04: Good luck

 三十分ほどでセシリアは砦に戻った。
 避難民でごった返している中を擦り抜けて、あの本をくれた店主の馬車の側にいたエステルを見付けた。
「エステル!」
「……セシリア!」
 エステルはぱっと顔を上げると、零れんばかりの笑みを浮かべて駆け寄った。
「良かった! 無事だったんですね! ユーリ、ユーリ!」
 エステルは高い壁を見上げて声を張り上げた。程なくして、ユーリが見張り台から顔を出した。すぐにセシリアを見付けると、
「おまっ! 生きてたか!」
 と叫んで頭を引っ込めた。さすがにこの高さを飛び降りるのは無理なので、梯子を使って降りて来る。そしてセシリアの全身をつぶさに見回すと、息を吐いた。
「なんだ、どこも怪我してないのかよ?」
「なあに、怪我してた方が良かった?」
 がっかりしたようなユーリに、セシリアは声を大きくする。
 無事だったからこそ言える冗談だ。
「本当、運の強い女だぜ。どうやってあの猪の群れから逃げおおせたんだ?」
 セシリアはデュークのことを話した。
 エステルはデュークの不可解な捨て台詞に首を傾げる。
「世界の毒? どういう意味です?」
「さあね」
「変な奴だな」
 ユーリの台詞に笑って、セシリアは今後どうするのか尋ねた。
 二人共急ぎたいのは同じらしい。迂回する道がないものか、情報を集めることにした。
「……セシリア!」
「はい?」
 突然呼び止められて、セシリアは振り返る。赤縁の眼鏡に赤い髪の女性が、にこやかに手を振って歩いてくるところだった。
 彼女の姿を見て、セシリアは引き攣った笑みを浮かべる。
「か、カウフマン……」
「久しぶり。生きていたのね。また会えて嬉しいわ」
「こちらこそ……あはは」
 ねっとりとした視線で足から頭の先を眺められて、セシリアは視線を泳がせた。
 ユーリはセシリアが立ち止まったことに気づいて振り返る。カウフマンと呼ばれた女性はセシリアからユーリに視点を移した。
「積もる話もあるけれど、今用があるのは彼の方。ちょっといいかしら」
 セシリアの横を通り過ぎて、カウフマンはユーリの前に立った。
 品定めでもするような目付きでユーリを見ると、笑った。
「さっきの大立ち回り、見ていたわよ。あなた、私に雇われる気はない? 報酬は弾むわ」
 カウフマンはそう言って、金貨の入った袋を揺らして見せた。ユーリは興味なさそうに顔を背ける。
「ボスに対して失礼だぞ。返事はどうした」
「名乗りもせずに金で吊るのは失礼って言わないんだな。いや、勉強になったわ」
「おまえ!」
「あはは! 思ったとおり、面白い子ね」
 カウフマンはいきり立った部下を下がらせると、白い手を大きく開かれた胸元に添えた。
「私はカウフマン。流通ギルド『幸福の市場<ギルド・ド・マルシェ>』のボスを務めているわ」
「ふうん。ギルド、ねえ」
 カウフマンの後ろでなんとも言えない顔をして成り行きを見ていたセシリアは、つつっとユーリとカウフマンの間に割り込むと、思い切ったようにカウフマンに言った。
「あのですね、私達、今急いでるんですよ」
「私も急いでいるわよ。交渉中だから、邪魔しないでもらえるかしら」
「ユーリを雇いたいなら、このお方を通してもらわないと」
 セシリアは腰を低くしてエステルを示した。唐突に名指しされて、エステルは目を瞬く。
 よくわからないが助け舟を求められていることを感じ取って、手を揃えるとカウフマンに訪ねた。
「あの、平原を越えるどこか別の道をご存知ないでしょうか?」
「さあ? 平原の主が去るのを待つしかないんじゃないかしら」
「焦っても仕方ねえってわけだ」
 こののんびりした返答に、エステルは驚いて反発した。
「待ってなんて居られません! 私、他の人にも聞いてきます!」
「あ、エステル……!」
 止めるのも聞かず、エステルは飛び出して行ってしまった。セシリアは虚しく手を伸ばしてその背を見送るしかなかった。
 その後ろで、カウフマンが笑みを作った。
「それじゃ、交渉の続きと行こうかしら?」
 にこにこしているカウフマンにたいして、変な汗を掻いているセシリアの様子を、少し面白がりながらユーリは見ていた。敬語を使うだけでも珍しいのに、これまでセシリアがこれほど気を使う相手などお目に掛かったことがなかった。
 もう少し見ていてもいいのだが、もともと交渉に乗る気はない。
「悪いけど、俺にも都合ってもんがあるからな。他の人間を当たってくれ」
「あら。どうしても駄目なの? 平原を突破したいっていうのは同じじゃない?」
「本当に申し訳ないんですけど、私達急いでいるんで。他の道を知らないなら、これで失礼します!」
 セシリアは早口で捲くし立てると、ユーリの腕を掴んでエステルの後を追おうとした。カウフマンはセシリアの落ち着かない様子を見て軽く溜息を吐いた。
「そんなにつれなくしなくてもいいじゃない。色々あったけれど、私個人はあなたを気に入っているんだから」
「えっ? え?」
「クオイの森。ここから西にあるそこを通れば平原を越えられるわよ」
「え!」
 いっぱいいっぱいになっているセシリアの代わりに、ユーリが答えた。
「あんたたちはそこを通らないってことは、何かおまけがあるわけだ」
「ふふ。察しの良い子は好きよ。先行投資を無駄にしない子はもっと好きだけど」
「悪いな、お姉さん。情報どーも。ほら行くぞ、セシリア」
「え、あ、ハイ」
 セシリアはおどおどとユーリとカウフマンの顔を見比べて、カウフマンにへらっと笑うと手を振った。カウフマンは苦笑して手を振り返した。
「縁があればまた会いましょう、セシリア!」
「う、うん!」
 カウフマンの声が届かないところまで来てようやく、セシリアは肩の力を抜いた。
 あからさまに安堵したような横顔をにやにやしながら覗き込み、ユーリは言う。
「お前も苦手な相手ってのがいるんだな?」
「む。苦手ってわけじゃないけど」
「へえ? じゃ、どういうわけなんだ?」
「……色々あったのよ! 色々!」
「色々ねえ?」
 セシリアは足を踏み鳴らしてユーリの数歩先を歩き出した。
 幸福の市場は大きなギルドである。流通、販売を仕切るため、一つのギルドを複数の組に分け、仕事の分担をしていた。セシリアはその末端に所属したことがあった。
 そのときに、ボスであるカウフマンと知り合った。詳しいことは書かないがごたごたがあって一ヶ月で辞めることになってしまったのだが、彼女の顔を見るとそのときのことが思い出されて平常ではいられなかった。
「まあ、珍しいものが見れて俺は面白かったがな」
「面白がるなー」
「はっはっはっ」
 ユーリの愉悦たっぷりな笑い声を聞いて、これはしばらくからかうネタにされる、とセシリアは肩を落とした。

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