轟焦凍



 トレーニングルームの明りはすでについていた。
 申請した時間のちょうど一分前。
 呼吸を整えてからドアを開けた。
「あっ、焦凍くん!」
 真っ先に目に入ったのはタンクトップと谷間だった。
 ヒートしそうになる半身を慌てて冷却する。
 これも訓練の一環、とか思ってみたがやっぱ無理そうだ。
「ふぅ……。焦凍くんもここ使うんだね! 私は基礎体力アップのメニュー組んでもらったからそれやるんだけど、焦凍くんは器具使う系?」
「ああ……ランニングマシンだけ……」
「それなら被らないね。あ、でも他にも人来るかな?」
「俺が名簿見たときは、お前だけだった」
「じゃあ二人っきりだ!」
 いやおうなしに意識しちまうようなことをてらいもなく言うんじゃねえ。
 よっぽど他の部屋を借りようかと思ったが、でも俺以外のやつがここを使う可能性を考えたらこうするしかなかった。そしてそれで正解だった。あの腕立てを他のやつに見せるわけにはいかねえ。
「……なんて、自分で言ってちょっと照れた」
「なんだそりゃ」
 あんたまで照れたら収拾つかなくなるだろ、勘弁してくれ。
 まったく、どこまでも天真爛漫っつーか、無邪気っつーか。
「へへへーっ、だってあんまりないもんね、こんな機会」
 口を動かしながらも、身体もがんがん動かしていく。こういう、マルチタスクっていうのか、なんかすげえって思う。ひとつのことに集中すると、どうしても口数が減るからな。
「つーか、こっち見すぎだろ……。怪我すんぞ。集中しろ」
「あ、ごめん。焦凍くんが走る姿かっこよくってつい」
 こっちが怪我するだろうがいい加減にしろ。
 ちょっと気合入ってフォーム整えちまっただろ……。
「見てたいよねー。録画したいなー」
「……録画はいらねえだろ……」
「したくない?」
「してえな」
 あ、やべえ。本音が漏れた。
 そりゃあ、なまえのトレーニング風景なら需要あるだろ。スマホ、ロッカーに置いてきちまったな……ってそうじゃねえ。
「あんたがこっち見るなら、こっちにも考えがある」
「え、怒る?」
「俺もあんたをガン見する」
「えーっそれは照れる!」
 脅しにもなってねえが、なまえは真っ赤になって顔を背けた。これで俺は存分になまえを見れるわけだ。
「私もう見てないよ! 焦凍くんも前見て前! 集中集中!」
 ソッコーでバレた。
「悪い」
「ううん。ねえ、私やり方変だったかな?」
「え?」
「焦凍くんの目から見て、おかしかったかなーって」
 なまえはそう言いながら柔軟にポーズを取ってみせる。
「どう?」
「見ていいのか?」
「見て見て!」
 晴れてお許しが出た。
「目の毒だ」
「どういう意味!?」
「違った。あってる。問題ない」
「じゃあ、これは?」
「綺麗に筋が伸びてる。体幹ができてんだな」
「えへへ、褒められた」
「ただ、筋力が足りてない。そのままどれくらい維持できる」
「え? いーち、にーい」
 なまえは不安定な体勢のまま数を数え始めた。
「よし……いいぞ……そのままだ……!」
 タンクトップが伸びて裾が……もう少しで……腹チラ……!
「ううう、限界!」
 そのままなまえは床に倒れた。
「……惜しかったな……」
 あと少しだったな……。
「うー。筋肉つけよ! 焦凍くんは腹筋割れてるよねぇ」
 私は硬くはなってきたんだけどね、となまえはあろうことかタンクトップを捲り上げた。
 チラどころじゃねえ。
「なかなか割れないんだよね」
「割らなくていいだろ。そんぐらい引き締まってるのがそそる」
 何言ってんだ俺は。
「あはは、焦凍くんエロい!」
 そそくさと腹を隠されてしまってがっかりしている俺には何も言い返せなかった。
 ダメだ。まったく集中できてねぇし、これじゃトレーニングの意味がねえ。俺にはまだ早かったんだ。もっと鍛錬をつまねえと……何が起きても揺るがねえ鋼の精神を……
「んんーっ」
 作るとか絶対無理じゃねえか?
