バトルスピリッツ


lunaticemotion




 薄暗い部屋のソファの上で、主は浅く息をしていた。
 羽織っていたショールを肩から滑らせる。衣擦れの音が思っていたよりも大きく響いた。それが主の耳にも入ったものか、私の近づく気配を敏感に悟ったものか、ショールを掛けようと伸ばした手首を眠っていたはずの主に掴まれた。
「……お部屋でお休みになられてはいかがです」
「月光を遮るな」
 ぐいと腕を引かれ、抗うこともできず主の上に倒れ込む。主は窓から差し込む光を見上げていた。
「起きていらっしゃったのですか」
「君がドアを開けたとき目が覚めた」
「……起こしてしまい、申し訳ありません」
 バローネ様はそれ以上は答えず、唇で私の口を塞いだ。
 それはすぐに深くなり、後ろへ引こうとした私を逃がすまいとするように左手が私の首を押さえる。バローネ様の求めに応えるのに集中していると、体勢を変えられ私はバローネ様の下に横たえられた。ショールがくしゃくしゃに絡まり、床に落ちる。
 月の光が瞬く。上空を流れる風は速く、雲が千切れるように棚引いていた。
「今宵の月はあまりに強い……」
 これが最後の満月だから。
 次に満ちる日はもう、永遠に来ない。私達はもう二度と満月を見ることは叶わない……。
 バローネ様の指が私の手に触れ、絡みつくように結ばれる。
 目眩が起きるほど濃厚な光が今際のときを輝かしく照らしだす。
 キスの合間にバローネ様の金色の髪が乱れ、月光を乱反射して私の目に一本一本焼き付いてゆく。その煌きを傷に変えて、刻み込む。
「我が子を孕んでほしい」
 唇をほんの一瞬だけ離し、彼は囁いた。
 私は思わず手を引こうと力を込める。それをバローネ様は許しはしなかった。
「私は下賎な人間の身です。あなたの高貴な血をこの血で汚すなど……そんな罪深いこと」
 耐えられません。
 顔を背け、目を瞑る。バローネ様はそっと絡めた指を抜き、起き上がって私を見下ろした。
「……服を脱いでくれ」
 月明かりはあまりにまばゆく、私の身体を影で隠してはくれなかった。バローネ様は私の身体をとっくりと眺め、腹に触れた。
「脆く、柔く、儚いその身体は、魔族の女とは確かに違う」
「……魔族の女性の肉体は、どのような造りをしておりますか」
 きっと貴方のように強靭で靭やかで、美しいのでしょう。バローネ様は喉の奥で笑い、私の腹から上へと指で肌をなぞりあげる。
 その指で、今まで何人の方を愛したのでしょう。いまさらそんなことを訊ねたところで、ただのつまらない嫉妬心が燻るのに代わりはない。
 でも、今まで魔族を愛してきた貴方が、最期のときに選ぶのが人間である私だというのなら、その誇りは私の魂に永遠の輝きを与えるでしょう。
「元は同じ人という種族。ならば難しいことはあるまい」
「バローネ様……」
「嫌か」
 優しく微笑み、私が嫌だと首を触ればすぐにショールを掛けてくれそうな、遠慮と気遣いを見せるこの方に私があまりにも相応しくなくて悲しくなる。
 私は精一杯、首を振った。
「これほど嬉しい事が、他にあるでしょうか」
 バローネ様は私を抱き上げ、庭へ出る。
 湖面はさざ波も立てず、鏡のように満月をそっくりそのままの形で湛えていた。
「冴え渡る永遠の月光の下、契を交わそう。我らの血が交じり合い、新たな生命を育むために」
「誓います。この生命を貴方と一つに、そしてもう二度と、二つに分かたれないことを」
 冷たい水に映る水鏡と、黒ぐろとした天上から見下ろす天鏡、2つの月に包まれた世界は金色に照らし出され、全ては静謐のうちになお静まり返り、厳かな儀式が成されるための舞台を銀箔で飾り立てる。
「リル。朝の光を君と共に迎えたい」
 目を細め、バローネ様は私の手を握り締める。
 私はどちらでも構いません。
 私達三つの生命が寄り添っているのなら、このまま月を失った暗天に飲み込まれようとも。

 バローネ様。
 最期のときまで、私達をその腕の中に抱きしめていて。



(魔族も滅びを身近に感じたら生存本能が燃え上がって種の保存を欲するのではというお話)



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