14: A moment to rest

 薄暗い路地の向こうに消えたあの色。よくある色だけれど、セシリアは直感していた。
「……フレン?」
「え!?」
 雨音に掻き消されそうなほど小さな声に、エステルは機敏に反応した。どこです!? と首が千切れんばかりに周囲を見回すので、目が回らないうちにとセシリアは建物の間にある細い路地を指差してやる。
「ちょっと、宿はどうするの?」
「先に行っててください!」
 寒そうに肩を抱いたリタにそう言い放つと、エステルは路地に向かって走り出した。
「じゃあ、リタとカロルは先に宿行ってて」
「はいはい」
 カロルが一瞬何か思うところがあるような目でリタを見上げたが見なかったことにして、セシリアはラピードと一緒に路地へ向かった。
 路地の奥から何か物音が聞こえてくる。
「……フレン!」
 エステルの、濡れてぺたりとなった桃色の髪が路地裏へ消える。同時に嬉しそうに弾んだ声が届いた。
「よかった、フレン。無事だったんですね? ケガとかしてませんか?」
 やっぱりか、と歩調を緩めながら覗いてみると、青い瞳を困ったように見開いた騎士と、その腰に抱きついているエステルが目に入った。傍には呆気に取られたようなユーリもいる。
「してませんから、その、エステリーゼ様……」
「あ、ごめんなさい。私嬉しくて、つい」
 指摘されてようやく、エステルはフレンから離れた。どんなに否定しようとも、その行動が如実に乙女心を表している。セシリアはなんとなくにやけてよ、とフレンに手を上げた。
「セシリア! びしょぬれじゃないか」
「それは君も一緒。鎧と髪が輝いていて眩しいね」
「ああ、そうか。それより、君がついていながらどうしてこんなことになるんだい」
「へ?」
 折角の再会だというのに何か怒っているらしいフレンは湿ってぐしゃぐしゃになった紙をセシリアの眼前に突きつけた。そこに書かれた文字はすっかり滲んでしまっていたが何とか解読できる。
「……あ、10000ガルドに上がってる」
「すげえだろ」
「喜ぶことじゃないだろう!」
 暢気な二人をぴしゃりと怒鳴り、フレンは肩を怒らせる。
「たった今もユーリは怪しい連中に襲われているし。セシリアはすっかり濡れて風邪を引きそうだし」
「だからそれは君も一緒ね。ちゃんと暖まりなさいよ。ていうかユーリ! 何一人で格好つけてるの!」
「なんのことかね」
「私も呼びなさいよね!」
「セシリア!」
 短い恫喝にセシリアは愛想笑いを返す。もちろんフレンには通じない。
「君達二人が結界の外に出てきてくれたのは嬉しい。だけど、それは騎士に追われるためじゃないだろう」
「まあまあ。それより、エステルから話があるらしいぜ」
 ユーリが宥めると、フレンはエステルを寒空に曝していることを思い出した。幼馴染と貴族の少女、優先順位は考えるまでもない。
「……じゃあ、続きは後で」
 フレンはそう言い残すと、エステルを率いて路地を出て行った。とにかく、雨に濡れながらの長い説教は回避できた。二人はほっと息を吐いて、目を合わせる。
「ねえ、何勝手なことしてるの?」
「なんの話だ?」
「あいつらの相手、一人じゃきつかったんじゃない? フレンが追いついてよかったわね」
「はん。たいしたことねえよ」
 額に張り付いた前髪を乱暴にかき上げると、ユーリは身震いしてみせた。
「すっかり冷えちまったな。カロルたちはどうしたんだ?」
「先に宿屋に行ってるわ」
「じゃ、行くか」
 一足先に路地を出た背中が、少し憎らしい。戦闘で引けを取らないことはもう充分示しているのに、こんな気遣いをされるのが悔しかった。水溜りを一歩で飛び越えて、ぶらぶらしていた右腕に飛びつく。ユーリは押されるまま前のめりになって、ぴったりとくっ付いてきたセシリアを振り返った。
「なんだよ」
「寒いの」
 ただでさえ雨のせいで悩ましい姿になっているのに、こうも張り付かれてはたまらない。部屋をもう一つ取るかな、とユーリは考えた。

