舞い上がる
君は笑わなかった。
はやとちりだったのに、そんな馬鹿なこと絶対やるもんかなんて拒絶せず、自分で決めたんだからと、全うしようという意思を見せてくれた。
君は私を理解しようとしてくれて、そして受け入れてくれた。
私を……こんな私を、好きだと、言ってくれた。
すれちがい ― 彼女の視点
「うーん、目元がちょっと違うかな……」
腕はもう少し細かったかも。腰も細いし、足はこれくらいの長さで……。線を描いては消し、消してはなぞり、記憶の中の少年を再現しようと試みる。結局私はファイトに負けて写真を撮らせてはもらえなかったから、記憶を頼りに描くしかない。でもいくら描き直してもなんだか納得できなくて、修正すればするほどイメージと離れていってしまうようだった。
「……やめよ!」
これ以上続けたら、記憶の方が上書きされて、取り返しがつかなくなる。一旦諦めて、後で描き直そう。
「やっぱり、実物を測らないと……」
目測だとどうしても限界がある。
だから、会いに行かないと。
明日こそ。
明日こそは、会いに行くんだ。
よし。
決意を固くして、私は机の上に散らかった消しゴムのカスを片付けて、寝る準備に取り掛かった。
「ここ……だよね」
何度も地図を見て、うちの周辺にはこのカードショップ一件しかないことを確認する。カードキャピタル。以前は、新しいパックが出た時だけ友達と一緒にカードを買いに訪れていた。でも最近はその機会も減って、足が遠のいていた。
「クロノくん、いるかな……」
いなかったらすぐに帰ろう。そう決めて、ドアの前までそっと向かう。硝子越しに店内を覗いてみると、ずいぶんたくさんの人で賑わっていた。誰かがファイトしているみたいだ。とても強い人なんだろう、観衆はかなり盛り上がっている。人垣の中、金髪の少年が見えた。クロノくんと同じ制服を着ている。もしかしたら、対戦相手はクロノくんなんだろうか。
確かめたかったけれど、どうしてもこの位置からでは対戦相手の顔は見えなかった。きっと、違うよね。もしそうだとしても、せっかく友達と盛り上がってるところに邪魔したら悪いし。今日は帰ろう。
私はそっとショップを後にした。
家に帰り、とりあえずクロッキー帳を広げてみる。でも、一本も線が引けない。実物を見られなかったから、どうしても描けない。
もう一度ショップに行ってみようか。ううん、きっと今日はもう来ない。
明日。
明日また、行ってみよう。
店内に入って、探してみて、いなかったら少しだけ待ってみよう。
再決意したはいいものの、それからはなんだかんだと用事が入ってしまって、ショップへはあれっきり向かうことができなかった。
クロノくんとは、もう会うことはないのかもしれない。
そんな思いが頭をよぎる。だって正式に約束したわけじゃない。彼はあくまで、クエストをこなすために私のところへ来てくれただけだったのだから。きっと他のファイト友達と、強くなるために忙しくしてることだろう。変な趣味を持った年上の他人のところにわざわざ来るほど、あの年代の男の子は暇じゃない。
緑の瞳が印象的な彼に似合う衣装を作ってみたかったけれど、諦めよう。
私は昔から内向的で、臆病だった。
子供のころから変わらない、消極的な性質。
本当はもう一度会いたいと強く思っていたのに。
勇気が出なかった。
だから、もう諦めるしかないと思っていた。
まさか彼の方から来てくれるなんて想像もしていなかった。
彼は怒っていた。ファイトをする約束をしたのに破ったと、怒っていた。
申し訳なさと罪悪感で苦しくて、それ以上に、嬉しかった。
クロノくんも、私と会いたいって思ってくれていたんだって。私なんかに、会いに来てくれるなんて。
今振り返ってみれば、あの頃の私はかなり舞い上がっていた。
たくさんファイトして、次に会うのが待ち遠しくてたまらなくて、彼にしてみればまるで興味のない衣装なんか押し付けてしまって。
彼は優しいから、私のお願いを嫌がらずに聞いてくれた。私はそれに甘えて、誰かに着て欲しいという欲求を満たすのに夢中で、ずいぶん彼を振り回してしまっていたのに、思い至らなかった。
彼が遊びに来てくれるのが当たり前になっていて、彼が私の作った衣装を着てくれるのが当たり前になっていた。
「すごく素敵だよ、クロノくん!」
彼のために仕立てた初めての衣装。彼のサイズぴったりに作り上げたそれを、肌を綺麗に磨き上げて纏ったクロノくんは本当に、夢のように美しかった。
まるで本物のユニットが目の前に現れたようで、まさしく私のイメージが現実になった瞬間だった。その事実に胸がいっぱいになって、私は写真を撮ることすら忘れて幻想の騎士となった彼を見つめた。気がついたら涙すら浮かんできて、彼の翡翠色の瞳から眼が離せなくなった。
「すごく……素敵」
この感動を人に理解してもらえるとは思わない。けれど確かに、私にとっては夢が叶った瞬間だった。叶うはずのなかった夢を、彼が叶えてくれた。
私の眼は涙でぼやけていて、クロノくんがどんな表情で熱に浮かされたような私を見上げていたのか、よく思い出せない。
思い出せるのは、私の肘近くを掴んだ彼の手の握力が、思っていた以上に強くて、痛みを覚えたということだけだ。気がついたら私は床に倒れこんでいて、クロノくんが怒った顔をして私を見下ろしていた。そうかと思えば彼は衣装を脱ぎ捨てて、荷物を持って飛び出して行ってしまった。
何が起きたのかわからないまま、私は遠くで玄関のドアが乱暴な音を立てるのを聞いても、起き上がることができなかった。
どうしてあんなにも泣きそうな表情をしていたのか、いくら考えてもわからなかった。
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