バトルスピリッツ


shining sweet



 青を帯びた夜風に編まれた月の光は、細くしなやかな金糸となるのだろう。
 癖のない金色の髪に、摩擦が起きないよう絡まないよう、リルは丁寧に慎重に、櫛を通していく。この櫛にも月光がたっぷりと含まれている。歯の一本一本から振りまかれる鱗粉のような光が細い髪に均等に振るわれるよう気を使いながら、手首を柔らかに返し、櫛の柄を上下に滑らせ続けた。
 艶やかな髪は光を存分に振るわれ、さらにその輝きに磨きをかけてゆく。
 冷たいバスタブのカーブにそって、青白い光が淡く反射しタイルに散った水滴を煌めかせた。
 櫛が髪の上を滑るたび、艶が増し、弾力が出る。リルは心を込めて、月の光を磨き上げる。
 バスタブに物憂げに浸かる主人はワイングラスを揺らし、水面に浮かぶ月を散らした。
 今宵の月は青い――
 グラスを傾けながら、その視線は夢見がちに宙に揺れる。
 夜の闇に色を奪われ、色褪せた液体は本来持っていただろうベルベットの深紅色をくすませて、その魅力を潜ませてしまっている。ひとたび口に含まれれば舌の上で転がされ、芳醇な香りを解き放つだろうに、青白い硝子の中では鈍い錆び付いた泥でしかないようだ。
 月の明かりの下ではほとんどの生き物がその輝きを忍ばせて呼吸を細くし、死んだようにくすんでいる。
 ただ月の光で作られたものだけが妖しくも生々しく息吹を吹き返し、その明かりを浴びて煌々と輝ける。
 青い月光を吸収した金色は宝石のように様々な色に反射してあたかも生命が宿っているかのごとく煌めいていた。リルは目を細めて主人の持つ魅惑的な長髪の仕上がりを満足気に眺める。
 繊細な糸を指で梳き、絡めようとするとほろほろと逃げていく。捕らえられないほどに精緻で滑らかな金糸を追いかけて指を潜らせる。指の隙間を通る髪は軽すぎて、触れた感覚さえも満足には与えてはくれない。口に含めばもう少しは感じることができるだろうか、その甘美な冴光を。危うい考えがリルの頭を過る。
 水がバスタブの縁で跳ね、髪がするすると掌から滑り落ちる。主人の手がワイングラスを手放す。タイルに当たって粉々に砕け散るのも構いやしない主人の手から、ワイングラスを救出する。代わりに長い毛先が湯船に浸かってしまった。

 月の光が波紋に跳ねて散るように、金の糸が水面に広がる。

 頬に鋭い痛みが走った。爪の先がリルの皮膚を切り裂く。
 硝子がタイルに当たって砕ける音が浴室に反響した。零れたワインが白いエプロンに錆びた染みを広げる。
 頬を伝う温かい液体もまた、青錆た鈍い色をしているのだろう。
「何をしている」
 乾かせ。
 主人の命に従い、足元の粉々に砕かれた硝子の破片を無視して立ち上がり、リルは不注意で濡らしてしまった髪をそっとタオルで押し包む。
 光に染みこんでしまう前に、不浄の水を取り払う。
 金糸を痛めず繊細な表皮を剥がしてしまわないよう、丁重に柔らかに力を加え髪を拭う。それから壁に掛けられていたガウンを下し、主人の濡れた身体に被せた。
 主人の瞳孔がふと絞られ、リルの頬に焦点が合わせられる。長い爪が頬を這い、流れるに任せていた血を掬い上げた。主人は丸く盛り上がった血の雫を口元に寄せ舌先で舐めとる。

 お前の血も青い――

 弧を描いた唇は艶かしくそう呟いた。




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