さよなら
「最近、あのカード使ってないね」
大会からの帰り道。
一歩前を歩く彼はちょっとだけ振り返り、ああ、と首肯いた。
「譲ったんだ」
いいバトラーがいたからさ。彼は楽しげに言って、軽やかに歩を進める。一つに束ねた髪が歩くのに合わせて揺れるのを見上げながら、その日のバトルの様子を思い出していた。いつも使っていたあのカード。名前はなんていったっけ。彼は今までとは違うデッキで、今までとは違う戦法で、いつものように優勝した。
その日のバトルが、最後になった。
「リル、俺は海外に行くことにした」
妙に真剣な面持ちで、彼は決意を私に伝えた。
「日本のバトルは見た。今度は世界を見たい。見なくちゃいけない」
そうなんだね、頑張って。応援してるよ。
そんなようなことを言ったと思う。
離れ離れになってしまうんだ、って頭の中は寂しさと悲しみでいっぱいだったけれど、なんとか笑えていたと思う。
彼は心に決めたのだから。笑顔で見送らなくちゃ。
「信くん」
日は沈もうとしていた。家へ帰る道を逸れて、桜並木を歩こうかと誘ってくれたのは彼だった。ゆっくり、ゆっくり。彼は私の一歩前を歩く。ゆっくり歩く彼の背中を、一歩遅れて追いかけながら他愛もない話題を投げかけ、時折振り返って笑いかけてくれるのが好きだった。
それも今日で、最後になってしまうのかな。
最後にしなくちゃいけないのかな。
私も一緒に行く、なんて言えないし、待ってるね、なんて重いかも。
でも、何か。
今の気持ちを伝えれば、何かが残るかもしれない。
すべてを失うかもしれないけれど。
言わなくちゃ。
言わなくちゃ。
言いたい。
でも。
彼は遠くに行ってしまう。
「どうした?」
彼はただ微笑んで、俯いた私の言葉を待ってる。
待っててくれとは言ってくれないの。
必ず戻ると言ってはくれないの。
桜が風に散らされる。
散ってしまう。
私が心を伝える勇気を持つ前に。
彼は行ってしまった。
遠くに、遠くに行ってしまった。
伝えられなかった思いはあの日、桜の花びらと共に風に乗って地面に落ちて枯れてしまった。
もうあの頃の彼はいない。
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モドル