轟焦凍

「――真面目にやれよ、なまえ」

 投げかけられた言葉が、耳に染み付いて何度も、何度も響いていた。



「なまえもお菓子食べるー?」
 百と授業の復習をしているところ、三奈がポッキーを差し出してきた。
 放課後の教室。ほとんどの生徒は帰ってしまい、残っているのは三奈と話していた透を含めて女子四人だけだった。
「そうだ、なまえ。気になってたんだけどさ」
 話しかけたついでとばかりに、三奈は続けた。
「今日の演習、轟とだったじゃん。最後、どうしたの?」
 五六限の演習内容は、ヴィランと一対一になったときの対処についてだった。
 ヒーロー側とヴィラン側に分かれて、ヒーローがヴィランを捕らえれば成功だ。
 私がヒーロー側で、轟くんがヴィラン役だった。
「なまえ、あとちょっとで勝てたのにねー」
「そうですわ。なのに、最後の最後で……」
 透と百にも言われてしまった。
「うん……」
 相澤先生にも注意された。最後まで気を抜くなって。
 ーー勝ったと思って油断したのか。
 反撃されると思って身構えてしまったのか。
 自分でもなぜ、あのとき轟くんを捕まえられなかったのか、はっきりしない。
「真面目にやれよ、なまえ」
 逆転して、私を氷漬けにした轟くんから、最後に言われた台詞。
 ふざけてるつもりはなかったし、轟くん相手に油断できるはずもない。
 ただ。
「いい香りが……して……」
「いい香りぃ!?」
「えー、お腹空いてたの!? お昼抜いたとか?」
 三奈と透は大袈裟なリアクションを返してきた。違う違う、と私は慌てて手を振る。
「食べ物の匂いじゃなくて、なんていうか、こう……身体から力が抜ける感じっていうか」
「なにそれ?」
「ミッドナイトの個性のようなものでしょうか?」
 百が推測してくれるけど、それとも違う感じだ。
「ずっと思ってたんだけどさー」
 ふいに、三奈が声のトーンを落とす。
「なまえって、あんまり轟と話さないよね?」
「そうですの?」
「えっ? そ、そうだっけ……?」
「あー! 確かに、あんまりなまえから話しかけてるのみないかも!」
 透にまで指摘されて、そう見えるようなことをしていただろうかと、私は自分の行動を振り返ってみる。
「轟の方から話しかけてもすぐ会話終わるじゃん? そりゃあ轟も話す方じゃないけどさー、必要最低限っていうか」
「わかるわかる! 常闇くんとか障子くんも口数少ないけど普通に話してるよね」
「……轟さんと、何か……あったんですの?」
 遠慮なしの透と三奈に口を挟めずにいると、百に深刻な顔をされてしまった。
「な、ないない! なんにもないよ! 別に普通だよー!」
「でも……何かあったら相談してくださいね」
「その気持ちは嬉しいよ、百。でもほんとに何もないから!」
「何もない、ねえ」
「ねえ」
 必死に否定すればするほど、三奈と透のニヤニヤがひどくなる。
 轟くんと普段、どんなことを話していたっけ。
 授業中以外だったら……。
「今日は牛丼か」
「うん」
「俺もだ」
 とか……。
「日直は次の授業の準備があるから科学室先に来いってさ」
「わかった」
 とか……。これは授業に関係することか。
 他にも、日常会話的なこともちゃんとしてコミュニケーション取ってる、はずなんだけど……。
「あんたも個性で結構苦労してんだな」
「うん」
 ……思い出せば出すほど、三奈たちに言い返す論拠が見つからないことがわかってしまった。
 会話、短すぎる……。
 ていうか、私がぶった切ってしまってる……。
「たとえば、常闇くんとだったらこの前、最近聞いてるバンドの話で盛り上がってたじゃん?」
「あ、うん。響香も加わって、おすすめのCD交換することになったよ」
「いいなー!私も混ぜてー!」
「いいよー透は何が好きなの?」
「おほん。今は轟さんとなまえさんの関係について話を進めましょう」
 うっかり脱線しようとしたら、百に止められてしまった。
 関係、関係って言っても……。
「轟さんが苦手だったりします? 話題が合わないとか」
「ううん、そんなことないってば! ただ、なんていうか、轟くんがわざわざ私に話しかけてくれてるなんて……って思ったら話題が出てこないっていうか……頭が真っ白になるっていうか……?」
「唐突に卑屈だ!」
「そんなキャラだったかなまえ!?」
「私も、なまえさんらしくないと思いますわ」
「そ、そうだよね……」
 指摘されてみると、確かに。
 私、なんでこんなに轟くんと会話できていないんだろう。轟くんだけ?
