01: Prisoner

 通りを照らしていた街灯が、街灯番によって消されていった。
 仄かな明かりがふっつりと消え、人通りのない道を夜の帳が押し包んだ。
 一日の終わりを告げる儀式を、セシリアは苛立ちながら見送った。
「もう……! 何やってんのよあいつは」
 セシリアは窓の外を睨んだままグッと腕を組んで吐きだした。いつものように仕事を終え、酒場で憩っていた男達はセシリアの怒気に当てられて苦笑を零す。ユーリがいつ帰って来てもすぐに捕まえられるように、わざわざ一階の酒屋に陣取って待ち侘びているのだ。
 既に客達は酔いが回っている時間帯である。
 貴族街に向かったユーリが帰ってくる気配は、まったくなかった。
「あんたたち、そろそろ店仕舞いだよ」
「ああ、もうそんな時間か」
「今日は本当に散々だったなあ。水道魔導器<アクエブラスティア>が壊れちまうなんてよ」
「なんとか水が収まったから良かったがな」
「すわ下町沈没か、と思ったぜ」
 コップの残りをちびちびやりながら、男達はだらだらと会話を引き伸ばす。
 いい気分だからまだ帰りたくないのだ。
「魔核がなくなってるせいだろ? やっぱりモルディオは泥棒だったんかね」
「ユーリが取り返しに行ったんだろ? 騎士団も騒いでたし、また馬鹿やったんじゃねえか」
「お、おい」
 なるべく話題にしないよう避けていた単語を発した仲間をもう一人が諌めようとしたが、既にセシリアの耳に届いてしまっていた。
 セシリアは不機嫌に怒鳴る。
「本当に馬鹿よ! へまして捕まったに決まってるわ」
 男達は慰める言葉もなく、女将に酒代を払うと一人二人、酒場を出て行った。何人かはセシリアに早く休むよう声を掛けて行った。
 セシリアも、これ以上待っていても無駄かもしれないと思い始めていた。この時間になっても戻って来ないことと、下町の惨状に目もくれずユーリを探して怒り狂っていた騎士団の様子を鑑みると、経験上今日中にユーリが帰ってくる望みは薄い。
 やっぱり無理にでも一緒に行けば良かった、とセシリアは窓越しに暗い通りを見つめながら悔やんだ。ユーリなら大丈夫だろうという安心が仇になったか。
「……馬鹿。早く帰って来なさいよ」
 小さく呟いて、ぎゅっと目を閉じると窓から離れ、後片付けをしていた女将の手伝いをし始めた。
 もし捕まったなら十日は出してもらえないだろう。明日は朝一番で城を訪ねよう。そう決めて、ユーリの身を案じるのは止めた。



 ***



「ハンクス!」
「おお、セシリア。城に行くのか?」
 水害で目茶苦茶になった町を早急に復興しようと、人々は朝早くから作業をしていた。
 その中にハンクスの姿を見付けて、駆け寄ったセシリアの考えは、簡単に見通されてしまった。
「うん。ごめんなさい、手伝えなくて。戻ったらすぐに手伝うから」
「そうしてもらえると助かるよ。ただユーリには、急がんでいいからちゃんと務めろと言っておいてくれ」
「あは、さすがのあいつも脱獄はしないわよ。まあ、伝えておくわ」
 言いながら、果たして本当にそうなのか不安になったが、すぐに打ち消してハンクスと別れ、市民街に続く坂を登ろうとした。
 だが振り返ったところで、城に行く必要がなくなった。ユーリが坂から降りて来たのだ。セシリアはユーリに駆け寄りかけて、彼の後ろにいる少女に気付く。
「セシリア!」
「朝帰りで女連れって、どういうこと?」
 セシリアは腰に手を当て、ユーリをねめつけた。ユーリは気まずそうに少女をちらりと振り返って、「違うんだ」と弁解した。
「ユーリ、一体どこに行っていたんじゃ」
「ハンクスじいさん。いや、それがさ」
 渡りに船とばかりにユーリはハンクスに事情を話した。
 セシリアは邪魔をするつもりかとハンクスに冷たい視線を向けた。
 軽く冗談で流そうと考えていたユーリは、その表情を見て自重した。
「ちょいと……捕まってた。冤罪だからすぐに出してもらえたけどな」
「やっぱり捕まってたの」
 セシリアは腕を組んで、呆れたような目を向ける。
「あのっ」そこに割り込んで来たのは少女だ。
「私、騎士に追われていたところをユーリさんに助けていただいたんです」
 少女はエステリーゼと名乗り、丁寧に頭を下げた。一方的にユーリが責められているのを見兼ねたのだろうが、セシリアはふっと吹き出して相好を崩した。
「そうだったの。大丈夫よ、別に怒ってるわけじゃないわ、私」
「え? でも」
「からかってみただけよ。また、馬鹿なことやらかしたみたいだし?」
「返す言葉もございませんよ」
 セシリアが本気で怒っているわけではないことを知って、ユーリも幾分安心したようだった。
 そのとき、坂の上方からユーリを呼ぶ声が振って来た。
「おっと、ゆっくり喋ってる暇はなかった。じいさん、俺、ちょいとアスピオまで行って来るわ」
「アスピオじゃと? 結界の外か」
「ああ。モルディオって奴はそこの出身らしいからな。貴族ってのも怪しいぜ」
「モルディオさんが? ……じゃあ、わしらは騙されたのか」
 下町の人間全員で金を出し合い、縋るような思いで魔導師モルディオに水道魔導器の修理を頼んだのだ。
 ハンクスはそのせいで被害が拡大してしまったことを悟り、悔しそうに眉を寄せた。
 ユーリはハンクスを励ますような口調で、
「ラピードが持ってた袋、あるだろ。開けてみな。セシリア!」
 と教え、セシリアを呼んだ。
 その時ふと、彼女の腰に剣が下がっているのに気付く。
「……お前、なんで武装してるんだ?」
「な、なんでもないわ。近頃物騒でしょ」
「まあ、丁度いいか」
 誤魔化したセシリアに深くは追求せず、ユーリは続けた。
「俺は水道魔導器を取り戻すために、アスピオに行く。お前も一緒に来てくれ」
 セシリアははっとしてユーリを見上げた。
 ユーリを呼ぶ声が近付いてくる。
「そりゃあいいわい。せっかくじゃからゆっくりしてこい! お前らが居らんでもわしらはなんも困りゃせんからな!」
 三人を出口に追い立てながら、ハンクスはにやりと笑った。
「ユーリ・ローウェル〜!」
 ルブラン小隊長が槍を振り翳して追い掛けて来た。
 セシリアはユーリに手を差し出す。ユーリはにっと笑ってその手を握った。
「早く行け! ここは任された!」

 ユーリらが下町の外へ走るのと反対に、住人たちがそこかしこから集まって来てルブランを取り囲んだ。入れ歯を探してくれだの、水道を直してくれだの、口々にルブランを責め立てるものだから、ルブランは動けない。

 住人たちはユーリらと擦れ違い様、旅仕度とばかりにパンや卵、地図やお金まで押し付けて行った。
 途中でラピードと合流し、三人は結界の外へ足を踏み出したのだった。
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