04: Hitch your wagon to a star

「セシリア! よく帰って来たね」
 幼馴染が帰って来たと知ってすぐに休暇願いを出したフレン・シーフォは、輝く笑顔を浮かべてセシリアを見つめると、しっかりと抱き締めた。セシリアも「ただいま」とはしゃぎながら抱き返した。両人が一頻り喜びを分かち合った後、ユーリはフレンに言った。
「よく休みもらえたな」
「ああ、しばらく休みなしだったからね。そうでなくても、大切な友人のためなら無理してでも休みくらい取るさ」
「あはは。無理しなくても、フレンは優秀だから休みくらい簡単に取れるもんね」
「そんなことはないよ」
 三人は下町の広場に設置された噴水の縁に腰掛け、黙る暇も惜しむように様々な話をした。
 フレンはふと目を細めて、少し幼い表情を見せてセシリアの顔を眺め、感慨深そうに言った。
「でも、嬉しいよ。セシリアがいないとやっぱり寂しいから」
「そんなことないでしょ」
「あるさ。君がいてくれたら、そこの不良はもう少し真面目にしていたかもしれないし」
「どいつもこいつも不良不良って……。本気でグレるぜ」
「もうグレたようなものじゃないか」
 形のよい眉を顰めてフレンはユーリを睨んだ。和やかな雰囲気が徐々に色を変えていく。セシリアは二人に挟まれて身の置き所に困った。ユーリが騎士団を辞めて下町でフラフラしているなんて、フレンが許すはずがないのだ。
「フレンが止められなかったんだから、私にはどうしようもないわよ」
「そんなことないよ。少なくともセシリアの前では、不名誉で格好悪い部分は見せないようにするからね」
「うるせーな、過ぎたことなんだからそうぐだぐだ言うなよ。それより、セシリアの話も聞いてやれよ」
「そうやって逃げるんだから……。でも、貴重な休日を説教で潰すっていうのもつまらないしね。もう一人の大事な幼馴染が今までどうしていたのか、近況を聞こうかな」
「うーん。どうしてたっていっても、ギルドに入ってあちこち転々としたっていうだけなんだけどね」
 セシリアは渋りながらも、ここ二年のことを簡単に話し始めた。
 騎士団を辞めた話を始めたら、二人の空気がますます険悪になるだろうことは簡単に読めたから。
 ここに戻ってくることを決めた切欠を聞くと、フレンはすっかり呆れ顔になってセシリアとユーリを見比べた。
「……セシリアも辞めてしまったのか」
「やめてー、も、とかつけるのやめて」
「事実じゃねえか」
「ユーリ、人のこと笑えないよ」
 不快感を顕にしたセシリアに苦笑して見せたユーリをフレンがばっさりと斬った。返す言葉もないと揃って下げられた二つの頭を交互に見下ろして、フレンはふう、と溜息を吐く。
「まったく……。二人とも、辛抱が足り無すぎるんじゃないか? そんなことじゃ、下町は、世界はいつまでもこのままだ」
 フレンの澄み渡った空をそのまま閉じ込めたようなスカイブルーの瞳には一点の曇りもなく、強い意志の込められた声は昔語られたものよりも低くなり、頼もしさを感じる。
 彼はその性格そのままに、遮るもののない空を貫く光のように直向に、この道を進んでいる。
 しかし、正直な少年はふと自戒するように目を伏せた。
「……もちろん、僕だってまだまだ下っ端で、貴族出身の騎士に異を唱えるなんて、できないけれど……」
「そんなこと、まだ入ったばかりなんだから当然だよ。フレンは確実に進んでるじゃない。この前も手柄を立てたって聞いた。出世街道まっしぐらじゃない」
「セシリア」
「私達だって、好きで道を逸れるわけじゃない。ただ……、ただ、まだわからないんだよ」
 セシリアはきゅ、と拳を握った。
「まだ、どうしたらいいのかわからないけど、フレンが騎士団で頑張っているように、私には私のやり方が、ユーリにはユーリのやり方があると思うの」
