12: Gigantic monster

 ハルルからカプワ・ノール港へ向かうルートの途中には、エフミドの丘がある。そこを越えればすぐに海が見えるのだが、生憎とユーリたちは視界の悪い森の中を突っ切っていた。最近結界が設置されたというからそれが機能していれば森の中も安全に通れたのかもしれないが、運悪く結界魔導器は破壊されてしまったあとだった。
カロルが仕入れた話によれば、魔導器を破壊したのは竜に乗った人だという。リタが騒ぎを起こしながらも壊れた魔導器を調べると、異常な使われ方をしていたらしかった。謎は尽きないが、ルブランたちが追いついてきただけでなくここへ来てさらに他の騎士にも目をつけられてしまったため、一行は最短ルートから脱線し森を抜ける道を余儀なくされた。

 *

 駆け足から並足になり、周囲を見渡す余裕も出てきた頃、リタは自分の背丈以上ある茎の先に赤い花をつけた植物に何気なく目に止めた。
「へえ。山の中じゃ、こんな花咲くんだ」
 毒々しくも見えるその花にリタが手を延ばし掛けるとエステルが鋭く制止をかけた。
「触っちゃだめ!」
 初めて聞いたエステルの大声に、リタは驚いて手を引っ込める。エステルはすらすらと暗唱した。
「ビリバリハの花粉を吸い込むと目眩と激しい脱力感に襲われる、です」
「あ、そうだ。ビリハリハだ」
 セシリアも思い出した、と頷く。花の形と触れてはならないことは覚えていたが、名称だけがどうしても思い出せなかったのだ。
 リタはふうん、と気のない振りで唸り、ちらっとカロルに狙いを定めた。
「あ、ごめん!」
 と言いながら、どん、とカロルを突き飛ばす。よろけたカロルは哀れにも、大量に噴射された花粉を全身に浴び硬直してしまった。
「うわっ」
 近くにいたセシリアも、慌てて口を塞いだが少量吸い込んでしまったらしい。ふらりとよろけたところをユーリが支えた。
「おいおい、どんくさいな」
「うう……」
「あらごめん、セシリア。巻き込むつもりはなかったんだけど」
「リタ! カロルにも謝ってくださいっ!」
 少し吸い込んだだけのセシリアも頭を抑えたのに、カロルの被害は甚大だった。エステルが治癒術をかけてみるも変化は見られない。カロルの症状よりもエステルの方ばかり見ていたリタに、ユーリはこれが目的かと溜息を吐いた。確かにエステルは傷つけていないが。
「いけるか?」
「ん、大丈夫」
 セシリアはこめかみを叩いて頭を振ると、しっかりと立ち上がった。
「カロルは?」
「……駄目みたいです……」
 カロルは棒立ちになったまま目を閉じ、口を利くこともできないでいる。
「治るまでちょっと掛かるからね……」
 顔に掛かった花粉を拭き取ってやり、背中を摩る。数度くしゃみをして、カロルは目を開けた。
「うう、気持ち悪い……」
「大丈夫です?」
「ひどいよ、リタ」
「だから、謝ったでしょ」
「あれは謝罪とは言わないよね……」
 後遺症で呂律が怪しい二人に恨みがましい視線を向けられ、リタはむっとすると早く行くわよ、と歩き出してしまった。

