11: Where is your intention?

 ああ、やっぱり満開だな……。
 爛漫と咲き乱れる様は薄桃色の霞かと思われる。街全体に広がる枝についた花は太陽の光を浴びて燦然と輝き、一年に一度の満開を謳っていた。咲き誇ればあとは散るのみ。花の命は短い。もう一度戻ってきたときには、果たしてどれだけの花が残っているか、そう考えると今の満開がうらめしく思えるくらいだった。
 文句を言ってももう仕方ないけれど。

 ハルルの街に戻ってきたユーリたちと、新に増えた同行者リタは、街の入り口に立ち壮大なハルルの樹を見上げていた。
「なにこれ、もう満開の季節だっけ?」
 リタはその美しさに圧倒されるでもなく眉根を寄せ、顎に手を添えた。だから言ったでしょ、と調子に乗って自らの功績を吹聴したカロルの頭に考えの邪魔だと軽くチョップを入れてやる。
 そのまま樹のほうへ歩き出してしまったリタと入れ違いにこちらにやって来た町長と再会し、フレンの行方を聞くと町長は白いものの混じる眉を下げて残念ですが入れ違いに、と答えた。一体何度目になるだろう、エステルはすっかり気落ちして肩を落とした。
「もしもの時はと手紙をお預かりしています」
 エステルは差し出された手紙を受け取るやすぐに開封する。隣から覗き込んできたユーリに見えるように手紙を開いた。一枚目を見て、エステルはこれは本当にフレンの手紙だろうかと疑った。
「……これ、手配書?」
 横合いからセシリアが手を伸ばして落書きの書かれた紙を取り上げる。壁や床や、ところ構わず悪戯書きをしたがる時期にある子供だってもう少しましに描くだろうと思われるほど酷い絵に気を取られていたが、よく見ればその落書きは人相書きで、その下には金額と名前が書かれていた。
「ユーリ・ローウェル。5000ガルド」
 セシリアの読み上げた名前に、皆が一斉にユーリを見た。当のユーリは悠々と言ってのける。
「ちょっと悪さが過ぎたかな」
「い、いったいどんな悪行重ねてきたんだよ!」
「これって……わたしのせい……」
 沈んだ声で呟いたのはエステルだった。脱獄しただけの人間に懸ける金額としては5000ガルドは高い。脱獄だけでなく、余罪……例えば、城内から高貴な人を攫った誘拐犯、というなら納得のいく額である。
 言葉を失っているエステルに、やはりユーリは変わらない調子で笑ってみせるのだった。
「こりゃないだろ。たった5000ガルドって」
「そんなことないわよ。ちょっと騎士を呼んでくるからここにいてね、ユーリ」
「ええ!? ま、待ってください、セシリア!」
 幼馴染の二人にとっては「ちょっとした軽口」であるやりとりを聞いて絶叫したエステルに、セシリアは嘘嘘と気楽に手を振ってやった。ちょっとした軽口っぽく誤魔化したが、実は半ば本気だったことは黙っておく。
 冤罪だからすぐ釈放されたなんて、真っ赤な嘘じゃない。
 こんな賞金を懸けられてしまって、今まで彼が働いたお節介な法破りとは比べ物にならない。
「もう、笑えない冗談は止めてください。とにかく、ユーリは悪くないんです! 私が巻き込んでしまっただけだから」
 だから、フレンに会ったら説得して取り下げてもらいます、とエステルは意気込んだ。
「で、そのフレンだけど。手紙の続きは?」
「あ、はい」
 拘る素振りも見せず、ユーリは話を元に戻した。二枚目の手紙には、短く先にノール港に行っていることと、暗殺者に気をつけろという注意が書かれていた。
「ハルルに留まるか、ノール港に直行すればよかったんじゃない」
「終ったことを言ってもしょうがねえだろ。あいつ、やっぱり狙われてることに気づいてたな」
 あくまでマイペースに話題を持っていくユーリに、セシリアは唇を尖らせた。それには気づかず、ユーリはエステルに向き直る。
「どうする?」