 間違えたと思う、こんなはずじゃなかったと、卑屈な思いも湧き上がる。けれど、全てを否定して欲しくはない。不器用でも回りくどくても、これが私のやり方なのだと。
「……それぞれの道、か」
 ぽつりとフレンは口に出し、ユーリは心の中で呟いた。
 それは既に、目に見える形ではっきりと示されていた。
 物心着く前から同じ物を見、同じことを感じ、同じことをして生きてきた。だからときどき忘れてしまう。目の前にいる人が、自分とはまったく違う世界を見ていること。
「……なんだか、少し寂しいね」
「急になんだよ。当然のことじゃねぇか」
 しんみりとしてしまったフレンに、ユーリは強いて軽く右手を振ってみせた。
「俺だって現状に満足したりしてねぇよ。でも、下町のことも放っておけねえんだ」
「それはわかるけどね。そうだ。今度は二人で外に行ってみたらどうだい? いい気分転換になるよ」
「いや、だから下町がっつてんだろ」
 それにさっきセシリアがいないと寂しいとか言って、セシリアを抱き締めてとろけそうな笑顔してたじゃねえかと突っ込みたくて仕方がないユーリに、フレンはあっけらかんとして言った。
「だって、君本当はセシリアと一緒に行きたかったんだろ?」
 あらゆる意味で問題な発言だが、発言者本人は至って真面目に言っている。質問と言うよりは事実を確認しているという語調。
 それを聞いて「そうなの?」とセシリアがいかにも愉しそうな顔をしてこちらを見てくるからたまったもんじゃない。
「ばっ、なんでそうなるんだよ! 人の心を知った風に語るな!」
「えー、照れてるー」
「照れてねぇ!」
「照れなくてもいいじゃないか、ユーリ」
「そもそもお前がでまかせ言うからだろうが! つーかお前こそセシリアと一緒がいいんじゃないのかよ」
 揃ってにやにやしている二人。この状態になると何を言っても聞きやしない。困ったもんだぜと本人は呆れ返っているつもりだが、眉をぎゅっと寄せて落ち着かなく腕を組んだり解いたり、重心の位置を変えたりしているから動揺しているのは明らかだった。
「あー、フレーン!」
 矛先をフレンに向けさせようと試みたが、話を続ける前に、噴水の向こうから甲高い声が届いた。
 近所のマーサだ。マーサはフレンの前まで走ってくると、嬉しそうな笑顔を見せた。
「良かったぁ。今日はお休みなのね」
「ああ、そうだけれど。どうしたんだい?」
「それがね、聞いて欲しいことがあるんだけど……って、セシリアじゃなーい!」
「久しぶり、マーサ」
 マーサはフレンの隣にいるセシリアを見つけるや、両手を広げて抱きついた。
「どうしたのー!? いつ戻ってきたのよ!」
「つい昨日ね。元気そうでなによりだわ。それより、フレンに話があるんじゃないの?」
「ああ、そうなんだけどねぇ」
 マーサはフレンを一瞥すると、セシリアに向き直ってにっこりと笑った。
「セシリアがいるなんて思わなかったから! あたしあなたに頼みたいわ」
「騎士様じゃあ、力不足だとよ」
 ユーリはここぞとばかりにフレンにそう言ってやった。マーサはセシリアの手を握ったままユーリを振り返る。
「違うわよぉ。役不足よ。フレンは忙しいし、こんなこと頼んだらやっぱりダメだわ」
「どんなことだい?」
 フレンは立ち上がってマーサの説明を聞く姿勢を取った。二人が聞いているんだから、とユーリは明後日の方向を向いてマーサの説明をやり過ごした。
 マーサからの話を聞き終わり、セシリアは髪を指に絡めながら言った。
「……護衛をする、と言ってもその話だと、一日中一緒にいないといけないんじゃないかな」
「そこまでさせるわけにはいかないわよ! ただ、出かけるときにだけ一緒に居てくれればいいわ」
「でも、話を聞く限り乱暴な連中のようだから、それだけでは不安だな」
 セシリアとフレンは顔を見合わせたが、間に立つマーサ自身はそこまで深刻に考えなくてもいいわよ! と笑っている。