 ふと柔軟体操を続けるなまえの谷間がまた目に入っちまった。
 太ももに胸が押し付けられて盛り上がっている。
 そもそも、なまえがいちいちエロいのがいけねえ。
 なんでタンクトップなんだよ。見えちまうだろうが。
 普段もそんな格好でやってんのか? 俺以外のやつがいるところで?
「あつっ、って焦凍くん、こんなとこで炎出したら危ないよ!?」
「ああ、悪い」
 なんかイラついちまった。
「さてとー。私はこれで終わり。シャワー浴びよ。焦凍くんお先ー」
「もうあがんのか」
「うん。メニュー分終わったし。焦凍くんはもう少しやってく?」
「……いや。俺も十分だ」
 無駄に汗をかいただけだった気がする。
 つーか、二人っきりだって喜んでたくせに、やけにあっさり帰るよな。ちょっと薄情じゃねえか。
「……ねえ、焦凍くん」
「なんだよ」
「シャワー、たぶん焦凍くんのが早いと思うけど……待っててくれない? 一緒に、帰りたいなーって……」
 めちゃくちゃかわいい誘い方だった。
「待っててやるから……早くしろ」
「やったぁ!」
 本人の自覚通り、なまえは支度に時間がかかっていた。女子は風呂が長い。うちの姉もそうだ。風呂場で髪洗って湯船に漬かっても十分かからねえだろうし、シャワーなら一分で済むところを、何をそんなにやることがあるのかわからねえ。
「お待たせっ」
 戻ってきたなまえは、しっとりと濡れている髪を二つにまとめていた。普段は見られない髪型だ。
「いいな、それ」
「これ? ドライヤーなかったからしょうがなくね。どこ仕舞ったんだろ。あ、焦凍くんの炎で乾かせない?」
「……ハゲになっても知らねえぞ」
「それはやだ!」
 俺もいやだ。
 綺麗な髪なんだから、もっと大事にしてくれ。
「焦凍くん、こういう髪型好きなんだ?」
「……ああ」
 わりと結構好きだな。
「そっかー。でもちょっと子供っぽいんだよね。だから普段やらないの」
「やらねえのか」
 別に子供っぽくねえけどな。もっとやればいいのに。
「……そんな目で見ても、ダメです。やりません」
「そんな目はしてねえが」
「してたよ! してたしてた」
「そうか?」
「焦凍くん、たまにとって食いそうな目で見るんだもん」
「とって食い……ああ」
 そんな風に見えるのか。
「否定しない!? ほんとにそうだったの!?」
「……あんた、煽るし」
「煽ってないし!?」
「自覚ねえのか」
「ないです!」
「じゃあ」
 ばたばたと騒がしいので頬を触ると大人しくなった。
 俺がとって食いそうな目してるなら、あんたのその上目遣いはなんだよ。
 いかにも美味しく食べてほしいって、そういう顔に、俺には見えるぜ。
「キスしていいか」
「脈絡がないね!?」
「それぐらいならいいかと思うんだが」
「それくらいってどれくらい……?」
 とりあえず、イヤとは言わねえな。
「んっ……」
 ああ、足りねぇ。もっと食いてぇ。
 でも、ここまでにしとかねえと。
「焦凍くん……」
 そんな顔すんなよ。心配しなくても、そのときが来たら全部余すところなく、俺のもんにしてやるからよ。
「これくらい、だ」
 今はまだ、な。
 なまえの唇を親指の先で拭ってやると、じっとりと濡れていた。




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