05: cursed forest

 クオイの森。
 砦から西に行った先、峰と峰が途切れた狭い谷間に鬱蒼と木々が茂っている場所がある。
「クオイの森に踏み入った者、その身に呪いが降りかかる……」
「エステル、なにそれ?」
 森の入り口で目を閉じ、エステルが諳んじた内容にセシリアは足を止めた。
 エステルは目を開いて薄暗い森の中に向ける。
「本に書いてありました。本当に……ここを行くんですか?」
 不安げに呟いたエステルを顧みず、ユーリはすでに足を踏み出している。
「嫌なら、砦で主が去るのを待っていればいいさ」
 恐怖に竦んでいたエステルは、その言葉にはっとする。セシリアは陰鬱さを吹き飛ばすような笑い声を上げてユーリに続いた。
「だあいじょうぶよ。呪われるってんなら私、とっくに呪われてるし」
「え? セシリアはこの森に入ったことあるんです?」
「あるある。一回だけだけどね」
 エステルは小走りにセシリアを追いかけながら訊ねた。セシリアはそのときの様子を言いかけて、ふとカウフマンのことを思い出してしまい言葉を濁した。まだ引き摺っている。
「じゃあ案内してくれよ」
 ユーリの言葉に俯きがちだった顔を上げ、「了解っ」とふざけて敬礼をすると彼らの数歩前を歩き出した。
 隣に並ぶラピードと共に、草むらから飛び出してくる魔物を倒し、視界を遮るように伸びる枝葉を叩き折って進んで行くと、少し開けた場所に出た。
「ちっと休憩するか」
 ちょうどいいとユーリは足を止めたが、エステルはとんでもない、と先に進もうとした。
「休んでなんていられません!」
 今にもフレンの身に何かあるのではないかという不安が常に彼女を苛み、歩みを止めることを恐れていた。
 かたくななエステルをなだめるようにセシリアは大丈夫だよ、と軽く請負う。
「フレンなら、一人で結構なんでも切り抜けちゃうから」
「そうそう。俺はガキのころから剣でもなんでも、あいつに勝ったことがない」
 こいつには百戦百勝だけどな、とおどけてセシリアを指差し、
「そのくせ、ユーリ、大丈夫? なんて言ってくるような奴だぜ」
「つまり心配するだけ無駄ってこと」
「そんな……」
 いくら幼馴染とはいえ薄情じゃないかとエステルは思い反論しようとしたが、草むらに埋もれるようにして倒れているものを見付けてそちらに気を取られた。
「これ、なんでしょう?」
「どれ? ああ、魔導器みたいね」
 エステルは不思議そうに魔導器をしげしげと眺める。もとは柱のように立っていたものだろうか。根元が折れ横倒しになっているそれは単なるガラクタにすぎず、何をそんなにしげしげと見るものがあるのかセシリアにはわからない。
「あ、何か落ちてます」
 エステルは草の間から目敏く発見したものを拾い上げる。
 丸い球状のそれと、壊れた魔導器に掘られた半球状の窪みを見比べると、エステルは迷わずそこに球体を嵌め込んだ。
 球体はぴったりと窪みに収まった。途端、それは光を発した。
「きゃっ!」
 数回の激しい瞬きを繰り返して、魔導器は落ち着いた。エステルが差し込んだのは魔核だったのだ。
 目が暗闇に慣れて、ユーリはエステルが気絶していることに気がついた。
「……エステル!」
 何度呼んでも目を覚まさない。二人はとりあえず魔導器から離れた場所にエステルを移動する。
 ラピードが地面に伏せ、ユーリはその柔らかな腹にエステルの頭を乗せた。
 セシリアはまだゆるゆると明滅している魔核を見て呟く。
「エアルに当てられたのかしら」
「エアル? エアルってあれか? 魔導器を動かすときに燃焼するエネルギーみたいな」
「そうよ。通常より濃い濃度のエアルは人体に影響を及ぼすらしいから」
「はあん。その辺りが呪いらしいな……っていうか知ってたのかよ」
 セシリアはユーリに突っ込まれて肩を竦めた。
「対処法を知らないし、呪いってことにしておいた方がいいかと思って」
 セシリアはちらとエステルの寝顔を見る。
 ユーリはふと頭上を見上げて立ち上がった。
「ま、これで休みやすくなったし。あれ、食べれると思う?」
 ユーリは木の枝に吊り下がったオレンジ色の木の実を指差した。
「あー、なんだっけ。なんとかっていう実だったと思う」
「よっと」
 セシリアが思い出す前にユーリはいくつか実をもぎ、一つをセシリアに投げるとその場に腰を下ろした。
 袖で木の実を拭ってためつすがめつする。
 セシリアもユーリの隣に座って、掌大の実を逆さにしたりひっくり返してみたりした。見た目は美味しそうである。
 セシリアは実を検分するのを止めて、ユーリを見つめた。
「……なんだよ?」
「別に? 食べたら?」
「お前こそ食べたらどうなんだ?」
「いやあ、もう少しで名前を思い出せそうなのよね」
「早く思い出せよ」
「今思い出してるところだから、ユーリ先に食べていいよ?」
「食べたら思い出すかもしれないぜ」
「うん、でも、この辺まで出掛かってるのよ」
「リンゴじゃないよな。パインでもない」
「全然違うし。うーん、なんだったかなあ」
 セシリアは得体の知れない実を頭上に掲げて、鼻の前まで持って行くと匂いを嗅ぐ。
 得体の知れないまま囓るのは遠慮したかった。
 ユーリも意地になってセシリアが口を付けるまでは食べる気はない。
 戦いはすでに始まっていた。
「見た目は美味しそうなのよね」
「見ただけならな。虫に食われてもないし」
「もしかしたら以前ここに来たときに食べた、かも?」
「どっちなんだよ。はっきりしないなあ。結界の外に出て記憶力低下しちまったのか」
「してないわよ! ああ悔しい! こうなったら絶対思い出してやる」
「ははは、頑張れよ」
 ユーリは笑って、改めて実を眺める。
 セシリアが口にしたかもしれないというのなら、食べられるのかもしれない。
 そう思うとどんな味なのか俄然興味が沸いてきた。
 ユーリは意地を捨てて、ついに実を一口囓った。
「……にがっ」

