星送り




 ――私の七夕はね、いつも雨なんだ。

 平然と微笑んでみせているけれど、全然隠しきれていない。
 いくら願ってもまるで応えてくれる様子のない現実と、毎年必ず振る舞われる裏切りの痛み、そうして積み重ねられた落胆にも関わらず、それでも祈らずにはいられない自分の悲しさが彼女の表情を見るものにさも痛々しく映した。

 これで何度目の傷だろうとも、受ける度に鮮血は赤々と流れ、苦痛はその初々しさを決して失わない。
 傷を受けるたびに彼女は痩せ細り、生気を奪われ、弱っていくというのに。
 傷の重さは比例して大きくなっていくようだった。

 テレビを付け、ニュースにチャンネルを合わせる。ノボルくんがニュースなんて珍しいわね、とからかう母親の視線が鬱陶しく、恥ずかしくて言い訳をしながら天気予報が始まるとじっと気象予報士の言葉に耳を傾けた。
 明日は午後から雲が広がり、明朝に掛けて雨が降るでしょう……
 ノボルはテレビを消し、無言で自室に戻った。
 机の上に転がった作りかけのてるてる坊主を見向きもせず、カーテンを開ける。明るい星空が広がっていた。
「なんで今日なんだよ。なんで今日じゃねえんだよ……」
 憎らしいまでの輝きに悪態を付き、その光を追い出すようにカーテンをぴしゃりと閉めた。





「本当に大丈夫なのか?」
 晶は赤い頬に、とろんとした目を和ませて、平気、と頷いてみせる。
「今日はずっと、調子がいいんだ」
 朝からお天気がいいでしょ、と晶は部屋に差し込む明るい日差しに目を細める。
 雲ひとつない、いい天気だ。ノボルはここに来る前、いくつもの放送局の天気予報と、ネットの情報をかき集めてみた。
 どの気象予報士も、口を揃えてこう言っていた。
『明日は午後から雲が広がり、明朝に掛けて雨が降るでしょう……』 
 いつもはバラバラでてんで宛にならないくせに、今日に限って一致団結かよ。
 実は気象予報士全員が仕事をやめてしまって、残ったたった一人がまとめた予報を、どこの局もこぞって発信しているんじゃないかと疑ってみたくなる。

 今日じゃなくてもいいじゃないか。
 どうして、今日なんだ。
 俺にとっては今日、この日、この一日だけ晴れてくれればそれでいいのに。

「ノボルくん?」
「あっ……いや、ほら、持ってきたぞ」
 窓の外を睨み続けるノボルを、晶は怪訝な顔で覗き込む。不機嫌そうに見えてしまったことに気づいて慌てて誤魔化し、鞄を開けて中身をやや乱暴にテーブルの上に並べ始めた。
「短冊と、あとなんかうちにあった飾り、適当に持ってきた」
「わあ、すごい!」
 金や銀の折り紙で作られた星やあみかざり、ちょうちん、ひしがたつづり、かいつづり。じゅうじふきながしにささかざりと、丁寧に作られた飾りが、大事に保管されていたのだろう。いくつかはノボルが昔作ったものだ。
「このお星様、きれいだね」
「自信作だからな」
「どうやって折るの? 私にも折れる?」
「ああ、たぶんな。教えてやるよ。お前つるくらい折れるだろ?」
「かみふうせんだって折れるよ!」
「じゃあ楽勝だな」
「もう、ノボルくんよりきれいに作ってみせるから!」
「よし、じゃあまず好きな色選べよ」
 晶はノボルから渡された折り紙から一枚を選び、ノボルに教えられるまま、丁寧に一本一本紙に折り皺をつけ、ほしかざりを作った。
「どうだ!」
 ノボルが星を蛍光灯の灯りにかざしてみせる。晶はその隣に自分のを並べた。
 どちらも角がきれいに揃っていて、見栄えがいい出来だった。
 二人は顔を見合わせて、笑い合う。
「他に、作ってみたいのあるか?」
「うーん、もう一個、お星様作ろうかな」
 晶は残った折り紙を見て、部屋を見渡す。白い壁をノボルも一緒に見て、じゃあ、と提案した。
「この部屋埋め尽くしちまおうぜ」
 本物の星空みたいにさ。
 晶はきらきらと弾けるような笑顔を見せてくれた。