 どうして……?
「意識してるね、轟を」
 ずばり、っという勢いで三奈が断言した。
「轟さんは強い方ですし、クラスでも上位の存在ですもの、気持ちはわかりますわ」
「あーっていうかヤオモモ、そうじゃなくてさ、それあれじゃない!? ね、三奈!」
 うんうんと頷く百に、あーそうかも、なんて安直に同調しようとしたら、透が百の肩をばしばし叩きながら三奈に振った。三奈はにやりとしているし、透もおそらく同じ表情をしているのだろう、そういう口調だ。
 何を言われるのか、私は身構える。
「なまえ、轟のこと好きでしょ!」
 私が否定するよりも、ましてや百が拍子抜けした声を上げるよりも先に、三奈が言い終えるよりは前に、ドアが開いた。
 教室の前方、そこにいるのは間違いなく轟くんだった。
(やばい)
 三奈と透が硬直したのが伝わってきた。
 どこまで聞こえていたのか、ドアを閉めるでも、中に入るでもなくその場に立ち尽くしている轟くんの瞳が少し見開かれて、まっすぐに私を見ている表情を見てしまえば、もしかしてなんて都合のいい想像はできなかった。
 しかし、最初に気を取り直したのも轟くんだった。
「……忘れ物、取りに来ただけだ」
 誰にともなく言って、まっすぐに自分の机に向かうと、ノートを鞄に仕舞い、そして何事もなく出て行こうとした。
 突然、三奈が呪縛を打ち破ろうともがくように声を上げた。
「あっ、あー、誤解を招くようなとこだけ聞いて去るなんてずるいぞ! 私達、別に恋話とかしてないからね!」
「そ、そうそう! 単に、なまえと轟くんの関係ってどういう……もがもが!」
 三奈が慌てて透の口を塞ぐ。
 轟くんはドアに手を掛けた。
「……別に、誤解なんかしねえよ。そういう浮ついたやつ、いらねえ」
 低い声でそれだけを言い残して、ぴしゃりとドアを閉めた。
「ちょっ……、ちょっと! なにそれ……!」
「ひどくない!? 今のひどくない!?」
 三奈と透の声が遠のき、百の気にしないでと肩に触れた手の感触がわからなくなる。
「真剣にやれよ」
 あの言葉が、耳の奥で響いた。
「あっ、なまえ!?」
 言わなくちゃ。
 ここが結末なんて、いやだ!
 ドアを開けて、走る。轟くんはまだそこにいた。
「轟くん、待って!」
「なんだ」
 ちらりと振り返ったけれど、轟くんは、立ち止まらない。私は追いかける。
 ああ、そうだ。いつもはなんだか、あの色違いの瞳に見つめられてしまうと、彼の視界に私がいることそれ自体がいたたまれなくなって、どうしようもなくなって、何も言えなくなってしまった。
 それじゃもう、だめなんだ。
 ようやく、その原因に気づけたから。
「ごめん、私、自分で自分がわかってなかったの」
「……なんの話だ」
「今日の演習のこと」
 轟くんは歩き続ける。私はその背中を追いかける。
「だから、戸惑ってしまってた。今日、不意に轟くんの顔が近くなって、いい香りがして……くらくらしたの」
 廊下を上履きで擦る、甲高い音が響いた。
 轟くんがつんのめった。
 あの轟くんが?
