02: Show courage

 埃っぽいレンガ通りから数十メートル離れ、帝都の影を出て青々とした草を踏む。乾いた下生えは柔らかくセシリアを受け入れた。
「わあ、久し振りの外だあ」
 セシリアは眩しい日差しを受けて、気持ち良く伸びをした。
 結界の中と外では空気の匂いも、空の色も違う気がする。
「帝都も広いと思いましたけど、外はもっと広いんですね!」
 横に並んだエステリーゼが、感激したようにそう言った。セシリアは伸びを止めて、エステリーゼに向き直る。
 エステリーゼもそれに気付いて、姿勢を正した。
「初めまして、エステリーゼ。私はセシリア」
「セシリアですね。初めまして。エステリーゼです」
 二人は笑みと握手を交わした。
「取り敢えず、ハルルまで送ればいいんだよな」
「はい。フレンは騎士の巡礼中のはずですから」
「ハルルならアスピオの南だから、ここからだとちょうど通り道よ」
 北の方を見ながらセシリアが言った。
「そんじゃ、まずはハルルに行くか。それまでよろしくな、エステル」
「エステル? ……エステル、エステル」
 エステリーゼはユーリの台詞を不思議そうに繰り返して、ぱっと笑った。そしてユーリが差し出した手をしっかりと握り返した。
「はい! よろしくお願いします。ユーリ! セシリアも!」
「うん、よろしくね、エステル」
 セシリアももう一度握手を交わしながら渾名を呼んでやると、エステルは嬉しそうに笑った。
 見ていると、ふと真顔になる。ころころよく表情が変わるなという印象だ。エステルはじっとセシリアを見上げた。
「あの、質問してもいいです?」
「なに?」
「セシリアとユーリはその……恋人なんです?」
「そうよ」
 セシリアが頷くと、エステルはぽっと頬を赤らめた。
 ユーリは照れているのか単に面倒なだけか話題を続けたくないようで、早く行こうぜと歩きだした。
「北のデイドン砦の向こうがハルルなんだろ。急ごうぜ」
「はい! あの、セシリア。私、本当に助けてもらっただけです! ユーリはただ」
「あはは、わかってるってば。脅かしすぎちゃったね。ごめんね」
 ユーリを追い掛けようと駆け出して、慌てて振り返って弁明するエステルの落ち着かなさにセシリアは笑った。
 セシリアはエステル越しにユーリを見る。
「でも、女の子に言い訳させるのってどうなの?」
 ユーリは面倒臭そうに頭を掻いた。
「後ろ暗いところがないのに、どうして弁解しなくちゃならねえんだ?」
「あ、それもそうですね」
 ユーリの台詞にエステルはもっともだと納得した。それがおかしくて、セシリアはまた笑う。
「もうこの話はいいわ。それより、君はどうしてハルルに行くの? フレンがどうとか言っていたけれど」
「はい、フレンに伝えたいことがあるんです。……あ、そういえばユーリと一緒に、セシリアの話も聞きました」
「本当? フレンの友人だったのね。どんな話を聞いたの?」
 フレンの話をするのが嬉しいのか、エステルは微笑んでフレンから聞いたセシリアのことを話始めた。
「とにかく強いって聞きました。それから優しくて、勇敢だって! ギルドに所属していたんでしょう?」
「まあね」
「俺とはずいぶん反応が違うなあ」
 褒め殺しにされて照れているセシリアを横目で見ながら、ユーリは不服を漏らした。エステルはあ、と思い付いてユーリに会ったら用心しろとフレンに言われていたことをセシリアに耳打ちすると、セシリアは吹き出した。
「君とフレンが仲良しなのはよくわかったよ。でも、君って騎士じゃないよね? お姫様然としてるっていうか」
「そ、そう見えます?」
 エステルは慌てふためいて頬に手を当てた。その仕草からも上品な身分を伺わせる。しかしセシリアが知りたいのはエステルの身分ではなかった。
「結界の外は魔物だらけなんだけど、君、戦えるの?」
 この問いを侮られていると受け取ったのか、エステルはきっと眉を吊り上げた。
 セシリアはすらりと剣を抜く。ユーリも忍び寄ってくる魔物に気付いた。
 エステルはセシリアを見つめ返し、細身の剣を構えると魔物に狙いを定めた。

