お姉さんとアイチくん9



 ああ。
 僕ってなんてダメな人間なんだろう。
 ここまでダメだって、自分でも思ってなかった。
 思えばどれだけ失敗を重ねてきただろう。
 それなのに思い上がって舞い上がってのぼせて、告白なんてとんでもないことしでかそうとして。
 これは神様が叱ってくれたんだ。
 とんでもないことをしでかす前に、お前には荷が重いって、止めてくれたんだ。
 だから……。
 だから、僕なんか、やっぱり、あなたには、ふさわしくない。
「……うっ」
 涙を堪えられない自分も惨めで情けなくて、余計に涙が溢れてくる。
 ゆりかさんがそっと僕の手から缶コーヒーを取り上げた。
「大好きなクレープがダメになったくらいで泣かない。男の子!」
 そう言って励ましてくれながら、僕の膝についたクリームを拭ってくれる。
「よかった、あんまり着いてないから染みにならないですみそうだよ」
「ゆりかさん……」
「そんなにショックだった? もう一回並んで買って来るよ」
「ち、違います」
 僕を慰めようとそう言ってくれるゆりかさんがすぐにも店の方に行ってしまいそうで、僕は慌てて引き止める。
「僕が好きなのはクレープじゃなくてあなたです」
 ずっとあなたは勘違いしていたから、どうやったら伝えられるのか、僕はずっと悩んでいたんだ。

 どうして気づいてくれないんですか。
 僕はこんなに抑えきれないくらいに思いを溢れさせていたというのに。

「ゆりかさん、あなたが好きです」
「アイチくん……」

 とんでもないことをしでかしてしまった。
 でも、心は不思議と落ち着いてる。
 コーヒーの苦味と、クリームの甘みが、口の中でごっちゃになってる。
 それとは関係なく、僕の脳は澄み切っている。
 迷いはすべて、吹っ切れた。

「すみません、急にこんなこと言われても迷惑ですよね。でも言わずにはいられなかったんです。自分勝手で……ごめんなさい」
 ぎゅっと拳を握って俯く。
 一方的だけど、伝えられた。
 それだけでいいんだ。
 僕はもう、これで満足だ。
「それじゃ……」
「返事、聞かないの」
 背を向けようとすると、呼び止められた。
 本音を言えば、少し怖い。
 伝えられて満足だけど、答えを得るのは怖いなんて、身勝手だ。
「すみません……いいんです、伝えられたら、それだけで」
「だったら、私にも伝えさせてよ」
 はっとして顔を上げる。
 ゆりかさんは顔を真っ赤にして、違うところを向いていた。
 ゆりかさんが、僕の方を見ていない。
 ぎゅっと眉を寄せて、唇を噛み締めてるゆりかさんを、僕はまじまじと見る。
「前に……アイチくんと、二回目に会った時ね。好きって言われて、私のこと? ってどきっとしたの。でも、初対面で告白なんてするわけないし。よくよく聞いたらクレープ屋のことだったんだって思い直して、ほっとして、ちょっと残念だった」
「……それは」
 あのとき、僕はゆりかさんに再会できたことで舞い上がっていて、とにかく必死で言いたいことを伝えるために、思い浮かぶままに声に出していたから、きっとゆりかさんには意味不明に聞こえたんだ。
「それから、アイチくんのこと気になりだして。キャピタルで、いつも待っててくれるから、会いに行ったらすごく喜んでくれるし、私もアイチくんに会うのが楽しみになったんだよ」
 ゆりかさんはようやく顔を上げて、照れながらも、微笑んでくれた。
 いままで見たことない笑顔で、いままで見たどの表情よりも可愛い。
「アイチくん、また泣いてる」
「……だってっ、これは、しかた、なっ……」
 言い訳をしているうちに、嗚咽が漏れて何も言えなくなってしまった。
 ゆりかさんは目元をごしごしこすろうとする僕の腕を捕まえて、下に下し、ぐいっと引っ張る。僕はぽすっとゆりかさんの胸元に顔をぶつけた。
「泣ーくな。男の子」
「ない、てっませんっ……」
 ゆりかさんの顎が僕の頭の上に乗る。僕はゆりかさんの胸にすっぽり包まれてしまった。
 ぬくもりに触れたら、余計に涙が溢れてきた。
「えぐっ……、ぅうっ」

 しばらくそうした後、僕たちはまたベンチに座りなおして、ゆりかさんが買い直してくれたお茶を飲んで、僕は一息吐いた。その間にゆりかさんは自分のクレープを食べ尽くし、とても満足気に微笑んだ。
「さーて、そろそろ寒くなってきたし、かえろっか」
「はい」
 さすがにずっと外にいたせいか指先が冷えた。袖を伸ばして指先を外気から守ろうとしていたら、ゆりかさんが手を差し出してきた。
「な、なにもあげられませんけど……?」
「君の手の温もりなら、もらえないかな?」
「ふぇっ!?」
 真っ赤になった僕に、ゆりかさんは笑ったけど、ゆりかさんの頬もちょっと赤くなってる。
「なーんて、キザだ、キザ。アイチくんと手を繋ぎたかっただけだよーん!」
「なっ、ゆりかさんっ……!」
 誤魔化しついでにゆりかさんは強引に僕の手を取って、大きく振った。僕は引っ張られて転びそうになり、踏ん張る。
「さ、帰ろ?」
「は、はい……」
 手を繋いだまま帰るなんて、それだけで恥ずかしすぎて、顔を隠したいくらいだったけど、ゆりかさんが許してくれないから、僕はできるだけ肩を縮めて、誰とも目を合わせないようにして、せかせかと歩く。
 ゆりかさんはからかうように僕と繋いだ手を振り回したり、ぎゅっと力を入れてみたり、ときどき僕の顔を覗きこむ。こんな顔見てほしくないから逸らすと、追いかけてくる。
「や、やめてください、ゆりかさん!」
「照れなくていーじゃん」
「はっ、恥ずかしい……」
「もー! アイチくんはかわいいな!」
 そう言ってぶんぶん腕を振り回すのも、ゆりかさんの照れ隠しなんだから、自分から恥ずかしくなるようなこと言わないで欲しい。
 でも、とっても恥ずかしかったけど、いざお別れしなくちゃいけなくなって、手を離さなくちゃならなくなったとき、僕はとても名残惜しくて、ゆりかさんも離れがたく思ってるみたいで、それがとても嬉しくて、僕たちは何度もまた明日、と約束をして、そうしてようやく、それぞれの家に帰っていった。



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