09: The city in the shade

 魔核泥棒モルディオは、学術都市アスピオの有名人であるらしい。
 門番や図書館にいた研究員らの反応だけでもそれは明らかだ。それも、悪名ばかりが轟いている。
日陰の街という名の通り、山の麓から地下へと緩やかに伸びた洞窟の中に、その都市は広がっていた。じめじめとして黴た匂いが漂う空気を照らすものは魔導器の明かりのみであるから幽暗で、奥の方は建物の輪郭が影に溶けて奥行きが散漫になっている。
 岩肌が剥き出しになった天井の下、広場を通り過ぎて脇道を探した。研究に没頭している研究員からなんとか聞き出せた情報によれば、変わり者のモルディオは整備されていない階段の奥にある小屋を住居としているということだ。ほどなくして荒削りの岩の上に、凹凸を隠すように板が置かれただけの階段を見つけ、ユーリを尖頭に一向はそれを降りて行った。
 果たして、一本道の階段は小屋の前まで彼らを案内してくれた。
 青味掛かった石造りの建物の間を通ってきたせいか、木を継ぎ接ぎにして組み立てたその小屋は余計にみすぼらしく見える。
「『絶対、入るな。モルディオ』……だって」
 ドアに張られた紙を読み上げて、カロルは不安そうにユーリを見上げる。ユーリはふむ、と唸るとノブを捻った。鍵が掛かっている。次いでノックをしてみた。
「順番が逆です」
 エステルの注意に肩を竦め待ってみたが応答はない。留守らしいと手を上げたユーリに、ボクの出番だね、とどこか張り切ってカロルが進み出た。
「カロル! 駄目です!」
「下町の魔核を盗んだ奴なのよ。礼儀なんていらないわ」
「そんな……それは横暴です」
 カロルは先ほども見せた器用さを発揮し、鍵穴を探る。図書館の扉とは鍵の構造が違うためか、少々手間取っているようにも見えた。それにしても手馴れている。一体どこでこんな技を覚えたのか。失望しているエステルには悪いが、カロルが着いて来たのは結果的に良かった、とセシリアは思う。彼の技術がなければ許可証を持っていない彼女達がアスピオに入れたのは、もっと後のことだったろう。

 アスピオにはあらゆる学術学問、技術や知識が仕舞いこまれている。これらは全て帝都の管理下に置かれていた。今ならアスピオがこのような辺鄙な場所に立てられている理由がよくわかる。入り口が一つしかないここは、知識の砦としては最良の場所と言えた。気温が低めに保たれているのも、書物を保存するのには好都合だろう。
 読書とは無縁でここまで来たセシリアだが、天然の洞穴の壁一面を埋め尽くし、なお飽き足らず床に積み上げられ天井にまで達するかと思われる大量の本を見て、妙に圧倒された。誰もが一言も喋らず、とっくりと自分の求める知識だけを追い求められるあの環境なら、読書も楽しいかもしれない、そう錯覚させる雰囲気が、あの閉鎖された空間を満たしていた。
「開いたよ」
 ユーリは遠慮なく小屋へ足を踏み入れた。セシリアも魔核を取り戻そうと勇んで小屋の中を見渡した。小屋の中は円筒形の真ん中に仕切りを作り、一階と二階に分けるという簡単な造りになっていた。二階の床の一部に穴が空いていて、そこから梯子が伸びているが昇るのは難しそうだった。梯子の足元に、本やガラクタが山と積まれているのである。
 梯子の廻りだけでなく、部屋のいたるところに玩具のような物や本が無造作に転がっていた。
「すっご……。こんなんじゃ誰も住めないよ」
「その気になりゃあ、存外どんなとこだって食ったり寝たりできるもんだ」
「ユーリ、先に言うことがありますよ!」
「こんにちは。お邪魔してますよ」
「カギの謝罪もです」
「カロルが勝手にあけました。ごめんなさい」
「もう、ユーリは……。ごめんください、どなたかいらっしゃいませんか?」