「そうですね……どうしましょう」
「オレはノール港に行くから伝言があるなら伝えてもいい」
「それは……。でも……」
 決めかねているらしく、エステルは頬に手を添えて言い淀んだ。そういえば詳しいことは聞いていなかったと、セシリアは訊ねる。
「エステルって、どうしてフレンを追いかけているんだっけ?」
「あ、その、狙われていることを知らせたくて……。でも、知ってたんですね」
「それだけ?」
 つまりまったくの徒労だったというわけである。セシリアは骨折り損ということよりも、骨を折って成し遂げようとしたその内容に呆れた。
 世情に疎い箱入り娘が初対面の男と結界の外へ出ようと思い切るには、いささか弱い。それこそ惚れた男の安否が心配で居ても立っても居られなかったという方がしっくりくる。
「情熱的なのね」
 なのでそう解釈することにしたセシリアの独り言に、エステルは首を傾げた。
「ま、どうするか考えときな。セシリア、行こうぜ」
 リタが面倒起こしてないか心配だしな、と言い残してユーリはハルルの樹へ足を向けた。セシリアを促すように尻尾を揺らして、ラピードが後に続く。
「……なによ、これ。こんなのありえない……」
 リタは樹を見上げて何事かをぶつぶつとつぶやいていた。背後にやってきたのがセシリアたちだと知って、顔を少しだけ横に向ける。
「ほんとに、エステリーゼがやったの?」
「なんでエステルなんだよ」
「アスピオを出る前に、カロルが口滑らせたでしょ?」
 やっぱり察してたか、とユーリは心の中で舌を出した。我ながら不自然な制止をしてしまったものだ。リタは腰に手を当て、ふるふると首を振る。
「こんな真似されたら、あたしら魔導士は形無しよ」
「商売敵はさっさと消すんだな。そのためについてきてるんだろ?」
 ユーリの身も蓋もない言葉に、無表情だったリタの頬にさっと朱が差した。
「そんなわけないでしょ!? あたしには解かなきゃならない公式が……!」
「公式がどうしたって?」
「……なんでもない、忘れて」
 そういわれて忘れられるものではないが、本人にこれ以上喋る気がないなら追求もできない。ただそれがエステルに関係あることだけは、二人とも感じた。
「で、あんたらの用件は何?」
「ま、半分くらいは今ので済んだ」
「なら、もう半分は?」
 これはセシリアもよくわかっていなかった。まさか花見とは言わないわよね、と横目で見やるとユーリは珍しく軽薄な笑顔を消していた。
「前にお前言ったよな、魔導器は自分を裏切らないから楽だって」
 それはシャイコス遺跡に入るときに、リタが漏らした韜晦だった。何も傷つけずに望みを叶えようなんて悩み、心が贅沢だからできるのよ、なんて若い身空に似合わぬ台詞と共に、セシリアの印象にも深かった。
「エステルとお前はどっちも人間だ。魔導器じゃない」
「……ああ、そういうこと」
 あの子が心配なんだ、とリタはどこか卑屈に笑う。自らの言葉が相手にどう影響するか自負しながら、その上でユーリは続けた。
「エステルは、俺やお前と違って正直者みたいだからな。無茶だけはしないでくれって話だ」
 リタは研究者特有の鋭い観察眼で、エステルが魔導器を用いず治癒術を発動できることを見抜いていた。そしてそのことに強い興味を抱いていることを、自分の周囲に張り巡らした、特に厄介ごとに敏感な嗅覚で察したユーリは、その探究心が無垢な少女を傷つけるのではないかと危惧していた。
 セシリアは樹を見上げ、あの夜の奇跡を振り返った。
「あの子の力って、研究者にとっても興味深いものなのね」
「……多分ね」
 リタは言葉を濁し、セシリアに倣って首を上向けた。バナシーアボトルでも回復できなかったものを、魔導器の力も借りず治してしまうなんて偉業を、果たして奇跡の一言で終らせていいのだろうか。