「なんの覚悟もなしに外に出たわけではありません。その答えは……見せてご覧に入れます」
「いいわ。私も魔物と戦うのは久し振り」

 セシリアは笑みを浮かべて剣を振った。

「誰かを守る余裕はないかもしれないから」
「セシリアは戦いに集中してください。私は――大丈夫です」
「ま、そう硬くなるなよ。――来るぜ!」

 ユーリの言葉を合図に、三匹のプリツボミのうち一匹が間合いを詰めて来た。
 セシリアは足を前後に開き、しっかりと大地を踏み締め柄を握る手に力を込める。筋肉に力が漲り、闘志が血をたぎらせる。
 プリツボミが剣の間合いに入った瞬間、セシリアの剣が空中に閃いた。断絶音が三つ、重なるように響いてプリツボミの身体が三分割される。プリツボミだった肉塊は地面に落ちる前にきらきらと輝くエアルに解けて消えてしまった。
 一拍遅れて、ユーリも魔物を瞬殺する。
「はあっ!」
 エステルの剣が唸って、最後のプリツボミもエアルに帰した。
 セシリアは剣を見る。きちんと手入れしていたため切れ味は申し分ない。またお前に頑張ってもらうよ、と心の中で語り掛けた。ダングレストからザーフィアスに帰る途中、買い求めた剣だった。今までの剣は魔物を十数匹も切れば駄目になってしまったが、この剣はもっと長く使えそうだ。手に吸い付くような滑らかな柄と、美しい波紋を描く刀身を見る限り、ちょっとした名刀だろう。
 輝く刃を満足するまで眺めてから剣を鞘に戻して、セシリアはエステルに目をやった。
 エステルも剣を鞘に戻していたが、手が少し震えているようだった。
「実戦は初めて?」
「はい!」
「それにしちゃ、立派だったぜ」
「ええ、これなら安心して戦えるわ」
 ユーリとセシリアのお墨付きをもらえて、エステルは安堵したように微笑んだ。
「んじゃ、いつもの」
 セシリアはにっと笑ってユーリに片手を上げてみせる。
 ユーリもそっくりの笑みを浮かべてハイタッチした。ぱん、と小気味良い音がして掌がぴいんと痺れる感覚。騎士を上手く出し抜いてやったとき、少し大変な仕事を終えたとき、フレンを加えた三人でするのが恒例になっていた。
「なんです? なんです?」と興味津々な顔でそれを見ていたエステルにも手を差し出してやる。エステルは嬉しそうに飛び跳ねてセシリアの手を叩いた。
「ナイスファイト」
「はい!」
 エステルは手をぎゅっと握ってから、ユーリに向き直る。城から脱出したとき、ユーリが手を差し出してきたときはなにを求められているのかわからなかったが、これだったのだと今わかった。
「ほらよ」
 ユーリは笑って同じように手を差し出す。今度はエステルからハイタッチをした。
 ぱしん、と掌が触れ合う衝撃が、成し遂げたという喜びを震わせて、増大させる。エステルはすっかりハイタッチが気に入った。

 *

 三人と一匹は帝都を背後に、マイオキア平原を歩き始めた。先頭を行くエステルとラピードから少し距離を開けて、ユーリとセシリアは並んで歩いていた。
「こんな形で外に出ることになるとは、思わなかったな」
 ユーリは晴れた空と同じような気持ちで零した。セシリアも喜びを隠さず、顔を綻ばせている。
「踏ん切りがついて、ちょうど良かったみたいね。そういう意味では、魔核泥棒に感謝かな?」
「ばーか。あんな野郎に感謝なんかするなよ。俺だって、いつかは外に出るつもりだったさ」
「ふうん。いつ?」
「まあ、ちょっとばかし早まったのは確かだな」
 ユーリは言葉を濁す。フレンがもう少し出世すれば、なんて言っていたらいつまでも踏ん切りなんてつかなかった可能性は多分にあった。
「感謝するなら、エステルの方にしとこうぜ」
「ふふ、そうね。フレンともずいぶん仲が良いみたいだし」
「案外、あいつの趣味に嵌り過ぎな気もするけどな」
「ユーリはどう?」
「どうって。聞きたいのかよ?」
 ユーリは少し意地悪な顔をしてセシリアを試す。セシリアは余裕を残しながら興味はあるわね、と言い返してやった。
「可愛くて、上品で、友人思いで、お姫様だけど強い。君の趣味はどうなのかな?」
「そうだなあ。ああいうタイプもいいかもな」
「いい度胸してるわねっ」
「おわっ」
 不意打ちを喰らってユーリは前に転びそうになった。いつもの軽口の叩き合い、冗談で流れるはずが引っ掛けられたらしい。
「お前が聞くから素直に答えただけだろうが!」
「問答無用! ていっ」
 遠慮なく拳を突き出してくるセシリアにユーリも乗せられて応戦し始める。
 練習なのか真剣勝負なのか、ギリギリのところで力加減をし、攻撃を繰り出す。もう何年もこうして組み手をやっているから相手の手はお互い熟知している。放浪している間にセシリアは新たな戦い方を見につけていたが、ユーリも帝都で怠けていたわけではない。剣を使わず、組み手だけなら二人は互角だった。
 結界の外に出てから、二人の興奮は最高に高まっていた。先ほどの魔物程度ではとても物足りない。有り余った闘志を発散せずにはいられなかった。
「……突然、何を始めたんです? 二人とも……」
「ワフゥ……」
 だだっ広い平原のど真ん中でいきなり殴り合いを始めた二人を振り返って、エステルは首を傾げた。ラピードは気だるげに欠伸をするだけだった。
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