 言って聞かせてもまったく罪悪感のない人間に誠意ある謝罪を求めることは無駄骨のようだ。エステルは抑揚のないユーリの声音に溜息を吐いて、代わりに頭を下げる。
 セシリアは梯子の回りを塞いでいるガラクタを睨んだ。まるでバリケードのようだ。もしかしたらユーリらの来訪に気づき、二階に逃げたモルディオが時間稼ぎをしようと梯子を塞いだのかもしれない。
 そう推理するとセシリアはガラクタを掻き分け始めた。手当たり次第にガラクタを端に除けていると、均衡を失って上に積み重なっていた分が雪崩落ちてきた。少し見えてきた床がすっかり埋もれてしまってセシリアは眉を寄せた。
 これ以上同じ事をしていても埒が明かない。
「モルディオ、いるなら観念して出てきなさい!」
 一声叫び梯子を睨み上げるとガラクタの上に飛び乗った。足場が崩れる前にと右足を踏み出す。足を下ろす前に左前方のガラクタが崩れ、何かが飛び出してきた。たまらずに、セシリアはバランスを崩してガラクタの山から転げ落ちる。
「セシリア!」
 上手く受身を取れず、ダメージをそのまま腰に受け、セシリアの目の前は一瞬真っ白になった。そのままひっくり返りそうだった背をすかさず支えて、ユーリは本の山から飛び出してきたものを睨む。
「……うるさい……」
 白いフードの下から不機嫌に呟く声が漏れた。本の山から突如生えたそれは続けて何事かを発音する。セシリアは赤いマントの下で何かが煌くのを見て、はっとして自分の魔導器を装備した腕を掲げた。
「あどけなき水の……っ」
 詠唱の途中で壁際にぐいと押しやられ、発動が中断される。けれどその判断は正しかった。
「ドロボウは……吹っ飛べ!」
「え、あ、いやあああっ!」
 火の玉が腕二本分の近距離を焦がして飛んでいく。ファイヤーボールは本来の標的を外れて、その軌道上に隠れていたカロルに直撃した。
 煤けた粉塵の中から咳き込んでいる声が聞こえて、どうやら無事であることを知る。
 狭い室内で下級とはいえ炎系の魔術を発動してみせた人物はフードを外し、その下に隠れていた意外に幼い少女の顔を灯りの元に晒した。
「こんだけやれりゃあ、帝都で会ったときも逃げる必要なかったのにな」
 魔術が得意でないユーリにも、その詠唱の速さと完璧さは理解できる。警戒するには十分なパフォーマンスだった。鞘を抜き払い、剣の切っ先を少女の鼻に突きつけた。
「はあ? 逃げるって何よ」
 対して返ってきたのは実に緊迫感に掛ける声だった。喋るのもかったるいのか物憂げである。
「なんであたしが逃げなきゃならないの?」
 それは自信か鈍感か。向けられた敵意に対してまったく無防備な少女に、セシリアは内心感嘆する。さすが悪名高いだけある、といったところか。不遜な瞳と気負わない姿勢からは何者にも膝を屈しないという意思が感じられる。天才ゆえの自負と尊厳、それらが少女のこの態度を形成している。
「そりゃ、帝都の下町から魔導器の魔核を盗んだからだ」
「いきなり何? あたしがドロボウってこと?」
 人の家に不法侵入してきたのはどっちよ、と言いたげに少女はユーリを見下す。セシリアは立ち上がり、見極めようとしていた。彼女が魔核を盗んだモルディオ本人であるかを。
「あんた、常識って言葉知ってる?」
「あの」
 剣呑な空気の中、エステルが進み出ると少女の前まで来て、頭を下げた。この行動に、少女は動揺を顕にする。
「な、何よあんた」
「私、エステリーゼって言います。突然、こんな形でお邪魔してごめんなさい! ……ほら、皆さんも」
 エステルに促され、カロルだけが謝罪の言葉をもごもごと零した。ユーリは剣を仕舞っただけだった。
 崩されたペースを取り戻そうと、少女は一行を見渡す。
「で、あんたら何」
「えっと、このユーリという人は、帝都から魔核ドロボウを追って、ここまできたんです」
「それで?」
「魔核泥棒の特徴ってのが」
 ユーリは少女を目で指しながら続けた。