 実はそんなに困っていないのかと言われそうだが、彼女はもともとそういう性格だった。
 なのでセシリアは具体的な対策を講じ始める。
「騎士団で彼らを見つけて懲らしめるってことはできないの?」
「まだ悪さをしていないなら、裁く理由がないよ」
「じゃあ、やっぱりしばらくは私が一緒にいるようにした方がいいわね」
「ほんと? 引き受けてくれるの? セシリア」
 満面の笑みを浮かべて両手を合わせたマーサに、セシリアは暇だしね、と肩を竦めてみせた。
「じゃあ、うちに来て! 私の部屋でいいでしょ? うふふ、あなたとお泊りなんて子供の頃以来ねぇ」
「護衛じゃなくて、単に遊びたいだけなのかよ」
 黙って話を聞いていたユーリは楽しそうに笑うマーサを見てとうとう口を挟んだ。
「ナンパしてきた男と付き合って、数日でこっぴどく振って、そのことを逆恨みされたから仕返しが怖いとか、自業自得じゃねぇか。それくらい自分で解決しろよ」
「だって、私殴られそうになったのよ! そのときは上手くかわせたけど、あの人野蛮な仲間がいっぱいいるみたいなんだもの」
「そうだよ。女性一人でなんとかできる問題じゃない」
 マーサに続いてフレンも事の大きさを主張する。セシリアは腕を組んでユーリを見上げた。
「下町で起きる事件は放っておけないんじゃなかったの?」
「どう見ても一方的なイジメならな。俺は先約があるし、お前らでどうにかしろよ」
「先約ってなによ、ちょっと」
 ユーリはそう言い捨てるとくるりと背を向けて、言い縋るセシリアに軽く手を振ると市民街の方へ去っていってしまった。
「……なんか、機嫌悪いわね」
「ごめーん、あたしのせいかなぁ。セシリアをとっちゃったから」
「そんなことで拗ねるような可愛い奴じゃないでしょ」
 気にしなくて良いわよ、と首を振るセシリアを、マーサはきょとんとした目で見る。マーサはフレンに目で問いかけたが、フレンは肩を竦めるだけだった。
「それで、その男達って……。え、二人とも、どうかした?」
「いいや。なんでもないよ。彼らについては、騎士団でも警戒するよう隊長に伝えてみるよ。血の気の多い奴らみたいだから、どこで悪さをするとも限らないしね」
「お願いねぇ」
「それから、セシリア」
 名前を呼ばれて見上げると、やけに改まった顔をしているのでセシリアは反射的に姿勢を正した。
「くれぐれも無茶はしないでくれ。危険だと思ったら深追いしないこと」
「なぁに、そんなこと? これくらいのこと、今までもあったじゃない」
 それに、私も強くなったのよ、と余裕を見せて取り合わないセシリアに、フレンは念を押した。
「今までは僕たちも一緒だっただろう。とにかく、ユーリにも一言言っておくから」
「え、いいわよ。関わりたくないみたいだったし」
 さきほどのユーリの態度を思い出して、セシリアは語気を強めた。
 確かにマーサにも非はあるかもしれないが、ユーリだってこの件が彼女の手に余っていることはわかるはずだ。
 それなのに自分が気に入らないからといって手を貸さないなんて。
「あんな薄情者いなくたって、私一人で充分だわ」
「そう怒らないでくれ。僕はただ心配してるだけなんだ」
「フレンには怒ってないわよ」
「あのさぁ、ユーリも忙しいみたいだし、煩わせない方がいいんじゃないかしら」
「君は気にしなくて良いよ、マーサ。セシリアも、一人で対処し切れなかったら必ず誰かを頼ってくれよ」
「オーケー。わかったよ」
 今までフレンがこんなに女の子扱いしてくれたことがあっただろうか。昔は三人で行動するのが当たり前だったから、釘を刺す必要がなかっただけなのかもしれないが。反発を覚えながらも、嬉しくもあったから、セシリアはフレンが言うのに被せるようにして頷いてみせた。
