引かれ者の小唄



「龍炎寺くん。君も来てたんだね」
「晶さん」
 制服姿の龍炎寺タスクは、晶を見て少し笑ってみせたが、すぐに目を逸し、俯いてしまった。豪華客船の中にいるにしては浮かない顔だ。無理もない。
「料理はもう食べた? こんな豪勢な料理、滅多に食べられないからね。楽しまないと損だよ」
「いえ、僕は」
 ローストビーフと、ラズベリーソースの掛かったラム肉、それからハーブで味付けされたチキンに、分厚いポークステーキを皿に盛りつけていく晶を見て、思わずタスクは吹き出した。
「見事に肉ばっかりですね」
「あはは。いいのいいの、カロリーはファイトで消費するから!」
 なんといっても、この客船には世界的な企業の御曹司、臥炎キョウヤが招待したバディファイターたちが乗っているのだ。
 晶はここで自分の失態に気づく。一瞬晴れ間を見せたタスクの額に、また分厚い雲が垂れ込めてしまった。
 ああ、ダメだなぁ、私。
「それに、見た? ここ温水プールもあるのよ。水着持って来るべきだったわ。用意してもらえるかしら」
 何気ない風を装って話題を逸そうと試みるが、取り返すには遅すぎた。
「どうでしょう。僕は少し風に当たってきます。晶さん、せっかくファイターとして招待されたんです、楽しんでください」
 タスクは苦り切った笑みを作って一息に言ってしまうと、メインホールから出て行ってしまった。晶は肉を持った皿を持て余し、その背を見送るしかなかった。
 カードを封じられ、バディポリスとしての活動を制限されてしまった後輩に、もっと言ってやれることはなかったか。なんの落ち度もない彼がどうしてこんな理不尽な目に合わされなければならないんだろう。
 恐らく彼らは扱いかねているのだ、あの未知の力を。

「晶さん」

 無心で肉を片付けていると、呼び止められた。
 この客船の持ち主にして、パーティの主催者であり、晶を招待した当人である臥炎キョウヤがまっすぐにこちらに向かっているのに気づいて皿を置き、水を一杯飲み干してから御曹司に挨拶を返した。
 彼はすぐ側までは来ず、二歩離れた距離で立ち止まり、晶を見た。観察されている、と晶は居心地の悪さを感じた。
「なんですか?」
「これは失礼しました。あまり、美しいものですから」
「は?」
 パーティといえば当然ドレスコードがある。いくらファッションに疎い晶だとて、それくらいは知っている。ドレスの準備を手伝ってくれたのは、同僚のステラだが。彼女の見立ててくれたドレスは軽くて動きやすく、晶も気に入っていた。とはいえ、世間からアイドルにも引けをとらない人気を誇るこの御曹司に面と向かって世辞を言われてしまうと、うまく切り返す言葉も思いつけなかった。頭が真っ白だ。
 臥炎キョウヤは晶に向かって優雅に頭を下げた。
「あなたを招待しようと思い立ったときの自分を褒めたいですね。バディポリスとして常に凛々しくあるあなたが、これほど麗しい姿を見せてくださったのですから」
 言葉遣いがあまりに気取っていて、さすがに晶も冷静になれた。各界の頂点ともなれば、この程度の世辞など息をするごとくするする出てくるものなのだろう。なまじ顔がいいものだから、世辞とわかっていても嬉しいと頬が上気してしまうのは仕方がないことだ。晶は自分の頬が熱く、心が弾んでいることについてそんな風に言い訳をしつつ、頭を下げ返した。
「あー。どうも。ええっと、ご招待くださり光栄です。臥炎さん」
「キョウヤで構いません。あなたは僕より年上で、素晴らしいバディファイターなのですから」
 軽く握手を交わし、キョウヤは晶に白ワインを勧め、自分は手近のジンジャーエールを取った。晶はグラスを受け取り、一口舐めた。ワインなど普段呑まない。もっぱら焼酎だ。思ったよりは呑みやすい。
