06 : The town under flowers

 その街の中央には山のような大木が生えていた。家々の赤い屋根の合間から枝が伸び、樹木自体が一個の町のようである。その樹木は結界であり、ハルルを魔物の侵攻から守る役目を果たしていた。
 魔導器はまれに有機物と融合し、有機的特性を得て進化することがある。その一番知られている例が、ここの結界魔導器だった。しかし花盛りになればさぞ美しいだろうと思わせる立派な枝は生気なく色を燻ませ、開くべき蕾はぐったりと頭を垂れている。ユーリとエステルは樹の大きさに圧倒されながら、エアルのクリスグに囲まれていない街というものに違和感を覚えた。
「この街、結界はないのか?」
「ないんじゃなくて、機能してないみたいね。満開になるのはこの時期だったと思うけれど」
 セシリアは語尾を弱めて独り言のように呟く。それにカロルはそうだよ、と答えた。
「毎年満開の時期が近づくと、一時的に結界が弱くなるんだ。ちょうど今の季節なんだけど、そこを魔物に襲われて……」
 カロルの視線の先には、怪我を負ってぐったりとしている住人達の姿があった。地面には魔物の荒らしまわった跡が蹄の形も深く残っていて惨憺たるありさまである。
「結界魔導器がやられちまったのか?」
「魔物はやっつけたけど、樹が徐々に枯れはじめてるんだ。あっ!」
 ふいにカロルが声を上げる。傍を通り過ぎていった少女を目で追うと、
「ごめん、用事があったんだ! じゃあね!」
 と言い残して追いかけて行ってしまった。
 それを唖然として見送って、ユーリは溜息を吐いた。
「忙しい奴だな」
 ふと気づくとエステルがいない。首を廻らせて見れば、怪我人達の傍にしゃがみ込み、治療をほどこしていた。すぐ隣にはセシリアも居る。
「まったく……フレンはいいのかよ」
 ユーリはやれやれと思いながらそちらに向かう。エステルの治療術はここに来るまでに何度も見たが、ずっと気になっていることがあった。ふいにセシリアがこちらに戻ってくる。
「ユーリ」
「どうした」
「エステルの、見た?」
「……何がだ?」
 とぼけると、セシリアは何か言い返そうとしたようだが止めた。
 まだ確信は持てないし、それがどういう意味を持つのかもわからないのだから、迂闊に言葉にすることは憚られた。セシリアも大方同じ意見だろう。
 真剣だった表情を崩して「手伝ってくる」と言い残すとエステルの肩を叩き、順番を待っている人々の中へ入って行った。
「本当にお金はいいのかい?」
「これくらい、当然のことですから」
「謙虚なお嬢さん方だねぇ」
 セシリアが危うく報酬の計算を始めたところ、エステルが答えたので街の人の印象は謙虚なお嬢さん、ということになってしまった。ギルド生活が見に沁みているから、お金を稼げるときに稼いでおきたかったのはやまやまだが、謙虚といわれるのも悪くなかった。
「騎士団の方々にも見習っていただきたいものです」
「護衛をお願いしても何もしてくださらないんですから……」
「彼らには私らなど、どうなってもかまわないんでしょうな」
「それは……」
 口々に騎士団を、ひいては帝国の批判をする人々に、エステルは驚いて反論しようとしたが、すぐに黙った。ずっと城の中にいたエステルと、結界のない街で魔物に襲われた彼らとの間に、騎士団に対する認識の齟齬が生まれるのは当然といえる。
 とはいえ批判を甘んじて受けるのもどうかと思い、エステルが言葉を探していたところ、一人が思い出したように言った。
「でも、あの騎士様は違いましたね」
「ああ。彼がいなければ、今頃私たちは全滅でした」
 いわく、今年は結界の弱まる時期が早く、護衛を依頼したギルドの到着が間に合わず魔物の襲撃を受けてしまったのだという。それでもなんとか街人が無事にいられるのは、巡礼の騎士の一行が魔物を退けたからだということだった。
「巡礼の騎士?」
「そいつ、フレンって名前じゃなかったか?」
 エステルが口を手で覆い、ユーリが急いで訊ねると、街人たちは口々にそうだそうだ、フレン様だ、と答えた。エステルは勢い込んで聞く。
「フレンはまだ街にいるんです!?」
「いえ、結界を直す魔導士を探すと言って旅たたれました」
「どこに向かったかはわかる?」
「東の方へ向かったらしいですが……」
 はっきりした行き先はわからなかったが、結界を直すと言ったのなら彼は必ずここに戻ってくるだろう。それは三人と一匹の共通見解だった。
 ひとまずは休憩しよう、とまずは宿屋へ向かった。宿屋の向こう側に樹の幹が聳えている。それを見て、エステルは目を輝かせた。
「すごく大きい樹ですよね」
「そうだな。樹ってこんなにでかくなるもんなんだな」
「休憩する前に、近くまで行って見る?」
 エステルの気持ちを汲んでセシリアが聞いてみると、エステルはまるで子供のように顔を綻ばせてはい! と頷いた。ユーリは先に休んで良いか聞こうとしたがセシリアに引っ張られて訊ねるタイミングを奪われてしまった。

