10: Manipulate a golem

 もう逃がしはしない。
 転んで足を痛めたか、疾走して体力を使い果たしたか、地面に腰をついてそれでも諦め悪く後退する白マントの男の背後に回る。
「魔核盗んで歩くなんて、どうしてやろうかしら……」
 幼い外見に不釣合いな酷く冷たい瞳で男を見下ろし呟かれた言葉は男の身体を縮み上がらせた。そこに先ほどまでいかにも悪役らしく威勢のいい台詞を吐いていた余裕はもう微塵もない。
 リタが手を上げる素振りを見せると、男は息せき切って弁解した。
「や、やめてくれ! お、俺は頼まれただけだ。魔導器の魔核を持ってくれば、それなりの報酬をやるって」
 鞘から抜き払った剣を無造作に下げて、ユーリは片眉を上げる。
「お前、帝都でも魔核盗んだよな?」
「帝都? お、俺じゃねぇ!」
「お前じゃねぇってことは、他に帝都に行った仲間がいるんだな?」
 ユーリの鎌掛けに、男は光明を得たりと上擦った声で答えた。
「あ、ああ! デ、デデッキの野郎だ!」
「そいつはどこいった?」
 調子のいい答えに、また自分の罪を他人に擦り付けているのではないかとセシリアは疑う。アスピオの学者、モルディオの名を騙ったように。
「今頃、依頼人に金をもらいに行っているはずだ」
「依頼人? どこのどいつだ」
 依頼人はトリム港にいること、詳しいことは知らないこと、顔の右に傷のある、隻眼でバカに体格のいい大男であることを男は痞えながらも饒舌なほどに答えた。
「それだけわかれば充分かしら」
 セシリアは酷薄な笑みを浮かべると、さっと剣を振り翳した。白刃が閃いてマントに隠れた首を両断する前に、男は額を地面にぶつける勢いで蹲った。
「こ、殺さないでくれ! 俺は盗んでなんていない!」
「そう。それじゃ、わざわざ特別なアイテムがなければ入れないような遺跡に潜って、一体何をしていたの?」
「そ、それは、し、仕事で」
「人に言えないような仕事なわけ」
 内臓を突き刺す氷柱のようなリタの声音に、男は蒼白になって言葉を飲み込んだ。
「なんか、この人一人が悪いだけじゃなさそうだよね。何か企んでる黒幕がいそう」
「カロル先生、冴えてるな」
 ユーリも男の話を聞きながら、どうも話が下町の魔核を取り戻せば済む程度の規模から離れていることを感じていた。
 自棄になったのか、男は地面を叩きながら悔しげに喚いた。
「騎士も魔物もやり過ごして奥まで行ったのに! ついてねぇ、ついてねぇよっ!」
「騎士? やはりフレンが来てたんですね!」
「ああ、そんな名前のやつだ! くそ! あの騎士の若造め!」
「……うっさい!」
 いつまでも見苦しく愚痴を垂れる男を黙らせたのはリタの拳だった。遠慮のない一撃は男の脳天をひっくり返し、意識を奪った。フレンの名を聞いて浮かんだエステルの微笑みが硬直する。
「リタ、やりすぎじゃ……」
「そ、そうだよ。気絶しちゃったよ、この人」
「後で街の警備に頼んで拾わせるわ」
「途中で目が覚めたら厄介だから縛っとこう」
 青褪めたエステルとカロルは口を閉じることも忘れ、男のマントの裾を破り縛りつけ始めたセシリアと、それを当然のように見ているユーリとリタを奇異の目で眺めた。
 男を柱にしっかりと繋ぎとめ、手を払うとセシリアはリタに向き直った。
「魔核泥棒はこいつとデデッキってやつだったようね。疑ってごめんね、モルディオさん」
「ずいぶん軽いわね。人のプライベートに踏み込んだ謝罪がそれだけ?」
「それは不可抗力だわ」
「……まあ、いいわ」
 けろりとして言うセシリアにリタは呆れたように肩を竦めただけだった。
「こっちも収穫はあったし」
 独り言のように言ったリタの視線は、一瞬エステルに向けられ、その隣にいたユーリに移った。
「で、あんたは?」
「悪かったよ」
 こちらはさらに心の篭らない謝罪だ。リタは何か言いたそうな間を空けてから、もう一度まあ、いいわと肩を竦めた。
 そうして一向は、シャイコス遺跡を後にした。