 *

 宿屋に入ってみると、リタとカロルがすっかり寛いでいた。タオルを被って、暖を取るための魔導器を囲んでいる。カロルは二人の顔を見るとあからさまにほっとした。セシリアも宿の従業員にタオルを借りて、髪を拭いた。
「エステルは騎士と一緒に奥の部屋にいるよ」
 カロルは隣に座ったユーリにそう教えた。
「長く掛かるかもねー。どうする?」
 先にお風呂入っちゃおうかなと言いながらセシリアはリタの隣に腰を下ろす。外があれでは他にすることもない。
「もうちっと休んだら声掛けてみるかね」
 肩にタオルを掛けて、ソファに背を預けるとユーリはそう決めた。セシリアはぱっと立ち上がるとつつっとユーリの後ろに回り、肩に乗っただけのタオルを持ち上げ、黒い頭をがっと包んだ。
「うお!?」
「濡れたまんまじゃうっとうしいでしょ」
「止めろって、自分でやるっつーの!」
 髪に染み込んだ水分をわしゃわしゃと楽しげに拭い始めたセシリアから慌ててタオルを取り返す。セシリアは不満そうに唇を尖らせたがカロルやリタの前でこんな真似はできない。セシリアはユーリを少しでも狼狽させてやったところで満足することにして、大人しくリタの隣に戻った。
 四人と一匹が充分暖を得た頃、そろそろいいだろうとユーリはソファを立ち上がり、エステルとフレンが入る部屋へ入った。
 二人は真剣な面持ちで向かい合って座っていたが、話は粗方終っているようだった。
「ここまでの事情は聞いた。賞金首になった理由もね」
 フレンは悠然と立ち上がると、厳しい視線でユーリに向き直った。
「まずは礼を言っておく。彼女を護ってくれてありがとう」
「あ、私からもありがとうございました」
 フレンに続いて立ち上がり丁寧に頭を下げたエステルをユーリは魔核ドロボウ探すついでだと軽く流した。
「問題はそっちの方だな」
「ん?」
「どんな事情があれ、公務の妨害、脱獄、不法侵入を帝国の法は認めていない」
 なんでそこまで話すかな、とセシリアは頭を抱えたくなる。実直で誠実なことはわかるし、フレンもそういう美徳を愛する人だ。でも。
「ご、ごめんなさい。全部話してしまいました」
「しかたねえなあ。やったことは本当だし」
 告げ口した時の気まずさを顔に浮かべたエステルだったが、当のユーリはあくまでも開き直っている。
「では、それ相応の処罰を受けてもらうが、いいね?」
「別に構わねえけど、ちょっと待ってくんない?」
「下町の魔核を取り戻すのが先決と言いたいのだろう?」
 わかっているとフレンが言い終わったとき、ドアがノックされた。フレンが許可を与えると、騎士の女性と幼い少年が入ってきた。
「フレン様、情報が……なぜ、リタがいるんですか!」
 少年は顔から食み出すほど大きい眼鏡のレンズ越しにリタ・モルディオの姿を見つけて大声を上げた。彼女の存在は少年に上司の前であるということを忘れさせるほどのものだったようだ。
 少年は嫌味たっぷりに続ける。
「あなた、帝国の協力要請を断ったそうじゃないですか。帝国直属の魔導士が義務づけられている仕事を放棄していいんですか?」
「誰?」
「……誰だっけ?」
 ユーリに訊ねられて、リタは髪の毛ほども興味を示さず切り捨てた。歯牙にも掛けられなかったが、少年は気丈にも威厳を保ち、ふんと鼻を鳴らす。
「いいですけどね。僕もあなたになんて全然まったく興味ありませんし」
 会話が切れたところでフレンがオレンジの髪の女性騎士を示した。
「紹介する。僕……私の部下のソディアだ。こっちはアスピオの研究所で同行を頼んだウィチル。彼は、私の……」
「こいつ……! 賞金首のっ!」
 じっとユーリを睨んでいたソディアは見覚えあるその顔をどこで見たのか思い出して素早く剣を抜いた。剣先を突きつけられてもユーリは眉一つ動かさない。セシリアは思わず自分の剣に手を掛けそうになって、思いとどまった。
「ソディア、待て! 彼は私の友人だ」
「なっ! 賞金首ですよ!」
「事情は今確認した。確かに軽い罪は犯したが、手配書を出されたのは濡れ衣だ。後日、帝都に連れ帰り私は申し開きをする。その上で、受けるべき罰は受けてもらう」
 フレンの説明を受けて、ソディアは渋々ながら剣を収めた。
「……失礼しました。ウィチル、報告を」
 リタは面倒臭そうにもう用事は終ったんでしょと退出を促したが、ユーリはウィチルの報告に気を取られた。それによれば、港町に降り続いている暴風雨の原因が魔導器ではないかということだった。それも、それらしき魔導器が執政官の屋敷に運ばたという目撃証言もあるという。
「天候を制御できるような魔導器の話なんて聞いたことないいわ。そんなもの発掘もされてないし」
 リタはそこまで言って、自分の言葉にはっとする。
「……いえ、下町の水道魔導器に遺跡の盗掘……まさか……」
 それをユーリが引取った。
「執政官様が魔導器使って、天候を自由にしてるってわけか」
 それだけではなく、港は天候を理由に長らく閉鎖されているという。悪天候の中船を出そうとした者は法令違反として攻撃を受けた。これではトリム港へ行くことは困難だ。
 さらに執政官、ラゴウの悪評は続く。
「リブガロという魔物を野に放って税金を払えない住人たちと戦わせて遊んでいるんだ。リブガロを捕まえてくれば、税金を免除すると言ってね」
 先刻出会った夫婦はそのお遊びに巻き込まれた不幸な人々だったということか。しかもこの様子では、傷だらけになりながら家族のために魔物と戦うという無謀なことを強いられている弱者はまだいるだろう。
 話は終ったと、その日は宿屋で休むことにした。
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