「あなたのご活躍はよく存じています。今日は尊敬するあなたのファイトを直接見られると期待していますよ」
「それほどでも……。こちらこそたくさんのファイターと戦える機会を与えて頂いて、感謝してます」
 普段はもっぱらポリスとしてのファイトばかりで、公式戦もご無沙汰だ。今日もせっかく招待状を貰ったものの、晶は辞退するつもりだった。それを知った上司コマンダー・Iが行っておいでと言ってくれなければ、ここにはいなかっただろう。いや、タスクがあのいけ好かない調査官にパーティへの出席を強要されたことを知っていれば是が非でも参加していた。あんな状態の彼を一人であいつらの側に置いておいたらどんなことになるかわかったものではない。
 調査官たちは今、この立食会場で挨拶回りをしているようだ。
「誰か、気になる相手は見つかりましたか?」
「え?」
 会場を見渡していた晶に、キョウヤは訊ねた。対戦相手はいたかという意味だ。ええと、と晶は視線を宙に泳がせる。タスクのことばかり気にかけていて、他の参加者はあまり見ていなかった。
「えっと……あ、そういえば、相棒学園の生徒たちが参加しているんですよね」
「ええ。ABCカップといえば、伝統ある大会ですからね。特に、今年の優勝者は……」
「未門牙王。天才バディポリス龍炎寺タスクを、バディ契約を結びバディファイターとなったその日に破った、天性のファイター、ですよね」
「さすが、よくご存知です」
 キョウヤはにっこりと嬉しそうに笑う。ABCカップの結果は学園の生徒たちのみならず、全国のファイターの関心事だ。
「今日は龍炎寺タスクくんも招待したのですが、今はどちらに?」
「ああ、さっき外に行くって」
 そう答えながらドアの方を指さす。会場の何人かが外に出て行くのが見えた。甲板の方で何かやっているらしい。
「さっそく、ファイトをしているようですね」
 ドアが開いたとき、外の盛り上がりが少し聞こえた。キョウヤは笑みを浮かべると、行ってみませんか、と晶を誘った。晶は空になったグラスをテーブルに置いて、キョウヤと共に甲板へ出た。そこには、簡易なファイトステージが作られており、ギャラリーが集まっていた。
「確か彼らは……ソフィア」
 ステージに立つ二人の少年の顔を眺め、キョウヤは誰かを呼んだ。
 いつの間にかそこには少女が控えていた。水着にパーカーを羽織った美少女ソフィアが、手に持っていた端末を読み上げた。
「二人とも、相棒学園の生徒ですね。一人はABCカップ出場者だ」
「あの子が、魔王アスモダイのバディに選ばれたっていう子か……」
 晶はその少年を観察した。どう見てもごく平凡な少年にしか見えないが、魔王は一体彼のどこを気に入ったのだろう。対する氷竜キリという少年は、バディ契約はしていないようだった。
「デンジャーワールド……」
「……懐かしいですか?」
「え?」
 キョウヤに聞かれて、晶は夢から醒めたかのような心地で目を上げた。一瞬、自分が何をしていたかわからなくなった。晶はキョウヤを振り返り、なんの話をしていたのか思い出そうとしたが、彼は不思議な、どこか魅力的な笑みで晶を見つめ返すばかりだ。
「氷竜キリ。なかなか見どころのある少年でしたね」
「え? あ、ああ……」
 見ればもう試合は終わっていた。勝利したのはアスモダイのバディ、黒岳テツヤだ。だがキョウヤは氷竜の方を気に入ったらしい。晶は奇妙な感覚を覚えて、キョウヤの表情を窺った。
「私……」
 彼の顔をこうして間近に見るのは、初めてのことではない。ふいにそんな思いに駆られた。ずき、とこめかみが痛む。日差しが眩しい。白い甲板に反射する日光は刺々しい。目を細めて光を締め出そうとすると、くらりと目眩を起こし、よろけた。キョウヤが手を差し出し、支えてくれる。