「……ほんとに、何言ってんだ、あんた」
 ようやく振り返ってくれた轟くんの顔を見返すのは、やっぱりまだ面映ゆい。
 でも、もう逸らさない。
「ごめんなさい。そういう意味では真剣にできてなかった。あんなふうに気が緩むなんて、ほんとダメだ。でも、もうしないよ」
「……それは」
 轟くんはまた背を向けてしまった。手を口元に当てて、考えながら口を開く。
「俺相手のとき、だけか」
「うん、そう。あの香りは、轟くんしか」
「香水なんかつけてねえぞ俺は」
 なんだか早口に遮られてしまった。
「石鹸の匂い……とも違うな。なんだろ……轟くん自身の匂い、なのかな」
 私は胸を満たすような、それでいて焦れったくなるようなあの香りを思い出す。
「……ねえよ、香りなんて、あんたの方が……」
「え、私?」
「なんでもねえ忘れろ」
 また早口で言われた。何を言おうとしたのかわからないから忘れようもないんだけど……。
「……悪い。浮ついてるとか、言い過ぎた」
 ふと、声のトーンを落として、轟くんはそう言った。
「え、ううん! いいの、そういうつもりじゃないし……」
「……で、俺は誤解していいのか?」
「へ?」
 やおら振り返られて、言葉に詰まる。
 やっぱりあの視線は、ずるい。
 全部見透かされてる気がして、逃げ場がなくなる。
 本心を全部、暴かれてしまう。
「どうなんだ」
 誤解……あ、三奈が言ってた……。
「ああ言われなきゃ、わからないものだね……。こういう気持ちって、初めてだから……自分で気づけなかった」
 答えがわかれば、あとは明白だ。
「私、轟くんが好きだよ」
 だから意識しちゃって、だからうまく話せなかった。
 どう接していいか、わからなかった。
 恋した異性に対する行動なんて、考えたこともなかったんだ。
 轟くんは目を丸くした。初めて見る表情。
 ついで、手で髪をくしゃ、とする。それで顔が隠れるけど、頬がちょっと赤くなっていることに気づいてしまった。
 あれ、なんだか、かわいい仕草じゃない?
「ったく……あんた、そういうとこあるよな……ポジティブっつーか自己完結型っつーか……俺も人のこと言えた義理じゃねえが……」
「そんなことないと思うけど……」
「ちょっと前まで、俺が振り向くと顔背けるし、話しかけても上の空だったくせに」
「そ、そこまでだった……!?」
「これだけ話したの、初めてだろ」
「ほ、ほんとだぁ!」
 入学当初からこんな感じだったわけで……こういうのって一目惚れって言うのか、そうなのか、私。
「一人で納得してすっきりした顔して……こっちは振り回されっぱなしだ」
「ご、ごめんなさい……」
「はっきり言われちまったわけだし、はっきり答えるしかねえよな、もう」
 はっきり……あ、私今、轟くんに告白したんだ。
 告白っていうか、単純に自分の気持ちに決着をつけるっていうか、声に出して整理しておきたかったというか、ああ、このあたりが自己完結型、って言われちゃうのか。
「突然ごめんねほんと! ただもう、これからは今回みたいなヘマはしないって宣言したかっただけなのに、変な話になっちゃった。気にしないで! 今までどおり、普通のクラスメイトとして……」
「待てって、だから」
 ぶんぶん手を振っていたら、がしっと掴まれた。左手、炎は出ていないけど、熱い。
「完結すんなっていってるだろ。俺の話、聞けよ」
「……はい」
 ふと、轟くんは眉を下げた。
「まあ、俺もさっきああ言った手前言い難いんだけどよ……」
「はい」
「前言撤回だ。あんたは浮ついてない。ずっと見てたからわかる」
「はい……へっ?」
「話しかけてったのはこっちだ。反応が薄いから脈なしかと思いつつも、何度も振り返らせようとした。俺だって、浮ついた気持ちじゃねえ」
「はい……!」
「さっきは……なんつーか、腹が立ったんだ。こっちの気持ちも知らず、なんだよ……って。だから、つまり……もういいんだ」
「もう、いい」
「俺もあんたが好きだ」
「!?」
 怒涛の展開に思考がついていかない。
 こればっかりは、どうしようもない。
「もちろん、学業優先だ。あんたとどうしたいってわけじゃねえ。ただ、気持ちがつながってんなら、それでいい」
「気持ちが……」
 繋がる。どくん、と高鳴った胸を抑える。息が苦しいくらいだけど、とっても満たされてる。ふわふわしていた魂が轟くんにしっかり捕まえられて、地にしっかりと、着地した。
 そんな感覚。
「だからまあ、いままでどおり、だな」
「うん」
「……会話は続けろよ」
「うん!」
「……そんなに俺と話すことないか?」
「あっ、これはいままでとは違って……! 嬉しすぎて言葉では表現しきれない感じ!!」
「そうか……? じゃあせめて表情に出してくれ」
「あれっ、出てない!?」
「出てねえ」
「自分では抑えきれてないつもりなのに……! でも、それを言うなら轟くんもいつもどおりだよ!?」
「は? これ以上なく表情に出てると思うが……」
 思わずお互いの表情を確認するため、見つめ合う格好になる。いつもどおりの、淡々とした表情の轟くんと、まっすぐに轟くんを見返せるようになった私。
 ちゃんと、前進できてるよね?
 轟くんが吹き出した。柔らかい、今まで見たことない笑顔。そう、こんな感じ。
 もう大丈夫。
 私は揺らがず、歩いていける。
 あなたと共に。


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