揺れる宇宙船と狂わされる調子


 シャワーを浴びて、バスタオルを身体に巻いて洗面所に立つ。真新しいハンドタオルの上に、丁寧に置かれた髪飾り。
傷ひとつないそれを見て、ラキは眼を細めた。
 手にとって、鏡に向かう。華奢なラインの繊細な細工が、今まで操縦桿しか握ってこなかったラキの指には不釣り合いすぎるように思えた。
 レイは似合うと言ってくれたけれど、どうなのだろう。こういうものは、もっと少女らしく、可愛らしい人が付けるべきものではないだろうか。
 たとえば、この髪飾りをレイと奪い合った男の彼女であるとか。
 とても可愛らしくて、女性らしさに溢れていた姿を思い出し、鏡の中の自分と重ねてみる。
 きっと釣り上がった眉、下を向いた口角。愛らしいなんてものではない。まるで年頃の少女らしい柔らかさが見当たらなかった。
 ……にあわない。
 ラキは溜め息を吐いて髪飾りを見つめた。
「ラキ?」
「わぁっ!?」
 ドアの向こうから声を掛けられて、ラキは大慌てでタオルをぎゅっと身体に巻き直し、さらにその上から上着を羽織った。
 ドアが開く気配はなく、レイの呆れた声が聞こえた。
「びっくりしすぎ。夕飯作るから風呂から出たか聞きにきただけだっつの」
「のっ、ノックぐらいしてよ!」
「悪い悪い」
 早く出てこいよ、と言う声はまったく悪びれておらず、ラキの慌てっぷりを笑っていた。ラキは濡れてしまった着替えを見て、腹の中でレイに八つ当たりをした。
 怒って赤くなった顔が鏡に映っている。手に持っている髪飾りは、そっと上着のポケットにしまいこむことにした。



「今夜もピザ……」
「今日はマルゲリータだぜ」
 具材が違うだけで、ここに用意されている保存食はすべてピザ、ピザ、ピザだ。サフサフで食料を買い足すことを失念したのは一生の不覚だった。栄養バランスが偏ってしまう。これも怒られちゃうな、とラキの懸念事項がひとつ増えた。
「レイは料理しないんだ」
「焼いて食うだけで上手いピザがあるんだ。する必要ねえだろ」
「栄養のバランスとか考えないか?」
「野菜食ってるじゃねーか」
「それだけじゃだめだよ」
 食材があれば何か作るんだけどなぁ、とぼやきつつ、不必要に寄り道するのは考えものだ。あと十日ほど、ピザで我慢するしかないのか。ラキは溜息を吐いた。
「ピザ、嫌いか?」
「きらいじゃないよ」
 さすがに飽きる、と言ったところで仕方がない。

 食べ終わってからラキはストレッチを始めた。一番広いのが食堂と一続きの空間になっているラウンジなので、そこで身体を動かす。ひと通り解していると、レイがやってきた。
「組手の相手、欲しくないか」
 おもむろに上着を脱ぎ捨て、ノースリーブ姿になり、構えを取る。ラキは額の汗を拭い、姿勢を立て直すと、軽くジャンプをして迎撃の構えでレイに対峙した。
「お願いします!」
「よっしゃ、行くぜ!」
 殴る、と見せかけて足払いを仕掛けてきたレイに、ラキは一瞬怯むも身体を沈めたレイに対して飛び上がってそれを躱し、片腕を軸に身体を一回転して距離を取る。床に触れたつま先に力を込め、バネのように前へ飛び出す。身体を起こそうとしていたレイは真正面に飛び込んできたラキを両腕で受け止める。防御に回ったレイに、ラキは足を掛けて倒そうとしたが、腕をレイに掴まれ、そのまま後ろに投げ飛ばされると予見すると腕を捻って拘束から抜けだした。
 レイは空になった手で拳を作り、左手の平にぱしっとぶつけた。
「逃げるのはうまいみてぇだな。もっとぶつかってこいよ!」
 言われなくても、とラキは気合を入れ直し、蹴りを放つ。鋭く数発打ち込まれた蹴りをレイは時に受け止め時にいなし、ラキとの間合いを詰める。ラキは身軽に飛び退り、レイの反撃を拒否、と思うと右斜下から右足を跳ね上げた。死角を狙われた形になったレイは右腕を弾かれ、防御が崩される。ラキはそれを見逃さず一気に距離を詰めた。
 そのとき、船体が大きく揺れた。
 ラキはバランスを崩し、右足を捻りそうになる。体勢を立て直さないと、と腕を伸ばすと、レイに掴まれ、引っ張られた。床に投げ出されそうになっていた身体はレイの上に抱きとめられる。
「……収まったな」
 何かが船に干渉したようだが、一過性のものだったようだ。宇宙船は安定を取り戻し、静かな航行を再開した。
「大丈夫だったか、変な姿勢でこけたろ」
「……な、なんともない……。なんだったんだろう、今の揺れは」
「さて。ちょっとコックピットに戻るか」
 レイはラキを身体の上から降ろして自分も立ち上がると、上着を取ってコックピットへ向かった。
「銀河突風に掠ったらしいな。船体に異常なし、と」
 ラキはコックピットの入り口辺りで立ち止まり、パネルを操作するレイの後ろ姿を眺めていた。動くたびに長い髪が背中で揺れている。二の腕から肘に掛けての部分が動いているのが髪の間からちらちらと見えた。
 太くはないけれどがっしりとしていて硬い、逞しい腕だった。
「強いんだね、組手」
「おう。銀河一だからな」
 作業しながらでも、強いという言葉には敏感に反応する。
「お前もやるじゃねぇか。コイツは無事だったし、第二回戦と行くか」
「い、いや、もう今日は寝るよ」
「あ? もうかよ。さっき飯食べ終わったばっかりじゃねえか」
「そうなんだけど……」
 ラキはコックピットに入ろうともせず、かといって部屋に戻ろうともせず、中途半端な立ち位置から動けずにいた。何をしたいのかよくわからないラキの態度に、レイは首を傾げる。
「けど、なんだよ?」
 また機嫌を損ねてしまいそうだった。なんでもない、と言って逃げるようにラキは部屋に戻った。
 変だ。
 レイの顔がまっすぐに見られなかった。
 組手をしている間は、レイの隙のなさと、大胆な攻め手に驚かされ、どう対処しようかと全身の筋肉を緊張させ、高まる鼓動が心地よかった。
 けれど、レイがラキを庇うように自ら身を呈してラキの身体を受け止めたあのとき。
 触れた肌がとても熱くて、ラキは目眩を覚えた。
 あの感覚はなんなのだろう。
 呼吸が乱されて、高まっていた興奮が弾けて制御できなくなった。
 せっかく上がっていた集中力があっさりと崩壊してしまった。
 いやな感じだ。
 激しい運動をしたわけではないのに、鼓動はどんどん速まっていく気がする。呼吸を整えようと思うのに、脈拍につられてどんどん浅くなる。
 いやだ。
 汗をかいたし、もう一度シャワーを浴びて頭を冷やそう。
 ラキはタオルを持って、バスルームへ向かった。
 冷水を頭からしばらく浴びても、なかなか心臓は落ち着かなかった。

[*prev] [next#]