「船酔いかもしれませんね。室内に戻りましょう」
 キョウヤに案内されるまま、晶は船室に戻った。すぐ後ろを、ソフィアと呼ばれた少女も付いてくる。彼女の物言わぬ視線はずっと晶に向けられ、何か苛まれているような気すらした。彼女とは初対面のはずなのに、嫌われていると感じる。なぜこんなに気分が悪いんだろう。
 どこかでキョウヤと会ったことがあるだろうか、と晶はぼうっとする頭の片隅でぼんやりと考え続けた。

「ソフィア、冷たい水を彼女に」
 ソフィアはキョウヤに一礼し、部屋を出て行った。晶はソファに腰を降ろし、額に手を当て、くらくらする頭をどうにか落ち着けようとする。
「しばらく休んでください。ここは僕の部屋です。遠慮はいりません」
「すみません、あまり船って乗らなくて……」
「構いませんよ」
 キョウヤの厚意に、晶はありがたく甘えさせてもらうことにする。普段乗り物酔いも酒酔いもした覚えがないものだから、なんだか気が滅入ってしまった。
 船の上でワインを呑んだのがまずかったのかもしれない。
「どうぞ。少しは気分がよくなりますよ」
 キョウヤに差し出された水を受け取り、喉に押し込む。ひんやりと体内を冷やされて、ほっとした。そしていくぶんかマシになった脳では、やはりキョウヤのことが気にかかる。晶は側に佇んだままのキョウヤを見上げた。
「私、あなたに会ったことがありますっけ……?」
 キョウヤは目を細めた。
「あなたは覚えていないでしょうが、僕はよく覚えていますよ」
 肯定された。やはりそうだったのか、と晶は思う。詳しくは覚えていないけれど、この柔らかく、人当たりのいい、どこか惹きつけられる微笑。これを向けられたのは、今回が初めてではなかったのだ。
 では、どこで? 御曹司と会ったとあれば、忘れるはずがない。けれど、いくら考えてみてもそんな機会はなかった、という結論しか出なかった。
「立派にバディポリスとして活躍しているあなたの姿を見られるとは思いませんでしたよ」
 キョウヤの声音が変わった。好青年然とした振る舞いに、違和感が混じり始める。
「あんなことをしたというのに。自らの罪を忘れ、市民の味方として正義のごとく振る舞っている」
「なんの話……?」
「そう、覚えていないんです、あなたは」
 何もかも。
 そう話す彼の表情にははっきりと軽蔑、嫌悪、優越、そして愉悦が浮かんでいた。
 その悪意に満ちた視線に、晶の背筋はぞくりと震える。
 怖い。
 彼の言葉をこれ以上聞きたくない。強い拒否反応が晶の身体を縛り付けた。
「ただ、僕のやり方もまずかったんだ」
 ふいにキョウヤは晶から背を向けた。
「あんなやり方では、うまくいくはずがなかった。あれから僕も色々と試してみたんですよ。より確実にあの力を扱える人材を見つける方法を」
「何を言っているの。もし、非合法的なことだとしたら聞き捨てならないわ」
 バディポリスとしての勘が告げる。彼は不穏なことを口にしている。晶は腰に付けたデッキケースに手を掛けた。キョウヤは横目でそれを見、両手を広げ、掌を上に向けてみせた。
「体調が悪いんですから、ファイトなんてやめたほうがいい。大人しくここで寝ていてください」
「待って、どこに行くつもりなの! あなたは何か企んでいるんでしょう……っ」
 身体が言うことをきかない。だが彼一人くらいならねじ伏せられる。
 キョウヤはまるで晶の敵意など気にも止めていないように、冷酷に笑う。
「挨拶に行くんですよ。パーティの主催者がいつまでも行方不明ではね」
「その前に答えなさい! あなたは犯罪バディファイターなの?」