 *

「十二体目、と」
 茂みから飛び出してきたバジリスクを切り伏せて、セシリアは剣を収める。この辺りの魔物は比較的弱いのでたいした労力はいらない。カロルもいいリハビリになったようで、ずいぶん元気になっていた。
「手応えがねえな」
 くるりと剣を一回転させて肩に担ぎ、ユーリが物足りなさそうに言う。そんなこと言わないでください、とエステルが窘めた。そのとき、ふいに地面が揺れ、足を止める。右手にある崖の上に、巨大な魔物がいた。低く唸って殺気立っている。カロルは魔物を見るや悲鳴を上げた。
「あ、あれ、ハルルを襲った魔物だよ!」
 獰猛にむき出された牙を見上げ、こいつがね、とユーリは口の端を吊り上げた。
「君が手応えがないなんて不満を言うから」
「わざわざやってきてくれたってか? 親切じゃねえか。怖いなら逃げ出してもいいぜ?」
「誰に向かってそんなこと言ってるわけ?」
 セシリアはユーリそっくりの笑みを浮かべ、仕舞ったばかりの剣を抜く。カロルは頭を抱えて尻込みしていたが、もう敵の領域に踏み込んでしまったのだ。
 魔物は一声鳴くと、地面を蹴り、崖下へと飛び降りた。
「ほっといたらまたハルルの街を荒らしに行くでしょうしね」
 詠唱の姿勢を取るリタに、エステルも杖を握る手に力を込めた。
 背後の茂みから現れた小型の魔物に、カロルも急いでグレートアックスを手に取った。
 魔物ガットゥーゾは唇を震わせて唸ると、イライラと地面を掻き、狙いを定めて突進した。ユーリとセシリアは左右に分かれてこれを避ける。
「ささやかなる大地のざわめき……」
 リタの詠唱が始まる。素早く動くガットゥーゾの足止めをしようと、セシリアは斜めに魔物へ駆け寄った。セシリアを追いかける小型の魔物をカロルがアックスで叩く。突進が空振りに終わり体勢を崩していたガットゥーゾは素早く持ち直し、セシリアに振り向きざま大きな口を開けた。踏み出した左足を突っ張り、走る勢いを利用し方向を転換してガットゥーゾの正面から逃れる。反対側から近づこうとしたユーリに気づいてガットゥーゾは首を振った。そのまま勢いをつけ、一回転する力で二人を吹き飛ばす。
「うわっ!」
 リタが詠唱の後自身を囲むように光で軌跡を描くと、吼えたガットゥーゾの足元に布陣が浮かび上がる。
「ストーンブラスト!」
 盛り上がった大地から無数の岩が噴出し、柔らかな腹を直撃した。魔物は機敏に身体をずらし、術を全て喰らう前に飛び上がる。着地点を見越してセシリアは駆け出した。落下と共に巨体が地面を揺らす。飛ぶようにしてバランスを取り、一気に距離を縮めると腕を伸ばして背中を狙い剣を一閃させた。手応えはあったが浅い。セシリアはそのままガットゥーゾから距離を取ろうとして前方に生えていたビリハリハの花に気づき間一髪で身を捩った。こんなところにまで生えているとは、厄介だ。
「牙狼撃!」
 ユーリの掛け声と共に放たれた技に、ガットゥーゾが吼える。深い傷を負った獣の瞳は鋭さを増した。だらりと舌を垂らし、血走った目で獲物を睨む。そこに捉えられたのはエステルだった。狂ったように向かってくる巨体と杖を構えたエステルの間に、ユーリが割り込む。肉を食いちぎってやろうと開けられた真っ赤な口が迫ってくる。
「ファイヤーボール!」
 ユーリと衝突する寸前、横から殴ってきた炎の魔術に巨体の進路が僅かにずれた。この隙にエステルはガットゥーゾから距離を取る。もがき狂うガットゥーゾの牙を危うく交わし、懐に飛び込むとユーリは剣を突き立てた。そこにセシリアが加担し、背中に飛び移るとこれで終らせるとばかりに深く心臓を狙った。
 二本の剣は分厚い毛皮を突き破り、太い血管を断ち切っていた。
 魔物は絶叫する。剣を抜いて二人が離れると、魔物は天を仰いだままゆっくりと崩れ落ち、黒い血を噴出しながらどう、と横倒しになった。
「聖なる活力、ここへ……ファーストエイド」
 エステルの声が響き、ユーリの身体をエアルの光が包む。ガットゥーゾの肉体が溶けていくのを見届けて、ユーリは刃に着いた血を払った。
「や……やったね!」
 肩を上下させながら、カロルは赤くなった頬に満面の笑みを浮かべた。
「これでハルルの街も安心ですね」
 エステルは充実感に顔を綻ばせ、カロルに手を差し出した。カロルは飛び跳ねるようにその掌を叩く。エステルは続いて不審げな面持ちのリタに手を向けた。
「はい、リタも!」
「え、ええ?」
 よくわからないまま勢いに押されて手を上げると、思い切り良く叩かれる。じいんと掌が痺れる痛みにああ、とリタは行動の意味を理解した。
「って、あんた何もしてないじゃない」
「え!?」
「回復してくれたよ!」
「あんたはうっさい」
 拳を振り上げたカロルの頭にリタはチョップをくれてやった。
 リタらがガットゥーゾに必死になっている間、小型の魔物と対峙していたカロルのサポートをしていたのはエステルだった。
「ま、なんとかなったな」
「ね。……あんまりはしゃいでないで、そろそろ行こうよ!」
 余裕を纏って彼らを遠巻きにしていたユーリとセシリアに呼ばれ、いかに心身を削る戦いだったかを語り合っていたカロルとエステル、その後から気だるそうにリタが追いついてきた。
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