「じゃあ、今日はもう行くよ。ユーリが面倒事起こさないうちに追いつきたいしね」
「あはは、いくらあいつでもそう毎日騒ぎは起こせないでしょ。ま、よろしくね」
 フレンを見送ると、セシリアはマーサに引っ張られるようにして彼女の家に向かった。


 ***


 市民街と下町の間に延びる階段。ここからだと下町がよく見渡せた。
 貴族ほどではないにしろ、日々食うに困らないだけの生活が出来る人たちと、一日一日の生活で手一杯の人間との境界線が、ここに引かれている。
 それは、下にいるものにとっては簡単に登れるようなものではなかった。
 金持ちに生まれれば金持ちのまま、貧乏に生まれれば貧乏のまま、人々はそれぞれ自分の生涯を送る。
 どうして自分の人生を生まれで決定されなければならないのか。
 努力次第で変えていくことが、どうして許されないのか。
 それは一部の人間が富にしがみついているからだ。皆に平等に金貨が分けられれば、金持ちはいなくなる。特権階級の人間たちは、それが我慢ならないのだ。足元にいる哀れな人々を踏みつけて、彼らは高価なワインを一口飲んで捨てる。
 それが、彼の住んでいる世界だった。
「俺は俺のやり方で、か……」
「何かいい案は浮かびそうかい」
 足元から明るい金髪が登ってくるのが見えた。ユーリはそちらを一瞥しただけで、すぐに下町に視線を戻す。
「さあな。なかなかの難題だぜ」
「僕には、いくつか浮かんだけどな」
「へえ。さすが騎士殿は違うな」
「ユーリ」
 呆れた溜息と、僅かな苛立ちが込められた声音。ユーリは悪い、と肩を竦めた。
 他の言い方が見つかればいいが、どうも皮肉な調子は隠せない。
 我ながら捻くれている。
「セシリア一人に任せて、心配じゃないのかい?」
「あいつは外で魔物と張り合ってきたんだろ。ゴロツキの一人や二人わけないさ。心配したくなるようなか弱い女でもないしな」
「……そうか。僕は、マーサからの頼みを聞いたとき、嬉しかったけどね」
「不謹慎だなぁ」
「そういう意味じゃないよ。ただ、以前はよく、こういうことをしていたなって思ってさ」
 フレンはユーリの隣に腰を下ろすと、立てた左膝に腕を置いて、下町を俯瞰した。
「また、セシリアと一緒に問題を解決できる。正義を疑わずに、悪を斬れる。……なんてね」
「それはまた、感傷的になったもんだな」
「君はそう思わないか?」
「……思わないこともない、かな」
 一瞬だけ、二人は目を合わせた。
 揃って結界のクリスグが浮かぶ空を見上げた顔には、薄い笑みが浮かんでいた。
「なんだ。否定すればいいのに」
「生憎嘘を吐くのは趣味じゃなくてね。……つーか、どういう意味だよ」
「そのままの意味さ。もし否定したなら、遠慮しなくていいってことだと受け取るつもりだったから」
「どっちにしろ、遠慮なんかする気ねえだろ。強欲の癖して」
 横目で睨みを効かせてきたユーリに、さあね、とフレンは笑って見せた。
 さて、とフレンは立ち上がり、階段の上へと身体の向きを変えた。
「僕は仕事があるから、守ってやれない。頼んだよ」
「ま、どうせ取り越し苦労で終るだろうけどな。へましないか、一応気をつけておくかね」
 ユーリも立ち上がると、下へと一歩進んだ。
「どこに行くんだい?」
「別に。散歩だよ」
「なるべく暴れないようにね。あんまり馬鹿やってると呆れられるよ」
「へーへー。努力しますよ。お前も、お勤め頑張れよ」
「……ああ」
 ユーリは背を向けたまま顔の横で手を振り、フレンはユーリの背中から焦点を移し階段の先を見上げた。
「じゃあな」
「それじゃ」
 短く素っ気ない挨拶が合図のように、二人は歩き出した。
 一人は上に、一人は下に。
 見据える先には、同じ光が照らしていた。
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