緑谷出久

 去年の花火は綺麗だった。
 クラスの子達と浴衣を着て集まって、夜遅くまで騒いだ。
 履きなれない鼻緒に足を痛めて、でもそれは皆も同じで、花火が終わった後、皆脱いで歩いてた。
 アスファルトは昼間吸収した日差しをまだたっぷり含んでいて、足の裏がちくちくとぽかぽかで、心地よかった。
「痛くない?」
 そう訊ねてくれたこと、覚えてるよ。
「こっちの方が、痛くない!」
 平気だよって見せるために私は飛び跳ねて、手から草履がすっぽぬけちゃった。
 友達の頭に当てちゃって、草履はたらいまわし。
 私たちは笑い転げていたけど、君は真剣に取り返そうとしてくれた。
 ちゃんと、見てたよ。
 中学校最後の夏。
 君の小さな背中が、こんなにも遠くなるなんて、あのときは思ってもみなかった。

 テレビ中継で、君の活躍、ちゃんと見てたよ。
 痛々しすぎて、目を覆いたくなるくらいだったけど、それでも、目を逸らしちゃだめだって、堪えて、見ていたよ。
 君の背中は、あのヒーローに届くくらい、ずっと大きくなっていた。
 すごく驚いて、すごく寂しくなった。
 もしかしたら君は、ここに戻ってきてくれるんじゃないかって、ひどいことを考えていたんだ。
 何も持たなかったはずの君だから、挫折して戻ってきて、悔しさを押し殺して、笑って、「やっぱり、だめだった」なんて。
 ごめんね。
 ごめん。
 私は何も見えてなかった。
 君のほんとうの心。
 あまりにもまぶし過ぎて、やっぱり私には遠いみたいだ。
 追いかけるには、あまりにも。
 だから、私は諦めて、立ち止まっている。

 その間にも、君がどんどん、先へ、さらにその先へと進んでいくの、見ていたよ。
 ずっと、見てた。

「なまえちゃん!」

 久しぶりに会った君は、満開の笑顔で、手を振ってくれた。
 街角で、顔を合わせただけでわかる。
 自信に溢れた顔つき。
 がっしりとしてきた体躯。
 明るさいっぱいのきらきらとした眼差し。
 何より、目を逸らさない。
 私のことを、まっすぐに見つめ返してくれる。

「ごめん、呼び止めて! 遠目で見かけて、なまえちゃんだって思ったら思わず……!」
「ぶらぶらしてただけだから。私こそ、会えて嬉しい! ねえ、暇だったらそこのカフェ行こうよ」
「うん! 行こう」
 お昼を少し過ぎたくらいの、中途半端な時間だった。人はまばらで、私たちは壁際の席に座った。
「見違えるなぁ。出久くん、ちょっと会わなかっただけなのに、すっかり変わったね」
「えっ、そ、そうかな……!?」
 今頃緊張してきたのか、椅子の上でぴったりと膝をくっつけ、お冷を両手でがっしり掴んでいる。
 そういうところは、変わってないのかもしれない。
「そうだよ。あ、見てたよ、体育祭!」
「あ、ほんと……!?」
「あの爆発魔……爆豪くんも出てたね。まさか優勝しちゃうとは」
「うん。かっちゃん、雄英でもすごいんだよ。轟くんとか、強い人がたくさんいるんだけど、その中でもやっぱり……」
「私は、出久くんもすごいって思ったよ」
 言葉を割り込ませる。
 出久くんはきょとんと目を丸くして、それから頬を赤くして俯いた。
「中学のときとは、全然違うね」
「……うん。あのときの僕とは……もう、違うんだ」
 俯いてはいたけれど、その声は震えても、怯えてもいなかった。

「違うんだ、なまえちゃん」

 何も持たなかった君。
 本当に君は出久くんだろうか。
 少なくとも、私の知ってる出久くんじゃ、もう、ないんだね。
 あの爆破悪魔から庇ってあげなきゃいけない、弱い男の子なんかじゃ、もう、ないんだ。
 自分の拳で、足で、戦って、走っていける、強い人になったんだ。

 ああ、遠いなぁ。
 もし叶うなら、その隣にずっといたかったって、思ったのは本当なの。
 個性なんかなくたって、君のひたむきなとこ、一生懸命なとこ、ちょっと弱気なとこ、でも、頑固なとこ、気に入っていたんだよ。

「だから……僕、これからは、君のことだって……」
 出久くんは小さな声で何かを呟くので聞き返すと、なんでもない、と首を振った。
「皆のことを守れるヒーローになるから。見てて欲しいんだ」
「ずっと見てるよ。これからも頑張って」
「うん……ありがとう! なまえちゃんも、頑張ってね!」

 手を振って別れたあと、胸が苦しくなって動けなかった。
 今、追いかけて、離れたくないって、縋って、それで、それから。
 それでどうなるというんだろう。
 追いつけない。
 喉をかきむしって喘ぐ。
 私の足は君を失い、根が生えて硬直する。

 出久くん。
 私、私ね、ずっと、君を。

 伝えられない思いが喉元に膨れ上がって気道を潰す。

 ねえ、私は。
 君がいないと、息もできない。


prev * 1 / 7 * next