赤き翼と一番星!



 ――宇宙。
 どこまでも広がる、果てしない冒険の海。
 そこに一隻の宇宙艇が、ある宇宙船から離れて、旗魚が大海に泳ぎだすごとく、幾億もの星の波の中へ漕ぎだした。
 赤い機体に黒と黄色のラインが引かれたその船は、宇宙船のハッチから滑り出すやエンジンを全開にして一気に最高速度まで加速した。荷物を下ろした船は軽い。たいした燃料を掛けずにトップスピードに乗った。
「ナビ介、我が家までは何日で帰れる?」
 宇宙艇に搭載された操作ナビゲーションシステムAI、通称ナビ介(音声インターフェイスは搭載していないので会話できないが、宇宙艇をラキ一人で操縦できるように全てのコントロールを担っているスゴイやつだ)は最短距離の帰路をセンターのスクリーンに映し出す。ラキはそれを見て、迂回しているところをちょんちょんと突いた。
「どうしてここで曲がるの? まっすぐ突っ切ればいいじゃない」
 するとナビ介は即座にその部分をクローズアップし、障害物である小惑星郡の軌道がちょうどカーリーと交差することを警告した。
「このままの速度だと突っ込むってわけね。じゃ、それ以上に飛ばせば問題ない!」
 ぐっと操縦桿を押し込まれたナビは大慌てで燃料の残量やら、最大速度で運行できる限界の時間やら、ありとあらゆる情報を示してラキを思いとどまらせようと試みた。
 だがラキは片手の一振りで全てのウインドウを閉じてしまい、画面一杯に目の前の宇宙を表示した。そこに広がるのはどこまでも遮るもののない空間。
 ラキの進行を邪魔するものは何もない。
「カーリー、エンジンフルスロットル! マックスピードで飛ばすよ!」
 宇宙艇カーリーはラキの命じるままに内燃機関を限界まで加熱させ、ラキの家<ホーム>、宇宙キャラバン・スパルナ目指して一直線に飛んだ。

 キャラバンとは、宇宙を放浪しながら交易をし、商品を星から星、あるいは宇宙船から星、その逆など、どこにでも運ぶ隊商だ。隊商のリーダーである隊長が船の船長として、乗組員の安全を守る、一つの大きな家族とも呼べる集団である。
 ラキはキャラバン・スパルナの隊長の娘で、生まれも育ちも宇宙船スパルナの中だ。商品を狙って襲ってくる宇宙海賊と戦い、ならず者ギルドを撃退するため、宇宙戦闘機での格闘戦もこなす。宇宙艇カーリーは一度海賊に襲われれば、どんな巨大な獲物も仕留める戦闘機<ファイター>としての本質を露わにする。
 今回の仕事では海賊もギルドも現れず、スパルナに届けられたある商品を、依頼主のいる宇宙船まで届けて何事もなく終了した。あとは一刻も早くスパルナに帰るのみだ。
 一度最高速度に達した機体は、そのままどこまでも飛び続ける。一度すぐ近くを飛んでいた宇宙船を追い越した。
 ナビ介がもうすぐ小惑星郡の側を通ると再度警告を出す。この速度を維持すれば、ぎりぎり交わせる予定だった。小惑星群の映像の横に、ナビ介はもうひとつ映像を出した。
「なに? 追跡者?」
 ラキは身を乗り出して映像を拡大する。背後から何かが迫ってきていた。
 よく見ればそれは、先ほど追い越したと思っていた宇宙船だった。
 宇宙船は速度を上げ、みるみるカーリーに接近してくる。
「どこの船よ」
 ナビ介は船の名前と船長の名を突き止めた。
「一番星の……レイ? 一人で乗ってるなら、海賊じゃなさそうだけど」
 すると、その船から直接通信が届いた。ラキの前に、船長一番星のレイの顔が大写しになる。
『よう、いい船だな』
「そちらこそ。何か用?」
 探りを入れながらラキは目的を訊ねる。レイはにやりと不敵に笑った。
『だが、俺の船が一番だ! 負けないぜ!』
「はぁ!? 競争するつもり!?」
 宣戦布告するなり、プツンと通信が切れた。
 ラキはぐっと操縦桿を握り直し、さらに距離を縮めてきた宇宙船を見る。船長の不敵な笑みがまぶたの裏に焼き付いていた。
「このカーリーに、速さで勝負しようってこと? いいよ、受けてやろうじゃん」
 燃料を確認する。スパルナに戻れるのに必要な分だけしか積んでいない。それも先ほどの加速でずいぶん消費してしまった。だが迷わずにラキは操縦桿を思い切り倒した。
 エンジンが吹き上がり、ぐんと宇宙船を引き離す。だがほとんど同時に向こうもエンジンを点火して、ぴったりとカーリーの後ろにつけてきた。
 ラキは歯を噛んで、宇宙船の軌道に割り込む。そのまま進めば衝突は避けられない。ブレーキを踏むか、軌道を変えるか、さあどうすると出方を見れば、一番星のレイは最小の軌道変更で、カーリーに接触しないギリギリの距離を保ちながらカーリーの隣に並んできた。
 荷物を降ろした後で一番軽く、スピードが出せる時のカーリーにここまで肉薄できる宇宙船があることを、ラキは今まで知らなかった。
 速い。あるいは、カーリーよりも。
 そして操縦者の腕も並みのものではない。
「一番星……」
 だがこのまま大人しく負けを認めるラキではなかった。キャラバン隊長の娘として、スパルナ最速の名を簡単に汚すわけにはいかない。
「カーリー、翔べ!」
 もう一度、操縦桿を倒す。ナビが警告を発した。船内の明かりが落ち、赤いランプが点灯する。カーリーは悲鳴を上げる寸前だった。
 一番星の宇宙船が、ゆっくりと引き離されていく。
 よし、このまま。
 これなら、勝てる――!