 ――それは、世界の毒だ

 ふいに閃いた言葉は誰のものだったか。緩やかに跳ねた銀の前髪の隙間から覗いた赤い瞳の深淵がいかに深かったかを、セシリアはどこか懐かしく思った。
 デューク。また、会えるだろうか。




 坂を下る途中、エステルらと共に居る人影を認めて、ユーリたちは足を速めた。
「帝都まで丁重にお送りするのであーる!」
「あとはユーリをとっ捕まえればいいのだ!」
 ひょろりと細長い胴体に棒切れをくっつけたマッチ棒のような男と、丸い頭に丸い首の小柄な頭身の達磨男、そして二人の前に立つがっしりとした体型の、髭を生やした騎士。遠目からでも判る特徴的で、いっそ親しみさえ感じてしまう輪郭に、セシリアは走りながら思わず笑みを浮かべた。
「ルブラン!」
「むっ!? あなたは!」
 気難しい顔が機敏に振り返り、セシリアは堪え切れなくて笑い声を上げる。隣でユーリが憂鬱そうな顔をしたのは目に入らなかった。
「あはっ、久しぶり! まだこのどうしようもない人を追っかけてるのね」
「セシリアさん、あなたこそなぜ未だにその男と一緒にいるのですか! そやつはエステリーゼ様を誘拐した重罪人ですぞ!」
 上司の言葉に勢いを得て、ボッコスとアデコールが揃ってユーリに槍を向ける。
「やだ、本当に誘拐犯だったのね。幻滅!」
「おいおい、俺がそんな悪人に見えるか? 哀しいぜ」
 大げさにショックを受けたという顔をするセシリアに、ユーリは困った奴だとでもいいたげに口の端を上げる。久しぶりの遊びにセシリアの演技には少々熱が入っていた。何が面白いのか、とその後ろでリタは思い切り蔑んだ顔をする。そこにエステルが急いで割り込んだ。
「ユーリは悪くありません。私が連れ出すように頼んだのです!」
「ええい、おのれ、ユーリ! エステリーゼ様を脅迫しているのだな!」
「これは私の意志です! 必ず戻りますから、あと少し自由にさせてください」
 エステルの言葉に聞く耳も持たず、ルブランは喚き散らす。ユーリの信用のなさに泣くべきか、ルブランの硬くなさを嘆くべきか。
「なりませんぞ! 我々とお戻りください!」
「戻れません。わかってください!」
「どうして戻らないの?」
 遊びが中断されて真顔に戻ったセシリアが、ごく自然な調子で訊ねたので、白熱して言い争っていた二人は気勢を削がれてセシリアを振り返った。
「だって、フレンへの用件は済んだじゃない?」
 エステルはう、と反論の語を失って何かを探すように視線を彷徨わせる。自分を追ってきた騎士を納得させ、今もまだ彼女が誘拐されたと案じている城の貴族達を安心させるだけの理由を伝えるだけの言葉が、今はすぐには見つからないようだった。
「……戻らないって言ってんだから、さっさと消えなさいよ!」
 沈黙を破って吼えたのは、今まで部外者のような顔をしていたリタだった。さらに息継ぐ間もなく詠を唱え、アデコールにファイヤーボールを見舞わせた。同時に、ユーリがボッコスを柄で殴って気絶させる。
「ユーリっ! あの人たち!」
 咄嗟にエステルが遠方を指差した。そちらに目をやれば、明らかに街人ではない集団がこちらに向かってくるところだった。ユーリは剣をくるりと回すと肩に担ぐ。
「やっぱり、俺らも狙われてんだな」
「ど、どういうこと?」
「話は後だ! カロル、ノール港ってのはどっちだっけ?」
「え、あ、西だよ、西!」
 話が見えないカロルを急かして、ユーリを尖頭に街の外を目指して走り出す。またこのパターンか、とセシリアは内心うんざりした。花見なんてできやしない。
この期に及んで駆け出したユーリとルブランを見比べて立ちすくんでいたエステルは、リタに手を引かれて半強制的に避難を選んだ。
 ユーリがふいに方向転換し、ルブランたちに向き直る。
「騎士の心得ひとーつ!」
 嘗て騎士団に所属していたころ、毎日のように復唱されていたそれを、ユーリは感慨もなく繰り返した。
「その剣で市民を護る! ……そうだったよな?」
 ルブランたちは何を今更、と怪訝な顔でユーリを見たが、すぐ傍まで迫っていた暗殺者らを目の当たりにすると考えるよりも早く剣を抜いていた。
「その通り! いくぞ、騎士の意地をみせよ!」
 意気込みも強く彼らと交戦し、ユーリたちが街の外に出たことに気づいてようやく、実直な騎士たちは自分達が足止め役にされていたこを知った。
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