「マント! 小柄! 名前はモルディオ!」
 少女は白いフードの着いた、全身を覆う赤いマントを纏っている。身長はカロルと同程度、そして玄関には『モルディオ』と記されていた。
「ふーん。確かにあたしはモルディオよ。リタ・モルディオ」
「で、実際のところどうなんだ」
「だから、そんなの知ら……」
 ない、と言う前に少女、リタは台詞を切り、その手があるか、などと独り言を零した。
 一人頷いて顔を上げると一言。
「着いて来て」
 と告げてガラクタの山を出ると、部屋の奥へ向かった。
「お前、意味わかんねえって。まだ話が」
「いいから来て。シャイコス遺跡に盗賊団が現れたって話、せっかく思い出したんだから」
「盗賊団だぁ?」
「協力要請に来た騎士から聞いた話よ。間違いないでしょ」
 そう言い捨てて、壁代わりの結晶で区切られた向こうへ隠れてしまう。狭い部屋のこと、逃げ道は玄関より他ないのだからその心配はないが、ユーリは怪しい動きがないか神経を尖らせた。
「騎士って……もしかしてフレンじゃ」
「……だな」
「じゃ、フラれたんだね」
 セシリアは真面目な顔をして協力要請を断られたことをそう表現した。
 カロルが小声で発言する。
「そういえば、外にいた人も遺跡荒らしがどうとかいってたよね」
「つまり、その盗賊団が魔核を盗んだ犯人ってことでしょうか?」
「さあな……」
 現時点で一番彼女が怪しいことに変わりはない、だがまだ証拠がないから決め付けられない。
 ユーリが部屋の奥へ視線を投げると、ちょうどリタが姿を現した。全身を包んでいたマントを脱いでしまって、ずいぶんと印象が変わっていた。細身の身体がファーストインプレッションで抱かせた年齢の予想をさらに下げさせる。実際カロルとそう離れてはいないだろう。
 リタは淡々とした声で言った。
「相談終った? じゃ、行こう」
「とか言って、出し抜いて逃げるなよ」
「来るのがいやならここに警備呼ぶ?」
 困るのはあたしじゃないし、と起伏のない表情でリタは警告する。
 それが余計に脅しではなく実行する気十分であることを滲ませていた。
「行ってみませんか? フレンもいるみたいですし」
「そう? なんかまた擦れ違いそうな気がするんだけど」
 こそこそと囁くエステルに、セシリアはうんざりしてみせる。アスピオに着いたときも、フレンはすでに発った後だったのだ。
「捕まる、逃げる、ついてくる、どうすんのかさっさと決めてくれない?」
「わかった。行ってやるよ」
 ユーリが結論を出した。彼女を問い詰める証拠が見つかるまで、あるいは真犯人が見つかるまで、彼女から目を離すことはできない。リタは返事だけを聞くと踵を返して部屋を出て行った。セシリアは小さな背中を見て、梯子を見上げながら腰を摩る。
「その前にさ、二階を見せてもらえない?」
「はあ?」
「セシリア!」
 せっかく話が纏まったものを、とエステルは慌てふためいてセシリアの余計な一言を取り消そうとするが、振り返ったリタの目はすでに細く尖っている。
「そんなに警備呼んで欲しいなら呼ぶわよ」
「その前に君を拘束するから大丈夫。君は泥棒じゃないんでしょう? だったらいいじゃない。潔白なんだから」
「そういう問題? こいつだけだと思ったら、あんたもずいぶん非常識ね」
「君も、なかなからしいじゃない? 噂、あちこちから聞くわよ」
 はったりを利かせるセシリアとリタの睨み合いがしばし続く。
 どこで口を挟んだものかと痺れを切らしたエステルがもう止めてくださいと両者に割り込む前に、リタが目を逸らした。
「勝手にすれば。ただし絶対触っちゃだめよ、触ったら……」
 ファイヤーボールよりすごいのお見舞いしてやる、と呪うように言葉を吐いた。

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