 キョウヤの腕を掴み、ソファの方へ身体を向けさせ、逃亡しないよう晶はドアを背にする位置へ、キョウヤと入れ替わるように移動する。キョウヤの腕をねじり上げ、ソファへ押し付けた。
 その状況で、キョウヤは笑い声を上げる。
「何がおかしい!」
「今僕がSPを呼べば、放り出されるのはあなたですよ。ご自分の立場がわかっていないようだ」
「ご自慢の権力でもみ消そうっていうのなら、受けて立つまでだわ。あなたが何をしようと、私が止めてみせる」
「はは、勇敢だ……。あなたのそういうところがとても気に入っている」
 まるで怯まないキョウヤに対して、晶の狼狽は深くなるばかりだ。なぜだろう、彼に対するこの複雑な思いは? 彼が御曹司だからだろうか、そんなことは関係ない。彼が悪だというのなら、職務に則り逮捕するまでだ。そう必死に言い聞かせ、ポリスとしての矜持を奮い立たせなければ、彼を押さえつける腕から力が抜けてしまいそうだった。
 どうして。私は。
「また僕を傷つけるんですね、あなたは」
 隠し続けてきた傷口を的確に暴かれ、抉られたような衝撃だった。
 キョウヤの言葉が、晶を激しく動揺させる。キョウヤの悲しげで、恨みがましげな視線が、余計に晶を苦しませた。
 その理由がわからない。どうしてこんなに胸が痛む。
 彼を傷つけた覚えなんてない。
「私はあなたに会った覚えなんてない!」
 腕から力が抜けた。キョウヤはいとも簡単に拘束から逃れる。そして今にも泣き出しそうに震える晶の頬に手を触れた。
「思い出そうとすると苦しいんですね。わかりますよ、醜い自分を見つめなおすのはとても勇気がいる、辛い行動だ……。長い間忘れたふりをして、生まれ変わったつもりで滑稽にも正しい人間らしく振る舞ってたら、余計にね」
「思い出さなきゃならないことなんてない……っ、私は全部覚えてる!」
 バディファイターとして強くなろうと我武者羅に努力してきた子供時代。バディポリスを目指し、夢と希望に満ちた未来に期待で胸を膨らませ、輝いていた学生時代。
 そしてポリスとしてクリミナルファイターを取り締まる今現在の自分に、それらはすべて繋がっている。欠けている部分なんてない。あるはずがない。臥炎キョウヤが入る余地は、どこにもない。そのはずなのに。
 なぜ彼の言葉がこれほど怖いの。
「安心してください、晶」
 キョウヤの指が顎をなぞり、耳元で甘く囁かれる。晶の全身から力が抜けた。
「今はそれでいいんです。何も思い出せなくていい。まだそのときじゃない……」
 おやすみなさい、彼のその言葉を最後に、晶の意識は途切れた。



 キョウヤは意識を失った晶をソファにそっと寝かせ、乱れた髪を整えてやる。額に掛かった前髪を指でかきあげ、丸い額に唇を落とした。
「今度は上手く行きますよ。あなたは選ばれた人間」
 ただそのためには絶望が足りなかった。キョウヤは彼女の頬を撫でながら、その寝顔に過去の彼女を重ねる。
「その心を、綺麗に闇で塗りつぶしましょう。このダークコアに相応しいように」
 名残惜しさを感じながら、彼女の頬から手を離す。
「あなたが心から愛する大切な人。その血があなたを闇に染める。そうして僕らは、ようやく寄り添うことができる」
 今度は、間違えない。
 キョウヤは音を立てないよう、ドアを開けた。
「邪魔者が消えるとき、欲しいものが手に入る……完璧じゃないか」
 凶悪な笑みを残し、キョウヤはホールへと戻っていった。
 優秀なバディファイターたち、そして――龍炎寺タスクが待つ、会場へと。



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