 *

 すぐ裏手に回ればいいと思っていたのだが、樹が大きいため遠近感が狂っていただけだったようだ。三人は回り道をしてようやく大木の真下へ辿り着いた。
「近くで見ると、ほんとでけえな」
 幹で視界が一杯になり、見上げるとまるで天にまで突き抜けているのではないかと思えてくる高さである。これが満開の花を咲かせたなら、文字通り花で街が埋もれてしまいそうだった。
「もうすぐ花が咲く時期なんですよね」
「そうね。でも、ちょっと元気がなさすぎるような」
 セシリアはエステルに答えながら、樹の幹と枝から垂れ下がった蕾を見る。これで本当に花を咲かせられるのだろうか。できれば、満開の花をユーリと一緒に見たかった。初めてハルルの花を見たとき、あまりの美しさに感動しながら、なぜここに彼がいないのかととても空虚な思いを抱いたのだ。
「確かに、魔物に襲われた程度で枯れるってのも変な気がするよな」
 ユーリも首を捻りながら幹の傍を歩いて状態を見る。
 そこにカロルがやってきた。だが、足を引き摺り、肩を落として爪先に視線を落としたまま歩く姿には先ほどまでの元気さが欠片もない。
「カロル! カロル! カロルも手伝ってください」
 エステルが三回呼んで、やっとカロルは顔を上げた。焦点の合わない瞳で、自分を呼んだ相手を眺める。
「……何やってんの?」
「ハルルの木が枯れた原因を探そうと思って」
「なんだ、そんなこと……」
 セシリアの言葉に、カロルは力なく答えた。まったく興味がなさそうなカロルにエステルは憤慨したが、カロルの言葉の意味するところは違った。
「そんなの知ってるよ。だから僕は森でエッグベアを……」
「エッグベア?」
「知ってるのか?」
 ユーリの問いに、カロルは素っ気無く足元の土を見ろと言う。言われて見れば黒く変色してしまっていた。足元だけじゃない、どうやら平地の一体に染みのように広がっているらしい。
「魔物の血だよ。それが毒になって、木を枯らしてるの」
「魔物の血……なるほど」
 セシリアは内心カロルの洞察力に感服した。なぜ魔狩りの剣に彼が入れたのか疑問だったが、その頭脳を買われたのかもしれない。
 エステルも感心してカロルを褒めた。
「これくらい、僕にかかればどうってことないよ」
 褒められたことでいささか元気を取り戻したようで、カロルは胸を張った。
「その毒をなんとかできる都合のいいもんはないのか?」
「あるけど……誰も信じてくれないよ」
 ユーリに答えるとたちまちカロルは萎んでしまった。ユーリはカロルの傍まで行き、膝を折って目線を合わせて再度聞いた。
「いいから言ってみなって」
 カロルはじ、とユーリを見返し、すぐに目を逸らす。
「バナシーアボトルがあれば、治せると思うんだ」
「バナシーアボトルか。よろず屋にあればいいけど」
 ユーリはさっと立ち上がり、坂を降り始める。カロルはぼんやりとその姿を見送った。
 セシリアはカロルに情報ありがとと礼を言ってユーリを追いかけた。
 エステルが最後に続いたのを見て、カロルは慌てて声を掛けた。
「ま、待ってよ! ……信じてくれるの?」
「嘘言ってるのか?」
「う、嘘なんかいわないよ!」
 走ってきたカロルに、ユーリはふと笑う。
「だったら、俺はお前の言葉に賭けるよ」
「ユーリ……」
 カロルはぽかんとユーリを見上げ、ふっと照れたように笑った。
「も、もう、しょうがないな! じゃ、一緒に素材を探しに行こう! 僕も忙しいんだけどねっ」
「ええ! 私達で結界を直しましょう!」
 カロルが元気を取り戻したと知って、エステルも嬉しそうに拳を作った。セシリアは二人の笑顔を見て、ユーリに意味ありげな笑みを向ける。ユーリはセシリアに笑みを返した。
「何見惚れてんだよ」
「あんまり格好良い兄貴だからつい、ねっ」
「ははは、そうだろうそうだろう」
 調子に乗ったユーリの髪を引っ張ってやって、セシリアはよろず屋へ駆けて行った。突然駆け出したセシリアに釣られて、カロルたちも早足になる。ユーリは慌しい面々を見送って、ちょっと火照った頬を掻いた。

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