 *

 目覚めたエステルを交えて、下町の人達が選別にくれたパンと玉子でサンドイッチを作り腹拵えをし、三人と一匹は森の外へ向かった。
 飛び掛かってきたウルフを薙払い一息吐いたとき、ふいにラピードが姿勢を低くして繁みを睨み、唸った。ユーリはそれを見て刀を構え直す。
 ガサガサと繁みが揺れて、大きな刀が振り下ろされた。
「エッグベア、覚悟!」
 振り下ろされた刀は空を切り、遠心力に引っ張られるまま持ち主を軸にしてくるくると回った。エステルは呆気に取られて突如現れた独楽を見る。
 ユーリはすと刀を構えるとタイミングを見計らって回転する巨大刀独楽を切り落とした。
「わあっ!」
 刀が折られ重量を無くし、持ち主はそのまま地面にひっくり返った。いてて、と唸るその声も、大きな鞄に隠れてしまいそうな身体も、まだ幼い少年のものだった。
 ラピードが小刀を咥えて少年を押さえ付けるように立ちはだかると、起き上がろうとした少年は悲鳴を上げてもんどり打った。
「やめて……僕なんか食べたって美味しくないよ……どっか行っちゃえ……」
 死んだふりのつもりなのか、身体を震わせながらぎゅっと目を閉じてぶつぶつと何か呟いている。エステルは少年を安心させようと優しい声音で言った。
「大丈夫ですよ」
「……あれ? 魔物が女の人になってる……」
 少年の惚けた台詞にセシリアは笑い、ユーリはやれやれと肩を竦めた。

 *

 なんとか気を取り直した少年は、カロル・カペルと名乗った。
「魔物を狩って世界を渡りあるく、ギルド魔狩りの剣の一員なんだ!」
「魔狩りの? ふうん」
 セシリアはカロルをしげしげと眺めた。先程の体たらくといい、どうも魔狩りの剣のイメージとは噛み合わない。どちらかというと倉庫などの整理をするギルドが似合いそうだ。
「お姉さんたち、森を抜けるの? だったら僕、案内するよ」
「いや、もう森を出てハルルに向かう途中だから、いらないよ」
「え? じゃあ、森を通ったの!?」
「はい」
 エステルが頷くと、カロルは身を乗り出した。
「それじゃ、エッグベア見なかった!?」
「エッグベア?」
「見てないわ」
「そっか……」
 セシリアの返事を聞いて、カロルは肩を落とし「それじゃもう意味ないよね……」などと呟いた。ユーリは踵を返し、カロルに背を向けた。
「じゃあな」
「えっ?」
 淡白なその反応にカロルは慌てて顔を上げる。セシリアとラピードまでユーリに続いてしまうのでエステルはどうしようと迷ったが、結局カロルに頭を下げてユーリらを追った。
 エステルが小走りで行ってしまうのを見送ってから、カロルははっとしたように叫んだ。
「待ってよ! 道は分かるの? ハルルはここから北だよ!」
 追い付いたカロルはそのままパーティの先頭に立ち、誰に言われるでもなくハルルまでの道案内を務めた。
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