 *

 リタの言う盗賊団であるところの白マントの男はアスピオの警備に無事引き渡された。リタがアスピオの東にあるシャイコス遺跡にユーリらを連れて行ったのは騎士たちが話していた盗賊団が帝都の魔核を盗んだ犯人ではないかと推測し、真犯人の下へ連れて行くことで自らの潔白を示すという意図からだった。
 魔物たちを切り伏せ思ったよりも深い遺跡の地下に潜り込んだ結果は、前述の通りである。
一度リタの小屋に戻り小休止した後、落ち着きなく小屋の中を言ったりきたりしていたエステルにユーリが声を掛けた。
「フレンが気になるなら黙って出て行くか?」
「あ、いえ、リタにもちゃんと挨拶をしないと……」
「なら、落ち着けって」
 リタはまだ警備の元から戻っていない。エステルはユーリに言われてその場にすとんと座り込んだ。花びらのようなスカートがふわりと広がる。セシリアはそれを目の端で見ながら、欠伸を噛み殺した。
「ユーリはこの後どうするの?」
「魔核ドロボウの黒幕のところに行ってみっかな」
 カロルに聞かれて、ユーリは考えながら答えてからセシリアを見やった。セシリアは賛同の意を視線で示す。
 黒幕が拠点にしているらしいトリム港へ行くにはエフミドの丘を越え、カプワ・ノーム港から船に乗っていかねばならない。なら同じ方向だ、とカロルは喜んだ。
 エステルの方はフレンを追うためにハルルへ戻るという。ならここでお別れか、と考えたセシリアに対して、ユーリは考えるような間を空けた後、じゃあ俺もハルルへ戻るかな、と言い出した。
「何言ってるの? そんな悠長なこと言ってる暇ある?」
 セシリアにしてみれば、あとは黒幕を倒して魔核を取り返すだけなのだ。それは一刻だって早いほうがいい。しかしユーリはのんびりと答える。
「慌てる必要ねえって。あの男の口ぶりからして、港は黒幕の拠点っぽいし。それに、西行くならハルルの街は通り道だ」
 そうだけど、とセシリアは不満を隠しきれず口角を下げた。はっきりとは言わないが、自ら望んで貧乏籤を引き、一度引き受けたことは放り出さない性質なので大方エステルを一人でハルルまで行かせることに抵抗があるのだろう。外に出ても、そんなところは変わらない。仕方がない、と諦めたセシリアだが、そんなユーリの性格を知る由もないカロルは未だ眉を寄せていた。
「カロル先生には急ぐ用事でもあんのか?」
 好きな子が不治の病で早く戻らないと危ないとか、なんてからかうユーリの台詞を真に受けて、そんなはかない子なら……と溜息を吐く。好きな子のために急いでいるらしいということを耳敏く聞きつけて、エステルは楽しそうにカロルへの追求を開始した。フレンの身を案じていた不安げな様子はどこかへ吹っ飛んでしまっている。
「あ、違う、違うよ! だいたい、ノール港じゃなくて……」
「ノール港じゃないんです?」
「知らない……ボクは何も知らない」
「さっさと白状した方がいいぞ。エステルの顔に、諦めないと書いてある」
「そんなんじゃないんだってば!」
 じゃれ合う三人を微笑ましく見ていたセシリアの背後で扉が開いた。戻ってきたリタは騒がしい彼らの様子を冷めた目で見つめた。
「お邪魔したわね」
「なに? もう行くの?」
 リタが戻ってきたことに気づいて、ユーリも立ち上がると言った。
「長居してもなんだし、急ぎの用もあるんだよ」
「リタ、会えてよかったです。急ぎますのでこれで失礼します。お礼はまた後日」
「別に、そんなのいいし。私も一緒に行くから」
 さらりと伝えられた言葉に、セシリアは耳を疑い思わずは? と言いそうになった。同様に呆気に取られているユーリたちに微塵も表情を動かさず、リタは飄々としたものである。
「ハルルの結界魔導器。気になるから」
「それなら、僕たちで直したよ」
「はあ? 素人がどうやって」
 取ってつけたような理由を吐いたリタは、カロルの言葉に信じられないと眉を寄せる。蘇らせたんだよ! と意気揚々と説明したカロルの言葉に被せるように、素人も侮れないもんだぜ、とユーリが締めた。リタはユーリの発言のタイミングに引っかかったようだが、腕を組んでますます心配だと唸った。
「本当に直ってるか確かめないと」
「……じゃ、勝手にしてくれ」
 どうしても着いて来る気らしいリタに、ユーリは素っ気なく手を振った。カロルはもとよりセシリアも反対しないのを見て取って、リタの同行が許されたと知るや否やエステルが顔を輝かせてリタに駆け寄った。あまりの笑顔に、リタが怖気づいたように無表情を崩す。
 そんなリタに構わずエステルはリタの手を握った。
「私、お友達が増えて嬉しいです!」
「お、お友達って」
「よろしくお願いしますね!」
 特に関心もなく成り行きを見守っていたセシリアは、エステルに期待を込めた翡翠の瞳を向けられて、何を求められているかわからずとりあえず笑みを返した。エステルはじれったくセシリアの手を取ると、リタの手に重ねる。
「お友達、です!」
「ああ、友達ね。じゃあリタって呼んだ方がいいのかな?」
「な……、か、勝手にすれば」
 にっこりと微笑んでやると、リタは耳を真っ赤にしてそっぽを向いた。だが手を振り払うでもないところを見ると、まんざらでもないらしい。なんとなく変な展開、とセシリアは心の中で首を傾げた。

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