バトルスピリッツ


Viola



「あの子と私、どっちが好き?」
 戯れにそんなことを訊ねれば、なぜそんな質問をする、と真面目な顔で問い返される。
 器に盛られたぶどうをひとつぶ摘み取り、口に含むと濃い果実の汁が唇の際まで溢れた。
「あそびよ。そんなに深く考えないで」
「彼女は人間だ」
 勝手に付いてきただけだ、そんなふうに興味もなさそうに言って、私の質問をまるでまともに取り合ってはくれない。
「あの子、綺麗よね」
 もう彼は答えようともせず、仕事に戻ってしまう。
 魔族をまとめようなんてご立派な決意をしてから、彼は多忙だ。
 いままでバトル以外まるで眼中になかった彼のことだから、なんという心境の変化だろうかと驚くばかり。それもあろうことかたった一人の人間のせいでこうなったのだというのだからおかしくて笑ってしまう。
 あんなにギラギラと尖っていたのに、すっかりまあるく優しくなって。
 いつかあの角もぽろりと取れてしまうのではないだろうか。

 馬神弾。
 あの人間はバローネに多大な影響を及ぼした。
 そして紫乃宮まゐ……ヴィオレ魔ゐという少女もまた、彼のことばかり気にしている。
 バローネが馬神弾によって人間へ理解を深めた一方、彼女は馬神弾のために、魔族のまっただ中へ身を投げた。

 実際彼女はよくやっている。
 並の魔族では彼女には勝てないだろう。
 遠い過去の伝説から蘇った英雄様だというのだから、それくらいの実力は当然だ。
 魔族は元々は人間と親しい存在であったという。
 遺伝子がどうのとバローネが教えてくれたけれどどうでもよかった。
 これほど見た目が違い、文化が違うのに、根っこが一緒だったからといってなんだというのだろう?
 一笑に付したバローネの説明を、風に黄昏れている魔ゐを見ていたらふと思い出してしまった。
「過去の人間と魔族は、今に比べればここまで違いはなかったのかしら」
「……どうかしら」
 魔族の中で上手く立ち回る彼女のしたたかな姿は、きらびやかな衣装のせいもあってか見劣りしない。
 魔ゐはただ微笑する。
「私は魔族に似ている、と言いたいの?」
「少なくとも、あなたに似ている人間をいままで見たことはないわ」
「私は、あなたに似た魔族を一人知ってる」
「へえ、誰かしら」
 知り合いかも、と思って名前を聞いたけれど忘れたわ、とはぐらかされた。
 どんな子よ、としつこく聞いたら遠くを見るような表情になり、自信たっぷりで、誰からも憧れられる存在だった、と教えてくれた。
「私のこと、そんなふうに思ってくれていたの?」
「昔の思い出って、綺麗に見えるものよ」
「人間って魔族より寿命が短いそうだけれど、ずいぶんと達観してるのね」
「短いからこそ、悠長にはしていられないの。一瞬だって大事だから」
「その大切な一瞬を、あなたこんなところで使ってる」
 魔ゐはすぐには答えなかった。
「あなたはどう思っているの? バローネの行動について」
 魔ゐの表情は冷ややかなものに戻っていた。
 過去のことを思い出している間は少し和らいでいたものを。
「別に、好きにすればいいわ。私は人間とか興味ないし。バローネが楽しいならそれでいいの」
 でも最近妙に優しくて怖いわ、前は十回話しかけてやっと顔を上げたのに、今は三回で答えてくれて、しかも微笑みかけてくれるのよ。
 不気味よね、と同意を求めたつもりが、彼女は少しだけ楽しそうに微笑をこぼした。
「あの人は変わったのね」
 ならば他の魔族の意思も変えられるだろう。変えてみせる。
 思いつめた表情で虚空を睨む彼女の横顔は人間にしておくには惜しいほど美しい。
「それが寂しいの?」
 ふいに魔ゐが私を振り向き、問うように眼を覗きこんできた。
 観察する側だったはずが立場が逆転してしまったようだ。
「好きな人の変化って、やっぱり寂しい物だと思う。それが前向きにしろ、後ろ向きにしろ」
 答えない私の様子を見て何かを理解したらしい魔ゐはふたたび前に視線を戻して、独り言のように呟いた。
 同意しかねて私は反論を口にした。
「そばにいれば変化を追えるわ。私はずっとバローネを見てきた」
「私は……」
 魔ゐはすぐには答えず、眼を伏せる。
 なんて顔をするの。
 あまりに頼りないその様子に、細い肩を抱きしめたくなった。
 人間って小さい。特に、女の子は。
 彼女の肩に腕を回すと、彼女は身体を硬くしたあと、ちょっと力を抜いた。
「やっぱり寂しのはあなたじゃない。私の気持ちを代弁したかのように言って」
「それは……あなたはそう感じないの?」
 私だってあなたを見てるわ、魔ゐの丸い大きな瞳が私を映す。
 どうなのかしら、答えを持たない私は魔ゐから眼を逸らす。
「どんなに彼が変わろうとも、私は彼に寄り添い続ける。あなたは彼がどこか遠くへ行ってしまいそうで不安なのね」
「リル」
 魔ゐはふいに表情を崩し、声を震わせた。
 しかしそこで崩れたりはせず、気丈に私を突き放し、彼女は呼吸を整える。
「ダンはどこにも行かないわ。私がどこにも行かせない」
 絶対に。
 毅然と姿勢を正し、茨茂る道を我が道と定め刺に柔肌を差し出すその姿は痛々しくて憐憫を誘う。
 そこまでして守りたいもの。
 そうでもしなければ守れないもの。
 それがあると彼女は信じている。
 頑ななまでの意思、それがきっと、人間と魔族を隔てるもの。
 だから私達は異なる種族なのだろう。
 痛みを堪えながら胸に愛を抱いて震える姿をこそ、私は美しいと思った。

「ねえバローネ、あなたはどっちが好き?」
 眠たげなあなたの耳に囁く。
 あなたは眼を開けようともせず、何が、とくぐもった声で問い返す。
 私の愛と、彼女の愛。
 あなたにはどちらが美しく見える?
「またあそび、か」
「ええ、戯れよ」
「……なぜああも張り詰めているのか、俺にはわからない」
 誰かのために、そこまで一途に思い込めるものなのだろうか。
 彼はさあ、と続けた。
「もうあそびなどやめろ。無為なことを聞くな。つまらん」
「答えてくれないんだもの」
 答えなんてどっちでもよかった。ただあなたの声が聞きたいだけ。
「答えただろう。この話は終わりだ」
「うやむやにしようなんて、さてはあなたも魔ゐの方が好きなのね」
「そんなことは言っていないだろう」
「私は好きよ。きれいなあの子が」
 バローネは不意に起き上がり、不機嫌な顔で私を覗き込んだ。
「俺にどんな答えを期待している?」
「嬉しいだけよ、あなたが構ってくれるのが」
 シーツで顔を隠して笑う私に、バローネは眉をしかめる。
「……君の考えることはまったくわからない」
 女というものは、魔族も人間も変わらん、バローネは深刻そうな表情で首を振った。いままで知ろうとしなかったんだもの、知らなくて当然。
 よく見ればすぐにわかるわ、私と彼女がどんなに違うか。
 私なら何よりもあなたのそばを離れることが耐えられない。
 あなたを救うためだとしても、離れるくらいならば最期のときまでそばにあることを選ぶわ。

 魔ゐ。
 美しい人間の女の子。
 あなたのうちに秘めた想いがいつか彼の心に響くことを願ってる。



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