 折り紙を夢中で折っているうちに、手元が暗くなってきた。晶は灯りを点け、窓の外を見る。
「曇って来ちゃった」
 ノボルも隣に立って、硝子越しに薄暗い空を見上げる。
「つーか、降ってきたな……」
 ぽつぽつ、と硝子に水滴が当たり始めたと思ったらあっという間に無数になり、雨粒が世界を覆い尽くした。
「続き、折ろっか」
 晶はカーテンを閉め、諦めた微笑をこちらに向ける。
 期待を裏切られるのには慣れっこで、何も感じていないよと強がり振る舞ってみせる。
 でも本当はそうじゃないんだろう。
 痛みはいつだって鋭くて、その傷めつけられた心に突き刺さるんだ。
 そしてノボルには何もできない。
 空を晴らしてやることも、彼女の表情を晴らしてやることも。
 一人の少女の願いなんて聞き届けてくれやしない現実を、恨むだけだ。

「ノボルくんは、短冊になんて書くの?」
「俺か? そうだなぁ……」
 ノボルは飾りの山に紛れていた短冊を抜き出し、さらさらと書きだした。
「超ガチレアの竜騎士が当たりますように」
「あ、私も!」
 晶はノボルから短冊を受け取り、レアカードが当たりますように、と書いた。書き終わって、あ、でも、と悩む。
「もう一枚もらっていい?」
「たくさんあるからな。ほら」
「やっぱりこっちかな」
 強い魔法カードが当たりますように。ノボルも自分の短冊を見て、もう一枚に手を伸ばした。
「究極レアが欲しい……」
「あ! 私も欲しい!」
 晶も同じように書きなおす。でも一番欲しいのは、と二人は顔を見合わせ、もう一枚短冊を書いた。
「バディレアが欲しい!」
 二人同時に読み上げて、笑いがこみ上げてくる。
「短冊、いっぱい書いちゃった」
「ここまで来たら、願い事全部書いちゃおうぜ」
「ええっ、全部?」
「短冊まだまだあるしな」
 願いを文字にするということは、想像よりも楽しいことだった。心の中で思っているだけだったときよりも、ずっと叶いそうな気がしてくるから面白い。
「誕生日以外にも美味しいケーキがたくさん食べれられますように」
「サッカーうまくなれますように」
「たくさんファイトをできますように」
「たくさんファイトで勝てますように」
「足が速くなりますように」
「泳ぐのがうまくなりますように」
「字を書くのがじょうずにできますように」
 書いても書いても、まだ出てくる。短冊はもうなくなってしまった。
 晶は自分で折った星を手に取り、そこに書いた。ノボルも自分の星を取り、書き込む。
「なんて書いたんだ?」
「……内緒!」
 晶は星をひっくり返して、書いた文章を隠してしまった。
 晶はノボルには見せないように、たくさん折った星にひとつひとつ願い事を書いていく。ノボルは晶が夢中で筆を動かすのを、頬杖を着いて見ていた。
 星が机の上に積み重ねられていく。ノボルは両面テープを手に取ってくるくると指で回していたが、星をいくつか取り上げ、立ち上がった。
「これ、飾っていくな」
「あ」
「見ねえよ、安心しろって」
「……うん」
 晶ははにかんで、ノボルに星を託してくれた。ちょっと頬に熱が集まるのを感じながら、ノボルは星に書かれた文字を見ないようにして、壁に貼っていく。椅子を借りて、できるだけ高いところに貼る。ここに天の川を作ってやろう。彼女のとどまるところを知らない膨大な願い事が染み込んだ星で、埋め尽くしてやろう。
「はい、最後のいっこ」
 晶は大切な物を捧げるように、ノボルの目をまっすぐ見て星を渡す。
 星は、願い事が書かれた面が表になっていた。

 ――来年は晴れて、ノボルくんと七夕のお祭に行けますように

「いつも、七夕は雨だから行けなかったけど」
 でも、来年こそは。
 そうやって微笑む顔に、裏切られた悲しみと、諦観の影はない。
 何度ままならない現実に打ちのめされようとも、君はひたむきに願うことをやめようとはしない。
 痛みを堪え、やり過ごし、そうしてまた、両手を合わせる。
 祈りが届くまで、君はまた天へと星を送る。
 たくさんたくさん、祈りを繋いで、空へ空へと願いを運ぶ。
 彼女の手がノボルの手に重ねられた。やけに冷たい手だった。
 叶えられない願いをその小さな身体にいやになるほど抱え込んで、ひとつひとつをどれも大切に描いていた小さな手。
「ノボルくんと一緒に、行きたいな」
「連れてってやるよ。たとえ雨でも」

 雨が降るなら傘をさせばいい。星が見えないなら川を渡って、晴れている空を探そう。
 どんな些細な願いでも、叶うように手を貸してやるから。
 だから、神様。たったひとつでいいから、叶えてくれ。
 俺の願いを。

「早く元気になるね」
「ああ」
 そう言って微笑んだ彼女の顔にはまたあの影が忍び寄っていて、ああどうしてこの世はこうもままならないものかと、ノボルは諦めを隠し切れない笑みを零した。







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