 鋭い警告音と共に、衝撃が船内に走った。
 ラキは操縦桿に叩きつけられ、呻きながら顔を起こす。ナビはカーリーが何かに衝突したことを教えてくれた。
 小惑星群との接近までにはまだ5分と42秒あり、進路には障害物などないはずだった。確認を怠った。宇宙では、些細なミスが命に関わる重大なエラーに簡単に繋がる。父に厳しく言い含められていたことだったのに。
「カーリー、しっかりして、カーリー!」
 警告は鳴り止まず、ナビはカーリーの燃料が漏れていることを伝えた。船体には穴が空いている。空気が漏れていた。隔壁が降りるが、船内の酸素量は危険値ギリギリまで減ってしまった。
 爆発まで残りあと290秒。
『カーリーの船長! 大丈夫か!』
 そこに一番星のレイからの通信が割り込んでくる。ラキは衝突の衝撃でくらくらする頭を押さえ、ナビ介がカーリーの寿命が残り僅かしかないことを伝えるのを見て事態を理解し、一番星のレイに視線を戻した。
「この船はもうすぐ爆発する――救援を要請します」
『わかった。必ず助けてやる!』
 レイとの通信が切れると、ラキは宇宙服を着込み、脱出ボタンに手を掛ける。
 ナビ介はスクリーンに文字を写しだした。

 Good bye,Captain. Good luck.

「ごめん……カーリー」
 ラキはボタンを押した。脱出ポッドが操縦席ごとラキを包み、カーリーの外へ排出される。一番星の宇宙船から伸びたマニピュレータが即座にポッドを回収し、カーリーの爆発に巻き込まれない距離まで離れた。
 ラキはポッドの窓から、カーリーの最期を見届けた。

 爆発の閃光が消え、落ち着いた頃、ラキの乗ったポッドは宇宙船の中へ回収された。宇宙船のロビーに降りたラキを、この船の船長が出迎えた。
「ようこそ、俺の船へ。歓迎するぜ。俺はレイ。一番星のレイだ」
「助けてくれてありがとう、一番星のレイ。私はラキ」
「ラキだな。いや、礼を言われるわけにはいかねぇ」
 握手を交わしたあと、レイは渋い顔をした。
「あんたの宇宙船がああなっちまったのは、俺がけしかけたせいだ。すまねえ」
「それは違う。私が確認を怠ったのが悪かったのよ」
 ナビ介は回避できるタイミングで警告を発してくれていたはずだ。ラキはそれに気づくのが一歩遅かった。
「でも、航路を確認したときはあんな障害物はなかった。小惑星から逸れたのが飛んできたのかな」
「俺も気付かなかった。気がついたらすぐそこにあって、あれを避けるのはどっちにしろ厳しかっただろうな」
 レイはラキを寝室に案内した。
「まあ座れや。聞かせてくれ。これからどうするか」
 ラキは椅子に座り、荷物を運ぶキャラバンの一員であること、今はキャラバンに戻るところだったことをレイに伝えた。
「もしよければ、私をスパルナまで送り届けて欲しいんだ。礼はするよ」
「いいや。半分俺のせいみてえなもんだからな。金なんざいらねえ。むしろ送らせてくれ」
「……君がそういうなら」
 ラキは少し救われた気分でレイの言葉を受け入れる。自分の失態で愛する機体をむざむざ失ったわけではないと、少しでも思えるなら良心の呵責も軽くて済む。ずるいかもしれないが。どちらにしろ、スパルナに戻ればカーリーを失ったことについて弁明しなければならないのだ。そちらの方がよほど気が重い。
「……顔色が悪いが、大丈夫か?」
「できれば、スパルナまではゆっくり飛んでほしいところ、だけど……いつまでも厄介になるわけにはいかないもんね」
 早く帰りたいだろ、とレイは不思議そうな顔をして、頭を押さえるラキを見る。
 だがすぐに切り替えて、そうと決まれば、と太ももを叩いて立ち上がった。
「見ての通り、狭い船だ。寝室はここしかねえ。俺はコクピットで寝るから気にすんなよ」
「でも、それは悪いよ」
「じゃ、一緒に寝るか?」
「は?」
 好意に甘えるわけには、と断ろうとしたラキに、レイはずいっと顔を寄せてくる。ラキはあまりの近さにびくっと肩を震わせて仰け反った。
 レイはじっくりとラキの顔を見て、あの不敵な笑みを浮かべた。
「ラキ。宇宙で一番速いヤツ。俺のものになれよ」
 顎をくい、と持ち上げられる。
 ラキはレイの発言の意味をしばし考え、今の状況を顧みて、レイの冗談など一片の欠片も見えない真剣そのものの表情をとっくりと眺め、そして。
「それは無理」
 と、断った。



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