよ。ずっと、見てるから」
「……ああ」
「そうしてくれ」
 もう見失わない。彼らがこれから成し遂げるだろうことを、ずっと、見ている。
 フレンもユーリも、表情を和らげる。さて、とフレンは立ち上がった。
「邪魔したね。二人とも、今夜はゆっくり休んでくれ」
「ん、まあ、そうだな?」
「ええ、ゆっくり休ませてもらうわ」
 何か言いたげな視線を寄越したユーリを無視してセシリアはフレンに君も休まないとだめだよと肩を叩いた。ああ、と笑顔を残してフレンはドアを開けた。セシリアもフレンに続いて部屋を出る。引き止めるような仕草をしたユーリにお休みと告げて扉を閉めた。
「いいのかい?」
「いいのよ。そうだ、フレン。エステリーゼ様とは今どんな感じなの?」
「え? どんなって?」
 首を傾げたフレンの表情を見れば、色気のいの字も彼の周囲にないことがわかる。恋愛に発展すれば面白い、とは思っていたけれど本人もそういう状況ではなさそうだ。
「まあ、いいや。お休み、フレン」
「ああ、お休み」
 フレンが去ってしまうと、宿屋が静まっていることに気づいた。もう夜も遅い時間だ。ロビーには誰もいない。セシリアは奥に借りたもう一つの部屋を覗いた。部屋にベッドは三つ、眠っている人影も三つ。
 ほどなくして部屋に戻ってきたセシリアをユーリはもったいぶって迎え入れると、言い訳もろくに聞かず冷めかけたシーツの上へ押し戻した。
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